361、惑わしの建国際 35(卵を割るお仕事)
「はぁ……こいつらも来てたか……」
アルベラはうんざりと呟く。
ユリの抱えていた鞄から卵を出せば、それとともに見覚えのある三匹の妖精達も転がり出てきた。
皆アルベラの霧でぐっすり夢の中だ。
「私の霧が妖精にも効くと分かったのはそこそこ嬉しい収穫だけど。さて、」
アルベラは卵をぐぐぐ……と持ち上げその場に落とす。一度、二度、三度、とその行為を繰り返して割れる様子のない卵。
「もう、なんなのコイツ!」とアルベラは卵を足蹴にした。
「お嬢様、殴ってみたらいかがです?」
「あんた分かってて言ってるわね」
殴ったところでダメージを受けるのはアルベラの拳だ。
「いいじゃないですか。やらずに決めつけるなんてお嬢様の好奇心が許します? 一回だけ、一回だけやってみましょう? そしてその拳は私が責任もって介抱させていただく――」
「やっぱり私が卵に負けるの前提か」
悪戯っぽく笑うエリーにアルベラは目を据わらせた。
(ならあんたが殴りなさい、と言いたいところだけど。エリーの拳なら本当に割れちゃうかも。卵が割れるのは求めることではあるけど、けど先ずは私がチャレンジしないと。とにかく治療班が来る前に……)
両手を卵の方へ向け風を起こし卵を持ち上げる。腕で持ち上げるのとは異なる負荷を感じたが、両腕にかかった重みよりはまだ楽に感じた。だがずっと浮かせていればエネルギー切れの疲れを感じ始める。
そうなる前にと、彼女は持ち上げた卵をぐんぐん上へ上昇させた。
「さて、」
アルベラは左右の建物より高く持ち上がった卵を見上げ、ここらへんかなと微妙に位置を調節する。
「よし」
彼女は魔法を解いた。
卵は風を切り地面に垂直落下して……――「ドォォォォォォォン!!!」と地を揺らし衝撃音を響かせた。
「な、なんだぁ!?」
防音の魔術を張ったはずだが、地響きが伝わったのか、それとも防音の魔術に使用してる魔力以上の魔力の波でも伝わったのか、路地に面した建物から住民が驚いて顔をのぞかせた。
(私が追いかけまわされてた時は気付いてくれなかったくせに)
アルベラは顔をのぞかせた住民を恨みがましく睨みつけ卵に視線を戻す。
「お嬢様、成功ですね」
軽い嫌がらせで出来るだけエリーの近くに落としたのだが、このオカマは一切動じた様子無く微笑んでいた。しかも、お嬢様の細やかな嫌がらせになど気づいてもいない様子で彼女は興味深く落ちた卵を眺めている。
「卵の中に卵ですか」
「あぁ……だから『×2』……」
「『かけるに』ですか?」
「ええ。もう一回これを割るわ」
地面を抉った窪みの中で卵は見事に割れていた。
割れた普通の卵の殻。その中からどろりと粘り気のある赤黒い液体が流れだしていた。卵の中から出てきた新たな卵は今までの姿とは全く異なるグロテスクなものだった。紫がかった黒色をしており、その表面には筋肉や血管のような筋や管が張っていた。まるで肉の塊だ。まさか脈打ってるのではないか、とアルベラは見ていたが動く様子は無かった。
もしかしたら肉塊的な凹凸はあるが、質感は卵の殻らしく固いのかもしれない……とアルベラは思う。
どこからともなく、コントンの唸り声と「オイシソウ」という呟きが聞こえてきた。
「食べちゃダメよ、コントン」
「クゥゥゥン」と残念そうな声が陰の中から返される。
「これ割れるの?」
(もし肉とかと同じ触感なら、割るというより『切る』の方が楽な気が……)
アルベラは傍に落ちてた石ころを拾い上げ、気味悪げに手を伸ばした。手にした石で卵の表面をつつこうとした時だ――
「ここで何をしている! 先ほどの霧や魔術について話を聞かせてもらおう!」
「あのぉ……アルベラ・ディオール様はいらっしゃいますか?」
「……!?」
アルベラは急いで立ち上がり卵を背に隠した。
数人の兵士たちがザクザクとアルベラ達の方へ歩いてくる。その後方には、こちらの様子を伺うように教会のローブを纏った治療師と思われる者達が数人立っていた。
アルベラは声を潜め、口早に告げる。
「(警備兵と治療師が)一緒に来た!? エリー、私が説明してる間にそれ隠して」
「えぇ……隠すと言っても、触って大丈夫かしらぁこれ……」
エリーはマイペースに辺りを見て目に付いたアルベラのローブを手に取った。
***
「兵士の皆さま御機嫌よう。私はディオール公爵家のアルベラ・ディオールです。先ほどの騒音について様子を見にいらっしゃったんですよね。私から説明させて頂きます。――治療師の皆様、来てくれてありがとうございます」
艶やかな笑みを向けられ、警備兵や治療師たちはまるでお茶会やパーティーの歓迎を受けているような錯覚を覚える。お嬢様が少しずつ移動し、彼らが卵に背を向けるよう向きを調節していることなど知りもしない。
「こ、公女様でございましたか。突然申し訳ございません!」
兵士はびしりと敬礼した。
「この周囲で眠り薬が撒布されたとの通報があり参りました。付近では不審な霧と、それを吸って人々が眠りについたという目撃情報があり……」
「ええ。それについては私が、……あぁ、先に治療師の方々ともお話をいいかしら。人命に関わる事なの」
「はい」と兵士が一歩下がる。
「こんにちは、ディオール様。緊急のお呼び出しを受けまして参りました。癒しの教会に勤めますマーハ・マールと申します」
四十代前後の小柄な女性は緊張している面持ちで頭を下げる。
「どうぞよろしくお願いいたします。皆さんにはあちらの方々を治療して頂きたいのです」
治療師たちがぞろぞろとアルベラの側へとやって来くる。
「治療とは……殆どの者がただ眠っているだけの様にもお見受けいたしますが」
正しくは目と口を閉じているだけだ。
彼等には意識はあるが、ガルカの言葉の縛りにより許しが出るまで目と口を閉じ横になっているよう命じられていた。勿論本当に気を失っている者もいるががそれはアルベラを追い掛け回していた二人だけだった。
「彼らは私の命を狙いに来たもの達です。そして、先程の騒動も彼等が起こしたものです」
アルベラは兵士達の方も見て、治療師達と共に事情を伝える。
「これから彼等のお腹から魔術具を取り出します。でないと彼ら、強制的に死んでしまうそうなので。こちらとしては生きた彼からか色々と話を聞きたいのです。そのために皆さんのお力を借りたく呼び立たせて頂きました」
「取り出す魔術具……自害用の魔術具という事ですね」
「はい。お話が早くて助かります」
「ですがそういった魔術具は一度飲み込んだら吐き出せないよう処置を施しているのがほとんどです。のどに詰まったものを取り出すための魔術や毒物を飲んでしまった際に嘔吐させる魔術などが医療用に在りはしますが、それらでその魔術具を取り出すことは不可能かと。どうしても取り出すとなれば腹を裂くのが確実でしょうが――」
「はい、そうしようかと」
「え?」
「今ここで彼らのお腹を『彼』が裂きます。ですから皆さんにはその傷を癒していただきたく呼ばせていただきました」
「は……腹を?」
マールは目を見開く。
「ええ。では治療師の方々は早速お願い致します。警備兵の方々には引き続きお話を――」
アルベラは兵士達へ、刺客等の身はディオール家が預かる旨を説明した。
警備兵達は相手が貴族、それも公爵家と言う事もあって大人しく彼女の言葉に頷く。アルベラの気を損ねないようにと兵達はアルベラの扱いに慎重になっていた。
お陰で事はスムーズに進み、魔術具の取り出しも速やかに進められた。
(霧の件は『多分刺客が撒いたものだろう』っていうので納得してたし……まあいいか。どっちにしろ刺客は全員ディオール家が預かる。あれが兵士達に私の魔法だってばれる事は無いでしょう。眠りの効果くらいならまだ人様にばれても問題ないけど、面倒なのはそこから『霧の効果で人の気持ちや思考を動かすのも可能なんじゃないか』とか疑われる事なんだよな……。あの王子様のお陰でこっそり錯乱魔法所持者リストに名前を足しといてもらえたから合法ではあるとして……それでも隠せるなら隠しておきたいよな。今日みたいないざという時の為に……――――ていうか今日のあれちゃんと効果あったのかな。敵の視界を遮る役に立ってた? 眠りの効果についてはキリエとユリしか寝て無い気がするし)
アルベラは邪魔にならないよう、エリーと共に卵の側でガルカと治療師たちの様子を見守っていた。
――ずぶり
自身の腹を破り体を抉る音に彼らは体をよじらせたくともそれが叶わずにいた。
今ガルカが片手を突っ込んでいる刺客――麻酔も何もなく、正常な意識がある中で腹を抉られた男は身動きも声を出すことを封じられ、たまにびくりと体を震わせて悶絶していた。
「ははっ。さて、魔術具はどこにあるかな。――ふむ、これか? いや、それにしては柔らかいか」
ガルカは楽し気に人の胃の中を撫でまわす。
閉じた目から涙をあふれさせる男は拳を握るくらいでしかその苦を表現できなかった。
指先に揺れた固い感触。ガルカは目的の物を掴むとそれを手の内に握りこむ。傷口から拳がずぼりと引き抜かれると、腹を破られた者達は痛みに全身を硬直させ意識を失った。ガルカはその瞬間が楽しいのか、もう五人目だというのにまた同じタイミングで口端を釣り上げ笑みを深める。
(悪趣味)
とアルベラは内心表情を歪めた。
兵士達には事情を話した後、念のために路地周りの警備を頼んだ。用が済んだら声を掛けて解散してもらう予定だ。
「ディオール様、」
自分のローブが被せられた卵を見下ろすアルベラ。そのもとに治療師のマールがやって来た。
「どうしましたか?」
アルベラは急いで振り返る。
「あの、もしよろしければ今からでも外科医の者を呼びましょうか? それかせめて痛み止めの処置をさせていただけませんか? 先ほど痛み止めの魔術をかけようとしたら、あの方に止められてしまって……。ディオール様が命じてくだされば、私共はすぐにでもその処置をいたします。しかも皆さん酷い痛みでしょうに、一切目を覚ます様子がありません。あれはディオール様が何らかの処置をしているのでしょうか? そうでないのなら傷以外の治療もさせて頂きたいのですが」
「あぁ、」
腹を素手で抉られる者達を哀れにも思ったのだろう。マールはガルカの仕事が目に入らないようそちらを背にしてアルベラを見上げた。
そんな彼女の目にアルベラはただ微笑んで見えた。
アルベラの中では多少の思考はあったのだが、笑みを浮かべる癖はすっかり染みついていたのでガルカの処置を痛々しいと思おうともそれを表に出すことはない。
「良いんです」
「な、なぜ?」
「彼等は私を殺しに来ました。アレはその罰だと思ってください。……目を覚まさないのは……気にしないでください。こちらの処置です」
(あの人たちが目を覚まさないのはガルカが言葉で拘束してるからだよな。ちゃんと生け捕りの目的があるし、あいつもそれは守るでしょう)
「そう……ですか」
マールから感じる視線。アルベラは自分が気味悪がられているのを察した。
(だからと言ってここで愛嬌を振りまいても……場が場だしな……。この人たちには速やかに仕事を終えて貰えればそれでいいか……)
「――ディオール様、もう一つよろしいでしょうか」
「はい?」
「もしよろしければ辺りを調べさせていただいても?」
「なぜでしょう」
「嫌な気を感じるのです」
「嫌な気?」
「はい。悪しき気、瘴気です。まだそこまで満ちてはいないようですが、確かに傍に感じられます。どうにも落ち着かなくて……刺客とおっしゃっていましたし、彼等が何らかの呪具を隠してないとも限りません。辺りを調べさせていただいても?」
「嫌な気、瘴気……」
(――あ。まさか卵)
「いいえ。それなら私の護衛に任せます。エリー」
「はい、お嬢様」とエリーが返事する。
「ですが、この気は……その護衛の方一人では大変でしょう……」
(流石教会の治療師。聖職業の方もお忘れでないと)
「良いですから。先ずは彼等を――」
――ガフッ
「……?」
「……?」
アルベラと治療師の女性は獣の鳴き声を聞き同時にアルベラの背後を見た。
だがその時、アルベラにしか聞こえないもう一つの音がアルベラを驚かせていた。
――♪ デデデデーンデーンデンデッデデーン ♪
勝利の音だ。前世の有名なゲームで聞いた有名な勝利の音が聞こえた。
(――!!??)
アルベラはきょろきょろと辺りを見回す。
(何!? 何の音!?)
その音が聞こえていないマールはアルベラの様子に気付かないまま引かれるように地面を見ていた。
そこには抉れた地に卵が収まっていたはずだが、今はアルベラのローブが広げておかれていた。横にはエリーが立っており何があったのか冷や汗を浮かべしきりにアルベラに何かを伝えようと視線を送っていた。
(……エリー?)
「こちら、見させていただいても?」
マールに問われアルベラはエリーを見る。エリーが人差し指と親指で円を作ったのを見て
「どうぞ」と治療師の女性の前から退いた。
すぅ、とマールは何かを覚悟するようにローブをめくる。
そこに――卵は無かった。





