355、惑わしの建国際 29(寄り添う者)
「一昨日も昨日も、今日も来てないなんて……。公爵家の令嬢にとって城の舞踏会ってそんなにどうでもいいものなの? あの女……絶対社交界舐めてる……!」
マリンアーネはイライラと爪を噛んだ。そんな彼女の手が暖かく大きな両手に包まれた。馬車に共に乗り込んだ召使の男だ。彼はマリンアーネに顔を寄せ、見上げるような眼遣いをする。
「お嬢様、綺麗な手が荒れてしまいますよ」
「そうね……ありがとう、アラン。それもこれも……あの女が私の手を煩わせるから……」
ぶつぶつと不満を零す彼女。
アランと呼ばれた青年は考えるように斜め上に視線を向け、思い付きに手をたたく。
「お嬢様」
呼びかけた彼は魅惑的な笑みを浮かべていた。
「あの、差し出がましいようでしたら申し訳ございません」
右目の下、頬の上の黒子がチャームポイントの彼は最近のマリンアーネのお気に入りだ。
媚びるだけの他の男達とは明らかに違った。都会で手に入れただけ合って、他の男達よりも知性を感じられた。そして何より――
「一つご提案をよろしいでしょうか」
――他の誰よりも、彼はマリンアーネに協力的だった。
「何?」
「もしお嬢様のお許しを頂けるのなら、私が明日学園へ行って様子を見てきましょうか? 何か目ぼしい情報があれば、お嬢様にお伝えいたします」
「あなたが学園へ?」
「はい。知り合いの伝手で、学園に入れるかもしれません」
「知り合い……」
アランは貴族から買った使用人だ。
元平民であり孤児。身よりのない彼は前いた屋敷の中で立ち場は低かったはずだ。そんな彼がどんな伝手であの国一高貴と謳われる学園に侵入するというのか。
「貴方の知り合いってどういう事?」
「前の屋敷で親しかった友人がいるんです。彼も私同様他のご主人様の元へ行ってしまい随分会っていなかったのですが、この間偶然顔を合わせまして……彼は伯爵家のご令息の側付きとして学園へ行っているそうです。彼なら主人とも仲が良く信用されていますし、頼めばその令息の世話係として学園に入る手続きをしてもらえるかと」
「その話本当?」
「はい。もしよろしければ、戻ったらすぐにでも手紙を出しますがいかがでしょう」
マリンアーネに迷いはなかった。
「分かった。やってみなさい。もしいい返事が来たのならすぐにでも学園へ行ってみて」
「はい」
「流石よアラン。貴方を買って本当に良かった」
青年の頬を撫でれば嬉しそうに目を細めた。まるで子犬のようだ。
(ふふ、可愛い……)
マリンアーネの征服感が満たされる。
「……あの」
「何?」
「もし、学園で機会があれば……やはりディオール様に声を掛けてみた方がよろしいでしょうか?」
「……」
「学園内での色恋事はご法度ではないそうですが、皆さんそれなりに体裁は気にしているそうです。自身の所有する使用人ならまだしも、他の貴族の使用人に無理やり手を出すようなことがあればかなり外聞が悪いかと……」
それはマリンアーネの希望する事だ。しかし彼女は少々迷う。
目の前の男が、陥れるためとはいえ他の女に傅いて媚びる姿を想像したら胸が少し苦しかった。
(アランは私の物なのに……)
「それに、彼の主人に頼めば貴族が愛用する情報屋や掃除屋等も紹介してもらえると」
「――あくまで、フリなのよね」
「……はい?」
「本当にキスしたり……ね、寝たりとかはしないのよね!?」
アランははっとする。自分を見上げてくる娘の瞳がわずかに潤んでいるのを見てうっとりとほほ笑む。
アランの片手がマリンアーネの頬を優しく撫でた。
「お嬢様が御命令するなら、体くらい幾らでも」
「駄目よ!!」
「……?」
マリンアーネはコホンと咳をして落ち着いて言い直す。
「だ、だめよ。その……考えてみたんだけど、気持ち悪いじゃない……ほ、他の女とべたべたしてきた男がしれっと私の側にいるなんて。うん……考えただけでも最低だわ」
「マリンアーネ様?」
「確かにあの女を誑かして評判を落とせって言ったけど……ほ、本当に体の関係とかになるのは……――」
――ちゅ……
手の甲にキスを落とされ、マリンアーネは言葉を失う。
アランの彫の深い目元に、長いまつ毛が覗いていた。
顔を上げた彼は恥ずかし気に頬を赤らめている。
「お嬢様がそう望まれるのでしたら……私はお嬢様の物ですので」
「……!」
マリンアーネの心臓がバクバクと早鐘を打つ。
「初めてお会いした時から思っていたのですが、お嬢様は可愛らしい方ですね。それにこんな私なんかを気遣って……とてもお優しい。これから沢山、お嬢様と時間を共にできるのだと思うと私は嬉しくて仕方がありません……」
美しく笑う青年に、マリンアーネは自分の頭が「ぽん」と破裂音を上げた気がした。
ホテルに到着し、マリンアーネが部屋でくつろいでいるとリビングの方が何やら騒がしくなっていた。
「いったい何の騒ぎ?」
露出の多い寝間着姿の彼女は、召使いから上着を渡され肩にかけて出る。
「――お父様!?」
リビングへ行けば父が騎士達に取り押さえられ床に膝をついていた。
「あ、貴方達……これは一体」
「マリンアーネ……」
母が彼女の名を呼び、弱弱しく首を振った。
ダメよ、静かにしてなさい。という視線を受け、マリンアーネは言葉を飲み込む。
「カーネス・ポーリング。ポーリング商会会長。多人種や魔獣の密猟の証拠が見つかった。今すぐ我々と共に来てもらう」
「な、なにを馬鹿な事を。私は何も……」とカーネスは言いよどむ。
「王都の外に隠していれば見つからないと思ったか? 品の見張りから話は聞いている。教会で保護してる狩猟禁止の魔獣からも、服従の魔術にお前の娘の名が残っていた。ここで何を言おうと無駄だ。来い」
「な、名前だと?」
(クソ、どうなってる。確かに名前は消しておけと、あれほど言ったというのに……あの術師め……)
魔獣の服従に乗り気でない様子だった術師の顔を思い浮かべ、カーネスは唇を噛んだ。
「ふざけるな! 私を誰だと思っている!? カーネル・ポーチングだぞ! 男爵位になる話だって進んでいる!! 貴族相手ならもっと礼儀を重んじたらどうだ!!」
「何が貴族だ。まだなってもいないやつが」
「違法に稼いだ金を積んで爵位を買うなど、なんて恥知らずな」
騎士たちの中からそんな毒づきが聞こえ、カーネスは声のした方を睨みつける。しかしその頭は騎士の片手により押さえつけられ伏せられた。
「叙爵どころか罪人だ。少しでも罪が増えないよう大人しくしておくんだな。連れていけ」
隊長の言葉に、二人の騎士がカーネスを左右から挟んで連行していく。
ぞろぞろと出ていく騎士たちを背に、隊の長は残った妻子へ固い瞳を向けた。
「キャメロン・ポーチング、マリンアーネ・ポーチング。明日の午前改めて事情聴取に迎えに来る。今すぐお前たちを捕らえる命は受けてはいないが逃げれば指名手配だ。大人しくここで待機しているように。あと、マリンアーネ・ポーチングは今ここで採血をしていく」
「採血?」
呆然としているマリンアーネの片手を取り、騎士が手早く指先に針を刺して血を採取した。それは魔獣の首輪に残されていた魔術に使われた血と、本人の血が同一の物か確認するためのものだ。
痛みも感じることなく採血は終わり、マリンアーネはまだ靄の中にいる気分だった。
「それでは失礼する」
扉が締められれば室内は静寂に包まれた。
ホテルの下から鎧の音や馬のいななきが聞こえるが、マリンアーネにとってまるで別の世界での出来事の様だった。
やがてしくしくと母が涙を流し始める。
それを我に返った使用人たちが戸惑いながら慰め始めた。
マリンアーネは、ふらつく足取りで自分の部屋へ戻り始める。
「お嬢様……」
マリンアーネの両肩が暖かさに包まれた。
「アラン……? ……なによ、これ……」
真っ青な顔の彼女を、アランが支えながら部屋へと連れて行った。
暗い部屋で現実を受け入れきれずに震えるマリンアーネ。
その隣に暖かい飲み物を持ってきたアランが腰を下ろした。
部屋にはマリンアーネとアランの二人だけ。
他の召使たちは下げられていた。これはマリンアーネの指示ではない。
「――……どうなるの……私……お父様が居ないんじゃ、ポーリング商会は……男爵になるはずだったのに……なんで、急に……なんで? ……こんな……――」
「お嬢様、先ほど騎士達が気になる事を言っていたのですが」
マリンアーネが魂の抜けた顔をアランに向ける。
「去り際に『ディオール公爵が仰っていた通りだった』と……」
「ディオール……」
マリンアーネがぽつりとこぼす。その名前の人物を思い出していき、彼女の表情はぐにゃりと歪んだ。
「ディオール。アルベラ・ディオールね……また……また、あの女だわ……はは……ははは、あはははは……」
「お嬢様……」
狂った笑みを浮かべる少女を、アランが力強く抱きよせた。
「お嬢様……私に何か、出来る事はございますか」
「アラン」
「お嬢様……マリンアーネ様……、何でも言ってください。私に出来る事でしたら、貴女のためなら私は何だっていたします。この手を汚したって構いません……」
「……」
マリンアーネは笑むのをやめ、空っぽになった目をアランに向けた。
アランはその視線に答え見つめ返す。
ぽっかりと胸に穴が開いてしまったような、魂を失ってしまったかのような顔の彼女は、やがて小さく顔の筋肉を動かした。
「お願い……――お願い、アラン。あの女を……あの女を殺して」
アランの胸倉をつかみ縋りつくと、マリンアーネはボロボロと涙をながす。弱弱しかった声にも力がこもっていく。
「あいつを、あいつも苦しめて……お願い。何でもいい、何でも良いの……殺せなくてもい。けど、なら、腕や足の一本でも奪ってやって。あの顔に大きな傷を刻んでやって。私の非なんかにならないくらい、沢山沢山苦しめて、あのすました顔を涙でぐちゃぐちゃに汚してやって……!!」
アランに背中を撫でられその胸板に顔を押し付け、マリンアーネは泣き声を上げる。喉を絞るような声の合間彼女は絶望を口にする。
「……このまま帰ったって皆の笑いものよ……もう、街にも……どこにも帰れない……――貴族になっていたはずなのに……ずっと、ずっと待ちわびて…………それが、罪人の娘って……――なんで、なんでよお父様ぁ……なんで、なんでぇ……――」
「お任せ下さい、お嬢様」
アランの唇が弧を描く。
「大丈夫です。すべて私が何とか致します」
涙を流す少女を腕にアランは優しく語り掛ける。彼の言葉は蜜となり、マリンアーネの胸を慰める。
「……早速ですが、明日学園へ……――お嬢様がお辛い時におそばに居られず申し訳ありません……」
***
午後の学園。
がやがやと移動でにぎわう生徒たちの間を、学園の使用人服を纏ったアランが歩いていた。
彼は寮の一室をノックし中へと入る。そこで待っていたのはクラリスの従者、エルゴだ。
彼女はアランを認め「どうぞ」と椅子を示す。
椅子に腰かけたアランの前にカップが置かれた。アランはそれを遠慮なく手に取る。
「予定通り、騎士たちが来ましたよ」
「そう」
「今ごろ事情聴取を行っていることでしょう」
「そう。じゃあ早速手配を……。夕方、彼女をここへお連れして差し上げて」
「了解です」
二つ折りにされた上質のメモ用紙を受け取るとアランは出されたお茶を悠々と口に運んだ。
「使用人はどうするんです? 男と女……二人とも手ごわいそうじゃないですか。……まぁ、数は力といいますし。多くの手練れが相手となれば手も足も出せないとは思いますが」
「男の方は魔族という噂があるわ」
「本当ですか? それは少し厄介ですね。けど、それらしい刺青が見当たりませんね。魔族の奴隷はわかりやすく、顔や首に刺青を入れるのが決まりでしょう。まさか、公爵ともあろうお方が法を破っておられる?」
アランは口端を持ち上げて嘲笑う。
「まさか。陛下の認証を得ているわ。アート卿が新しく開発した魔術の実験という話だけど……まだよく分からないわね。公爵も魔族を連れていると公言しているわけではないから」
「陛下の許可の元となると、魔族というネタを種に揺するのは難しそうですね」
「ええ。もともと反発している貴族たちの悪評を深めるのには使えるでしょうけど、陛下も関わっているかもしれないこの話が公になったらどうなるか。……この件であまり荒っぽいことはしない方がいいでしょうね」
「奇妙な粛清があっては大伯にも切られかねませんものね」
足手まといは尾っぽ切りだ、とアランはいままでのエイプリル家――大伯のやり方を熟知していた。
事実を知る者は少なく、関係者は少なく済ますのが彼(頭首)のやりかである。
そうとは知らず謀りに加担し、用済みとなって消えていった者達をアランは多く知っていた。
(あの婆さんも哀れなものだ。何も知らず……)
「……けど、一人が魔族となれば対策もとりやすいでしょう」
「そうね。――教会の札を準備させましょう。あと、聖職者も何人か合流させておきます」
「女の方は? 人ですか?」
「さぁ……けど念は入れて貰うわ。彼らもプロだもの。魔族でも多人種でも、相手が何であれちゃんと片づけてもらいましょう」
部屋から出たアランは窓の外へ目を向けた。歩きながら別棟で行われている授業を眺める。
幾つか見える教室では、生徒たちが黒板を前にノートをとったり雑談をしたり、居眠りをしたりする姿が見えた。
(貴族に生まれたのがお前らの運のつきだ……)
どんなに頑張って勉強しようとも死んだらおしまいだ。
生まれた家が有力な家であればあるほど、金持ちであればあるほど、大人たちが自分を消そうと画策している可能性が上がる。
全く関係ないと思っていた家門の者が、信頼していた親族が、無力なうちに邪魔な芽を摘んでしまえと企てているかもしれない。
(そういえばあの『環』はどうなったかな。俺もあれが何なのかは知らないが、きっと――)
アランは数日前に目にした可愛らしい花冠を思い出す。
(――大伯が送ったならやばい奴だ)
彼は他人事にくつくつと笑った。
(ディオール家の令嬢も大変だなぁ。『環』が先か、殺し屋が先か……。ははは、屋敷の奴ら、賭け盛り上がってんだろうなぁ)





