354、惑わしの建国際 28(貴族街のナンパ)
エイプリル大伯邸の暗く広い一室、歴史ある多くの魔術具や呪具が眠っている宝物庫。
そこの管理を任さてれいる管理官は、いつもと同じ時間に庫内を確認し、ほとんどいつもと同じ時間に庫内から出てきた。
彼が廊下を歩いていると、近くを警備している騎士たちの噂話が聞こえてきた。
「大伯様、この間品を持って行ったらしいな。一体何の道具を持って行ったんだか。――知ってるか? 随分昔らしいが、ここから盗みを働いた使用人がよ……ただの宝石だと思った盗品を身に着けて一瞬で干からびたらしい。どうみても生きてなんて居られないような、からからのミイラみたいな状態でもぴんぴんしてたんだと。それが宝石を失ったとたん糸が切れたみたいに絶命したって。当時居合わせた同室の奴らの目撃談だって言うんだから本当の話ぽくないか?」
「はぁ…、どうせ良いように尾ひれがつけられてるさ」
「けど大伯家だぞ? それも大伯家の中でも一番長い歴史のあるエイプリル家だ。どんな宝が眠っているか分からないだろ」
「まあな……さっきの話の真偽はともかくそれは確かだ」
「噂じゃ箱を開けただけで気が狂うって道具も眠ってるって」
「へぇ。おっかない話ばかりあったもんだな。魔術具にもいろいろあるだろうに」
「確かにな。どんな病も治す花の蜜やら、小石を金に換えちまう壺やら、どんな人間の分身にもなれる生き人形やらな。ああいう物語の品ももしかしたらここに一つ二つはあるのかねぇ。――この間の箱には何が入ってたんだろうな」
(――少なくとも、そんな夢物語のような可愛い品はあの棚には無いさ)
宝物庫の管理官は黙ってその場を通り過ぎる。
同じような棚、同じような箱がいくつも並ぶ庫内、ここ最近箱と箱との間に空いた隙間を思い出す。
(心括りの環――)
彼にしか開くことが許されていない管理リストには、あそこにあった箱はそう記されていた。
***
建国際二日目の平日。学生たちはいつもと変わらない学生生活を過ごしていた。
一週間王都も、多分王都以外もお祭り騒ぎのこの期間だが学園は休みになるわけではない。
ラツィラスが復帰した事でその周囲は少し色めき立ってはいたが、学生達の一日目の授業は何事もなく終えられた。
授業を終えて今日の茶会へ、パーティーへと準備の為に足早に自室へ戻る生徒達のなか、クラリスも自室へと向かっていた。その途中、若葉色の短髪を見つけて歩調を緩める。
どこかぼんやりとしたその人物を眺め、彼女は口の端を持ち上げた。
――こちらを件の令嬢にお被せ下さい。大伯様直々にお選びし、送ってくださいました。
――それを被せられた者は被せた者に恋をします。そうすればあの方も自ら婚約者候補の座を降りられることでしょう。
クラリスの乳母であり、王都の邸宅の侍女長である彼女はそう説明していた。
――大丈夫ですよクラリス様。血筋と言い教養と言い……お嬢様以上のお相手など居ないと殿下もすぐに気づいてくださりますわ。
「スカートン大丈夫? 眠そうね」
「グラーネ様、私達の事はお気にせず、どうぞお眠りになってください」
授業を終えて、アルベラはベッティーナとスカートンと共に馬車に揺られていた。
今日はベッティーナと貴族街を散策する約束をしていたのだ。
スカートンは建国際の少し前から、銀光のシスターとして朝夕教会の手伝いに赴いていた。
この馬車は今、貴族街に向かう序でにスカートンを恵みの教会へと輸送中なのである。
「昨日は教会の掃除に賛歌、今朝はミシュ作りと賛歌……大変ね」とアルベラ
ミシュ(ミシュー)と言うのはこの期間神殿が参堂者達に配っている飲み物だ。甘酒にミルクを混ぜた飲み物で、建国際だけでなくおめでたい日などに教会が振る舞っている。
「大変だなんて……私達の務めだもの。これくらいなんてことないわ」
というもスカートンは瞼を閉じてくたりとしていた。
「賛歌ねぇ……『恵み撓まる歌』だっけ。こっそりそっちを歌っちゃえば?」
「アルベラ……歌の問題じゃないわ。どの歌を歌っても神を称えて魔力を捧げるのが賛歌よ」
「捧げようって気持ちが大事なわけね。じゃあ今日は少し捧げる魔力をセーブして歌いましょう」
「賛歌は全身全霊の思いを込めて歌うの……もったいぶって歌っては私たちの真なる芽は成長しないわ……」
「あなた……聖職者の鑑ね。流石よ、スカートン……」
アルベラは彼女の生真面目さに感心するも呆れる。鞄から回復薬の瓶を取り出し、蓋を外してスカートンの口に押し当てた。
瓶の中身を飲み干し、少し楽になったのかスカートンはほっと息を吐く。
「ありがとうアルベラ。私、今日も全力で頑張るわ」
「そう。ちょっとくらい怠けたっていいと思うけど。神様も目を瞑ってくださるんじゃない?」
「聖職者を誑かすんなんて、アルベラ様は怖いもの知らずですわね」
ベッティーナが苦笑する。
恵みの教会に着きスカートンを下ろすと、馬車は貴族街へと向かった。
御者を務めるのはエリーだ。ガルカは今日早速自由時間を得て羽を伸ばしていた。
建国祭の期間中で約束した休暇は二日。
もう一日は健国祭の最終日にも休ませろと言うので、アルベラはそれを許した。
その間彼がアルベラの命令を聞くことは一切ない。そういう約束だ。
(最終日と言えばこの期間で一番祭りがごたがえす日……。一番護衛が必要になりそうな日だってのに……あいつ分かってて逃げたな)
アルベラはため息を吐いて窓の外を見上げた。
(まあ、コントンがいるから良いけど……)
―――タマシイタベル カラダ タマシイ タモツ
(――人の魂を食べるか)
「ねぇ、ベティ」
「人が人の魂を食べるだなんてできると思う?」
「……魂、ですか?」
突拍子の無い話題にベッティーナは返答に困っているようだった。
「スカートン様が聞いたら……卒倒しそうなお話ですね」
「確かにそうね。スカートンが居なくなった後で良かったわ」
言ってクスリとアルベラは笑う。
「聖職者からしたら神様以外が人の魂に触れるなんて悪行も悪行よね」
「そうですね。……あの、なぜ急にそんなお話を?」
「この間読んでた本にそういうのがあったの。人が人の魂を食らうって話。そういうのって本当にあり得るのか気になって。ほら、絵本でもあるじゃない? ペテン師と悪魔の話だとか」
「あぁ……、『間抜けな蛙男』でしたっけ。悪魔を騙して宝を手に入れるけど、怒った悪魔に騙し返されて魂を蛙に入れられてしまう」
「そうそれ。家族や恋人に気づいてもらえず踏みつぶされて悪魔に泣いて詫びるやつ。あれは……最後絶望した男の魂を悪魔が美味しい美味しいって食べちゃうのよね。それで味をしめた悪魔がまた嘘つきを探しに行くっていう」
「人を騙せば倍の苦しみとなって自分に返ってくるってお話でしたね。私はその話苦手でした。ペテン師が許しを請いながら潰されて、っていうのを何度も繰り返すシーンが恐ろしくて」
苦笑するベッティーナに、彼女にも怖がりな少女の面があるのだなとほほえましく思う。
「魔族が人の魂をコレクションするなんて物語も結構見るし。物語だとそういう話めずらしくないじゃない? 騎士見習いだとそういう話、ちょっとした模倣の事件とかでも入ってきそうだし……最近はどう?」
人が人の血、又は魔力、又は魂を食らって若さを保つ話なんかはメジャーな類だ。
そして少し前には、物語を信じて子供を攫い魔力を奪い取るという老人の事件が話題になっていた。若返りを信じての行動だったらしいが、新聞などでは全くのでたらめ、そんなことをしても効果が無しと、真似する者が出ないよう注意を促していた。
こういった事件はどこの国でも昔から定期的に起きるのだと言われている。
「見習いは見習いですからね……誰でも知っているような話しか入ってきませんわ」
「そう? じゃあ個人的な考えでいいからベティはどう思う? 人が人の魂を奪うって、魔術とかで本当にできると思う?」
「アルベラ様……先に一つ確認をよろしいでしょうか?」
「ええ」
「誰かの魂をどうにかしたいわけではないのですよね?」
アルベラは暫し無言になった。そして悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「あら、どうかしら……」
「あ、アルベラ様……」
ベッティーナは笑みを引きつらせる。
変人と謳われるディオール公爵。その娘であるアルベラにこういう事を言われてしまうとベッティーナには真偽の判断ができなくなってしまう。
「冗談よ。そんな事したらスカートンに窒息させられちゃうもの」
ベッティーナは安心したように「まぁ……」と零す。
あのスカートンがまさかと思っているのだろう。ラヴィなら深く同意してたところだが、ベッティーナは冗談と受け流した。
「私は……どうでしょうね。魔術は奥が深く、呪いは人の予想を超えて成長します。人を生き返らせる技術が大昔にあったという話も、嘘か本当かさえ私には判断できません……。なので、もしそんな技術があったなら、少なくとも魂をとどめておく方法もあったんだろうなと考える時があります」
「そう。私もそれは同じだわ」
「もしかしたらあるのかもしれないし、もしかしたらないのかもしれない」ベッティーナの返答はそういうものだった。
だが、やはり絶対ないと言い切れる代物ではないのだ。
皆が知らないだけで誰かは知っているかもしれない技術――。
(国の上にいる人なら、そういう話も集まらなくないか……。あーあ……)
アルベラは通り過ぎていく街路樹を眺める。
(あの木霊、こんな時に限って全然出てこないんだもの。何でも知ってそうなのに……不親切な奴)
貴族街に着いて、アルベラは馬車を預けに言ったエリーを待つ。
普通の通りでもそうだったが、やけに警備兵たちの数が多く見えた。
人が多く集まっているのだし当然か、とアルベラは商人たちの荷を調べている兵士たちを眺める。
「昨晩の魔族の件で、見世物小屋だけでなく一般の品の取り締まりも厳しくなっているそうですよ」
「昨晩の……あぁ、ベッティーナはあれを見て? 凄かったわね、魔族もジャスティーアも……」
「私は見てはいなかったのですが、騒ぎは別の場所から聞いてまして……。騎士見習いとして少し悔しいです。平民に先を越されるなんて」
「越される?」
「私はまだ魔族と戦ったことがないので。それを魔法も魔術も自分より低クラスの彼女が倒したと聞いたら、少し気持ちが急きました」
(平民への対抗心か……。人の好き嫌いに口を出す気はないし、それで彼女がやる気に燃えるなら良い事か……)
「応援してますわよ、ベッティーナ様」
「はい。騎士になった暁には、責任を持ってお守りいたします」
***
「――素敵なレディ、どうか私共とお茶でも」
「――これはこれは、美しい花を買いに来たのですが……花より美しい女性にお会いすることができるなんて」
「――さ、先ほど目にしてからというもの動悸が収まらず! 一目惚れです! どうか今晩、貴女の時間を少し、僕にくれないでしょうか!!」
(何なの……!!)
ばたん、と貴族街で評判なカフェに駆け込み、アルベラは個室の戸を閉めた。
今日の夕餉はもともとここで食べる予定だったのだが、予定の時間より一時間は早い到着となってしまった。
ベッティーナは窓の外を眺め「アルベラ様……いつも大変ですね……」と憂い気に息をつく。
「違うわよベティ、私が普段こんなに赤の他人から声をかけられるだなんて思わないで。ねえ、エリー?」
同意を求めてエリーに振ったが、それは人選ミスだった。
「ふふふ、そうですよベッティーナ様。いつものお嬢様でしたらあのように集まってきた殿方を一列に並べて地面に寝転がせ、靴裏が汚れないよカーペットにしているところですもの。全然いつもと違いますわよね」
「外に出てて」
アルベラはエリーを個室の外に追い出し扉を閉めた。
鍵のない戸に印を描いて開かないよう固定し、一時的にだがエリーを締め出すことに成功する。
「そ、そうですか……人間をカーペットに……」
「してないわよ」
カタカタと小さく震えているベッティーナにアルベラは急ぎ訂正した。
「ベティ、本当に普段私が外に出てこんなに話しかけられることなんてないの」
困ったように息をつくアルベラの視線。その先には先ほど巻いてきた男が一人、花束を持ってこちらに手を振っていた。
(しつこい……)
アルベラはレースカーテンを閉める。
「多分嫌がらせね」
「嫌がらせですか?」
「えぇ。誰かが私のゴシップでも作ろうとでも企んでるのかしら。それかあの男たちが人攫いとか……事故に見せかけてナイフで刺してきたり……あらぬ罪を着せて罪人に仕立て上げられたり……――」
ぶつぶつと考えられる被害を呟くアルベラに、ベッティーナは先ほどと同じセリフを返した。
「アルベラ様……いつも大変ですね……」
「貴女もご存じとは思うけど、我が家は敵が多いみたいだから……。ごめんなさいね。折角誘ってもらったのに邪魔が入って」
「いいえ。あれはあれでいい勉強になりました。それにディオール公爵様には敵ばかりではありません。我が家がその一つです。公爵様はそれ相応の地位に着かれたのだと、父も母も考えておりますわ」
「そう……、そういってもらえると助かるわ」
直接にはあまり聞かないセリフでアルベラは少しくすぐったかった。
視線を逸らし、誤魔化すように時計に目を向ければ夕食の時間にはまだ少し早い。
「ベティ、貴女お腹はすいてる?」
「いいえ、まだそんなに。ですが、もう少しすればちょうどよくなると思います」
「そう」
アルベラとベッティーナは紅茶だけを注文し(その間にエリーは部屋へ戻ってきた)適当な話題で時間を潰した。
そのまま空腹を感じたタイミングで料理を注文し、夕食を食べ終わると例の男が外に居なくなっているのを確認して馬車を呼び寄せて帰路についた。
来た時同様教会へ立ち寄りスカートンを拾い、馬車の中から散策を楽しんで学園領へ戻ったのだった。
***
「役立たず!!」
マリンアーネは声を上げた。
目の前の男はぴしゃりと頬を叩かれ、黙ってその痛みに耐える。
「誰もあの女を落とせなかったって言うの? 貴方達の服や装飾品にどれだけ金をかけたと思ってるわけ!?」
「申し訳ございません、お嬢様……」
マリンアーネの前に整列した男たちは言い返すこともなく謝罪する。
彼らを買ったのはマリンアーネであり、その所有物をどう使おうが彼女の自由だからだ。
見目の良さだけで集められた彼らの内、最近手に入れた一人が膝まづいた。彼はマリンアーネの手を取り、おもむろに頬を摺り寄せる。
「ご主人様、どうかもう一度チャンスをいただけませんか……」
マリンアーネはその青年の行動にどきりと頬を赤らめた。
「い、良いわよ。もともと、成功するまで何度だってやってもらうつもりだったからね」
「……! ありがとうございます……新しいご主人様がこんなご寛大な方で本当に良かった……」
目を潤ませ感激している様子の男を見下ろし、まんざらでもなさそうにマリンアーネは「そ、そうでしょうとも」と頷いた。
「あなた、警備の者達が商人の荷を確認して回っているそうじゃない。大丈夫なの?」
マリンアーネが階を降りると、母が心配そうに頬に手を当てていた。
「大丈夫だ。奴らにあれが見つかるはずがない」
「私心配だわ……。マーメイもハルピューイも、人語を話せるじゃない」
どちらも今はれっきとした「人間」「多人種」と認められている現代で、夫人のこの言動は差別的な物だった。
彼女のように、ヌーダと同等の知能とコミュニティーを持つ彼らを、人間以下の種族と考える者達は種族同士の戦争が落ち着いた現代でも一定数存在していた。
「大丈夫だ。奴らはまだ幼い。この国の言葉なんざ理解してないさ」
「けれど、王都になら彼らの言葉を理解できる人間がいてもおかしくないでしょう?」
「だからなんだというんだ。そもそも見つからなければ問題ない。騎士共の仕事なら程度がしれてるだろう。どうせ奴らは上澄みしか詮索しない。小汚い平民の巣窟に奥深くまで割って入ろうとなんてせんよ。もし誰かに見つかっても、金を握らせればいいだけの話」
彼はそうやって今の事業を広げてきたのだ。
領主に金を握らせ、年に二回珍しい獣を送り、そうやって上層の者ぐるみで地盤を固めてきた。
「王都に着てまだ三日目だというのに、もう貴族たちが食いついてきた。何かあればそいつらが必死に私を庇うさ」
ばれてしまえば、彼らにも汚名がかぶさるのだから。
ポーチング商会の会長、カーネス・ポーチングはなんの心配もないと気弱な妻をなだめる。
(そうよ。お父様がああいっているんだもの。お母様てば心配症ね)
「おや、マリンアーネ」
二階から降りてきた娘に気づき、カーネスが声をかける。
「今晩も舞踏会に行くのかい?」
「ええ、お父様」
「そうか。今のうちに良い相手でも見つけておきなさい。半年後には男爵だ。気になる者がいれば母さんにちゃんと伝えるんだぞ。我が家に相応しい相手か、ちゃんと見ておかないとな」
「もう、心配はいらないのに。お父様ったら」
マリンアーネは香水をふんだんに振った扇子を広げ、貴族たちがするように笑って見せた。
父が爵位を買い、正式な叙爵を受けるのは半年後。
もうほぼ貴族になったようなものだ。
(貴族になった後……)
マリンアーネは表情を引き締める。
(あの女……ポーチング商会を知らないだなんて馬鹿にして……しかも爵位が高いのをいいことに周りを弄ぶようなやつよ……痛い思いをしてもらわないと、私も安心して社交界に出れないわ……)





