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35、ファミリーへ道連れ 2(私は待ち人)

 持ってきたのは園芸用の霧吹きだ。空気圧で水を押し出すタイプの物で、出すぎないように気を付けながらニーニャはハンドルをひと押しする。

「いいですか、行きますよ?」

「ええ、やっちゃって!」

 ―――スゥゥゥーーーー………

 ニーニャがストッパーから指を離すと、霧吹きの口から微細な霧が噴出された。

 それと共に、水を吸ったスポンジのようにアルベラの髪が、ふわりと膨らみ、小さく揺れる。

 スカートンが風の魔法を使っている時の様子に似ているが、あそこまで大きくは動かず、光ってもいない。

「ど、どう? ニーニャ先生。これって精霊居るやつ?」

 霧吹きを手に向かいの椅子に座り直し、ニーニャはお嬢様の髪をじーっと見つめる。

 二人に見つめられる先、アルベラの髪はわずかにまたもぞりと動く。正直、自分が動いたことで揺れてしまっただけにも思えなくもないが、ニーニャは首を縦にこくこくと頷いていた。

「………いますね。これ、精霊いますよ! えーと、多分! あとは馴らし方と使い方次第だと思います」

「馴らせば光るようになる?」

(馴らす。本にも書いてあったな。飼い馴らす的な)

「ええ。例えば今、霧を吹きかけた時何か感じました?」

 収まってきた髪の様子に、ニーニャはもう一度、ピンポイントでアルベラの毛先の水色の部分に霧を吹きかける。

 髪はまたふわりと膨らむ。水の量が多かったのか、先ほどより膨らみが大きい。

「感じる事………」

 アルベラは目を閉じて神経を研ぎ澄ます。体のあちこちを意識の中確認してみる。

 うーん、うーんと唸るお嬢様を、ニーニャはわくわくしながら見つめる。

 そして十数秒………数十秒………一分。ぱちりとお嬢様は目を開いた。

「ない!」

 身を乗り出して見つめていたニーニャは「ふぇ~」と情けない声を上げ、ストンと浮かせていた腰を落とす。

「うーん。霧の質か、水の質か、場所にもよりますしね。 まあ、焦らなくても勉強したり訓練したりで幾らでも―――ん? 霧………霧? あ!」

 何を思い出したのか、ニーニャはもぞもぞとポケットに手を入れる。そして取り出した一つの小瓶。

「これ、試しても良いですか?」

 可愛らしい、ガラスの部分が波打ったデザインの瓶。スプレー用の銀の噴出口。中にはレモン色の液体が入っている。

「香水?」

「すみません、安物なんですけど。誕生日に使用人仲間の方がプレゼントでくれたんです」

「うち、結構仲いい職場なのね」

「はい、おかげさまで! お嬢様の悪戯の方向性が変わりましたので、最近は特に平和です!」

「そりゃあどうも」

 アルベラはきひつった笑顔を浮かべる。

「で、あの、これをですね!」

「ええ、お願い。あんまりかけすぎて臭くしないでね?」

「はい!」

 シュッと迷いなく、お嬢様の髪へ香水を吹きかける。

 柑橘系の香りがフワリと広がった。

 アルベラとニーニャが期待の眼差しでソレを見つめていると、わずかに、ほんのり、水色の髪に光が灯っていた。動きも、先ほどのスポンジの膨張程度のものではなく、蛇の尾や、植物の成長を思わせるような持ち上がり方だ。

「おお! 精霊、喜んでるみたいですね!」

 嬉し気にニーニャは微笑む。

 まるで餌をあげるような感覚だ。

「お嬢様、何か感じます?」

「うーん。良く分からないけど。………口に入ったのかな? なんか酸っぱい」

「え? すみません。ちゃんと注意して顔にかからないようにやったつもりだったんですが………」

 飲み物をすすめるニーニャとアルベラの間に、窓の外からチラチラと一匹の小さな蝶が舞い込んできた。

 それが、窓から入ってすぐの位置、ぽとりとテーブルの上に落ちる。

「………え?」

 それを見ていたアルベラは疑問の声を上げ、お嬢様のあげた声が一体何か分からなかったニーニャも、追って「ふぁい?」と声を上げる。

「あの、落ちたんだけど」

 アルベラの指さす場所には、蝶がぴくぴくと痙攣していた。

 生きている。が、動けないのだろうか?

「痺れてる?」

 アルベラは蝶を観察し、思い当たる症状を口にしてみる。

「え? でも私は何ともないですし」

 ニーニャは少し怖くなったのか、空気の吸い込みを拒むように口を押える。

 髪はまだほんのり光っていた。

 髪に着いた匂いはまだだが、その周辺の匂いは鼻が慣れたのか、すっかり散ったのか、あまり感じなくなっている。

「ねえ、コレ、霧吹きに入れて見ない?」

 そういって、アルベラは自身の飲んでいたコーヒーをニーニャへ差し出す。

(コーヒー………)

 ニーニャの頭の中に、コーヒーをお嬢様の頭に吹き付ける己の図が現れる。

「ええ?! いいんですか?! いや、えと、霧吹きにそんなの入れたらお店の人に怒られちゃうんじゃ」

「大丈夫。水ならまだあるし、少し試してすぐ中身替えればばれないって」

 そういい、アルベラは席からひょこりと頭を出し、店員の方を覗く。幸い隣の席にも客はいない。

「ね、ね? 平気そうだよ!」

 小声のやり取りも他の客の会話で届いてなさそうだ。

「うーーーー。ちょっとだけですよ。すぐ入れ替えますね」

 ニーニャは回転式の霧吹きの蓋を外し、窓の外へと水を捨てる。

 その間にもテーブルの上の蝶は元気になって来たのか、横倒しの体を垂直に立て直し、体の手入れをしていた。

「はい。ではいきます」

「よし、こい!」

 スーーーー………

「す、すみません! ちょっとかけすぎちゃいました?」

 確かに結構広範囲にまかれてしまった。低い位置に散ったコーヒーの霧はテーブルの上に、ぷっくりとした小さな斑点をいくつも作っていた。

「いや、べつにいいけど。………ぅぅっえー。苦い。なんだろう。喉の奥が、コーヒーより苦い味してる」

 ニーニャの視線の先、お嬢様の毛先は先ほどよりも明るい光を灯らせふわふわとご機嫌に小さく浮遊していた。

 アルベラの視線の先では、丁度元気になった蝶が飛び立とうと羽をゆっくり開いたり閉じたりを繰り返している所だった。そこにコーヒーの霧だ。驚いたように「とにかくここから退こう」と身を浮かせようとしたかのように見えた―――が。

 蝶はぱたりと横倒しになった。

 先ほどのようにぴくぴく動いてはいない。寝ている様子でもない。もがく様子もなく、ぱたりと息絶えてしまったようだった。

「ふぇ、ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?」

 ニーニャはぎゅっと口を押えて驚きの声を上げる。

「うーん。酸っぱいは『痺れ』。苦いは死って………『毒』? ねえ、どういうことだと思う? これ本当に死んじゃってるのかなぁ?」

 お嬢様は紙ナプキンを細く折ったもので蝶の亡骸をつつく。

「お、おじょうさまぁ! コーヒーはしばらくやめましょうね! 危ないです! 良く分からな過ぎて怖いですー!」

「とはいってもなぁ。良く分からないから知りたいし」

 「ごめんね、チョウチョさん!」と動く気配のないそれを、アルベラは紙ナプキンで摘まみ外へ放る。その言葉に感じられる謝罪の気配はごくわずかだ。

 ニーニャが見つめる先、ひらひらと飛ぶ同類たちの中、ぽとりと一直線に地面へ落ちていくそれの姿はとても哀れだった。

「ニーニャ、人体にどれだけ効果あるかわかんないけど、今日は食事に気を付けてね。そのうえでお腹壊したり熱出たり、何か変化があったら教えて!」

 お嬢様は変わらず瞳をキラキラさせながらそう言った。

「ふぁぁ、ふぁいい」

 自分の仕える屋敷の少女はこういう所があったのだ。とニーニャは再確認し、若干顔を青ざめさせたまま、誤魔化す様に笑みを保つ。

(お嬢様、最近優しいと思ってたけど………なんか、多分、………………根っこの部分はあんまり変わってない………!!)

「ね、パフェも食べ終わったし、ちょっと外でない? ここの数軒隣に雑貨屋あったし、そこ少し見てみたい」

 さっそく香水か霧吹きでも見てみたいのだろう。

 笑顔を張り付けたまま、気の弱い使用人はコクコク頷いた。



 エリーはまだ戻ってない。

 店員にエリーの特徴を伝え「もし連れが自分を探してるようなら、雑貨屋に居ると伝えてくれ」と頼む。使用人の服を着てくるはずなので、特徴については問題ないだろう。

 アルベラとニーニャが店を出ると、隣の店との間にある小さな通路の向こうから声がした。

 何かもめているのか?

「いや、だから拙者はただ食事を―――」

「あぁあん? いいから話し聞かせろっつってんだろ?! おめぇはただ付いてくりゃいいんだよ!」

「いや、けど待ち人がいます故」

「んなもん俺らの話聞いてからでも十分じゃねぇのか、あぁあん?!」

(チンピラめ)

 アルベラはその路地の前を知らぬ顔で通り過ぎようとする。

 ニーニャも、目を合わせないよう、気づかれないようにとそこを通り過ぎる。

「あ! ああ?!! アルベラ氏! アルベラ氏ーーー!!!!!」

「………はぁ?!」

 アルベラは耳を疑いつつピタリと足を止めた。なんであそこから自分の名前を呼ばれるのか、と。

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