347、惑わしの建国際 21(建国際初日、舞踏会入り)
感謝の言葉と共に息子と名乗る男が診療所から老婆を連れ出す。
「ほらばあちゃん。荷物は俺が持つから」
塔婆は「はっ」と忌々し気に短い息を吐きその男の横に並ぶ。診療所を出て少し歩き、大通りに出たところで老婆は呆れた口調で言った。
「下手糞が。息子なら『お袋』か『母さん』だろう」
老婆のとげとげしい不満に男は返さず、それよりも優先すべき事を促し冷たい瞳で彼女を見下ろした。
「ふん。ちゃんとできとるわ、戯け」
「そうか。じゃあこれは約束の『半分』だ」
老婆が渡された袋の中を覗き込めば、自分が指定した通り金貨だけでなく白石に黒石、銅貨に銀貨がそろえられている。
「残りは筒屋(この国の銀行の名称)に預けた」
「そうかいそうかい……それは上々……」
老婆は口元を緩める。だがその瞳の奥は笑ってはいない。今までの経験から研ぎ澄まされた勘が己の奥深くで警笛を鳴らすのを感じ取っていた。
(餓鬼に花冠を渡すだけで百万……。さっさとここを去った方がよさそうだね)
***
(あちらは上手くいったのかしら……)
城での建国際のセレモニー。クラリス・エイプリールは城に準備された部屋へ下がるという大伯を見送り、他の貴族とまだ挨拶があるという両親たちとも別れ王座の間から一番近くにある庭園を二階の回廊から眺めていた。
色とりどりの花は先々代の王が、第一妃のためにと植えさせたものらしい。第一妃が愛した花を集めた庭園。王座の間を使用する時と言うのは気を張る行事が殆どだ。沢山の貴族達を前に表情が強張っていく妃を気遣い、少しでも早く心が軽くなる様にとこの庭園を造ったらしい。
(私にもこんな庭園をプレゼントしてくれる気の利いた男はいないのかしら……)
よぎるのは美しい赤い瞳を両目に填めた金色の彼だ。
彼の向けてくる笑顔。暖かい手。それらを思い出しては、なぜあれが自分一人の物にならないのかとため息をつく。
視線の先の庭園の中を這う害虫へ視線を向けクラリスは宿泊学習での事を思い出した。
『良い天気ですわね。日光浴に最適な』
そう先に声をかけたのは自分だった。そしてあの女は、私の隣にいる人間が見えているにも関わらずいつもと同じ笑顔を浮かべていた。
『ええ。お二人もお散歩ですか?』
すました笑顔で返すあの女の隣には、中伯家の毒にも薬にもならなそうな安っぽい男が座っている。
見るからに初心なその男子生徒。一目でわかった。彼はこの狐女に思いを寄せていると。
(あぁ……どいつもこいつも趣味が悪い。こんな小賢しくて生意気な女のどこがいいわけ? ラツィラス様だけでなくウォーフ様やルー様にまで媚びを売ってるこんな女)
『そうなんです。今お茶の準備中でその間に』
私はあの庭園のガゼボを示す。あそこで私が、我が国の第五王子―――次期に王座につくだろうと囁かれているラツィラス・ワーウォルドと共に過ごすと聞いて同級生たちは羨望や嫉妬の眼差しを向けてきた。
私をよく思っている令嬢たちは可愛らしく尾を振って私を誉めたたえ、一時は婚約者候補という切符を運よく受け取ってしまった令嬢たちは恨みがましい気持ちを何とか隠そうと笑っていた。令息達は「やはり自分ではだめなのだ」という無念に肩を落とす者もいれば、ならば王子が忙しい合間の穴埋めになろうと図太くその機を伺い笑いかけてくる者もいた。
―――貴女はどう?
『とても素敵なところでしょう? だから折角だと思って、ダメもとで殿下をお誘いしたんです』
羨ましいでしょう?
悔しいでしょう?
いつまでそんなすましたフリができるか見ものね。
『そしたら幸運にも、突然のお話だったにも関わらずお受頂けて』
ほら、私の隣を見なさい。
貴女だけではないの。彼は私へも貴女同等の笑顔を向けている。
貴女でなく私の手を取り、私へ笑いかける彼の姿が見える?
『殿下の優しさには感謝してもしきれませんわ』
さあ、醜く歪んだ顔を見せて。
陛下の気まぐれで運よく得た公爵という地位。そんな場所で作り上げられた安っぽい張りぼてを―――私がここで破り捨ててあげる。
(さあ……―――)
あの女がガゼボを眺め、そのまま視線を殿下へ向けた。
そしてその目は表情を変えず―――心を一切見せず、私へと戻される。
『―――まぁ、素敵ですね。お二人共楽しい時間をお過ごしください』
最初から最後まで心の内を見せることのない生意気な顔……。
(―――……)
『……ええ、お二人も』
期待していたものが得られなかった悔しさと、更に増した対象の憎らしさにクラリスは唇を噛む。
(ルーディン様にまで尾を振って。けど彼には魔力も向上心もないじゃない。なりふり構わずね。平民上がりの騎士にも愛想を振りまいてるようだし悪食ね。―――…まぁ、ルーディン様も顔がいいのは認めるけど……)
「―――!」
とクラリスがルーディンを見つめているとその茶色の瞳がこちらに向けられた―――気がした。
クラリスは自分が盗み見をしているがバレたのだろうかと緊張するが、ルーディンと目が合ったように感じたのは一瞬だ。落ち着いて眺めなおしてみれば彼は変わらずアルベラやガーロンと楽しそうに話しているし、アルベラはクラリスに背を向け、ガーロンはずっとアルベラに見惚れている。
クラリスは気のせいだったかと肩の力を抜く。大伯家の令嬢ともあろうものが盗み見をしていたと思われたかもしれない。そんな気恥ずかしさから扇子を口に当て息を吐く。
回廊の手すりから離れ、壁へと背を預ける。
(楽しみにしていなさい、ディオール。猫かぶりも大変でしょう。大丈夫、この建国祭が終わる頃には貴女はラツィラス様の目なんてどうでもよくなってるわ。―――まったく……中伯だって勿体ないくらいだっていうのに……)
「じゃあまた、舞踏会で」とルーディーンは手を振って去っていく。ガーロンは主に続きアルベアへと頭を下げて去っていった。
「はい、ありがとうございます」
アルベラはドレスを持ち上げ深く頭を下げる。
顔を上げ、視線の先にある金の装飾品へと視線を移した。白鳥のような鳥が数羽翼を広げ戯れるように舞い上がっているそれは、屋外だというのに汚れや錆び傷の一つもなくつるりと輝いていた。アルベラが眺めるのはそれらに映りこんだ景色―――自分の後方だ。
(―――もう居ないか)
鳥の装飾品にはアルベラの後方が映り込んでいた。吹き抜けとなった二階、三階の回廊。柔らかな曲線を描く鳥の胸やその周囲に施された柱には、アルベラの位置からだとちょうど二階部分が映り込んで見えていたのだ。
(さっきのドレスに髪型……エイプリル嬢だよな……。庭を見てた? それともこちらを……? わからなけど、後ろに立たれていい気分じゃないな……。立派な容疑者候補なわけだし)
と、アルベラは先ほどまでクラリスらしき人物が立っていた場所を見上げ、馬車での奇襲の件や婚約者候補たちに嫌がらせしている偽ディオール家の事を思い出していた。
そこに「ふふふ……」と笑いながら祖母のフィオリが戻って来た。
「お婆様、ずいぶん遅かったですね……」
アルベラが目を据わらせると、フィオリは悪戯っぽく笑い返す。
「あらぁ、だって若い子の邪魔はすべきじゃないと思って」
「だからって覗き見・盗み聞きはしていいんですか?」
「あらあら、私がそんな事したって証拠は何処にあるの? 何時何分? 大地が何回回転した時?」
「子供っぽい事を仰らないでください」
「もうアヴィーちゃんたら、私は立派に成人してるわ」
「知ってます」
―――ふぅーーーーーー……
アルベラは自身を落ち着かせようと深く息を吐いた。
別に怒っているわけではないのだ。祖母のお茶目なノリに苛ついているわけでもない。
ただ何となく落ち着かなければならないと……、そう、このまま相手のペースに乗せられては気力が消耗されてしまうという感覚だった。
アルベラは切り替えるように「さぁ、」と祖母に片手を差し出す。
「早くいきましょう、お婆様。こんな所で道草を食っていては舞踏会の時間もあっという間です」
「ふふふ、王室の庭園を草だなんて恐れ多いわ、アヴィーちゃん。ここはお花と言っておきましょう」
「はいはい」というノリでアルベラは「そうですね」と頷き、返された祖母の手を引く。
「では……道花を嗅ぐっていては日も暮れてしまいます。さっさと街のお祭り騒ぎを堪能して舞踏会の準備へと参りましょう」
「孫のエスコートが受けられる日が来るなんて思わなかったわぁ。逞しくなったわねアヴィーちゃん」
嬉しそうに手を引かれるフィオリに、さっさと目的(祖父母孝行)を果たそうとサクサクと足を進めるアルベラ。二人は祖父であり夫であるウィルドーレが既に乗って待っていた馬車と合流し城下観光へと向かったのだった。
初日なだけあり人々の財布の紐は緩くなり、店は何処も大盛況だ。そんな浮かれた空気に乗せられたまま、フィオリはアルベラを着せ替え人形のように服を着せ靴をはかせ鞄を持たせ、良いと思う思うものを片っ端から購入し、その品々を学園寮へと送ったのだった。
(普段使いのもの中心だし……いいか……)
アルベラはパンパンになった荷運び用の馬車が去っていくのを眺めながら、「明かにテンションで買ったかのような祭りの日限定の品は後日質屋にでも持って行かせてもらおう。そして有難くお小遣いとして活用させてもらおう」と心の中呟く。
その後ほくほく顔のフィオリとウィルドーレと少し疲労がたまった様子のアルベラは、共に舞踏会用の衣装に着替えるべく行きつけのブティックに向かい、舞踏会の城内の会場にてラーゼンとレミリアスと合流したのだった。
***
(……花冠……花冠を好きな人に……)
「―――くん……エくん」
(他の人には……絶対……)
「おい、キリエ!」
「……!?」
とん、と肩を叩かれキリエは驚いて顔を上げる。
「ぼーっとしてるなよ。あの女に舞踏会のエスコート断られたのがそんなにショックか?」
「そういうミーヴァ君もジャスティーアさんに断られて落ち込んでたよね」
「……ト、ミタ…お前……」
とミーヴァの怒りの籠った言葉。
建国祭一日目の舞踏会は人であふれかえっていた。
場内で友人達と落ち合う約束をしていたミーヴァとトミタ。彼等はホールに入って早々合流していた。人であふれかえる会場を歩いていた彼等は庭の外にキリエの背を見つけ声を掛けたのだった。
彼等の呼びかけで我に返ったキリエは、ずっと見つめていた空の両手を静かに下ろした。
(アレを持って来るには、ここは場違いだもんな。……いや、そもそも俺……アレをアルベラに上げる気なのか? 魔術やまじないでアルベラを振り向かせるなんて、そんなの何かずるいし情けないし……)
「おい、お前またぼんやりしてるな?」
「まぁ、今日もキリエ君朝早かったみたいだし。……それとも、もしかしてあの魔獣の事が心配?」
トミタに問われキリエは「いや……」と返す。そのままじっと見つめられ、トミタは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「……トミタ君はあの笛どうした?」
「え? お婆さんから貰った?」
「うん」
「そりゃおいて来たよ?」
「だよね」
「ん? うん……?」
「お婆さんから貰ったってなんだ?」
ミーヴァが尋ね、「今日さ」と恵みの教会に行くまでの出来事をトミタが話す。聞き終わったミーヴァは呆れて息を吐いた。
「お前等幾つだよ。親から教わってこなかったのか? 知らない人間から食べ物も魔術具も貰うなって」
「まあそうなんだけど、本当にただの玩具だったし」
「お前意外と自分の目過信してるよなぁ」
「過信って言われると……過信なのかなぁ……。大丈夫そうに見えたんだけど。……けどさ、魔術具だよ? 安全だろうが危険だろうがミーヴァ君だって気になるでしょ?」
「そ……れは確かに」
ミーヴァはバツが悪くも正直に返す。
「で、どっちも普通の魔術具だったのか?」
この問いにそこまで専門ではないキリエはトミタに視線を送る。
「まぁねぇ」とトミタは肩をすくませた。
「そりゃそうだよなって感じ。お祭りの小物だし」
「ふーん」
「けど、貰い物の話からは逸れるけど……獣の拘束具を見せてもらってさ。そっちは少し、強烈だったかな」
大好きな魔術の話しだというのに、トミタの唇からは興奮が抜け出ていくかのようだった。
「ああゆうの、初めて見たな」
「そうか」と頷いたミーヴァの瞳は静かなものだった。そして自慢する意図ではなく「俺もそういうの何度か見た事ある」と言い尋ねる。
「どうだった?」
「……―――効果だけは強力だね。けど、単純で幼稚だ」
「だよな」とミーヴァが頷く。
「魔獣相手だったからあんな短絡的な方法を使ったのか知らないけど……『もし誰かがアレを人に使おうとか考えたら』とか思ったらぞっとしちゃった」
メモを取っている時は興奮だった。
そして舞踏会までの時間、学園の図書室で描かれた陣や印の効果を調べた。組み合わせは酷く単純なものだった。メモに描いた至極シンプルで冷酷な内容の羅列に、トミタは図書館で体を抱いて身を震わせたのだった。
主と定められた者への強制的な従属。肉体と精神双方への苦痛。死に追い込む魔術はどんな場合を想定してか数個刻まれていた。
身勝手この上ない話だ。
「あんなの僕の浪漫じゃない……。あの白い魔獣がなんであんなに声に怯えてたのか分かったよ。『人の声が聞こえたら痛くなる苦しくなる』って学習してたんだ」
「……」
「……」
「ああいうの腹立つよな」
「うん、凄い嫌な気分だった……むかついた」
「だろ!? だから俺思ったんだ。ああいうのにカウンターかけられないかって。例えばさ魔術具は外さずにそのままにして、外から陣を描き加えてさ―――」
魔術を悪用する者達への「報復」に燃えるミーヴァに、彼の考えに真面目に耳を傾け、徐々に瞳の輝きを取り戻していくトミタ。
置いてきぼりになったキリエは「えーと……」と頬を掻くが、こうなった二人を前にするのも初めてではない。寧ろ慣れてきたほどだ。
「よし!」
と一人頷くと、キリエはスクワットを始める。
彼なりの時間の有効活用法である。
(最近は雑念が多いから……もっともっと鍛えなきゃ)
「―――実はこういうのがもう既にあるらしいんだけど出来るのがここまででさ。もっと使用者に再使用を禁止させるような効果を―――」
「―――ごめん、僕の知識じゃそこまでは……そうだなぁ……この陣のここってどんな作用になるの? ―――うん、うん……あぁ、なるほど……―――え? あ、これなら僕知ってるよ。結構古い奴で人の心を信頼で縛り付ける効果があるって信じられてたんだ。けど少し後の時代でなんの効果もないものだって立証されて、今じゃ失敗作の陣の一つになってるよ。―――うん、そうだね。確かにどこかの綻びを直せば失敗作じゃなくて完成品に持っていける可能背もなくもないけど―――」
「三十一、三十二、三十三、三十四……」
法的に定められているわけでもなく、建前上は自由だと言われてはいても、まだまだ舞踏会には男女のペアでの入場が多いこのご時世。祖父母と共に会場入りするという、ある意味注目を集める入場を果たしたアルベラは父と母との合流を済ませていた。そして両親と祖父母とも別れ、いつもの如くエリーとガルカを引き連れ自由行動をとる。
そんな彼女の後ろを歩いていたガルカは、何の気なしに向けた視線の先に困惑した。
そこに見たのは窓の外、庭先で魔術話に熱くるミーヴァとトミタ、そしてその二人の横で一人スクワットをするキリエだった。各々好きな事に夢中になり視野が狭くなっているようで、周囲の目など気にしてはいない。
「なんだあれは」
足を止め同じものを窓の外に捉えたアルベラは一瞬笑顔を硬直させる。
「いつも通りね。そっとしといてあげましょう」
「みんな頑張り屋さんですねぇ」と感心するエリー。
「そうね」と返し、アルベラは止めていた足を持ち上げる。
(そうよ、コレはあの子達を見捨てるんじゃない。寧ろあの子達の自由を尊重してるの)
彼女はそう自分に言い聞かせながら、半ば逃げるようにその場を立ち去ったのだった。





