345、惑わしの建国際 19(高位貴族との挨拶、キリエの人助け)
―――「誰が貴様の父だ!」
会場に響き渡る怒号がびりびりとグラスを振動させる。
声の発信源を中心に会場の賑わいは一瞬静まるが、すぐに各々の話へと戻って空気は修復された。
その様を玉座から眺めていたニベネント王は「変わらずのようだな」と呆れの息をついていた。
「なんだ今の」
会場をうんざりした目で見下ろしていたスチュートが馬鹿馬鹿しそうに声の出どころへ視線を向けた。
「はっ、ディオールの準伯か」
と冷めた声音で呟く彼に、王は「準伯と公爵、それとブルガリー伯爵のようだな」とくぎを打つように言う。
スチュートは首をひねってわが父へ視線を向けると、何も言わずに顔をそらした。
反抗期真っただ中な彼の反応を、ニベネント王は「仕方のない事」とそれを受け入れて流す。
別に仲が悪いわけではないのだ。王という立場を息子である第三王子は重んじ尊重している。そしてその第三王子は、己の父であり己の母親を愛し守るべき夫である王が、妻の仇である―――と、彼が思っている―――腹違いの兄弟を自分たちと同じように扱って尊重しているのが許せないでいる。
王という絶対的上位者への敬意と、自分達の完全なる味方とはなり得ない父親への反発心の間から、甘えることもすり寄ることもできなくなってしまった息子の心情。
それをニベネント王は完璧とは言えずとも理解していた。
(スチュートやルーディンにも、アーシアの処罰について話さなければな……)
きっと荒れる事だろう、と王は人知れず息をつく。
「私はもう少ししたら退席しよう。お前たちも好きなタイミングで移りなさい。もう少しで正門も開こう」
「はい、お父様」と第四王子のルーディン。
彼は会場を見下ろし「皆さんに挨拶をしてきますね」と父を振りかえる。父が頷くと、「じゃあ後でね、兄さん」とスチュートに言って段を下りていった。
四男を見届けているニベネント王のもとに、次男―――第二王子のダーミアスが妻のオリヴィアを連れてやってくる。
「陛下、私たちはこれで」
「そうか。人が多い、気をつけてな」
「はい。失礼いたします」
「失礼いたします、陛下」とオリヴィアが夫の横上品に頭を下げる。
既に自身の母のこの先について聞いているダーミアスは、表情も変えずいつもの対応で母に罰を下そうとしている父の前に立っていた。だが、我が子のその赤みの薄い茶色の瞳の中に悲しみとも恨みともとれる感情を見た気がしてニベネント王は胸を痛める。
「陛下、僕もこれで」と次に前にでて腰を折ったのは五人目の息子ラツィラスだ。
「あぁ、病み上がりだろう。無理はせぬようにな」
「はい。お気遣い感謝いたします」
言ってラツィラスは自分達のために準備された席を立ち去る。
広間のなか大衆の目を引くようにと作られた壇を下りようとしたとき、壇の端に待機していた聖女達と目が合い頭を下げられた。
その三人の背丈はどれも大人のもの。
ラツィラスは微笑んで軽い会釈で返し下るための段差へと足をかけた。
そんな彼の後を追い、癒しの聖女が足を踏み出す。
ラツィラスが数段しかない段を降り切れば、先に壇上を立ち去ったはずのダーミアスが顔見知りに捕まり挨拶を交わしていた。
ダーミアスとラツィラスの目が合う。
(ミアスの兄様と目が合うなんてね。珍しい)
腹違いの兄へも聖女達へ向けたのと同じ笑顔を返し、ラツィラスはその場を立ち去ろうとした。
「―――ラツィラス、少し良いか」
「―――お待ちください、殿下」
ラツィラスを後ろから呼び止めたの癒しの聖女とダーミアスの声が重なった。
***
「何を仰っているのです。この場に義父様は義父様しかいらっしゃらないではありませんか」
ブルガリーに怒鳴られたラーゼンは飄々としていた。
はっはっは、と笑う父の姿はアルベラには相手をあおっているようにしか見えないが多分本人にその気は無いのだろう。
「そうよね。閣下ってば、ラーゼンを他の誰かと見間違えたのかしら」
アルベラは後方に暢気な祖母の声を聞く。
「そうだね。前は髪が長がかったから、その時の記憶が強いのかもね」
もう一人の祖父 (穏やかな方の)も、冗談なのか本気なのか彼の妻の言葉に同調し微笑みながら頷く。
ラーゼンの髪が長かったのはアルベラがかなり幼い頃の話だ。
屋敷の壁にかけられた肖像画でその事を知っているアルベラは、内心「んなわけあるか」と突っ込みを入れていた。
「それ以上つまらん口を開けば貴様の喉を杭で打ち抜いてやるぞ」
ラーゼンと対面し、ブルガリーは苛々と拳を握る。
「まぁまぁ、義父様」
「このっ―――」
「お父様」
自分に呼びかける娘、レミリアスの声でブルガリーの爆発しそうだった怒りは瞬時に萎んで飲み込まれた。
「お久しぶりです、お父様」
「あぁ。お前の方は何も問題ないようだな」
「はい。お陰様で、領地の方は以前来ていただいた時と変わらず。―――至って平和ですわ」
「平和か……まだ厄介な膿は残っているようだがな」
「それもいずれは」
「そうか」
「それにしても……お父様がそんなにも忙しとは初耳でした」
「む……!?」とブルガリーは言葉に詰まる。
先ほどディオール伯爵夫妻にはっきりと通る声で入れていた拒否の言葉を、まさかレミリアスが本気で受け取っていたとは思わなかった。
「れ、レミリアス……」
困惑交じりの父の呼びかけに、レミリアスは美しく微笑み返す。
「いいえ、お父様、お気遣いには及びませんわ。是非皆でお食事をと思ってはおりましたが、またの機会にいたしましょう。ベルルッティの方もいらしているのです、王都に居る間色々と都合はおありでしょう。今回は身を引かせて頂きます」
「うむ……」
自分の発言を後悔しているのか、ブルガリーの方がしゅんと下がったよに見えた。
(おぉ……―――やっぱり。ブルガリーのお爺様、お母さまに甘い……)
今まで感じてた感覚は気のせいではなかったのだ、とアルベラは感心に目を丸くしてしまう。
「ではまたな、レミリアス」
「はい。建国際の間はまたお顔を合わせられるかもしれませんがひとまずは。お元気で、お父様」
「ではな、アルベラ」
「は、はい。お元気で」
「また明日、六時半だ」
「はい……では明日の朝……」
(ちっ……やっぱそうなるか)
アルベラの内心が漏れ出てでもいるのか、ブルガリーは反抗的な孫に目をすぼめる。
「では義父様、お元気で」とラーゼンも告げるが、それに返されたのは無言と冷たい一瞥だった。
「ブルガリーのお爺様、小さい頃の印象より随分表情豊かかも」と大きな背を見届けているアルベラの横、髭を撫でつけながらラーゼンがぽつりと零す。
「お義父様、やはり囮にしみすみす見殺しにされかけたことをまだお怒りかな……」
「おと……え、お父様?」
耳を疑って聞き返したアルベラだが、他の貴族が挨拶に来てそのタイミングを失ってしまったのだった。
「ごめんなさい、アヴィーちゃん。ちょっといいかしら」
庭園を回っている途中、フィオリは「ほほほ」と笑いそう言った。庭園内の自分達の位置から、多分お手洗い何だろうなと思いながらアルベラは「どうぞ」と頷く。
少し待たせてしまうだろう事を考慮し、祖母はわざわざベンチのある場所に来てから声を掛けてくれたのだ。アルベラは有難くそれに腰かけ「ここで待っておりますね」と祖母を見送った。
会場を出るまでに両親に付き合いある程度の貴族達と挨拶を交わしてきたアルベラは息を吐いて肩の荷を下ろす。
ベルルッティ家公爵の代理や、パテック公爵とその夫人であるパテック理事長。そしてウェンディ大伯とその息子夫婦に息子夫婦の娘―――つまり同級生のラン・ウェンディなわけだが、昨日も学園で会った彼女との挨拶はかなり気が楽にできた。祝いのムードだというのにあまりあった事のない人物たちとの挨拶が続き、緊張が解けない中でのまさにオアシス的存在である。
だがその後、最後に挨拶を交わした人物によりアルベラは緊張や警戒は再発どころではなくピークに達したのだった。
その人物は祖父のブルガリー伯爵ともまた異なる威圧感を漂わせていた。彼を直接見れば、高齢でありながらもまだまだ現役だと言われている理由がよく分かった。
その人物とは「エイプリル大伯」である。
自分の息子夫婦を後ろに引き連れ、他の勝手な言動を許さないような高圧的な空気を纏わせていた。
見た目の印象は老いた大イノシシ。ただのイノシシではない、山を統べる主のような風格を持つ巨大なイノシシだ。
そんな彼はラーゼンと挨拶を交わす中でアルベラを一瞥した。
「学園では世話になっておりますな」と大伯と公爵家という立場上彼はディオール家に対し敬語を使ってはいたが、そこに媚び諂うような空気はない。背をしゃんと伸ばしこちらを見下ろすような視線の大伯は、自分の孫であるクラリス・エイプリルを前に出させ彼女に挨拶をさせ、直にその場を去っていった。
何か嫌味や皮肉を言われたわけではない。
だというのにひしひしと伝わってくるこちらを邪険に思っているような空気。
足元が掬えるようなら簡単にひっくり返してやろう、ひっくり返るようならそのまま噛み殺してやろうとでも考えていそうな視線。
エイプリル家皆がそうではない。大伯個人だけが堂々とその敵意を隠さず「基準に達しなければ引きずり下ろす」とディオール家を見下ろしていた。
他の貴族達を監視し審査するような彼の空気には周囲の貴族達も緊張しているようだった。
エイプリル家とはそれだけの銘家なのだ。
過去、彼等を敵に回し、又は目を付けられて密やかに潰された家門は数知れない。その中には彼等と同じ大伯という地位でありながらも根絶やしにされてしまった家門もあった。
それは古くから続いて来た王家からの信頼もあってこその歴史だ。
(前頭首までは王の杖の一つだったのになんで……。今の王様とは上手く言ってないのかな)
温かな日差しが差す空を見上げぼんやりと考える。
「―――アヴィ」
突然に祖母でも祖父でもない声から愛称を呼ばれ、アルベラははっとした。
「君にそんな可愛い呼び名があるなんて知らなかったな」
くすくすと笑う声と二人分の足音が花の咲き誇る生垣の奥からアルベラの方へと近づいてくる。
「勝手にその呼び名を使うのはご遠慮いただきたいのですが、殿……下……―――」
アルベラは姿の見えない相手に反射的に眉を寄せていた。反発の言葉が口をついて出たが、現れた人物の顔を見てアルベラは一瞬呆然とし口を閉じた。彼女は我に返ると速やかに立ち上がりドレスを摘まんで首を垂れる。
「ルーディン殿下、失礼いたしました」
「ふふふ、良いですよ。僕もわざとなので」
「……とても……そっくりでいらっしゃいました」
でなくてもそっくりなのに、あの弟に寄せるなど勘弁してくれとアルベラは胸中零し苦々しく返す。
「ガーロン様も昨日ぶりです。ご機嫌よう」
「アルベラ様、今日の姿もとてもお美しいです。貴女に似合わないドレスがあるなら見てみたい」
「あ、ありがとうございます」
ガーロンの熱い挨拶にアルベラは顔が引きつりそうになるのを抑える。
過剰に感じる誉め言葉に怯むアルベラに、ルーディンは面白そうにくすくす笑っていた。
そしてどこかの誰かさんそっくりな無邪気な瞳を向け、彼はゆるりと首を傾げる。
「アルベラ嬢」
「はい」
「僕もアヴィと呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……ご勘弁いただけませんか」
「やっぱりだめでしたか。残念です」
とルーディンは予想していた通りの返答に笑った。
***
アルベラが城内で建国際の開催セレモニーに参加している間、招待を受けていない貴族達は其々の邸宅や準備した会場で知人を招いてパーティーを開催していた。
キリエも幾つか顔見知りの令嬢や令息から招待を受けていたが、今向かっているのはそれらのどれでもない。目的地は恵みの教会だ。
友人の平民特待生トミタ・トシオと共に彼は馬を引きながら人並みの中を歩いていた。
王による祭り開催の宣言―――城の上で光が弾け花弁が舞い散る―――により王都は何処もお祭り騒ぎだ。
この込み具合を忘れていたと、キリエは馬を連れてきたことを後悔する。
通常なら決まりで屋根の上の行き交いは禁止されており行う者達も少ないのだが、今日と言う日は道の込み具合もあり地方からも人が集まっていることもあり、細い路地上では屋根の上を飛んで行き交う人達の姿が目に付いた。
警備兵に捕まれば罰金物なのだが、彼等はそれを知っているのだろうかと少し羨ましく思いながらもキリエは彼等を見上げる。
「―――キリエ君、ねえ! キリエ君!」
後方の声に気付きキリエは「なに?」とトミタを振り返る。
「そこ曲がって、馬を預かってくれる店がある。教会周りは更に人が増えるだろうから、ここで預けてった方が良いかも」
「そうだね」
「三十分三百リング……やっぱ普段より値段上がってるみたい。いつもなら百リングなのに」
とトミタが店主に渡された番号札と領収書を見ながら零す。
祭りの日と言うのは大概宿も馬や車を預ける店も値を上げている物だ。トミタが安いからとよく使うその店の一つももれなくお祭り価格となっていた。
「トミタ君、本当に良かったの? 今日はどこかでパーティーの予定とかあったんっじゃ」
「いいよ。僕に来る誘い何て碌なのないから。それでも筋トレ部を始めてからはそういう碌でもないのは減ったんだけどさ」
トミタは力こぶを作って笑う。
確かにこの半年で彼の体格は「細身」ではなくなった。キリエよりも筋肉がつきやすい体質なのか、彼の魔力がそういう効果を持つのか、はたまた効果的な魔術か食品でも見つけたのか―――後者の二つであればキリエにもシェアしてくれていだろうから、前者二つの方が現実的かなとキリエは考える―――彼はキリエよりも若干であるが肩幅が大きくなっていた。
この世界では魔力も体質に影響するという研究結果は出ているので、肉体強化に向き不向きな魔力とは、また長寿の人間に共通している魔力とはどんなものか等まだまだ研究中なのだ。
「けどヒフマスさん達からのお誘いもあったんでしょ?」
「あぁ、ヒフマスのはどうせ荷物持ちだから」
と特待生仲間の女子生徒、イレヴィー・ヒフマスやテンウィルといった女子たちの誘いの裏を見破ってトミタは苦笑する。
「筋トレって言って前に買い物付き合ったんだけど、筋トレにしては軽すぎるし物足りなくてさ。けど沢山歩けたからちょっとした有酸素運動にはなったんじゃないかなって―――キリエ君?」
トミタは驚いた声を上げた。
何かにぶつかり足を止めたキリエだったのだが、よく見るとその体に誰かが倒れ込むように寄りかかっていたのだ。
キリエの腰ほどの小柄な背丈。
ローブから覗く手足は枯れ木のように細く、フードからは一つに束ねられているのだろう白くパサついた髪が垂れ下がっていた。
「そのおばあさんどうしたの?」
「わ、分からないけどふらふらしてて……。と、とりあえずトミタ君、お婆さんの背中の荷物持ってもらえる? 俺はお婆さんをおぶるから」
「分かった。どうする? このまま教会に連れていく?」
「いや……それより手前に診療所があるからそこに行こう」
キリエに担がれた老婆は譫言の様に「申し訳ない、申し訳ない……」と呟いていた。
診療所に向かっている途中、「お前さん……名前は?」と老婆に問われ「キリエです。キリエ・バスチャラン」とキリエは返す。
「そうかい……キリエ・バスチャラン……。ありがとうねぇ、ごめんねぇ……」
「いいえ、お気にせず」
「ごめんねぇ……、ごめんねぇ……」と繰り返し、老婆はキリエの背で静かになった。
眠ったのだろうか、とキリエは思っていたが老婆はフードの下で薄く目を開いていた。そしてローブの皺に口元を隠し、診療所に着くまでずっと小さく何かを呟く。
鞄を持っていたトミタは彼女の顔とは反対側におり、彼もまた老婆は眠った物と思っていた。
「……」
一瞬頭がぼんやりとする感覚にキリエの歩調が緩む。
「キリエ君? もしかして道忘れちゃった?」
「……あ、ごめん。大丈夫。診療所は大通りから教会に向かう道を真っ直ぐ行って左手だよ。青い看板の中古の魔道具屋があってその手前の小道に入るんだ。そしたらすぐだから」
「あぁ、あそこか。普段使わないけど何度か見かてるや」
「俺もあんまり。けどスカートンが、あそこの先生は良い人だって言ってたから大丈夫だと思うよ」
老婆を目的の診療所へと連れて行く。そんな二人を若い男が付けていく。老婆は薄く開いた目の端にその人物の姿を捕らた。
(分かっているさね)
鬱陶しく思いながらも、乾いた薄い唇に乗せた呪文は止めることはない。





