344、惑わしの建国際 18(祖父と祖母と祖父)
アルベラの視線の先には目をそらした母方の祖父。そしてその隣にはいつの間にか父方の祖母―――フィオリ・ディオールがいた。
「いつの間に!?」とアルベラが驚いている合間にも、祖母フィオリは祖父ルファム・ブルガリーの肩を叩いていた。
「お久しぶりです、閣下」
彼女等との交流を避けようと考えていたブルガリーは、仕方なしと言った様子で一つ咳をした。
「久しぶりだな、フィオリ・ディオール。ウィルドーレ・ディオール」
娘の夫の父親であるディオール伯爵がやってきたのにも気づき、ブルガリーはそちらの名も付け足す。
「ご無沙汰しております閣下」
とアルベラの父方の祖父、ウィルドーレが頭を下げる。
近隣の国や「ロマロ」と呼ばれる移動形の蛮族等との接触が頻繁に起こる、「辺境」と呼ばれる国堺の地で、常に警戒と緊張を強いられて生きてきたブルガリーと、国の堺からは遠くそれでいて国の中央からもやや離れ、さらに季節的な環境の変化も穏やかで平和的な「田舎」と称される地で、のんびりと暮らしてきたディオール伯爵夫妻。
対面する彼らの空気と体格はまさに正反対な物だった。
ピリピリとしたブルガリー伯爵の空気とどこかほわほわとしたディオール夫妻の空気は交わうことはなく、はっきりとした境界線でも見えるようだ。
男性的にも小柄なウィルドーレは、大柄なブルガリーに臆することなく柔らかくほほ笑む。
「そちらのお嬢様にうちの息子がいつもお世話になっております」
「まったくだ。あの変人のおかげでうちの娘がどれほど苦労していることか」
「まぁまぁ……」とフィオリが申し訳なさそうに肩を落とした。
「いつもラーゼンがご不便をおかけして申し訳ありませんわ……。私たちもレミリアスちゃんには心安らげるような生活を送ってほしいとおもっております……。ラーゼンはいつも何を考えているかわからなくて……、小さい頃は無邪気で素直で可愛い子だったんですよ。それはそれは優秀でしたし、けどいつの間にか母である私でさえもまともに相手にしてくれなくなってしまって……きっと私が頼りないから……――」
フィオレは胸を抑え、扇子を開いて顔を隠す。扇子の陰となった場所で彼女の瞳は涙に潤んだ。
「閣下にもご迷惑をおかけして申し訳ありませんわ……―――ラーゼンには私から、後で……しっかり……言い聞かせておきますから……ぅ、ぅぅ……ぅぅぅ……」
演技でもないんでもない。我が子の成長を思い出し、その中での苦労が甦ったのか素で悲しむフィオレ。
ブルガリーは「うっ」と零しそうな渋面で固まった。
「ほら、フィオレ。こんなところで……。君が気に病むことは何もない」
その肩をウィルドーレが抱いて慰める。
「申し訳ありません、閣下。―――あぁ、そうだ。日々の感謝を込めて閣下にお土産を持ってきたんです。よければこの後ご一緒に食事でも」
夫の言葉に思い出しのか、フィオレは涙を指で拭いながら「まぁ、そうだったわね」とまだ目が潤んだま顔を上げた。
「そうでしたわ、ぜひご一緒にいかがでしょう、閣下。私たちの領地で今人気のケーキや紅茶を持ってきましたの。南の都市で開発中の料理機材がありまして、フルーツから生クリームを作れるんですよ。生クリームと言ってもあくまでも『ような』という意味ですが、そのくちどけや触感は生クリームのようで、それでいてフルーツそのものの甘みや香りがとても美味しくて―――」
と土産の話をするフィオレのセリフには熱がこもっていく。甘いもの好きの彼女は、つい先ほどの感情などすっかり忘れ去ったようだ。
「甘い香りのお花に包まれて、舌がとろけるような甘いお菓子に甘い紅茶。ぜひ閣下もお気に召すかと思いますわ」
頬に手を当て少女のように無邪気に笑むフィオレ。
ウィルドーレは「ウオバチの蜂蜜酒もございます。ぜひ」とブルガリーを見上げる。
ブルガリーはと言えば胸やけがする思いだった。
相手夫妻が持ってきた土産の品の甘味についてもそうだが、何より彼らのほわほわとした空気が肌に合わないのだ。この空気に充てられ、さらに彼らから向けられる好意には毎回胸やけがしてしまう。
嫌味を言えば張り合うでもなく謝罪し悲しみ、そして純度100%で親切心を返してくる。
顔を片手で覆い、ブルガリーは深いため息をついて「結構だ」と唸るように返した。
「では土産の方は使いに遅らせましょう。―――今日のご都合が悪いようでしたら明日や明後日はいかがで?」
ウィルドーレの問いに考える間もなくブルガリーは「忙しい」と返す。
「そうですか? では明々後日かその次か、五日後などは」
「予定がある。遠慮する」
「そうですか。相変わらずお忙しいのですね。本日だけでもご挨拶できて良かったです」
「えぇ、また次の機会にでもゆっくりお話しできれば幸いですわ」
「うむ……」
(ブルガリーお爺様……前にディオールのお爺様お婆様と会った時は私への対応について『甘やかせすぎだ』っていうのをチクチク皮肉ってたっけ。フィオレお婆様はその皮肉を理解してなくて言葉のままに返してて……ウィルドーレお爺様は皮肉がわかってるのかわかってないのかよくわかんなかったけど、お婆様の言葉と同じ乗りでほわほわ返してたっけ。もう結構むかしの事だし細かいところあやふやだけど、ブルガリーのお爺様の空気がこの上なくイラついてピリついて、今にも爆発するんじゃって思って逃げたんだよな私)
前世の記憶を思い出す十歳よりも前の出来事を振り返りながら、アルベラは今の祖母祖父三人を他人ごとに眺める。
(こう見るとブルガリーのお爺様、イラついてるのはわかるけど結構押されてもいるわね……―――ちょっと面白いかも)
端がつい小さく持ち上がってしまった口元にアルベラはさっと扇子を開く。そして若い頃フィオレに苦労をさせていたのだろう父ラーゼンの方を伺ってみれば、父は「私の何が悪かったやら」とどこ吹く風でカイゼル髭を撫でつけていた。
そんな父の姿に「相変わらず」と目を据わらせるアルベラ。
そして祖父たちへと視線を戻せばあちらは別れの挨拶を済ませたようで、くるりと真横に踵を返したブルガリーはアルベラの方へと向かってきていた。
「久しいなアルベラ」
「あ、お、お爺様……お久しぶりです」
(と言っても前あったの先々月だけど―――……そんなお久しぶりって程でも無い気が……)
ブルガリーはギラリと視線を鋭くし、アルベラは「ひっ!?」と体をこわばらせた。
「何をニヤついている」
「い、いえ。何も」
口元に笑みが残っていたかと、アルベラは扇子を鼻にくっつけて唇の形を正す。
威圧的に見下ろされ、なんとなく「これは八つ当たりでは」とアルベラは祖父を見上げる。
孫の様子をうかがう視線に、ブルガリーは構わず威圧の空気を解かずに口を開いた。
「学園の始業は八時半ごろだったな」
「は? え……、はい」
「そうか。なら六時半に城に来なさい。学園側の門番に伝えておこう」
「え? お爺様、なんのお話を?」
「訓練だ。タイガーとガイアンから休みの間にいろいろあったと聞いている」
(そういえばあの二人はお爺様に族に襲われたとは伝えるって言ってたんだっけ。それで何とか追い払って、その後は普通に旅を楽しみながら帰路についたって)
「あぁ、ええ、はい……」
「お前も多少の訓練の効果はあったと聞いた。なら、また同じ事が起きてもいいよう励めるときに励むべきだ」
「ですが……お爺様はこの一週間お忙しいのでは?」
そのようにフィオレお婆様とウィルドーレお爺様に返していたではないか。アルベラが遠慮の空気で見上げれば、ブルガリーは「そうだ」と言って孫の肩に手を乗せた。
「だから忙しい中朝は開けてやる。七時半に終えれば着替える時間もあるだろう」
「わぁ……なんて寛大な……。ですがそんな、貴重なお爺様のお時間を頂くなんて」
「気にするな。むしろこれは強制だ。毎朝時間前にガイアンを送る。それならお前も時間を忘れて眠りこけることもなかろう」
「え、ガイアンも来ているんですか? ―――じゃなくて、お爺様。折角の建国際ですし遠慮を」
「強制だ。わかったな」
「―――はい……」
いやいやな様子のアルベラに、ブルガリーは「ふん」と鼻で息を吐く。
「騎士に守られるのであれば、主も忠誠を誓われるだけの器にならんとな」
「騎士? 忠誠? なんの―――」
アルベラが気になり尋ねようとしたところ、話が途切れひと段落付いたと勘違いしたラーゼンが二人の会話に加わった。
「義父様、お久しぶりです」
「誰が貴様の父だ!」
頭を下げるラーゼンにブルガリーは間髪入れずに怒鳴り返した。





