342、惑わしの建国際 16(開催セレモニーへの道)
「ねぇ貴女、その使用人私に売ってくださらない?」
やって来た建国際の一日目。前の休息日ファスンの午前、自分と同年代の見知らぬ少女にそう言われアルベラは口の中で小さく「は……?」と零した。
「ねぇ、おいくら?」
問われてアルベラは彼女の示す使用人―――ガルカを見た。ガルカは「おや、」とわざとらしく上品に驚く。
「最近こんな話をしたばかりだなぁ」「どんな巡り合わせか」とこの偶然に呆れているアルベラへ、ガルカは「分かってるだろうな?」と視線を向ける。どや顔交じりのその表情にアルベラは息を吐いた。
共に居たエリーは「まぁ、コレは辞めといたほうがいいかと」と柔らか言い方で正直な気持ちを伝える。
アルベラが今いるのは学園の正門から続く街中の大通りだ。正午に行われる城での建国祭開催のセレモニーに参加すべく身を整えるため、愛用しているブティックに予約をしており、それに向かっている途中だった。ドレスの着付けや髪のセット、化粧等が終わった頃に父母が馬車で合流し共に来城する予定だ。
通りがかりの豪勢な装飾が施された馬車―――しかも馬の先頭が純白の一角獣と見るからに派手で目を引くそれが止まり、中からこの少女が出てきて声をかけてきたのは、アルベラがペット用品店のショーウィンドウに目を止め馬を降りてそれを眺めようとしていた時だった。
「あなたには聞いて無くてよ」
と少女はぴしゃりとエリーへ返した。見栄え的にはエリーもガルカに劣らないというのに、エリーは彼女の対象外らしい。同性には興味が無いのだろう彼女は、ひるむことなく自分より背の高いアルベラを見上げた。
「ねぇ、おいくら?」
大きな羽を連ねた扇を口元に当て尋ねる彼女は、乗馬着姿の今のアルベラより何倍もお嬢様らしい。
多分本人も、自分をそれなりの貴族とは見ていないのだろうとアルベラは察した。今自分達は、一切の公爵家の紋章を見える位置に着けてはいない。エリーとガルカは公爵家の使用人服を着てはいるが、上にローブを被っておりボタンやネクタイに施された紋章はそれに覆われていた。
少女に絡まれたのは、アルベラが人目を引きたくないがためにあえてそうしてきた弊害だったのかもしれない。
(どこの家門だろ)
アルベラは自分の身分を晒した方がいいかと考えながら相手の馬車を見る。が、そこに貴族の家紋は見当たらなかった。
(見つけられないだけか、施してないか、貴族じゃないか……)
「ごめんなさい、彼は売れませんの」
と言うとガルカはアルベラの視界の端でどこか満足げに笑んでいるように見えた。
その空気にこの生意気な魔族へのちょっとした嫌がらせの気持ちがアルベラに沸く。
「……でも一時的に貸すなら」
ガルカから睨みつけられているような視線を感じたがそれは無視だ。
エリーは邪魔者が消えてお嬢様と二人きりになれることを期待し「あら、それは賛成です」と嬉しそうにほほ笑む。
「―――貸し?」
少女はふさふさの扇の奥で怪訝な顔をした。
「申し訳ないのですが、私には勝手に家の使用人を売る権限がありませんので……。ですからお売りする代わりにお貸しいたしましょう。丁度、彼は三時間程暇になる予定でしたし、待ちぼうけしているより、彼も貴女のような素敵なお嬢様と一緒の方が嬉しいでしょうから」
少女は「素敵なお嬢様」と言われた事にまんざらでもない様子だった。彼女はアルベラを下から上へと視線を走らせ品定めする。
(そこそこ礼儀はなってるじゃない。けど、建国際の初日にこんな色気のない恰好で使用人だけを連れている辺り、落ちぶれた貴族かちょっとした小金持ち程度よね。馬車も持ち合わせていないようだし)
「いいえ。貸してほしいだなんて言ってないわ。私は『欲しい』と言っているの。ほら、これでどう?」
彼女の護衛兼世話係なのだろう、腰に剣を下げた中年の男性は、目で指示され硬貨の入った袋を差し出した。
(人の相場ってどれくらいだっけ)
アルベラは金貨の詰まった袋を見てふと思う。
そもそもこういった形での明らかな人身売買はご法度だ。よくもまぁこんな大通りでとアルベラは呆れた。
(過去に何回か、ちゃんと国から許可を得た業者の奴隷の売買は見に行ったことあるけど……ガルカくらいの年齢と健康状態、見た目も考慮したらこれ位……だったっけ……? ―――この人、この子から指示されてさっとこの額を準備出来るって事は買いなれてるな。それだけ頻繁にあることなのか)
袋を差し出す男性に微笑みかけ、アルベラは「ごめんなさい」と返す。
「借りるのが嫌なのであれば交渉決裂ですね。お売りは出来ませんから。巡回騎士に見つからないうちにその袋を隠された方が良いかと。私ももう行かないといけませんので」
「これじゃ足らないって事かしら? じゃあ―――ほら、これでどう?」
少女に目で指示され、男は袋の上に穴の開いた金貨が連なった棒を二本乗せた。
「まぁ、」
金貨を前にゆるりと笑むアルベラ。
そんな彼女の笑みを勘違いし、少女は勝ち誇ったように胸を張った。
(あ、あの馬車……)
両親と合流した馬車の中、アルベラは人気のケーキ屋の前に止められた先の豪奢な一角獣引きの馬車を見つけ目で追っていた。御者席には休憩中の御者と、車内に収まらなかったのか買い物の品々が積まれている。アルベラに断られご立腹だったのあの少女は、どうやらその後買い物とスイーツで憂さを晴らしをしていたようだ。
(祭り初日の様子を見たくて外での着付けにしたけど……やっぱいつもより人が集まってる分色んな人がいるよな。まさかあんな白昼堂々人を売れだなんて。『レティシエル・ポーター』って言ってたっけ。聞かない名前だし少なくともここら辺の貴族じゃなさそうだよな。そもそも貴族なのかどうかもわからないし)
「アルベラ」
斜め向かいの父に呼ばれ、アルベラは「はい」と窓から目を離す。
「なんだい、もしかしてフェグーリュが欲しいのかい?」
「フェグーリュ?」
「今あのユニコーンを見ていただろう。フェグーリュユニコーン、外形重視で改良された馬さ」
「野生のユニコーンを捕らえて手名付けた物ではないんですか?」
「血は混ざっているから全くの別物とも言い切れないが、野生種を人為的に派生させたものだ。オリジナルの血はかなり薄められているがね。彼等は獰猛だ、他の馬と共に車を引けはしないよ」
「人為的に……。今まで数回見た事はあるんですが、あまり普及していませんよね。人気ないんですか?」
「いいや、人気ならそれなりにあるさ。けどフェグーリュは野生種の気難しさを引き継いでいるようでね、繁殖が難しいんだ。繁殖自体が上手くいっても角が付いたものが生まれてくる確率は低い。それなりに希少なんだよ」
「そうでしたか」
「だが、君が欲しいのであれば手配しておく」
「い、いえ。ただ物珍しさに見ていただけです。ユニコーンは目立つので……」
(はっ、けど普通目立ちたいから欲しがるのか。公爵の令嬢としては一頭は所有しておくべき? ―――いや、けどそんなあるか、あえて目立ちたいシーン。それに公爵家の紋章だけで十分目立てるし…………いやいや、ここはお嬢様としてはつべこべ言わず二頭や三頭買っておくべきなんじゃ……)
アルベラはこういった選択も自分の立ち回りに関わるのではとやけに真面目に考え込む。
「そうかい? 欲しくなればいつでも言いなさい。ドラゴンやワイバーンは考えるがフェグーリュくらい容易い物さ」
「はい、有難うございます。けどドラゴンは無いので大丈夫です」
「おや、そうかい?」
(あいつ等は私じゃ無理だから。ていうか希少って言ってたのに容易いって……)
「それでアルベラ、学園の方はどうだい? 不自由はないかな」
「はい。快適に過ごしてます。―――ですが……すみません、相変わらずスチュート様からは嫌われているようでして」
「なに、気にするな。嫌われているのは君だけじゃない。無難な距離感でいてくれればそれでいいさ。どうせ殿下は今年いっぱいで卒業なさる。……婚姻は来年か。プレゼントはどうするべきかな」
(お姫様があの王子様と結婚ね……本気?)
以前自分に毒を盛ったガウルトのお姫様を思い出し、アルベラはどんな裏があるんだかと考える。
(ガウルトとこの国の仲が安定し始めたのは私が生まれる少し前かららしいし、ただの政略結婚かもしれないけど……あの王子様と結婚させたら国の仲が今より良好になるどころか拗れるんじゃないかな……)
「そうだ、アルベラ。君の所にも手紙が行っているとは思うが」
「……?」
「今日はブルガリー伯爵も来ているそうだ」
「え?」
「義父様がこう短期間に何度も中央にいらっしゃるとは珍しいな」
「あの……お父様、私には何も報せが」
「来ていなかったのかい?」
と言って父ラーゼンは妻のレミリアスへ目をやる。
「あら……てっきりアルベラにも手紙が行っているものと……。もしかしたらお父様、貴女をびっくりさせたかったのかもしれませんね」
「え、」
(あの人そういうキャラだっけ)
「あとなアルベラ、」
と父がもう一つの報せを娘に伝える。
「私の父母、つまりプラピーチェのディオール伯爵もきているんだ」
「え、そちらのお爺様とお婆様もですか?」
「あぁ。こちらはまぁ……相変わらずでな。報せもなく突然に……。まぁ建国際は毎年の事だし、レミリアスもそのつもりで準備をしていたから何も問題は無かったんだがな。適当に王都内を馬車で回ってから城へ行くと言っていたから、あちらももう向かっている事だろう」
「そうでしたか。お爺様もお婆様も相変わらずお元気なんですね」
「あぁ。二人共君に会いたがっていたよ」
「はい……あの」
「うん?」
「ブルガリーのお爺様とディオールのお爺様お婆様……大丈夫でしょうか」
「何がだい?」
「だって前合った時は……」
「ははは、大丈夫だろう。気にせずともいい大人同士上手くやるさ。前もなんだかんだ言って丸く収まったじゃないか」
「え……はい……」
(そうかな……)
若干不安な心持でアルベラは母を見た。母は目を細めて微笑む。
「楽しみですね」
「そうでしょうか」と返したい気持ちをぐっとこらえ、アルベラは「は、はい……」と不安気に笑んで返した。





