340、惑わしの建国際 14(ボーイ・メット・ガール)
ハミッツ親子が帰ったその日の夕食。
何事もなかったように二日目の晩餐会が行われた。
夕刻になり屋敷に戻ったディオール公爵も加わり、大人たちは話に花を咲かせていた。
キリエは帰ってしまったハミッツ親子のことを考えながら、自分も何かあればここから即退場を言い渡されるかもと変な緊張を感じながら食事を口に運んでいた。
「―――ははは、そうでしたか。けど牛も結構かわいいんですよ」
隣からいつも通りの兄の笑い声が聞こえる。
(なんでお兄様は緊張してなさそうなんだろう……お父様より偉い人がいるのに、怖くないのかな……)
キリエはちらりと兄を見る。
ザッヘルマは母の言いつけ通り公爵の令嬢に言葉を投げかけていた。
綺麗に食事をしながら、家でキリエや彼の両親に向けて話す時と変わらぬ顔をしていた。
「そういえば、午前中は何かありましたか? 僕ら、庭の散歩中にアルベラ様の部屋から声を聞きまして」
「午前中? ―――あぁ、」
とお嬢様が何でもないことを思い出したような顔をする。
公爵と夫人は聞こえているのか聞こえていないのか、子供たちの話に口をはさむことなく各々の会話を続けている。
「失礼な使用人がいたから叱ったの」
「えぇと……『ばか』とか『まぬけ』とか聞こえてきたのは……」
とザッヘルマが言いかけたが、それを遮って「アルベラ?」と夫人が大人たちの会話を抜けて娘に視線を送った。
アルベラは母の視線を受けてぴしりと背筋を伸ばし「言ってません!」と即答する。
「ザッヘルマ、変な事を言わないで! 私がそんな言葉使うわけないじゃない!」
「あ……はい……。確かに、よく思い出してみればアルベラ様の声とは少し違う気が」
「アルベラ、食事中に大きな声を出してはダメよ」
「はい、お母さま」
食事を再開するアルベラへ「足を揺らしてはだめよ」と母が注意し、アルベラは手を止めて顔を上げ「はい、お母さま」と返す。
この母への絶対服従感は何だろう、と思いながらキリエは正面に並ぶ母と娘をちらちらと眺める。眺めながら「そっくりだなぁ」などという感想を抱く。
「使用人がどうかなさって?」
とバスチャラン夫人が興味を抱いた。
「ええ。今日娘につけていた使用人に不備がありまして」
「まぁ、」
「私の髪を梳かすふりして、わざと抜いたんです」
思い出して腹をたてているのか、アルベラは大声を出さないよう不満げに言った。
「まぁ……それはおかわいそうに」
でしょ? と満足気に頷くとアルベラは食事の手を動かすのを再開する。
「おいおい」とバスチャラン伯爵が身を乗り出した。
「まさかお前、その使用人を処刑したとか言わんだろうな」
「まさか、解雇しただけだ」
「ほう……そりゃあまぁ、噂の公爵様にしてはお優しい。で? ちゃんと調べたんだろうな? 髪を櫛に引っ掛けただけじゃなかったか?」
「さぁな。髪を持ち去ってはいなかったそうだが、疑わしきは罰するが我が家のルールだ」
「他のお家様のルールに口を出すつもりはないけどよぉ……それならその使用人、外に出してよかったのか? お前また変な噂が広がるぞ」
「何、変と言っても領民には『少し癖がある』程度の認識だ。民間の印象ならちゃんと管理している、問題ない」
「けど人の目や口なんてなぁ」
伯爵がフォークで控えている使用人たちを示す。
公爵に目を向けられ、数人の使用人たちが背筋を伸ばした。
「屋敷内での出来事は他言厳禁だ。ちゃんと契約もしている。ここにいる者達は心配ないさ。それに、もしもを考えれば解雇は当然だろう。何、働き口ならレミリアスがちゃんと紹介状を準備した。何の疑いのない者なら、素直にそちらに向かっているだろう」
「疑いのある者なら準備してやった道を外れていくと。ほどほどに泳がせて、いいころ合いに人知れずここに連れ帰されるってわけか。おぉ怖い」
ザッヘルマが隣の母へと「何の話?」と尋ねるがバスチャラン夫人は「あなたには関係のないお話です」と返した。
大人の話に混ぜてもらえずザッヘルマはむっとする。
「いいさ、僕たちは僕たちで大人に秘密の話をしてやろ」
「な、」と彼はキリエの方を向く。キリエは「う、うん」と頷きお嬢様の方を見た。すると彼女はいつの間にか運ばれていたデザートを口に含み幸せそうに瞳を輝かせているところだった。
「……何よ」
「な、なんでもないです」
キリエはもじもじと返し、自分の下にも運ばれていたミルクのジェラートをスプーンに乗せた。
綺麗に飾り立てられたデザートに、彼の母が「流石バスチャラン領のミルクはどこで食べても最高ね」と笑っていたが、キリエはそんな話よりも嬉しそうにデザートを口に運ぶお嬢様の方が気になって仕方なかった。
夕食後、キリエは好きに散歩していいと言われていた敷地内の一つ、屋敷前の庭に出ていた。
庭の中央まで行って、そこにようやく小さな人影がうずくまっていたことに気づく。人影は音も少なく立ち上がり、庭に植えられた花を見下ろした。
(アルベラ様……)
近づかなくとも花が放つ光に照らされ彼女の顔は判別できた。その片手に光を失って萎れている花が握られていることまでも。
キリエの存在に気付いた彼女が顔を上げる。
目が合うと彼女は一瞬気に入らなさそうに眉を寄せた。だが、すぐに他者の存在を許してか、眉に込めた力を抜き花へと向き直った。
「なんで消えちゃうのかしら」
「え?」
「花よ。この花、領地から伯爵夫人が持ってきてくれたんでしょ? 光、摘むとすぐ消えちゃうの。何で消えるの? あんたの所のメイサンなんだから、あんたなら知ってるでしょ?」
「え……ええと、その……」
歯切れの悪い返答に、お嬢様の眉間にまた力が籠められる。
「分からないならそう言いなさいよ」
「い、いえ……えと……この花は葉や茎から魔力が送られてるって……お兄様が」
「魔力……あんた使える?」
「いえ、僕はまだ……」
「ちぇ、」
アルベラは片手に握っていた花を離す。
ぽとりと落ちたそこには他にも幾つか花が落ちて散らばっていた。
きっと自分が来る前にも、このお嬢様は花を摘んではその光を消してを繰り返したのだろうとキリエは想像した。
そしてまだ諦めてないのか、目の前の少女はしゃがみ込んでまた花の茎を握りしめていた。次は根っこから引き抜こうとでもしているのか葉ごとだ。
「え、あの……アルベラ様……」
ツンとした目が向けられ、言葉なく「なに?」と問われる。
「いえ……なにも……」
目をそらせたキリエの服にこつりと何かが当たった。
なんだろうと見下ろせば、足元に小さな土の塊が転げて割れる。
「バカみたい。言いたいことがあるならハッキリ言えば」
小さな土の塊を投げた犯人―――アルベラはしゃがんだまま顎を持ち上げ見下ろすように言った。
「……」
「死ぬわよ」
「え……?」
「じゃないと死ぬのよ、知らないの?」
「え、死……、なんで!?」
「知らない。けどお父様もお母様もそう言ってたからそうなのよ。あんた私を疑うの?」
「い……や、疑ってはないけど……」
「ほら、またハッキリ言わない! あとため口!」
びしりとお嬢様に指さされ「ご、すみません……!」とキリエは慌てて頭を下げる。
「ふん!」とキリエから花へ興味を移し、アルベラはまた花を鷲掴みにする。
「あ……」
つい声が零れてしまい無言の睨みが返される。だがここでまた口を閉じれば先ほどの二の舞だと、キリエは覚悟を決めて唾を飲んだ。
「あの! ……そ、そんなふうにしたら花が可哀そうです」
「可哀そう?」
「はい」
「何でよ。お父様は植物には痛みや感情が無いって言ってたわ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ」
(そ、そうなんだ……)
キリエはもじもじと体の前で指を押し合う。
―――花だって悲しんだり喜んだりするんですよ
以前に母が言っていた言葉を思い出し、キリエは「あれ? でも……」と零す。
「でも?」
「いえ……」
アルベラははっきりしない少年に気に入らなさそうに目を細める。
どうせまた何も言わずにそうやって黙りこくっているのだろう。そう思った彼女は意識を彼から外しかけた。
「―――で、でも……それでも可哀そうです。引っこ抜いたら枯れちゃうかも……それって死んじゃうって事じゃないですか。……せ、折角ここで綺麗に咲いてるのに、引っこ抜いたり切ったりされて死んじゃうのは……可哀そう、です……」
アルベラは自分の握った花を見下ろす。
自分に指示する彼が気に入らず、花をにぎる拳に力がこもった。その中で花が光を緩やかに弱めていく。
「首、絞めてるみたい……」
彼女はぽつりとつぶやいた。
「え?」
「……」
彼女のこぶしの力が弱まる。花はまた緩やかに光を取り戻し、周りの花々と同じように淡く灯り始めた。
それを見て彼女は諦めたように茎から手を離す。元の光を取り戻したそれを見た彼女は、キリエの目にはどこかほっとしている見えた。
「あ、」
「何よ」
むすりとアルベラが問う。
「あ、いえ……いいんですか?」
「アンタが可哀そうっていったんじゃない!」
「そ、そうですけど」
(聞いてもらえると思ってなかったし……)
アルベラは足元に散らばる花の残骸を見下ろしつま先で弄っていた。
「その花、持って帰りたかったんですか? なら鉢に、」
「冠……とか、腕輪とか、指輪とか……作りたかったの」
足元の残骸に幾つか束になった塊があるのを見つけて「あぁ、なるほど」とキリエは思った。
光る花の冠は、キリエもこの花を初めて見た時に考えた事だ。そしてそれを考えるのは他の者も同じである事や、「光る花の冠」というのが既に存在するのも最近知った。
「バスチャラン領では、毎年春の始まりにお祭りがあるんです。恵みの聖女様が豊穣の祈りを捧げに来てくれる、とっても大きなお祭りで」
「なんの話しだ」とお嬢様が睨む。
「えと……これみたいに光る花があって、その冠や腕輪を屋台で売ってるんです。普通の花より高いそうなんですが、お祭りの時は殆どの人がそれを買って身に着けていて」
地面に視線を落として話していたキリエは、お嬢様から反応が無いことが気になって前髪の隙間から覗いてみた。
少し遅れて「へぇ……」と小さな声。前髪の隙間から見たお嬢様の目は今までよりも少し目が丸くなているように見えた。
興味を持ったのだ。
だが、彼女は何を思い出したのか肩を落として「そう、」と言った。
「……春ならもう終わるわね。お祭りももうとっくにおわってるんじゃない?」
「は、はい。今年のは。けど、また来年もあるので」
「来年じゃないの」
「え?」
「来年じゃなくて今欲しい」
「なんでですか?」
「……お母様の……シロエが」
少女はモヤモヤと胸にわだかまる纏まらない考えを口にしようとした。だが目を逸らし「ひみつ」と言って先ほどの言葉をなかったものとする。
「え?」
「ひみつ! あったばかりのあんたになんて教えてやんない!」
「え……は、はい……」
(『シロエ』って……犬とか猫の名前かな)
「ていうかあんた!」
「はい!」
「伯爵家の癖に私に指図したわよね。一体何様?」
「え、指図? え……?」
「私に『花を摘むな』って言ったじゃない」
「すみません! あ、アレは指図じゃないです……! あれは……えーと、えーと……」
「えーえー、えーえー、またはっきりしない! 少しはフローエの太々しさを見習いなさい!」
「え!? フローエですか?」
「そうよ! けどあいつと同じ位生意気になったら許さない!」
「そ、それってどういう……―――えと、どうしたら……」
「ていうかあんたもあんたよ、キリエ! なんで男爵の子供に伯爵家のあんたがびくびくしてるわけ! あんたがそうだからあいつが調子に乗ってたんじゃないの!?」
「びくびくなんて……えと、その……はい……」
「しっかりなさい! 情けないわね!」
「はい……」
「領地に帰ったらちゃんと責任もってあいつを躾け直しなさい! 分かった!?」
「は、ぃ……―――え、しつけ!?」
歩き出すアルベラをキリエは慌てて追いかける。
少し離れた場所で待機していた使用人が少女の動きに合わせてついてきた。それが気に入らないのか、アルベラはチラリと使用人を睨みつけ、睨みつけられた使用人は困ったようにお辞儀を返した。
「いい? そうと決まれば明日は朝から特訓よ」
「え!?」
「お昼食べたら帰るんでしょ? 時間がないじゃない」
「まさか帰るぎりぎりまで『特訓』? する気ですか?」
「ええ。じゃないとあんたが返ってすぐフローエをしばき倒せないじゃない」
「し、しばき倒す!? すみません、ぼ、ボク、そういうのはちょっと……」
「口答えしない!」
「すみません!」
キリエは頭を守るように両手で抱え身を縮める。
アルベラはそれを見て呆れて息をついた。
「―――そうだ、あんた部屋まで一人で帰れる?」
様子をうかがうようにもそりと顔を上げ、キリエは大きな屋敷を見上げた。頭から手を放し、上目遣いに少女を見やる。
「……」
「……」
「……ひ、一人では……ちょっと。適当に使用人の人に声をかけて、送ってもらおうと思ってました……」
「そう、じゃあ私が途中まで送ってあげるわ。感謝しなさい」
「……あ、ありがとうございます」
「ふん」と聞こえるように言って、アルベラはすたすたと歩きだす。
キリエはまたその背中を追って歩き出した。
「キリエ・バスチャラン」
歩きなが顔を向けた彼女のスカートが風にふわりと揺れた。水色の髪先が月明かりに輝いて、軽く細められたツンとした目にはまつ毛の影が落ち大人びて見えた。
「明日はもっとしゃきっとなさい」
言って彼女は前を向く。
「は、はい……」
キリエはぼんやりとした頭で頷いた。
無意識に胸を抑える。高鳴り、高揚感、それに似た違和感を感じたのだ。
自分より少し背の高い、同じ年の少女。
わがままで怖くて、だというのに共にいることに抵抗感がない。
ころころ変わる彼女の表情をもっと見ていたいと思った。そしてできればまた、食事の時に見たようなあの嬉しそうな微笑みを、眉の寄っていない純粋な笑みを見たいと思った。
***
キリエはしゃがみ込み花を見下ろす。
あの頃より高くなった視界に身体的な成長は実感できた。だというのに、心の根っこはいつまで経っても変わる気配がない。
情けないと自覚する笑みを浮かべ、彼は光る花を優しくつつく。
(ははは……なんで俺、こんなところでこんなこと思い出してるんだっけ。―――…………あぁ、そっか……)
この間見てしまった不安な光景がすぐに頭によぎり、キリエは腕の中に顔を沈めた。
懐かしい思い出に満たされていた心がまた焦りに覆われていく。
しかし思い出の影響か、一度思考がそれたおかげか―――
(『本人に聞く』……以前にやらなきゃいけない事があるよな)
―――彼の中の針は新たな選択を指した。
令嬢たちから可愛いとからかわれる桃色の目に確固とした意志が宿る。
(面倒くさい奴って思われるの覚悟で聞くのは最終手段だ。アルベラは殿下の婚約者候補を降りてない。ということは、今は候補を降りるほどの相手はいないって事だよ―――)
「―――……うっ……うぅ、」
それはつまり自分もそういう相手ではないと裏付けてしまうのだが、とキリエは自滅のダメージを受ける。
(と、とにかく……ジーン君とのあれが何なのかは気になるけど、まだアルベラが候補者でいるってことはそう言う事だ。ラーゼン様はアルベラが婚約者候補を降りると言えばそれを許す方だし。……だから……だから俺がもっと見てもらって、アルベラに認めてもらえるよう……す、好きになってもらえるよう頑張らなきゃ……)
―――あんたたち、今誰を見て笑ったわけ!? どこの家門か名乗りなさい!
初めてアルベラがバスチャラン邸に来た時、案内中偶然居合わせた臣下の子供達を手持ちのセンスでバシバシ叩いてちょっとした騒ぎになった。
伯爵邸の気弱な次男を連れまわし、奴隷のように扱うどこかの令嬢。
初めてアルベラと出会った少年たちは、少女にも格下にみられこき使われているキリエを見て嘲笑った。
―――私を馬鹿にしてるの? 手首を切り落とされたくなきゃちゃんと頭を下げなさい!
あの時のキリエはアルベラの剣幕にびびっておびえて見ているだけだったが、今思えば自分はずっと、いつも見ているだけだったなと思った。
彼女が前を行く背中を、堂々と人に指示する姿を、―――たまに見せる柔らかい笑顔も。
全部……全部自分は魅せられている側だった、とキリエは気づく。
(十歳の誕生日から、俺、ちゃんと頑張ってきたじゃん)
筋肉的な意味で。
アルベラの理想とは関係ない方向への努力だが、それは確かにキリエの自信の糧となっていた。
(だから俺も見てもらわないと。ちゃんと、アルベラにかっこいいところを、頼りになるところを。まずはそれからだよ)
「ね、」
ひとり花に笑いかけ、キリエは無意識の自分のその行動にはっとして辺りを見る。誰にも見られていないことを確認し、「男らしくないよな……」と彼は恥ずかしさに頭を掻きながらその場を立ち去った。





