338、惑わしの建国際 12(花冠とビンタ)
「アルベラ、ご挨拶を」
「はい。初めまして、アルベラ・ディオールです。ようこそ皆さま」
ディオール公爵邸にて、一人娘のアルベラが客人たちに挨拶をする。
母の半歩後ろについて歩き、教えられたであろう言葉を教えられたままに述べる彼女の姿はまさに人形のように可愛らしいものだった。が、挨拶の定型文が終われば、彼女の顔や態度には歓迎よりも疑いや警戒の色が露骨に出ていた。
歓迎どころか邪険にされてるのではと感じるツンとした視線。
可愛らしい笑顔とセットの挨拶を終えるや否や客人達からは顔をそらし、「お母さま、この方たちはいつまでここに居座るご予定で」と尋ねる彼女の姿に、客人達は皆内心驚いていた。
こうして公爵邸到着後すぐに、キリエが無意識に抱いていた純粋でおしとやかなお嬢様像は崩れ去ったのだった。
だが、別におしとやかなお嬢様が居なかったこと自体は、キリエにとってそれほど残念ではなかった。それよりも―――
「アルベラ、そういう事はお客様を前に言ってはなりませんよ。あと、『居座る』ではなく『滞在なさる』です。わかりましたか?」
「はい。ごめんなさい、お母さま。……?」
母には素直な少女の姿をなんとなく眺めていたキリエに、緑の瞳がじろりと向けられる。
「何見てるのよ」
と棘のある言葉。キリエはとっさに「す、すみません」と頭を下げていた。
頭を捧げた少年への公爵家のお嬢様の興味は秒で消え失せたようで、彼女は客人たちへ挨拶する母へと視線を移していた。
―――キリエにとって彼女がお淑やかかどうかは大きな問題ではない。だが、あの気の強そうな尖った目つきが、大人達にも怖気ずに挨拶していた姿が、なんとなくキリエに苦手意識を抱かせたのだった。
『それでキリエ様のやつ、腰抜かして、涙目でさ―――』
『―――ははは、あいつ本当何も言い返してこねーの。本屋のじいさんより弱えよな……』
『―――おいフローエ、お前今度の収穫祭、あいつと踊るんだろ。どうする、あいつがお前の事好きになっちゃったら』
『―――えぇ!? 嫌よ。だってキリエ様っていつももじもじメソメソしてるんだもの。だったらザッヘルマ様の方が全然マシよ。それにこれでも私だって男爵家の……』
大人たちの目を盗んで、同年の彼らが自分を馬鹿にしているのをキリエは知っていた。それを、何もできずに隠れて聞いては逃げていた。
今までに聞いた彼らの言葉が今夜はやけに頭に浮かんだ。
なれない場所に来たせいだろうか、とキリエは思う。
公爵家訪問の初日は歓迎の晩餐会から始まった。歓迎会の後は大人たちの宴の時間だ。子供たちは寝室へと通され、キリエは今一人で大きなベッドの上丸くなっていた。
(兄さんは隣の部屋、お父様とお母さまは階段の反対側、ハミッツ夫人とフローエがその奥……)
キリエはこの宿泊で与えられた部屋割りを思い浮かべる。
今回はバスチャラン家以外にハミッツ男爵家の夫人と令嬢が同伴していた。
ハミッツ夫人はバスチャラン夫人に仕えている侍女で、なぜその母子が共に来たかと言えば「近い年ごろの貴族の令嬢も誘っていただけると嬉しい」というディオール夫人からの要望があったからだ。
―――『少しずつ、屋敷の外の人との関りを増やしていっている段階なんですって』
ハミッツ家の令嬢フローエが共に来る事を伝える際、キリエは母がそういっていたことを思い出す。
(慣れるも何も……アルベラ様は全然大丈夫なんじゃ……)
何にも物怖じしなさそうな少女のまっすぐな背。まっすぐに人を見る瞳。思ったことをすぐ言える度胸。そのすべてがキリエには心強い武器に思えた。
(きっと、あの子ならボクよりも皆とうまくやれる……)
そして……皆と一緒にボクのことを馬鹿にするようになるのかもしれない……。
そんな言葉を飲み込みキリエは唇を引き締める。
『“いつまで居座るご予定で?”―――ですって。なによあの子……性格わるくないですか?』
『まぁ、まだ五歳だし。きっと誰かの言葉を真似しただけじゃない?』
なかなか眠りにつけず、兄の部屋の前に来ていたキリエは扉をノックする寸前で手を止めた。
兄の部屋には既に先客がいたのだ。
(フローエ……)
『町が賑やかでお屋敷もお城みたいで来てよかったって思ったのに、お嬢様があれじゃあ全部台無しです。ザッヘルマ様もそう思いませんか? 来る時に通った大橋なんて、私本当に感動したのに……あのお嬢様の一言で全部全部台無です。明日一緒に遊ぶとか……はぁーあー……ちょっと嫌だなぁー』
『フローエ……、ここはそのお嬢様のお屋敷なんだけど。忘れてない?』
『忘れてなんていませんー。けど、アルベラ様の部屋は廊下のずっとずっと向こうの角を曲がったさらに向こうじゃないですか。聞こえるわけありませんよ』
『とはいっても、どこでだれが聞いてるかわからないじゃん。僕、お嬢様の悪口罪の巻き添え食うのごめんだよ。使用人とかが聞いてたらすぐ本人の耳に届いちゃうし』
『あら、大丈夫ですよ。―――だってあの子、使用人から嫌われてるみたいですし』
『は? なんでそう思うの?』
キリエも兄と待まったく同じことを思った。興味からそっと扉に耳を当てる。
『だって、使用人たちがよそよそしかったじゃないですか。全然仲良さそうじゃないっていうか。それに、こんなに人がいるのに同じ年の友達がいないのだっておかしいですよ』
『まぁ、僕らの屋敷に比べればちょっとよそよそしくはあるけど……相手は公爵家だし使える方もきを使いすぎちゃってるんじゃ……』
『あ! きっとそのせいです! あんな小さいくせになんか偉そうなのは、きっと周りから沢山甘やかされてきたから―――』
フローエの尽きない文句にザッヘルマが降参し部屋に戻るよう要求しだす前に、キリエはその場を切り上げ自室に戻っていた。
翌日は午後から本格的に子供たちが触れ合う時間が設けられていた。
午前の時間はバスチャラン家夫婦とハミッツ夫人はゆったりと過ごし、子供たちは了承を貰ったうえで屋敷を回っていた。
案内の使用人が一人付き、屋敷の庭やホール、馬小屋なんかを見て回る。
途中公爵家の騎士の騎獣は見れないのかとザッヘルマが案内係に尋ねたが、「今はご案内できません」と返され騎士団についてはそれ以上誰かが特に何かを尋ねる事もなく終わった。
きっとここに来たのが他の、騎士に憧れているような少年ならもっと深く尋ねていたのかもしれない。だが招かれたのは生き物大好きな兄弟とオシャレや甘味好きな少女である。この屋敷の騎士達がどこで訓練しどこに所属しているのかなど、今の彼等が気になることではなかった。
そして屋敷の裏側に広がる庭園を回っている時、その声は聞こえてきた―――。
『―――だから―――っていってるでしょ! ばか! まぬけ! やくたたず!!』
「……?」
皆がその声に顔を上げた。
聞こえてきたのは感情的に喚き散らす少女の声だ。
『も、申し訳ありません、お嬢様―――私はそんなつもりじゃ……』
『さわらないで! あっちいけ!!』
―――パリンッ! バリン、ガシャン……ガンッ……
バリン、バリン、ガシャン……、とどれだけ投げる物があるのかという音が聞こえてくる。
庭を回っていた彼等は言葉を失い、その音が聞こえてくる窓を眺めていた。
『早くお父様かお母様を呼んで! 今すぐそいつを追い出して!!』
慌ただしくカーテンが揺れているそこに、一人の使用人が慌てて駆けつけ、外から眺めている彼等に気付くことなく窓とカーテンを閉じて姿を消した。
音が一切聞こえなくなるとキリエは思い出したようにそこに居た使用人を見上げた。
案内をしてくれていた彼女は顔を真っ青にしていた。
先ほどまで和やかだった空気はどこかへ行ってしまった。
「あ……、も、申し訳ありません。お騒がせしました」
と、案内の使用人が頭を下げる。
フローエは興味津々で「さっきの、アルベラお嬢様でしょう?」と尋ねていたが使用人は「申し訳ありません。返答を控えさせていただきます」と頭を下げ、早々と庭の案内を引き上げて部屋へと帰されてしまったのだった。
アレは一体、と子供たちが疑問や好奇心を抱く中、何も解消されないまま子供たちの交流会の時間がやって来た。
***
「―――ヒック、ヒック……だって、なんで私が謝らないといけないの!? 悪いのはあの子なのに、馬鹿にして来たり、いきなり手を叩いてきたり……私何も悪い事してないのに……! 意味わかんない! 何で誰もあの子を叱らないのよ!! 怒るなら私じゃなくてあの子を怒ってよ!!!」
交流会が始まって暫く、フローエが泣いた。それまで不満をため込みつつも飲み込み、公爵家のお嬢様に付き合っていた彼女の我慢の限界のとどめとなったのは頬への一発の張り手だ。
子供の力で叩かれたので頬が腫れるようなことはなかったが、バスチャラン領地で、男爵家の自分の屋敷で、こんな扱いを受けた事のない彼女のプライドはズタズタに引き裂かれていた。
母に抱き着き涙を流す彼女のあんな姿を見るのはキリエも初めてで、慣れない光景に戸惑っていた。
なぜこんな事になったのか。
キリエは辺りを見て大人たちや兄の様子から答えを求める。だが兄も訳が分からない様子で頭を掻いていて、困惑している弟と目が合っても肩をすくめるのみだった。
フローエを泣かせたお嬢様はと言えば、公爵夫人へ連れられ別室へ行ってしまった。キリエの父の旧友だというラーゼン公爵は、朝から執務とかで今日この時間は留守にしていた。
「ジュ、ジューコ様……私、どうしたら……」
ハミッツ夫人が顔を青くしてバスチャラン伯爵夫人へと助けを求める。
泣いてる娘を守る様に抱き、このままではこの子が殺されてしまうのではという危機感をその目に浮かべていた。
「大丈夫です、マーリア。子供たちの間での事です、公爵様や夫人が厳しく罰するような事はございません」
「で、ですが、ディオール公爵様は噂では子供も……」
「マーリア、落ち着いて。アレはただの噂です。今回は公爵夫人も子供たちのいざこざについては無礼講だと……」
(じ、事前に言っていたって事はこうなる事を予想済みだったのかしら……レミリアス様……)
長年自分に使えて来た侍女の肩をさすりながら、バスチャラン夫人は口元を小さく引きつらせた。
「ザッヘルマ、キリエ、貴方達は何も心当たりはないの? 何でアルベラお嬢様がお怒りになったのか」
母に尋ねられ、ザッヘルマは「うーん」と考える。
「なんでって言っても……お嬢様は初めから最期までずっと怒ってたし……」
「ヘ、ヘルー? いまなんて?」
「ですからお母様、アルベラお嬢様は遊び初めからずっと怒ってらっしゃいました。もしかしたらお茶会の前から怒っていたのかもしれないです」
「あ、でも後半の方はそんなに不機嫌じゃなかったような気も……」とザッヘルマがひとりごちるが、ハミッツ夫人の言葉はそれに被った。
「では、では……フローエはその八つ当たりで頬を叩かれたと……?」
そんな理不尽な話があるかと目に涙を浮かべ、夫人はザッヘルマへ問う。
「いえ……それはフローエとアルベラ様との問題だと思います……、僕も何と言ったらいいか……状況がよく分からなかったので」
なんでだろう、とザッヘルマは思い返す。
だがあの時はつい手元の作業に夢中になっていて、彼も二人の少女のやり取りを見ていなかった。
(フローエも初めの内は仲良くやってると思ったんだけどな……。キリエの事で注意されてから、妙に張り合うようになったというか……ちょっと反発的な所もあったけど、別に叩かれるほどじゃなかったと思うんだけど……)
フローエの苛つき加減が伺えるようになったのは、フローエがキリエを小ばかにするような事を言い、それをディオールのお嬢様が注意したのが始まりだった。
『フローエ、何でアンタが“弱虫”を馬鹿にしてるの?』
つたなさの残る言葉で、子供ながらの幼い声で五歳のお嬢様は二つ上の男爵家の令嬢に抗議した。
『な、なぜって……私は馬鹿にしてなんか……。ア、アルベラ様の方がさっきからずっとキリエ様を馬鹿にしてるではありませんか』
『私は良いの! コウシャクケなんだから。当たり前でしょ』
当たり前でしょ、と言い切るお嬢様にフローエの眉がピクリと動き、思わず「はぁ!?」と零していた。
『けどアンタはザッヘルマとキリエのケライでしょ? アンタのお母様はバスチャラン家に仕えてるって言ってたじゃない。なんでケライが主より偉そうなのよ』
『なっ……私がキリエ様の家来だなんて……』
あの後、フローエは嫌々売っている様子だったディオールのお嬢様への媚びも一切売らなくなり、お嬢様の言葉には素っ気ない相槌を売ったり尋ねられたら必要最低限の事を答えたりという具合だった。
途中何度か彼女がディオールのお嬢様の発言に影でこっそり舌打ちをしていた事は、ザッヘルマは大人達には言わないでおく。
公爵家のお嬢様がフローエへ平手を食らわせたのは、庭で花の王冠の作り方を教わっていた時だった。
花の冠を作る少し前、アルベラは庭の木に咲いた花を見て気まぐれにそこに居る者達にこう言った。
『あの花欲しい。取って』
木登りが出来ないキリエは咄嗟に『え……』と零す。この時にはフローエはもうお嬢様に積極的に付き合うのを拒んでいたので、少し棘のある言い方で「私は木に登れませんので」とスカートを摘まみ頭を下げていた。
『じゃあ僕しかいないかぁ……』
と肩をすくめ、ザッヘルマが木に登り始める。
胸の前で手を弄りながら木を登っていく兄を見上げるキリエへアルベラお嬢様が尋ねる。
『アンタは登らないの』
『は、はい。すみません……ボク、木登りは苦手で』
『弱虫』
『す、すみません……』
キリエは視線を落とし、もごもごとそう返すだけだった。
取ってきた花をザッヘルマは大人たちの真似をするように片膝をつき「どうぞ」とアルベラへ恭しく渡す。
木に咲いた花は地上に咲く花のような茎が無い分掴む場所が少ない。受け取った少女の持ち方ではすぐに花が駄目になってしまうだろうなと思ったザッヘルマは「腕輪か指輪にしましょうか?」と尋ねた。
『腕輪にできるの?』
『はい。作ってみますか? 僕で良ければお教えしますよ』
『え、ええ……おそわってあげてもいいわ……』
『ははは。ではお庭の……さっき丁度いいところがあったのでそこに行きましょう。もっと花が必要なんです』
『そう。わかったわ』
そして場所を移動し、庭の端で花を摘んで四人は花冠を作っていた。
ザッヘルマとキリエ、フローエは慣れたもので簡単に作り上げてしまったが、初めてのアルベラは苦戦していた。
木から積んだ花はもう完成していた腕輪に差し込まれ、アルベラの腕に引っ掛けられていた。
幾ら編んでもばらけてしまう花に、イライラがお嬢様の頭の上に積もっていくのが見えるようでキリエは気が気ではなかった。
結局お嬢様は自分で作るのを諦め、ザッヘルマやキリエに指示し自分の理想の冠や腕輪を作らせ始める。花壇の花なんかにも手を出し、ザッヘルマとキリエが豪勢で色鮮やかな冠作りに勤しんでいる時だ―――
『アルベラ様、こちらどうでしょう。作ってみたんですが』
と言ったのはフローエだった。彼女はもう三つの花冠を作り終えており、今持っている物は四つ目だ。先ほどまでの最低限の量で作った細い冠とは違い、今持っているのは何種類かの花々を使いボリュームの増した物だった。
アルベラはそれを見て猫のよな目をクルリとさせた。
一瞬は興味を持ったようだが、真ん丸だった目はすぐに鋭さを取り戻した。彼女は「いい」と言い放つ。
『いらない。アンタがかぶって。それかどっかに捨てて』
『何でそんな事を言うんですか? 頑張って作ったのに』
近くで待機している使用人に聞こえるようフローエが声を上げる。
『私その花も実も嫌いなの。だからいらない』
『そんな……。けどこの色とかアルベラ様の今のお洋服にぴったりですよ。是非一度つけてみて―――』
フローエがにこやかに、アルベラの頭に冠を乗せようとかがむ。
アルベラも、フローエへ身を寄せるように体を持ち上げていた。
―――パァン!
アルベラの頭に冠を乗せようとしたフローエの頬に、少女の張り手が飛んできた瞬間だった。
『いらないって言ってるでしょ』
アルベラは立ち上がり少女とは思えない冷ややかな目でフローエを見下ろしていた。
フローエは驚いた顔でその場に座り込んでいた。頬に手を当て呆然とし、少しして声を上げて泣きだした。





