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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第4章 第一妃の変化(仮)
333/411

333、惑わしの建国際 7(お礼参り隊の設立)



(二週間も経つとあの出来事も幻か何かだったみたい……)

 あの爆発は本当に起きたのだろうか。そう思わせる位、例の席周辺は綺麗に修繕されていた。それも修繕の工事は翌日の授業までには完璧に終わっていた。

 生徒達の間では爆発の話は未だに話のネタとされているが、肩身の狭い思いをしているのはその被害者であるジーンより、事を起こしてしまったサペン・シェルヘーゼの方だった。

 「王子付きの騎士を狙おうとして側近のジーン・ジェイシを殺害しようとしたのでは」という誰かの仮説は噂となって瞬く間に広がったのだ。

 事件を起こした当人も、知らぬ間に席を爆破されていたジーンも、そして事実を知る学園関係者たちも、この件について口を閉ざしていたので噂はあくまで噂の域を出ず、サペンは居心地の悪さを耐えて変わらず学園に在籍し学園生活を送っている。

「俺はあの赤猿が爆発される様を拝んでみたかったが、残念な話だ」

 爆発現場であるジェッチクラスの教室前を通り過ぎたアルベラの後ろ、人足が減ったすきに後ろに控えていたガルカがそんな事を零した。

 今日はこの後注文したドレスの確認があった。ブティックの針子達が寮の部屋に持ってきた道具類を持ち込んでいる最中で、エリーとニーニャはその手伝いをしている。だから手が空いているガルカがともに居るわけだが、アルベラは正直学園内ではあまり護衛を必要としていなかった。

「暇でしょう。貴方も好きに散歩していいわよ。借りてた本返しに行くだけだし」 

「暇だな。最近行動範囲が狭すぎだ。また山にでも行く予定はないのか」

「山? なんで公爵令嬢様がそんなところ行かなきゃいけない訳」

「散々人をこき使って滝を行き来させたり国を渡らせた奴が何を言う。雷炎の魔徒が顔を見せないならそろそろこちらから出向くぞとこの間かましていたぞ」

「絶対阻止して」

 ―――「ははは、次は何爆発するんだろうな」

 ―――「爆発じゃなくて溶けるに一票」

「……」

「ほう。なら俺は八つ裂きに一票だ」

 「くくっ」と笑ったガルカの腕に「とん」と本が当てられた。人目もあるので手加減をしたのだろう、本を抱え直した彼の主人は歩みを緩めないまま視線だけを寄越していた。

 性格の悪そうな緑の瞳に自分の姿が映っているのを見つけ、ガルカの胸に満足感が沸き上がる。

「物騒な事言わない。―――あんたのそういう発言が私のものと思われたら迷惑なんだから。私が普段から八つ裂きだどうのって言葉使ってると思われたらどうしてくれるわけ」

「あながち間違っていないだろう。それに今更だな」

(こいつ……)



 アルベラが本を返して部屋に戻るともう準備は整っていた。

「こちらは問題なければ本日お納めください。他の三着はこちらで微調節をした後、工房に持ち帰り仕上げをさせていただきます」

「分かったわ」

 新しく仕立てられたドレスの確認は夕食の前に終わった。

 マネキンと言う仕事から解放されたアルベラは、ブティックのオーナーと紅茶を飲みながら一息つく。

 デザイナーと針子たちは作業があるからと、微調節を終えたドレスを担いで早々と退却していた。皆お茶が飲みたくないからというより、早く続の作業がしたくてたまらないと言った様子だ。だからこの店では技術者は作業に集中できるよう、接客の延長線である施しは毎回オーナーが引き受けているというわけだ。決してオーナーがおしゃべり好きだからという理由からではない、と思われる。

「アルベラ様、聞きましたよ。お友達にドレスをプレゼントされるとか」

「……?」

「ピビン・ファンのドレスですよ。あと提携しているブティックの靴や鞄までまるまる一式」

(何の話し……―――あ!?)

 アルベラが思い出したのはエイヴィ族の友人ピリの治療後、癒しの聖女と交わした会話だった。



『後日改めてお礼を。……何かご要望等があれば何なりと……』

『じゃあピビン・ファンのドレスをお願いしようかしら。合わせて髪飾りとネックレスと……あと耳飾りとブレスレットと靴と扇子とバッグと……あぁ、あとパーティー用の手袋も欲しいわね』



 あの後件の店とは、癒しの教会から()()()()()()が来たらディオール家に請求をするようにと話を付けていた。

「教会の関係者の方だとお話を伺っております。癒しの聖女様の紹介状をお持ちだったとか。一体聖女様とはどういうご関係で?」

(……)

 犬猿の仲です。

 などとは言わず、アルベラは無言でほほ笑んだ。

「も、申し訳ありません。踏み込み過ぎたでしょうかね。―――で、では建国際の初日はどなたかとお約束はありますか? 最近はパーティーの席でご令嬢からプレゼントをすることも増えましたし、もしご希望があればお伺いいたしますよ」

 他の令嬢方の話という事で、アルベラも何となく興味を持った。店のオーナーと話すのはいわば資料集めだ。普通にコミュニケーションを楽しんでいない訳でもないが、アルベラにとってこれはいわば学びの席だった。他の令嬢達がどんな事をしているのか、どんなことが今「一般的」であるのか、オーナーからの視点で世間を知る学びの席だ。

「あら、そんなに皆さんプレゼントを?」

「はい。少し前……と言ってもアルベラ様が生まれる随分昔になってしまいますが、その頃に比べれば随分増えました。気楽に気持ちを伝えあえるとは良い時代になりましたわ。面白いのがその傾向です」

 オーナーは眼鏡の位置を微妙に調節する。彼女の楽しそうな気持ちを表すように眼鏡の装飾が光を反射してキラキラと輝いていた。

「女性の方は男性に魔術具を送り、男性の方は女性へ普通の装飾品を送る事の方が多いんです。女性は実用性がある方が男性は喜ぶだろうと考え、男性は少しでも長く自分のプレゼントが相手の元にあるようにと考え。魔力が発動すれば媒体に負担がかかり劣化が進みますからね。必然的に魔術具より普通の装飾品の方が寿命が長くなります。まぁ、魔術具も使用しなければ効果は薄れ、そのうち普通の装飾品と変わらなくなるんですが」

 言ってオーナーは微笑むと、「どうぞ、殿下への贈り物の参考にしてくださいませ」とわざとらしく小声で付け足した。

「建国際の前です。ご令嬢方での間では金や赤色の品が良く売れているそうです。そのうちの何人がその品を受け取ってもらえるかは分かりませんが、アルベラ様ならきっとそのうちの一人となられる事でしょうね」



「有難うマダム。楽しかったわ」

「こちらこそ、素敵なお時間と紅茶を有難うございました。ではまたドレスが完成しましたら」

 ブティックのオーナーを見送り一仕事終えたような感覚にアルベラは息を吐いた。

「貴様も良く好き好んであんなおしゃべりに興じるな」

「あら、楽しいと思ってるから興じてると思わないわけ? それにマダムはたまに珍しいお菓子とか持ってきてくれるし」

「餌か」

「餌よ、文句ある? エリー頼みがあるんだけど」

 「はい」とエリーは手を止め、「―――あんたも働きなさい」と低い声で言ってガルカを一睨みする。

 エリーが手を止めた後もニーニャが変わらずパタパタと働いているので片付け自体は進行していた。

 「ニーニャ、いてくれて良かった」とその有難みを感じながらアルベラはエリーへ頼み事とやらを口にした。

「ピビン・ファンの店、私の友達で教会の関係者って人が誰なのか探っておいて。……あと、念のためその人が次いつ来店するのかも」

「はい、了解です」



 ***



 爆発から二週間、グレッダはどういう訳かジーン・ジェイシへの嫌がらせの現場に立ち会う事が増えていた。

(殿下が居ない間を狙って、今のうちにアイツを陥れようとする輩が増えたのは確かだな。俺は多分そのうちのいくつかに運悪く当たってるだけ……。天罰やらなんかで居合わせられてるなんて事はない筈……)

「おいテメーら、ペース落ちてんぞ!」

「体力ねーなら始めっからこんなことしてんじゃねーよ」

 グレッダの仲間であるファッター・ハーレーとローダー・ダビットソンが、廊下を掃除している生徒二人を茶化す。

 グレッダといつもつるんでいる他の二名、ジョッジュメル・ズールシータとチーフテーン・インディンは偶然その場にはいなかった。

(……あいつら)

 ドヤナティのクラスを担当しているエフ・ジェッチ教諭が偶然その場を通りかかる。

 彼は「いつもの悪ガキたちが一体何を」と声をかけに行こうとした。

「ジェッチ先生、あの、」

 彼を止めたのは物陰に隠れて場を見守っていたルトシャだった。

「ど、どうしたモース、そんな所で……」

「あれ、ドヤナティ様達は悪い事をしてなくて、ええと、今掃除してる人たちが―――」

 ルトシャは頭の中が整理できないままに身振り手振りを交え説明した。

 そして今掃除をしている生徒達があそこに粘性のある迷惑な液体をぶちまけて去ろうとしたところをグレッダ達が居合わせ、それを責任もってぶちまけた本人達に掃除させているところだという事が教諭に伝わった。

「はぁ……、あいつ等のアレ見たら誰だって虐めてる側にしか見えんだろ……」

「ですよね……」

「そろそろ終わりそうだし俺も少し居させてもらおう。掃除が終わったあと喧嘩に発展しないか見守る」

「はい、お願いします」

 それはルトシャも心配しているところだった。

 ジェッチ教諭とルトシャが見守る先、二人の生徒達は嫌々に掃除を終わらせた。グレッダ達はそんな彼等に乱暴な言葉を向けながらもさっさと解放し―――またジーンの部屋の前が妙に綺麗になったのだった。



 ***



「―――聞いてください、ドヤナティ様」

「は?」

「なになに? モース嬢じゃん」

「ご機嫌麗しゅう。俺達に何の御用で~」

 茶化すような二名の言葉は無視してルトシャは続ける。

「私作ろうと思うんです! 『裏ファンクラブ』」

「何のですか? てか何でそれをわざわざ俺達に言いに?」

 食堂のテラス席を一つ囲んで寛いでいたグレッダ達にルトシャは単身乗り込んでいた。

 彼等の周りの席は毎回すき気味だ。

 空いている椅子を一つ持ってきて腰を下ろしたルトシャの姿には普段の彼女に感じる奥ゆかしさが無く、どこか堂々としていた。

「ここ最近のドヤナティ様達の行動を見ていて、私思ったんです」

 ここでグレッダは嫌な予感に防音の魔術を展開していた。

 「俺らの行動?」と的外れな期待をしているようなズールシータに「聞かない方が良いとおもぞ、ジョッジュ」とグレッダは忠告してやる。

「ジェイシ様の事です!」

 瞳をきらっきらに輝かせ、ルトシャが身を乗り出し答えた。

「え……ジェイシ……―――あぁ……そう……」

 もしかしたら自分達の内の誰かに―――特にこの自分に気でもあるのかと期待していたズールシータ改めジョッジュは、がっかりしたどころか蘇るトラウマに顔が引きつっていた。

 予想的中のグレッダが「ほらな……」と投げやりに言った。

「なになに? ジェイシの『お礼参り隊』がなんだって?」

 トランプを積み上げ遊んでいた一人がふざけ交じりに問う。

 「チーフは何でダメージねーんだよ」と他の一人が言った。「俺思いだしただけでも反吐が出そう」とも他の一人が零す。

「お前等こそ何でそんな昔の事ずっと引きずってられんだよ」

 チーフと呼ばれた男子生徒―――チーフテーン・インディンは既にトラウマを克服しているらしくヘラヘラと笑っていた。

 「お、『お礼参り』!?」とルトシャは驚いたように目を瞬く。

「物騒ですね―――素敵です!」

「は?」

 チーフ以外の四人は予想外のルトシャの反応に呆然とする。

「では『お礼参り隊』に修正しましょう。『ファンクラブ』という言葉はどこか重みが無い気がして、他に適切な言葉がないか悩んでいたんです」

 彼女は大切そうに抱えていたノートを膝の上に置くと、胸ポケットに納めていた羽ペンを取りだし嬉しそうにそこに書いてあった題目を書きなおした。消したり書いたり出きるペン……と言うことは魔術具だ。文字がきらきらと輝いていることからも、魔力がインクとなっているのは明らかだ。

 書かれていた「裏ファンクラブ名簿」という文字が消え「お礼参り隊名簿」に書き換えられる。

 そのノートを、四人は恐ろし気に見下ろしていた。

「おいグレッダ、あのペン、あのノート……契約系の魔術具だよな……」

「かもな。多分あそこに署名した人間をルールで縛るような奴だろ」

「うぇぇ、こえぇー。安価な契約系の魔術具って強さに統一性ねーじゃん。弱い分にはいいけど、運悪く馬鹿に強いのだったとしたら命に関わるだろ」

「ていうか『裏』ってなんだよ、『表』あんのかよ」

 ひそひそと言葉を交わす四人の目の前―――



「―――へいへーい、ここに名前書けばいいのね~」

「はい! 有難うございます、インディン様がお礼参り隊の第二号です!」

「ルトシャちゃん一号かぁ。じゃあ俺の事はチーフとお呼びください、隊長」

「い、良いんですか。有難うございますチーフ様。……すみません、私チーフ様がこんなに話しやすい方だとは全く存じ上げず、」

「ははは、『様』もいいのにー」



「大丈夫かあいつ」

「あいつこの中で真っ先に死ぬの決まったな」

 警戒心のないチーフに呆れる二人。チーフは彼等に腕を伸ばし、運よく片方の手を捕まえた。

「おい、ファッターとローダーも手貸せって。ちょっと魔力出すだけでいいからさぁ」

「誰が書くか馬鹿!」

「手放せくそ!」

「ははは、なぁグレッダどジョッジュもどうだ? いっそのこと開き直って一仕事してやった方が苦しさも紛れんだろ。―――お前等嫌な事から逃げすぎなんだよ。だからそうやって今も苦しんでんじゃねーの?」

「は?」

 チーフの後半の言葉は挑発的だった。仲間であろともその言葉はグレッダの神経を逆なでした。

「強がってんの見え見えなんだよ」

 変わらすわふざけた口調だが、チーフの声音はいつもより固く刺々しくなっていた。

「本当のところ、お前だってちゃんと謝りたいとか思ってんだろ。けどそれが出来なくて遠回りな事ばっかして。それがまた女々しくて気持ち悪いとか思ってる。違う?」

 グレッダは言い返したくも言葉が見つけられなかった。チーフが言っていることは正しい。だが謝れと言われてただ素直に謝る事は出来ないでいた。過去の行いに対する許しが欲しいわけでもない。むしろ謝って簡単に許されるなど、起きて欲しくない事だった。

 そしてあの件が不快だったのも事実。

 顔を見て沸き上がる不快感は許される許されないの問題とは関係なく()()なのだ。

「お礼だって言いたい癖にホントお前ら素直じゃない。俺らジェイシに今まで何度か助けられただろ。んで何回礼言いそびれた? 貸しになってたとしたらもう何回貯まってる? それがこれからずっと積もり積もっていくとしたらお前等どんな気分? この気持ち悪い感じ、ずっと無視していけるか?」

「―――うるっせーぞ、チーフ」

 グレッダは怒りの形相でチーフの胸倉をつかみ上げた。殴りそうになった衝動を堪え、行き場の失った力を込められた片腕は小刻みに震えている。

「ならてめぇは言ってくりゃぁいいだろ? あの時はごめんなさい、あと今までありがとうって。それとももう吐き出し済みだからすっきりして他人事か?」

「はは、……無理無理。俺もジェイシに直接ごめんは言いたくないもん。お前ら程あん時の事引きずってねぇにしても、人に正面から謝罪するとか……どんな顔して良いかわんねー。性分的に無理なんだわ」

「あぁ? ならどういうつもりだ? 煽るだけ煽って自分もできませんって何だ!? あぁ!?」

「……お、お前等は俺じゃねーじゃん?」

「あぁ!?」

「お前等は俺じゃねーだろ。俺みたいに真っ先に強い奴のご機嫌取って腰ぎんちゃくになろうとか考える、弱くて卑怯な奴じゃねーだろ。だから、言ってみたんだよ。―――ははは、そりゃぁまぁ、キレられるよな」 

「―――」

 チーフの足は地面から離れていた。グレッダは片腕で持ち上げた彼の顔を睨み上げていた。

 ご機嫌取り、腰ぎんちゃく、弱くて卑怯。

 グレッダはチーフが自分自身をそう表す言葉を初めて聞いた。そのどれもが自身が嫌い馬鹿にしていた言葉だ。だというのに、チーフを彼の言葉通りに見ている自分がいて、それに気づいてしまった事が不快で仕方なかった。

 チーフをどこかで下に見て馬鹿にしてきた自分がいる。その自分が許せない。

「俺もそんな自分がウザくて仕方ねぇんだわ。だからかな、こんな事お前に言ってやろうなんて……ははは、思うだけじゃなく本当に言っちまってらぁ」



(……?)

 いつ殴られるのだろうとチーフは冷や汗を浮かべていた。怒りに染まっていたグレッダの視線が地面に向けられ、少ししてまた自分を見上げた。こちらを見たグレッダの、全身から吹き上げていたような怒りがなぜか萎んでいた。

(あれ、殴られ……)

「ぐえっ」

 乱暴に下ろされてつい声が漏れた。

「くそっ、気分が悪りぃ……!」

 荒々しく椅子に座り直すグレッダを、他の三人は内心ハラハラしながら見ていた。

 そしてその場にいたもう一人―――ルトシャは茫然と彼等の様子を眺めていた。

(突然喧嘩が始まって……けど何もなくチーフさんは解放されて……―――よく分からないけど解決したのかな)

「……あのぉ、」

「あぁ゛?」

 グレッダは声を掛けてきた相手が誰だったかも忘れて声を上げていた。

「す、すみません! 私お邪魔ですよね、退散します!」

 ルトシャの存在を忘れていたグレッダは「あ……」と我に返る。

 他の四人もすっかり忘れていた彼女の存在を今思い出した。

 彼女は殺伐とした空気に怯えてはいたが、これだけは今言っておかなければと勇気を振り絞る。

「最後に、皆さんお名前だけ頂いてもよろしいでしょうか!?」



「~~~♪」

 設立当日に五人の隊員を得たルトシャはご機嫌でその場を去っていった。

 彼等のやり取りは聞こ得なかったとはいえ、どう見ても喧嘩の最中だったあの場からご機嫌で立ち去って来た彼女に周囲は困惑の目を向けていた。

「あれ本当に大丈夫か……? 規則欄に『左手の爪が全部剥がれ落ちる』とか『顔の真ん中に“裏切り者”の烙印を入れる』とか書かれてた気がすんだけど」

 とジョッジュがルトシャの去っていった方を見たまま零す。

「ていうかなんだよ『裏』って。まさか表のファンクラブとか存在してんじゃねーだろうなアイツ。うらや……ニセモノの分際でほんとムカツクよな! 学生の内に騎士になった奴がそんな珍しいか!? 珍しいよなぁ! くそ! 羨ましい!!」とファッターはくつ裏で手すりを蹴った。

「クラブかどうかは知らねーけど、前にジェイシのファンだって奴がヤバいって話は聞いた事あるぞ。パーティーの席であいつの悪口言った奴がグラスに毒盛られて舌焼かれたって」とローダーが中等部の頃の話を持ち出した。この話は他の四人も知らなかったようで、へらへらと笑ているチーフ以外は顔を青くしていた。

「は? 悪口で舌焼くって何倍返しだよ……。つか表立って活動してねーならそいつらも十分『裏』だろ!」

「大丈夫だろ。俺らは普通のペンで書いたし、モース嬢も無効になるっつってたろ」とジョッジュ。

「だろうがちょっとは不安だろ!」

「関わってる事がこえーんだよ!」

 ファッターとローダーの不安はぬぐいきれないようだった。

「おい、チーフ」

 ボソリと名を呼んだグレッダだったが、顔はそっぽを向いていた。

「あ?」

「……お前がくだらねぇこと言うのはいつもの事だってのに……さっきは熱くなって悪かった」

「は!? ……ははは~、何か今殴られるより怖かったわ~……」

「あぁ?」

「ははは、わりぃわりぃって! ……俺も悪かった。できねぇ奴が偉そうに、何言ってんだって話だよなぁ」

「……。まったくだ」



 ***



(―――ここ、歩いて平気か?)

 訓練とラツィラスへの軽い報告から帰って来たジーンは自室の前で困惑し立ち止まっていた。扉の前を囲うように床がピカピカになっているのだ。

 しゃがみ込んで疑わし気に床に触れ、魔力や毒の匂いがしない事を確認する。

(こう部分的に綺麗だと意図がありそうで怖いな……。これも嫌がらせの一つか?)

 妙に綺麗な部分に足を踏み入れ、何事もなく問題の範囲を通過しジーンは自室へと戻った。

 変わりない室内につい安堵の息が零れる。

 簡易的な防具類を外している間、ジーンは自分が何かを忘れているような気がして手を止めた。

 何だろう、記憶に引っかかるコレは何だったか、と防具を外しきり「そういえば」と思い出す。

 ―――『珍しい品もありましたので、欲しい物があればもっていってくれとラツィラス様が仰っていました』

()()()()()()()()()()()品、馬小屋におきっぱなしだったな……)

 もとはすべてラツィラスへの見舞いの品だ。どれもギャッジの厳正な審査を通り抜けた品で信頼性は高い。足の速い食べ物(特にフルーツ類)が多いとかで好きなものを持って行って良いというので遠慮なく持ってきていた。

(バムガの好きそうな匂いがあったし、食われてなきゃいいな) 

 バムガとはジーンの愛馬の名前だ。古い言葉で強そうな鬣を「バンム・ガァ」というらしくそこからとった名だった。

 ―――『あぁ、俺が名づけたバムガな!』

 バムガの名を聞くと決まってそういうザリアスのどや顔を脳裏をよぎった。

 馬の名前でジーンが迷っている時、「バンム・ガァ」という言葉を教えてくれたのはザリアスだった。

 あの時自力で名前を導き出していればあのどや顔を何度も拝まずに済んだというのに、と悔やむも「バムガ」という名も気に入ってしまっているためバムガ以外の他の名などバムガには付けたくないという思いもあた。このジレンマにも何度陥った事かとジーンは呆れる。

 馬小屋を正面にした道、日光石のランプをぶら下げて歩いていたジーンは不穏な気配に足音を殺した。

 誰かが馬小屋に居るのだ。

 それは数人。声を潜めているのは時間帯を気にしてではないだろう。聞こえてくる声の潜め方は、人から隠れるような類のものだ。 

 自分の相棒が眠るそこに誰かがいる。人の目を拒む何かをしている。

 目の奥の温度が下がる。

 ジーンの胸を過った不安はその体に自然と臨戦態勢を取らせていた。



「―――おい、そんなことして起きないだろうな」

「結構きつい薬入れたから大丈夫だよ。どこの馬鹿か知んないけど、こいつがあって助かったな」

 気配を殺し、馬小屋の前に辿り着いていたジーンはバムガの眠っているであろう柵の内側から声がしていることに気付いた。

 月明かりが差し込む馬小屋の先、毎朝毎晩行き来する柵の下からある物が見えた。

 ―――目を閉じたバムガの頭が地面に伸びるように横になっている。

 それは馬という生き物の性質的にも、バムガの性格的におかしい事だ。

 通常立って眠ることが殆どの馬が、他の人間がいる場で無防備に横になる事のないバムガが……なんの事情もなくあんなにも無防備に横になっていること等考えられなかった。

 頭の中が熱を帯び、ぐっと締め付けられる感覚がした。

 始めの内は「落ち着け」と自身に言い聞かせていたが、横になって瞼を閉じるバムガの顔を見てからはそれは「嫌だ」という言葉に変わっていた。

 物音を一切たてず、ジーンは彼等の元に辿り着く。



 真っ赤だった。

 頭の中も目の前も真っ赤になっていた。

 頭の中が瞬く間に怒で覆われた。



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