330、惑わしの建国際 4(嫌がらせその2)
「君達、タイをしめなさい。靴も踵を踏まずちゃんと履くように。―――君、ボタンは外しても一つまで」
注意してきた教諭をじとりとねめつけ、グレッタ・ドヤナティは「はぁい」と気の無い返事を返した。隣では中等部の頃からの彼の友人ジョッジュメル・ズールシータが小さく舌を打った。その後ろにも三人の男子生徒。二人は教員の言葉が聞こえなかったのか会話を続け笑っており、一人は気だるそうに無視を決め込んでいた。
―――誰からどう見ても不良グループといった五人。
(中等部の頃はまだ少しは取り繕おうとしてたと聞くが……)
教諭の注意は一度のみ。この学園で強制的な躾は必要ないのだ。教員は気がついたら注意する。しかしそれを聞くかどうかは生徒次第。彼等がここでどう過ごしたかは城の人事院に書面で送られ雇用の際の参考にされる。
(嫡男であることにあぐらをかいていれば足元を掬われた時尻から倒れ込んでしまうぞ)
注意した教員は問題の生徒達が自分に背を向け去っていくのを見ながら、小さく息を吐いてその場を去った。
グレッダはちらりと、先ほど教諭のいた場所へ視線を向ける。
「ん? どうした?」
と後ろで話していた二人が尋ねる。
「なんも」
「なぁグレッダ。今日も十時で良いか?」
「今日はラブンドだろ? 最近バッテばっかで飽きて来てたし」
「他に良い場所知ってる奴いるか?」
「南側のなんとかって店はどうだ? 最近貴族の間でも評判良いらしいぞ。」
「なんとかってなんだよ。そこ大事だろ」
今夜も学園を抜けてクラブに行こうと話していた仲間達がその話で盛り上がる。
「名前が分かったらそこも行ってみるか」とグレッダが返せば、学園入学前からの付き合いの彼等からは「だよな!」「よっしゃぁ!」「てか誰が店の名前調べんだよ」などと各々の反応を返す。
グレッダは中等部の頃から少し荒れた生徒だった。
もっとさかのぼれば幼い頃から大人達の目を盗んでは陰で弱い者を虐めていた。
もともとの気性の荒い性格と真面目な対話を嫌う性質に加え、それを正そうとする環境が無かったことは大きな原因の一つだった。彼に逆らう事のない使用人達、彼を可愛がり好きにさせる母。騎士であり軍の大佐の任に就いている父はグレッダの素行に何を言うでもない。それらは母の仕事と割り切っている面があった。
中等学園に入る頃には彼の素行の悪さはそれなりに周囲に知られていた。
子供達は彼と目を合わさないようにし、その周囲の大人たちも、何かない限りは彼に我が子を近づけないよう注意していた。そうやって彼の周りには似たような輩が集まっては散り集まっては散りを繰り返し、今のメンバーが出来上がっていた。
何も考えず、弱い者を貶すのは楽しかった。
自分が強者であり特別であるような感覚に浸るのは気持ちが良かった。
―――しかし、その甘い味に酔えていたのも中等部の中頃までの話。
中等部一年の頃にとある痛い目を見てからはちょっとしたトラウマができ、それが彼等の視野を広げる切っ掛けとなり、徐々に人に手を上げる事は無くなっていた。
気に入らなければ声を荒げ、相手を睨みつける。大抵の相手はこれで尾を巻いて去っていく。そうなってからの中等学園生活でも、感情的になり相手を殴ってしまう事は何度かあった。だが、その度に心に残るのは自分の小ささを突き付けられたような惨めさと虚しさだった。
(……ん?)
仲間の内の一人の部屋に向かって歩いていた時、グレッダは廊下の奥に妙な数人を見つけた。
彼等の左手奥すぐにあるのは、今は休学中だというラツィラス第五王子の部屋。そして彼らが何か話しながら今前にしているのは、その第五王子の護衛であるジーン・ジェイシの部屋だった。
彼等がその部屋の人物に用があるようには見えない。
どちらかというとあのひそひそとした笑いは本人とは今は出会いたくないように見える。
「……げ、」
グレッダの隣でズールシータが小さく零す。
他の三人も同様、廊下奥の数人とそれらに囲まれた扉を見て、部屋主の顔が頭に浮かんだのだろう。
グレッダの後ろで仲間達がひそひそと話し出す。
「おい、あれ……」
「どうすんだよ、あの部屋って」
「あいつら多分、あれだろ?」
彼等の抽象的なやり取りを聞きながらグレッダは思い出したくない物を思い出してしまう。
―――好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
自分の一声と共に脳裏を駆け巡るこの数年の記憶。
―――とある時はただボールが飛んできただけだった。
ぱしり、と聞こえた背後のキャッチ音。『悪いジェイシ! 大丈夫か?』と聞き覚えのある生徒の声。そして振り返った自分に、『げ、ドヤナティ……』と彼は零し慌てて口を隠した。ジーンはキャッチしたボールを同級生へ返す。グレッダと目が合い、彼は無表情のまま何も言わずその場を去っていった。
多分通り過ぎただけ。そして偶然こちらに飛んできたボールを取っただけ。そんな一幕。
―――とある時は魔術の授業で作り出したゴーレムが暴れていた。
上級生が作ったというゴーレムは、いわゆるドーピングがされた状態だった。
広い校庭を学年で分けて使っていた一コマの授業。それで点数稼ぎをしたかったのだという一人の生徒が、小さな動く人形を作る程度の魔術で怪物を生み出してしまった。
暴走した怪物はグレッダ達の方へとやって来た。
その授業を行っていた教員たちは魔法で怪物を抑え破壊を計り成功した。そしてその欠片である礫の一部がグレッダ達の頭上に降り注ぎ―――ゴウ、ゴウ、ゴウ、ゴウ……―――と横から飛んできた火の玉に飲まれながら軌道を九十度変えて真横に吹っ飛んでいった。礫は校庭の隅へ飛ばされ、木や壁に施された魔術壁にぶつかり地に落ちた。
グレッダは強張った顔で火の玉が飛んできた方を見る。そこに居てそんな事が出来そうだった人物―――ジーン・ジェイシ。彼はグレッダと目が合い表情無くそっと目を逸らした。
―――またとある時は町で、多分正常な思考でない状態の危ない輩に声を掛けられ本格的な喧嘩に発展しそうになった時……―――
(……!!)
彼は沸き上がる不快感に拳を握った。
「おい、」
突然にかかった人影に、扉の前にいた生徒達は顔を上げた。
「―――!?」
「げ、ドヤナティ……」
「な、なんだよ」
グレッダは扉を一瞥すると彼等に視線を戻した。
ドアノブには糊らしきものが塗りたくられ、彼等はその鍵穴にも何かを流し込んでいる最中だったらしい。
工作用の注射器のようなものを持っていた生徒が、へらへらしながら、半ばグレッダに媚びるような顔をしながら言った。
「ど、どうだ? おまえもやるか?」
「―――は?」
グレッダの目付きが鋭くなる。それを前にした生徒達が固まる。
グレッダの後ろでは仲間達がその様子を眺めていた。
(グレッダの奴どうする気だ)
とグレッダと一番古い仲であるズールシータは彼の考えを知るためにもこの様子を見守る。
(あいつら何やってんだ? 魔術も張らず馬鹿だな)
(うっわー。よりにもよってジェイシの部屋かよ。関わりたくねぇ……)
(ジェイシの部屋に何やってんだあいつら。ムカツクな)
他の三人もグレッダが前に出た以上この場は動くつもりはなかった。
「―――俺が前等と仲良くすると思うか? 本人相手に何もできず、陰でこそこそやってる……クソッたれ共なんかとよぉ」
寮内、とある用があり男子の区域である廊下を歩いていた女子生徒―――ルトシャ・モースは足を止めた。
(あそこ、ジェイシ様のお部屋……。あ、あれってドヤナティ様達じゃ……ど、どうしよう)
誰か人を呼んでこようか、と壁を盾に廊下の奥を眺めていると―――
(―――あれ?)
彼女はグレッダ・ドヤナティ組の奥に他数人の生徒達がいる事に気が付く。
てっきりあの問題児たちが何かをしているのかと思った彼女は、自分の想像と現状が異なっているかのように見えてその場を見守った。
***
「……」
ジーンは自室の前に立っていた。彼は訓練を終えラツィラスの元を訪れ、手身近な報告をして学園に戻って来たところだった。
夕食を外で済ませてきた事もあってもう外も暗い。寮内の廊下はまだ明かりの灯された時間であったため明かるく、視界には全く問題の無い状態だった。
彼は扉を前にドアノブを見下ろし考え込み―――
(これってこんなピカピカしてたか……)
妙な違和感に気持ち悪さを覚え、慎重にドアノブに触れるのだった。





