329、惑わしの建国際 3(ボタンの真偽)
その日の授業を終えたアルベラの元へ、ダンストとサーグッド、そしてベッティーナが訪れていた。
サーグッドが持っているという例のボタンを確認する約束をしていたのだ。
使用人は連れず友人と訪れた彼女は、ポケットから小さな袋を取り出し、その上に中に入っていた銀のボタンを乗せた。
本物であろう銀に刻まれたカラスと知恵を与えると言われる蕾を付けた蔦の紋章。それらを良く眺め裏かえし数回転がし、エリーとガルカが答えた。
「偽物ですね」
「偽物だ」
エリーはあの件から、母と連絡を取り家紋の特徴、「偽物対策の見わけ方」というのを教えてもらっていた。
ガルカは以前ラーゼンから「一番手っ取り早い方法」というのを教えてもらっていたため、それを試して判断を下した。
ガルカは魔族という立場上、エリー程に信頼されていないのかレミリアスから紋章についての詳細は教えてもらえなかったようだ。その他にも彼に教える情報には制限があった。
だから今回、「本物の紋章である確かめ方」についてはエリーは一切の他者への口外を口留めされており、エリーとガルカはそれぞれ違う方法で確認し、そのどちらの方法からもサーグッドが持ってきたボタンは偽物であることが確認できた。
「もし納得できなければ、我が家の家紋を扱う工房をお教えしましょう。そこの責任者が魔術による契約を交わした上で偽物か本物かを確認してお教えいたします」
サーグッドは銀のボタンを握り締める。それはガルカの確認の際に、紋章を描く線の一部が欠け落ち酸化したように僅かに黒く変色していた。
「そう、ですか……。お時間を割いてしまい申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでした」
ダンストも友人と共に深く頭を下げた。
頭を上げたダンストとサーグッドに微笑み、アルベラは「いいえ。貴族同士ならよくある事ですから」と返した。
アルベラは彼女等へ捕まえた使用人についても話していた。
毒を盛った話はせず、例の魔術の暴発は彼女が仕組んだ物だったという内容を伝えたのだ。そしてそれがディオール家の紋章のついた手紙により命じられたものであると。
「彼女はディオールの領地内の生まれの貴族だそうです。彼女の家は今の公爵……つまり私の父とは上手く言っておらず、暮らしもここ数年で悪化していた所『私』から手紙が来たとか。父―――公爵にお願いして貴女のお家の立て直しを手伝ってあげる。けど、もし断ればどうなるか……、という内容だったそうです。勿論私はそんな手紙書いてませんし、ディオール家と関りを絶っていた家紋でしたので顔も存じませんでした」
「そうでしたか……」
「この話を信じるかどうかはお任せします。もし疑うのなら、それもそれで私は構いません」
疑われたところで痛くもかゆくもない。
そんな様子で優雅にお茶を飲む公爵令嬢にダンストは「まさか」といって己の手を見下ろした。
「魔術で魔力の暴発を……ですか。通りで……」と言った彼女は感覚の違いを思い出しているようだった。
「念のため工房はお聞かせいただいてもいいでしょうか。―――あ、勘違いの無いように……。工房を教えていただきたいのは、これを作れそうな者に心当たりがないか訊きたいからです。この件に関してはもうディオール様を疑ってはおりません」
「ええ、そのように受け止めておきます」
「ディオール様、その魔術がどんなものかはお調べに?」
「はい、必要でしたら名前と陣をお渡しします」
「お願いいたします。……どうやら自分も、何かの罪を被せられようとしていた一人だったようですね」
「かもしれませんね」
「……あの、確認をよろしいでしょうか」
ベッティーナが胸の高さで小さく手を上げた。
アルベラは「どうぞ」と答え、ベッティーナが出来事を数えるように指を折りながら頭の中でまとまった内容を口にする。
「まず、誰かがアルベラ様を装ってサーグッド様を狙った。そしてリネート様を駆り立て、あのお茶会……リネート様がアルベラ様に連絡を取り話し合うであろうことを予測し、そのようになった。開かれた茶会でリネート様の魔力の暴発を利用し、アルベラ様にリネート様への怒りや反感を起こさせようとした。アルベラ様とリネート様があの場で感情的になっていれば、喧嘩となりこれを仕組んだ人物の思う壺―――と、いうことでしょうか?」
「だと思います。犯人に聞かなればはっきりしませんが」
アルベラは頷く。
喧嘩となれば位の高い貴族の方が一般的には優位。地位が上の者―――目上の者に腹が立ったからと言って感情のままいちゃもんを付ける貴族は少ない。だが、ダンストはその少ない側だと過去の行動からも思われている。
(話してみたら噂よりも落ち着いている人だったけど……、喧嘩っ早そうなのは確かね……)
そして高位の貴族であれば、自分よりも下位でありながら歯向かってくる者は目障りであり、細かい事は抜きにして制裁を加えてしまうのが殆どだろう。
「私がダンスト様に制裁を下しても、皆さん『公爵家に歯向かったのだから当然、』とおっしゃるでしょうね。ですがダンスト様が私を呼んだ理由も理由だけに、ディオール家の印象は内心下がる事でしょう」
「公爵家を相手にそんな小さな傷を……」
ベッティーナは呆れていたが、本当の狙いはもう少し深い傷だったのだろうとアルベラは思う。
(ダンストの不敬に怒こったアルベラ・ディオールがその場で彼女らに制裁[服毒]を与え、彼女達を殺そうしたとなると、話は更に変わってくる)
流石に数人の令嬢全員にその場で毒を盛ったともなれば大問題だ。
きっと「公爵の令嬢ともありながら……」と各方面に敵を増やしたことだろう。
(怒ったその場ですぐに毒を混ぜるなんて、普段から毒盛ってる人間じゃなきゃしなくない? そういう作戦だとしたら考えた奴の気が知れないな。それとも私にそういう印象を付けたかったのか。―――けど結局、これも想像でしかない)
さっさと犯人を捕まえて、何を考えていたのか聞けたら聞きたいものだった。
「先輩方、もしお時間がありましたらもう少しお寛ぎになりませんか?」
サーグッドは出会った頃と変わらず怯えを孕んで目でアルベラを見ていた。
「いえ、この後は用事があるので……」
「私も訓練に行きたいので」とダンストも答える。
「ベヨスはどうする? このまま一緒に訓練場へ向かいましょうか?」
騎士見習としても学園での学年でも先輩の彼女に尋ねられ、ベッティーナは首を振った。
「私は少しアルベラ様とお話してから行こうと思います」
「そう、分かったわ。では私達はお先に失礼いたします。この度は本当に有難うございました」
部屋を出て一礼するダンストにアルベラは笑顔で手を振って見送った。
(『サーグッドの件が濡れ衣でも、他の件についてもそうだとは限らない』―――て顔してたな。貴族としての教育をしっかり施されてらっしゃる)
ボタンの確認が目的であった茶会は、ベッティーナを残して解散した。
「アルベラ様、お時間はよろしいでしょうか?」
「ええ。ベッティーナ様は何か私にお話でも」
「はい……」と彼女は視線を落とし、少しもじもじしていた。
「あの、建国際についてなんですが……もしよろしければ私と、町のお祭りを回りませんか?」
(ん……?)
「それは、遊びのお誘いでしょうか?」
「は、はい! 私ごときがずけずけと恥も知らず申し訳ありません!」
「え!? いえ、そんなふうにおっしゃらなくても……」
アルベラはへりくだり過ぎるベッティーナの態度に戸惑う。
「お、お誘いは喜んで」
(まさか彼女からこういうお誘いがあるとは)
「平日の放課後でよければ今のところいつでも。都合のいい日をお知らせください」
「……! はい、ありがとうございます」
両手を口に手を当て感極まっていたベッティーナは思い出したように頭を下げた。そんな彼女を前にアルベラは一つ疑問に思う。
「あの、町というと平民が沢山いますが……」
ベッティーナの顔が汚いものを見るかのように歪んだ。
「はい、仕方のない事ですね……。物が取られたりしないよう十分に警戒してまいりましょう」
「そうですね。……ところで、ベッティーナ様はなぜそんなに平民を嫌っているんでしょう。特待生の彼等の事もあまり好きではなさそうですが」
「アルベラ様は平民がお好きですか?」
「いえ……普通、ですかね」
「普通ですか……」
と彼女は少し残念そうだった。
「アルベラ様が平民の全てを嫌っているわけではないとは分かっておりました……。冒険者を愛人になさるくらいですし」
「……」
口からお茶が垂れそうになりアルベラは笑んだまま唇に力を込める。
「―――平民は信用できません。彼等を過剰に庇いたて、綺麗ごとしか並べない者達(貴族)も同じです」
(まあ……『平民差別』に過剰に反応しすぎる人たちも確かにいるな……。確かにそちらは厄介……)
「実際に衣服は汚いし、体臭もきついですから……。けどそれは、騎士団に入り馬の面倒を見るようになったりして少し変わりました」
(馬と同等……)
「私がお世話になっている四の団の団長はあのザリアス様ですし、平民の生まれであろうとザリアス様の事は尊敬しています。―――……ですが、全員が全員、あの方と同じでは無いですよね。むしろそうでない方が多い……。彼等はすぐ物を盗みます。物のためなら容易く人を騙して、傷つけて。だから私は平民が嫌いです」
(それって貴族も同じでは)
とアルベラは思うが、ベッティーナは「聞いてください!」と続く言葉を口にしだしていた。思い出して感情的になっているのか、彼女は魔力に瞳を灯らせている。
「我が家は平民からも使用人を雇ってます。……いえ、雇っていました! ですが、そうすると決まって貴重品の盗難が起きるのです。どんなに外面が良くても、こちらが仲良くなったと思っても、彼等は決まって私達の気持ちを裏切るのです。高価な物が盗まれ、犯人が見つかり、そうするとそれは決まって平民。一時期平民を雇うのを辞めた事もありました。ですが、執事が勧める腕がよく信頼がおけるという料理人がその期間に働きに来て……結局その人物も良くに目が眩んで物を盗んで捕まりました。―――毎回、長く務める貴族出の者達が目を光らせているお陰で犯人を捕らえられてはいるのですが、やはり生まれが違うとこうも簡単に人を裏切るのかと……思い知らされました……。それなりにしっかりした人材をと、執事も侍女長も平民の雇用には十分気を付けていたようなんですが。どんなに真面目そうでも、やはり人の本質というのは見抜くのが難しい物ですね……。特に平民となると、もう考え方の根底から私達と異なるのかもしれません……。その料理人以降、また我が家では平民を雇うのは止めているところです」
(それはまた人件費が嵩みそうな……。平民の方が安く雇える……ていうか、それ相応の賃金で文句は言わないもんな。変に気位の高い貴族の子息や令嬢を雇うと、相応の給料でももっと上げろって言われたりするらしいし……)
「災難でしたね」とアルベラは口に手を当てお嬢様らしい仕草で静かに同情した。
「にしても決まって平民でしたか……」
「はい、決まって平民で……」
「……」
「……?」
にこにこと微笑んでいるアルベラにベッティーナは首をかしげる。
アルベラも表情の通り冗談半分だった。冗談半分で、「もしかして」と思った事を口にする。
「貴族の使用人が平民の使用人を嵌めて罪を擦り付けてる……なんて事ありませんわよね。今回の私の件のように」
「―――」
「……ええと、ベッティーナ様?」
「こんなタイミングで申しありませんが、アルベラ様、どうぞベティとお呼びください」
「は、はぁ」
「それで今のお話ですが、もう一度よろしいでしょうか?」
「え?」
「貴族の使用人が平民を嵌めてるとは……」
「え? いえ、ですから……本当は盗みを働いているのは貴族の使用人の誰かで、その誰かが立場の低い使用人に罪を擦り付け、盗んだ品の一部をくすねているのかなと」
「……なる、ほど」
ベッティーナは普段から持ち歩いてでもいるのか、どこかからメモとペンを取りだしていた。彼女はメモを取るとがばりと顔を上げる。
「ちなみに、最近やけに侍女長が平民からの使用人の雇用を勧めているそうなんです」
「は、はぁ……それはそれは……」
「怪しいですよね!?」
「あ、怪しいですねぇ……」
身を乗り出すベッティーナに、少々困った様子のアルベラ。
エリーは物理的にも距離が縮まっている二人の姿にクスリと笑い、冷めた紅茶を淹れ直した。





