327、惑わしの建国際 1(妖精達がログインしました)
三日間の宿泊学習と振替の休日明けの学園。
ユリは放課後、一人理事長の部屋を訪れていた。
聖域からユリの後をつけついて来ていた妖精たちが窓の外からその様子を覗く。
ユリが理事長室を訪れた理由。それは今日のランチに遡る。
―――ぐぅー……
聞こえてきた小さな腹の音。そしてテーブルの端に輝いた何か。
『おいしそー』
『だめよ、アレはユリの』
『けどぼくらの一口ならばれないよね?』
『そ、そうだけど!』
ついこのあいだ別れを告げたはずの彼等の声に、ユリは幻聴を疑った。そしてテーブルの影に潜む彼らを見つけ、目の錯覚でない事を確かめると小さく声をあげたのだった。
『チュリ、ネモ、ルピ!?』
テーブルの下、クロスのひだの側でひそひそと話し合っていた三匹の妖精。それは紛れもなく宿泊学習の時にユリとミーヴァを聖域へと案内したチューリップ、ネモフィラ、ルピナスだ。
覗き込むユリに三匹は『わ!』と声を上げ、『みつかっちゃったね』『見つかっちゃった』『見つかってあげたんだよ』と歌うように言葉を並べ羽を鳴らして笑った。
『ユリ、どしたん?』
『―――! 何でもない!』
お手洗いへと席を離れていたリドが戻って来てユリは慌てて顔を上げる。妖精達はテーブルの下、口に手を当て笑いながら顔を見合わせていた。
『テーブルの下になんかいた?』
『あ、え……硬貨が落ちてるように見えて。瓶の蓋だった』
『ははは。あるあるだねー』
『ごめんリド、私もお手洗い』
『はいよー。ご飯来たら食べてるね』
『うん』
お手洗いへと立つ際、ユリはテーブルの下こいこいと手を振って妖精達を自分の肩掛け鞄へと招き入れる。妖精達が収まった鞄を握りしめると、彼女は足早にお手洗いへ向かった。
『―――ぷは~』
『ここどこ?』
『つるつるしてる。変な椅子~』
しゃらしゃらと羽音を立てながら好奇心に満ちた目で彼等はトイレの個室の中を飛び回る。トイレの個室から外に顔をのぞかせようとしたチューリップの体を摘まんで引き留め、ユリは彼等を自分の膝の上に座らせた。
『ごめんね、苦しく無かった?』
『苦しかった!』
『潰れるかと思った!』
『死ぬかと思った!』
彼等は楽しそうに鞄の中の感想を返す。
『うわぁ、ごめん~……』と声も弱くユリは返し、項垂れた頭を持ち上げ彼等に尋ねた。
『皆、どうしてここに?』
『ヌシサマに卵見てろって』
『卵が孵ったら帰って来いって』
『ユリの力になれって』
『そう。嬉しいけど、でもここは妖精には少し危ないかも……』
『大丈夫! 僕ら隠れるの上手!』
とルピナスが元気よく手を上げる。
『ご飯につられて出てきたのはどちら?』とユリは彼の小さな頬を加減してつついた。
『ルピ』
『ルピ』
と他の二匹が彼を指さす。
彼は『ご飯が無ければ完璧だよ』とめげるどころか自信満々で胸を張っていた。
ユリは苦笑し、とりあえず彼等を一旦自分とリドの部屋に待機させておくべきだろうかと考える。その中でユリはふと、アルベラに捕まったとかいう行方不明だった妖精の事を思い出した。
『ねえ、そういえば行方不明だったお友達は? あのあとちゃんと森に帰ったんでしょう? 何でアルベラに捕まったか話は聞いた?』
聞きたかったのは事の真実だった。なぜアルベラにその妖精の鱗粉がついていたのか、なぜその妖精が彼女の部屋にいたのか。
『あー、サイプのドジは……』
『うーん、サイプの間抜けは……』
『えーとね、サイプのおっちょこちょいは……』
(なんか皆サイプって子に辛辣)
『……えーと……アイツ、自分であそこに入ったって……。良い匂いにつられて吸い込まれたって』
『けどあの女が怪しかったのは本当。だからサイプはあの女を見張ろうと思ってあの女の部屋に入ったって』
『それでサイプはうっかりで自分から罠にかかって、何も無いし誰も来ないしで暇すぎて死にかけたって』
『暇すぎて? 死にかけ?』
妖精は暇だと死んでしまうのだろうか。聞いたことのない妖精の生態にユリは目を白黒させる。
『ええと、サイプって子は今元気なの?』
『うん。変な筒から出た後は水飲んでご飯食べてぴんぴんしてるって』
『サイプは沢山皆から怒られて凹んでた。べこべこのべこだよ。けどあの女も悪い! 魔獣を捕まえる道具を私達(妖精)が触りそうな場所に置いといたんだもん』
『そうそう! それにコントン! あの女が連れて来た。そのせいで森の中ピリピリしてた』
『ずっと皆あの女見張ってたけど今回は何もなかったね』
『え? アルベラがコントンを連れて来た? 待って、コントンってあの魔物の? 皆でアルベラを見張ってたって、“皆”って……』
『皆は皆! 森の皆! 妖精も魔獣も、森の子みんな』
『違う違う! 何もなく無い! ユリとか私達が迷ったのはあの女のせいだっていってたじゃん』
『あ! そうだった、やっぱあいつ悪い奴!』
『やっぱり懲らしめよう。もう一回僕らで飛ばす?』
『目的地はどこにする? 高くて固い崖は見つけた? それともコントンが来れないような高い高い空の上?』
妖精達の話に付いて行けずユリは彼等の話を聞きながら頭の中を整理する。今の会話は一体何なのか。アルベラのせいで自分が迷ったとは―――。
そうしている間にも妖精達の話は進み、羽が危うげな光を灯し始めていた。彼等の高ぶりを示すように羽の周りに光の粉が舞っている。
『いいね!じゃあ次はヒキコミの巣にあの女を落とすとか……』
『ま、待って!』
ユリは彼等の会話を遮る。
パタパタと羽を羽ばたかせていた彼等はユリの声に顔を上げ言葉を切った。浮き上がっていた体がゆっくりとユリの膝の上にもどる。
『説明してくれる? アルベラのせいで私達が森を迷ったってどういう事? 誰がそんな事言ってたの?』
妖精たちは顔を見合わせた。
『知らないよ』とチューリップ。
『うん。あいつらが誰かなんて僕らは知らない』とルピナス。
『けどね』とネモフィラが言う。
『ユリは知ってるよ。あの女、前にユリの前で泣いて怒ってたから』
『そうそう。僕らも見てた。ユリはそれで森に耳飾りをさがしにいったでしょ』
『あの泣いてた人間が言っていたの。大人に訊かれて、耳飾りをくれたのはあの女だって』
『泣いてた人間……もしかしてベッジュさま……』
『そうそいつ!』
『大きな長細い窓の部屋で、人間の大人と話してた』
『大きな長細い窓の部屋……』
『うん。あっちの建物の上の方の奴』
妖精がトイレの個室の中から本館の方を指さした。本館の上、一番大きく長細い窓が並ぶ部屋があることはユリも知っている。その部屋が何なのかも。
『理事長室……?』
妖精たちの言っていた長細い窓。上部がアーチ型になった大きな窓が、ユリの目の前、パテック理事長の後ろに並んでいた。空はまだ明るくのんびりと雲が流れていた。
「ジャスティーアさんの言った通りよ」
理事長は穏やかに答える。
「確かに、ベッジュさんはあの耳飾りをディオールさんから頂いたと言っていました」
―――『誕生日にお父様がプレゼントしてくださった大切な耳飾りなのに……あなたの、あなたのせいで……』
あの日のベッジュの泣き顔が脳裏をよぎる。無意識に握ったユリの拳は血の気が引いて白くなる。
「ジャスティーアさんは何処でそれを聞いたのかしら?」
「……風の噂で」
「そう。ですが」と言いかけた理事長の声は穏やかで静かすぎて、今のユリには気づけなかった。ユリは「で、ですが!」と相手の言葉を遮ってしまった事にも気づかず続ける。
「多分、ディオール様は違うかと」
(―――だって、アルベラは私達と一緒に)
共に森を彷徨った彼女。あの木々の中、軽い足取りで先を行く彼女と風に揺れる白いレースの裾は夢でも幻でもなく現実だった。ちゃんと言葉だって交わしたのだ。
「ベッジュ様にあの耳飾りをプレゼントしたのが彼女だったとして……多分、ディオール様はその耳飾りの効果を知らなかったんじゃなかったかと……」
(―――けどそしたら、何でベッジュ様はお父様から貰ったって嘘を吐いたんだろう。誰から貰ったかを隠すなんて、嘘つくなんて、まるでその人を庇ってるみたい……。もしかして、あのアルベラは誰かや何かが化けた偽物だったとか……?)
そして、本物のアルベラが本当にベッジュにあの耳飾りを送っていたとしたら……。
理事長は少女の言葉に耳を貸し、頬を和らげて頷いた。
「ええ。そうですね」
「……?」
「ジャスティーアさん、あなたの言う通り、ディオールさんも耳飾りについては何も知りませんでした」
「え、と……それは……」
「あの騒ぎの関係者全員と話はしてますから。当事者の貴女だから伝えておきましょう。―――ですが、先によく聞いておいて。学園で起きた出来事、学園行事で起きた出来事については私達は出来る限り把握し改善に勤めています。どうか詳しい内容を聞いたからと、安易に人に言いふらしたり、思い込みから根も葉もない想像を言いふらしたりなどはしないでくださいね。そうなれば場に濁りが生まれ見えてた物も見えなくなってしまいます。あなた自身に起きた問題の解決が遠のきます。もし犯人を突き止めたい、相応の処罰をと望んでいるのであれば、下手な行動や発言で損をするのは貴方自身です。胸に留めておいてください」
「は、はい」
優しそうな人だが言っている内容に厳しさが潜んでいるように感じてユリの体が強張る。
もしかしたら、よく知る誰かが犯人だったら……、その人物が恐ろしい罰を受けその様を目にすることがあれば……、自分は一体……―――。
まだ起きてもいない事象にユリの胸に罪悪感が込み上げる。
「あの……今回の場合だとどんな処罰を……。休学、とかでしょうか」
「ふふふ。そんなに身構えないで。処罰はその子次第よ。私はただ、悪い事をした子にはそれがちゃんと悪い事だと気づかせてあげたり教えてあげたいだけ。だから相手の様子によって、どうしたら伝わるか考えるわ。もし人の痛みが理解できなくても、そうするべきでないと知ることは出来るでしょう。本当に、人が傷つくというのがどういう事か分からなかったというのなら、私はそれを知る切っ掛けになりたいの。どんなにしつこいと思われても、口うるさいおばさんだと思われても。人一人の変化はあなどれないものよ、良くも悪るくも。それが良い方に傾くならそれに越したことはないわ」
「はい……」
無理に押し付けたいというより「きっかけになれたらいい」という願いのような柔らかい言葉にユリの肩から力がぬける。
悪人がいたとして、ただ体を痛めつけて罰するというのはよくある事だ。だが理事長はそういった類の罰し方をしない人であるように思えた。
彼女が求めているのは理解だ。自分が何をしたのか、その行動がどう人を悲しませたのか。それを悪さをした本人に理解し胸を痛めてほしい、奥底から反省をして欲しいと思っているような言葉。
そんな事が出来るのだろうか、とユリは思う。
できたならそれはいいことだ。だが、そんな手厚い処罰が国民全員に出来るわけではない。出来ないからこそこの国でも外でも痛めつけるだけの罰は手軽に行われている。
「大丈夫よ。ここは『学園』だもの」
理事長がどういう意味でそう言ったのかは分からなかった。だが、理事長の声と眼差しには慈悲や優しさの篭った柔らかさがあった。ユリは自身の胸に芽生えた信頼感を信じ頷いた。
「では、私達が調査した範囲で、貴女が知りたかった部分をお話しするわね」
***
ユリは廊下を足早に歩き自室を目指していた。
―――アルベラはあの耳飾りの存在を知っていた。しかし耳飾りをベッジュへ送ったのはアルベラではなく、アルベラはどんな魔術が耳飾りにかかっているかは知らなかった。だが、ベッジュはアルベラから耳飾りを送られたと信じ切っていた。気に入らない人間が居ればこれを使い悪戯をしてやればいいと、そう手紙には書かれていたと彼女はいっていたらしい。
『ジャスティーアさんは運が良いわね。この部屋に来てすんなり私に会えるなんて。いつもならヒュストン……私の秘書なんだけど、彼が追い払ってしまうの。理事長が忙しい、だなんて嘘をついて。―――……あら、ふふふ、そうね。全く忙しくない訳でもないわ。けど生徒の話を聞くくらいの時間、割いても良いと思わない? 聞く前から追い払われてしまっては私も寂しいわよ。だからこうしてたまに隙を見ては彼を休憩やお使いに行かせているんだけど、そういう時に限って誰も来ないのよね。―――そうそう、話が長引いてしまったわね。清めの教会には私から連絡を入れておくわ。ジャスティーアさん、もう少し私とお話をしない?』
あの後理事長はお茶とちょっとした菓子まで出してくれた。そしてあの卵について聖女達は何と言っていたか、バイトの方はどうかと理事長は雑談交じりにユリから話を聞き、噂の秘書が休憩とやらから戻って来てユリは理事長室を後にした。
(アルベラは耳飾りを知っていた。それって森で私達と会って耳飾りの事を知ったからだよね。だから耳飾りや私達の事は知っててもベッジュ様側の事情や耳飾りにかけられて魔術の種類についてまでは知らなかった)
理事長の側には人の心や感情の機微を拾うのを得意とした魔術師がいるそうだ。だから理事長は関係者から聞いた話の嘘と真は明かとしており、それもあって話はスムーズだった。ユリが理事長に伝えたかったのはアルベラは無実なのだという事。ユリからすれば森で彼女と出会ったからという理由だけで、後から考えればあくまで「おそらく」の話しだったが、理事長はそれは既に明らかとしており、念のためにとアルベラ・ディオールの身辺を少し探って裏付けも取っているから安心しろと言っていた。
『ジャスティーアさんはディオールさんと仲が良いのかしら?』
いいです、とは決して言い切れずユリは『あ……えーと』と言い淀む。
『……違うと分かってる人が犯人にされるのは、後味が悪かったので』
『そう。でもなぜ違うとおもったの? 何か他に心当たりがあるとか』
―――いいかしら、賢い特待生様お二人。私が外出禁止時間に森に居た事は誰にも言わないで。これは貴族としての命令よ。バラしたらどうなるか想像はお任せするわ。
『い、いえ。なんていうか、その……あ! そう、そうです。ディオール様は人を使うっていうより、自ら動かれるような方なので。こんな遠回しに人伝えなやり方で私に嫌がらせをするなんておかしいなと、』
『ジャスティーアさん、悩んでる事があるならちゃんと周りの先生にも相談するのよ……』
『あ、いえ……! すみません、今のは例えが悪くて、』
(アルベラの心証……落としちゃったかな……)
自室の前に着き両手で顔を覆うユリ。そんな彼女を鞄の中から妖精たちが顔を覗かせ不思議そうに見上げていた。窓の外に居た彼等は、ユリが理事長室から出たタイミングで適当な隙間から室内に戻りまた彼女の鞄の中に納まっていたのだ。
「うわっ!」
部屋から出てきたリドが扉の前に立ちすくむユリに驚き後ろへ身を仰け反らす。
「て、あれ? ユリ、まだいたの? 今日バイトは?」
「あ、リド。バイトは今から、」
「大丈夫? 今からって遅くなるんじゃ」
「大丈夫。清めの教会まで大通りで一本だし、警備兵も多いし」
「けど学園の制服だと危ないしちゃんと私服に着替えなよ。出来るだけ安ぽくて貧乏人に見えるやつ。貸そうか?」
悪戯っぽいリドの言葉にユリは吹き出す。
「そういう服なら私だって間に合ってる」
「いやいや、私の最高傑作見せてあげるって。この間持ち合わせで凄い組み合わせみつけちゃって。ついでに着なよ」
「えぇ、やだよ。学園の中で来たらネタにされちゃうじゃん」
「そんなんローブ着て隠せばいいって」
「そうだけど、じゃあ帰ってきたら見せて。今は急いでるから冒険してる暇ないよ」
くすくすと笑いながら着替え始めるユリに、リドは「こらぁ! 誰が暇だー!」と拳を振り上げながら反発した。その後一拍、妙に静かな間が流れる。そして彼女は「てぇ―――え゛!?」と妙な声を上げた。
「ゆ、ユリ!」
「―――ん?」
「妖精! あんたの鞄に妖精入ってる!」
「きゃはは、見つかった!」
「見つかってあげたー!」
「リド変な顔ー!」
「誰が変な顔だぁ! って私の事知ってるの? ねえユリ」
「ごめんリド、詳しくはまた後で。帰ったら話すね。その子達見つからないように部屋で匿って」
「は? 匿ってって」
「じゃあ行ってくる! 皆お願いだから部屋から出ないでね。街中で見つかるのは危ないから」
「ちょっとユリ!」
「いってらっしゃーい!」
「らっしゃーい!」
「しゃーい!」
元気な見送りの声を背にユリはパタパタとローブを纏いながら部屋を出ていった。
残されたリドと妖精たちは顔を見合わせる。
その後あっさり意気投合した彼等はユリが返ってくるまでテーブルゲームをして盛り上がったのだった。
その晩リドは慌てて翌日提出の宿題群をする羽目になった。





