325、初めての宿泊学習 21(王子様へお見舞い 1/2)
「……」
「……? どうしたのそんな所で、ほら、座りなよ」
ラツィラスはひらひらと手招きし、扉の前で立ったままの彼女を空いてる椅子へ座るよう促す。
健康そのものの王子様を黙って見つめるアルベラの背後、ギャッジの手によって部屋の扉は音もなく閉じられた。共に来ていたエリーとガルカはこの部屋へは通されず別室にて待機だ。
年頃の令嬢が一人、年頃の令息の部屋に招かれるという状況。恋仲であれば珍しくもないが、そうでない者同士であるなら人目を気にして客間を使うか、相手の使用人や護衛も共に招き入れるのがこの国の多数派の形だ。とはいえ一般常識がどうであれ人の目がどうであれ、自分の部屋にどんな客人を通すかは最終的には部屋の持ち主の判断に委ねられるというもので―――、意外にも柔和でフレンドリーな外面のこの部屋の主は、自室へ直接友人を通す事はあまりしない人物だった。
久々に訪れた王子様の寝室。前に訪れた時から代わり映えしていないようだが、今はそんな事どうでも良かった。
アルベラは無言でコツコツと足を進めた。
「まず、君には頼みがある。この部屋での事は身内の人にも秘密でね。僕は学園の報告通り体調不良ってことで。誰かに何か聞かれたら、僕は発熱と眩暈で参ってるようだったとでも答えて」
そう告げる彼の姿を真っすぐに見据え、アルベラは椅子の前へやってくる。
部屋に居るのはラツィラスの他に、ジーンとギャッジと学園でも王子様の身の回りの世話をしていた使用人が二人。
ラツィラスのテーブルを挟んだ向かいで足を止めたアルベラ。彼女は口を閉じたままじっとラツィラスを見下ろした。その表情には影が落ちており目元は特に暗く沈んでいるようだった。この部屋は絶賛感覚の鋭い者揃いである。彼等は皆、彼女の周りでさわさわと空気が乱れていることに気付き、彼女の中で沸き上がっているであろう怒りに近い感情を察していた。
「あはは」とラツィラスが笑いだす。
「驚いてるよね。ごめんごめん。あの血は嘘だよ。今週ずっと僕が寝込んでいたっていうのも嘘」
「不安にさせたよね、ごめんね」と彼は何の罪悪感もなさそうに言う。そう言えばすんなり許してもらえると思っているかのように。
「……」
―――カタン! ガガガガ……! といつもの彼女らしからぬ椅子を引く音。そこにすとんと腰かけ、アルベラは顔を伏せる。すぐに顔を上げた彼女は華々しい笑みを浮かべていた。ただの笑みではない。棘のある威圧的な笑みだ。
「殿下」
「ん?」
ざわり……、と室内の魔力が分かりやすく乱れる。
「説明……して頂けますよね?」
入城のためエリーが気合を入れて編み込み飾り立てた髪の毛先と、明るい緑の瞳が魔力に煌々と灯っていた。あえて見せている怒りの表現―――
「うん、もちろん」
―――だが、彼女の圧に笑顔を引っ込めるラツィラスではない。
王子様の柔らかい笑顔にアルベラは笑みを張り付けたまま「何がそんなにおかしいのやら」と棘だらけの言葉を返す。
方や怒りを込めた令嬢の笑み。方や普通に楽しそうな、そして多分相手の反応に喜んでいるのであろう王子様の笑み。
ジーンは双方を前に「またか」という顔をしていた。
そしてそんな他人ごとな彼へもアルベラは矛先を向けた。ラツィラスとの対峙の延長線上で、笑顔のままさらりと。
「ジーン」
「ん?」
「貴方もよ、強姦容疑の騎士様」
「―――は」
ジーンの表情が固まった。
「ま……違う、俺は何もしてない」
「分かってるわよ」
「……は?」
「説明」
「……」
「説明、してくれるんでしょうね。ご本人の口から、あの日何があったか、ちゃんと、それなりに」
アルベラの言葉にジーンは胸中「なんだそういう意味か」と安堵した。
(茶会の日、ラツが濡れ衣だって話したっていってたもんな)
まさか本当に自分が女性を部屋に連れ込み襲おうとしたなどと思われているのかと、一瞬本気で焦ってしまった。
そんな、すっかり返答を忘れてしまうほどに慌てた相手の胸中などアルベラは知る由もない。質問を無言で返され、この状況でスルーされたのかと彼女は冷ややかに目を据わらせる。
「あら、もしかして無実じゃなくて『未遂』でして?」
「違う」
「だったとしたらすっかり騙されたな。ジーンの評価を改めなきゃ」とラツィラスがアルベラの言葉にのる。
「お前な!」と声量を抑えジーンは自分の主へ抗議の声を上げる。くすくすと笑う王子様。
ここにくるまでの緊迫した空気は何だったのか……、とアルベラは馬鹿らしくなる。気を張るのも顔を作るのもやめ、彼女は素の不服の表情を浮かべていた。
***
アルベラの目の前、テーブルの上にはピンポン玉サイズの謎の玉と朝顔の種位の赤い結晶が数粒並べられていた。これらは今しがたラツィラスの命令によりギャッジが並べたものだ。
「どうぞ、気になるなら触って」とラツィラス。
「……で、こちらは一体」
とアルベラは乾かしたヒョウタンのような色と質感のピンポン玉もどきを手に取る。
(見た目通り軽いな)
と滑らかな表面を眺める彼女へラツィラスが説明した。
「それは胃に入れて使うんだ。胃に入った液体を吸収する魔術具ね。一つでカップ二杯分。胃に入れている間は固形物厳禁、一定時間以上胃に入れてるのも非推奨」
「……」
アルベラは「ふーん」や「ほーん」とでも言うような目を王子様へ向ける。
「やっぱりご存じでしたか」
王子様はニコリと笑むのみで言葉にして答えない。
なぜそう曖昧な返し方をするのかと苛つくも、ある事を思い出してアルベラは「あぁ、もしかして」と呟いた。
「お二人に報告です。盟約の魔術なら殆ど解けましたのでお気遣いなく」
「ん?」と笑んだまま首を傾げた王子様は「え……!?」と素直に驚きのリアクションをする。
ジーンは抑え気味だが、こちらもほどほどに驚いているようだった。
二人はアルベラを動物か何かのようにじろじろと観察していた。
「―――その話をしても苦しんでる様子は無し、か」とジーン。
「嘘じゃなさそうだね」とラツィラス。
「完璧には解けていないようで、少し痺れるような感覚はありますがそれだけです。だからもう第三王子様の言いつけを破ろうが王族に刃向おうが全く問題ありません」
「刃向かうなよ……」「ははは」とジーンとラツィラス。
ラツィラスは「そうか、じゃあ良かった」と目を細めた。
「あれを解くには魔術に使った人間の血が必要だったんだ。けど、それならもうスチュートの血は必要なさそうだね。ウォーフ君も魔術が解きたければ、君と同じ方法でいけるかな」
「そりゃあ好き好んで自由を縛る魔術にかかったままでいる意味が分かりませんし、彼だって解きたいんじゃないですか……でも……」
(同じ方法ね……)
考える様子のアルベラ。
ラツィラスが「言い辛い内容かな。それとも言いたくないとか?」と朗らかに尋ねた。
「いえ……そういうわけでは…………いや、むしろどちらともいえるのか……」
「ん? どういう意味だい?」
「ええと、ですね……―――その……長期休暇の旅で、蜘蛛女とダークエルフに襲われたという話をしましたよね」
「うん、聞いたね」とラツィラスが頷き、ジーンも頷く。
「実はその時の話ですが、説明がし辛くて少し省いた部分がありまして」
「うん、どんなこと?」
「火傷の他にも怪我をしたんです。こう、胸を貫かれる感じで。そちらは運よくすぐに治療されて傷は綺麗に塞がったんですが、出血が多く……―――戻って来て、殿下と話してる時に気付いたんです。そういえば盟約の魔術の反応がない、と。……というか、このピリピリする感覚は何だろう、と思ったのが盟約の内容を破った時だったので。もしかしたら『魔術が弱まった反応か』と確かめたら、本当にそのタイミングだったという事です。―――あの魔術は互いの血を使ったものでしたよね。だから、体に流れてる血が魔術の効果を帯びていたのかなんなのか……理屈は分かりませんが、血が抜けて新しい血を外部から取り入れた事が大きな要因なんじゃないかと、」
言いながらアルベラは「ていうかこれ……私が勝手に関連付けしてただけでそうだと言い切れる証拠ないよな……」と自分の考えを口にしながら自信薄になっていく。
「……すみません、今のはあくまで私の思い込みかもしれないです。けどこうして話していられるので、旅の間の何かが関係している可能性は高いんじゃないかと……」
「いいや、合ってるよ。アレは確かに血を媒体にした魔術だ。命じる者、命じられる者、互いの血を使い魔術により縛り付ける。主従関係を血を使って体に染み込ませるものだから。けど、物理的に体に通う血を入れ替えれば効果があるなんて報告は今までなかったみたいだけど。それについては、この魔術をかけられる対象となっていた人たちが、そういう治療を受けられる立場じゃなかったってのが大きいのかな」
「そう、ですか」
「にしても、聞いてたより更に騎士顔負けの化け物退治だったみたいだね」
「胸当てや甲冑も必要なんじゃないのか……」
ジーンがため息交じりに呆れて言った。
「シンプルでごつく無いのなら一つくらいあってもいいかもって考えてる」
「ははは、君ってばいつか本当に騎士や冒険者にでもなっちゃうんじゃない」
話しは戻り、彼らがアルベラとウォーフの事情……つまりスチュートの命令を知っていたのかだ。
その答えはイエスだった。どうやって知ったのかは伏せ、ラツィラスはあの日の自身の企てをばらした。
「―――どんな毒が来ても最悪死ぬことが無いように備えてさ。あとは目の前で倒れれば、君のダメージも少なく済むしwinwinって思ったのに、―――あ、ちなみにその結晶は血を圧縮した物だよ。奥歯や舌の裏なんかに仕込んで、噛み砕けば血にもどる」
「あれがこれから出てくる量ですか……」
「凄いでしょ」と言い、「そしたらあれだもん、」とラツィラスはくすくす笑う。
「当日、お茶を受け取ってみたら一杯目には毒は無し。二杯目が来てついにかって思ったらラムネリアの香りがしてるんだもの。事前に報告を受けていたのは無臭で僅かに酸味のあるっていうメルティ・アイグだったのに。―――で、かと思えばラムネリアは香りだけでカップには一切毒が入っていなくて……―――まったく、びっくりしたよ。一体どうする気だったんだい? スチュートにばれたら正面衝突も良い所だよね」
「母と父からは了承を得てます。もし学園で第三王子と喧嘩しても『その時は仕方ない』と二人は言ってくれたので。ディオール家は彼を支持しているわけでもその周囲の貴族ともともと仲がいいわけでもありませんから」
「覚悟ありきだったわけだ」
「面倒な出来事に投げやりになってただけです」
「投げやりか……ふふふ、それでも君が僕に毒を入れてなかったっていうのは嬉しかったよ。『これぞ友』って感動したね」
アルベラはぶるりと身震いする。
「やめてください気持ち悪い。だいたい、魔術が切れてたから選べたんです。苦痛の縛りがあったら同じようにしてたか分かりません」
「けど、飲まないように、僕がお茶を拒否するようにあの香りを付けたんでしょ?」
「……」
「ん?」と王子様はきらきらと輝いて見せる。





