323、初めての宿泊学習 19(しこみの事実)
ニーニャが淹れてくれた紅茶を飲みながら、八郎はことのあらましをアルベラから聞く。
話の本題に入る前にニーニャとスーは退室させ、ニーニャにはいい序でとばかりにスーの散歩も頼んでいた。ニーニャも喜んでそれを引き受けたので利害の一致というものだろう、とアルベラは楽なように受け取る。
王子さまが血を吐いて倒れたところまで聞き、八郎は訳が分からないという顔で確認した。
「毒を使ってないのに倒れた、でござるか? アルベラ氏、本当に毒は一切入れてないんでござるか?」
「ええ、そうよ。一切ね」
とアルベラは「一切」を強調して頷く。
あの紅茶には毒など入っていなかった。
だというのにラツィラスは倒れた。だからアルベラもエリーも混乱していた。
「こちら見た通り」
エリーは第三王子に渡された包みと八郎即席の毒をポケットから取り出しテーブルに置いた。
手つかずのそれらに八郎は「ほう」と頷き、三人の間に沈黙が流れた。
「自演……では」
八郎がぽつりとそんな言葉をこぼす。
アルベラは考えるように唸って首を横に降る。
「分からない。確認したくても追い払われちゃったんだもの。エリーも全くだって言うし」
「申し訳あません」とラツィラスの様態の一切を確認できなかったエリーが困り顔で微笑んだ。
「だいたい自演だとして、自演する意味が分からないでしょ」
「それは、アルベラ氏の受けてる盟約の魔術と、今回第三王子殿がアルベラ氏に命じた内容をあちらがつかんでいたからとか何とか考えれるではござらんか」
「どんだけ筒抜けよ。あの王子様が私たちの盟約の魔術の事を掴んでるのはもう確かでしょうけど、流石に第三王子の命じた内容まで掴んでるってどうなの? この国にあの子の知らないことはないってわけ? そこまで筒抜けだと安心とかじゃなく逆に恐怖よ」
アルベラの言葉に、盟約の魔術の証拠が染みついたハンカチをラツィラスに流したエリーはすまし顔だ。
「それに仮に筒抜けだとして、その上で飲む理由って何? 私を庇うためとか馬鹿な事言わないでしょうね」
「正に! 王子殿、拙者の知ってる王子殿よりかなりメンタル強化されてるでござるからな。もっと人見知りで、笑っていても心を閉ざしているキャラでござったし。今のメンタルケア済みの王子殿なら親しい人間の為にそういう事をしても不思議には思わないでござる」
「そ~う? ラツィラスちゃん、前から人懐っこかったように思うけど」とエリー。
八郎が言っているのは原作でのこの時期の王子様だろう。
アルベラは余計なことを言ってしまうのを避け、ラツィラスが自演かどうかについてだけ返す。
「自演にしても変でしょ。毒が入ってるかもしれないお茶に備えて自演の準備? 毒があってもなくても自演で血を吐く気だったって事?」
「ううむ……そこでござるよな。もともとアルベラ氏が命令に背いて毒を入れないと知っていたなら兎も角……。―――他の誰かの入れた毒に当たったんでござろうか。……あの王子殿が、しかもあの執事つきで……?」
八郎が思い浮かべた原作の王子様はほぼ最強だった。あの人物が毒を受けて倒れるなどあるのだろうかと、彼は思う。
(とは言え……賢者殿に言われるがまま、拙者も原作ありきの生まれた国で主役である『勇者』を殺した身。原作でなら悪を倒し姫と結ばれハッピーエンドとなるはずだった勇者が、拙者の努力によりバッドエンドを迎えたわけで……―――)
「……」
「八郎?」
表情が暗くなった八郎にアルベラが疑問の視線を向ける。
「あ、いや。何でもないでござる」
「そう?」とアルベラは軽く問うように頷くも、本人が何でもないというので話は本題に沿ったもので進む。
「ギャッジさんは後日って言っていたし、何かしらの連絡をしてくるつもりなのかもだけど……」
それが様態が回復したものか、また別の件でなのかは不明である。
「あの血の匂いは本物だと思うんですけど」とエリー。
「エリー殿がそういう以上、少なくとも『血』は本物なんでござろう。―――王子殿の様態が嘘か誠か気になるでござるな……。なら、そちらは後日アルベラ氏が足を運ぶとして」
「ええ。気になって仕方ないもの……。あんなに分かりやすく毒が匂ってたってのに、あの王子様どうしちゃったんだか……」
むすりとそう言ったアルベラは凹んでいるようであり怒っているようでもあった。
彼女はラツィラスに毒を飲ます気がなかったのだ。せっかくそう決めて行動したというのに、その覚悟が裏切られた気分だった。そして彼が血を吐いた瞬間の背筋が凍る感覚と、咄嗟に沸いた失う瞬間の恐怖。少ししてからにじみ出てきた「私じゃない」という責任逃れのような保身の思い。今はそのすべてが不快だった。そして今も、もしかしたら彼がこの物語から「退場」してしまうのではないかという不安が胸の片隅に居座っていた。
なんでこんな不安を抱えなければいけないのか。
彼は今どうなっているのか。
落ち着かないが、追い払わらてしまった以上あちらから何かしらの連絡がくるまで耐えるしかない。
「コントンを送ってみたけど、魔術が張られて入れなかったみたいだし……」
アルベラの独り言のような呟きに、エリーと八郎が「送ってたのね」「送ったんでござるか」と内心で突っ込みつつ感心する。
ラツィラスの様態については「とりあえず今は待つ」と話を終えたところで、八郎は話を少し戻した。
「そもそもなんで使わなかったんでござる?」と彼は自分が聞いてた話からの変更について問う。
「入れるか入れないか迷って、とりあえず入れておこうと決めたんでござるよな。まずは飲まないための香料、もし飲んだ時の偽の毒でござろう? 拙者の渡したものであれば正真正銘命の危険のない安全な毒でござるよ。それに毒を入れずにとは、第三王子の手のものについてはどうするつもりだったでござる? 王子殿が倒れなかったら、アルベラ氏が言いつけを破ったとばれるうえ縛りの魔術で苦しまないのも怪しく見られるでござろう」
「先ずね、安全な毒って何よ。毒は毒でしょ。血を吐く時点で十分危険物」
呆れたアルベラの言葉に八郎は「確かに」とほっほと笑う。
アルベラは息をつき八郎に渡された香料の小瓶を指先で押したり引いたりとする。
「王子様がお茶を飲んで倒れなくても、私が苦しまなくても、それがいるかいないかわからなかった第三王子の刺客にばれても、今回はそれでいいと思ったの。苦しむふりも始め考えたけど……そんなのやってらんないって思ったのよ。―――で、なんで毒を入れなかったかについては、私は貴方みたいに治療ができるわけじゃないし、医学の心得があるわけでもないし。本当にどうにかしたい相手ならともかく……今回はそういうわけじゃなかったし……。いざなにかがあったらって思ったの。だから迷うくらいなら使わないことにしたの」
「毒よ毒」と彼女は自分に言い聞かせるようにくりかえす。
(八郎から手製の毒を渡された時は『これでいいじゃん』とか思ったけど……そんなわけないじゃない。これだって立派な毒だっていうのに……)
あの時はエリーも「そちらなら安心ですね」などと言っていたのだ。
(まんまと周りの異常者たちの言葉に乗せられかけた。けど自力で気づけたしセーフだよな。セーフ)
というアルベラの思考を読み取ったかのように、八郎はくいっと眼鏡を持ち上げた。
「アルベラ氏、どうにかしたい相手なら遠慮なく拙者の毒も飲ませたわけでござるな」
「うるさい」
八郎をにらみつけるアルベラ。「あらまぁ」とエリーが楽しそうにほほ笑む。
「―――どういう形であれ、私が毒を王子様に飲ませたって事実が残るのも怖いと思ったの。第五王子様が死んででも見なさい、第三王子が私を売らない保証ある? 王子様、しかも王太子が確定してるような人を手違いで殺すかもしれないのよ。あいつに渡された毒を使った場合、命が助かっても失明の可能性だってあるんでしょ。そんなことになってみなさいよ、処刑待ったなしじゃない。しかも処刑大好きのあの憎たらしい第三王子の楽しそうな顔に見送られながらって想像してみなさい。最悪も最悪、死んでも死にきれないじゃない」
でなくてもこの件に関して、気乗りしなかったり後ろめたさが合ったりしたのだ。そんな事に加担して長く尾を引くような悔いになろうものなら、自分がこの二度目の人生で頑張って来た諸々が台無しになってしまうのではという気がした。
エリーが唯一人目を盗む必要のある作業といえば香料を混ぜる行程のみ。
王子様の飲む紅茶に混ぜ物をしている所をあの執事に見つかったら面倒だと思っていたが、そこはすんなりクリアでき、残るはただお茶会を終えるのみ。―――そういう予定だったのだ。
アルベラはむくれるように言って、「そ れ に」と八郎にだけ耳打ちした。
「そもそも、あの人(賢者)から言われてたこと思い出したし」
―――神のお気に入りに気をつけろ
実際に彼はどう言ってたっけ……、と思い出そうとするも細かい言い方までは思い出せなかった。だが聞いた内容についてはよく理解していた。
(神様のお気に入り……つまりこの世界で言う寵愛や恩恵を受けている人間―――を傷つけたら天罰がある)
今のところ原作の乙女ゲームヒーロー達の内、ラツィラスは寵愛(神様から授けられた特殊な体質)持ちが確定、ジーンも桁外れの火力や周りより催眠や精神耐性が強い事から寵愛か加護持ち(精霊を介さず魔法を使える人々)だろうと思われる。キリエも、この世界の常識から見ても異常な程の動物から好かれるアレは寵愛の可能性が高い。
となると魔術の天才であるミーヴァも、原作で第六感に優れてるという設定のスノーセツも、今のところ人の敵意に敏感と自称しているが実は心の機微にまで察せられているというウォーフ(こちらも原作設定)も、その特殊な体質や能力はこの世界で言う寵愛に当たるのではないかというのがアルベラと八郎の見解だ。
神の声が聴けるという聖女の次期候補であるユリは言わずもがなである。
ヒーローもヒロインも、コントンやガルカが神臭いという事からも普通より神から贔屓されている何かであることは確かだろう。
(でなくても私の魂自体があの賢者様のお手つきでこの世界の防衛機能だか何だかの印象が悪いわけで、そんな人間が彼らを傷つけたらどんな罰が下るかわからない……と)
その内容については八郎とも共有済みなので、アルベラに言われた一言で彼は「あぁ」と納得した。
「というかアルベラ氏、今更でござるな。もしかしてそれ、最後に思い出したんでござるか?」
「……い、色々起きて頭の中ごちゃごちゃしてたの。それでも最終的には思い出せたじゃない。―――……けど、正直第三王子に言われた時これをすぐに思い出してたら、『言いなりにならない』を即決してたでしょうね」
感覚的にはあったのだ。自分が彼を傷つけてはいけないという輪郭のない感覚が。それは賢者からの忠告を受けたからだというのに、具体的な内容は記憶の隅の隅へと追いやられていた。
「お嬢様と八郎ちゃんだけで秘密のやり取りですか? まぁ、羨ましい……」
分かり合ったようなアルベラと八郎に、エリーが歪んだ嫉妬のオーラを放っていた。
「あ……」とアルベラ、「ひょっ……」と奇妙な声で八郎。二人は話をそらし、八郎が思い出しで口にした話題から、エリーの注意はそちらに移り空気は穏やかなものに戻った。
八郎の話を聞いたエリーは「あらまぁ、理事長から……。それじゃあ飛び切り綺麗になさらないと」と少し違う方向に気合を入れる。
ともに話を聞いていたアルベラはと言えば、話の内容からとエリーの反応も一割で顔を手で覆い疲れたため息を吐いていた。
***
時は宿泊学習三日目の朝食後の時間―――
「―――はい、その耳飾りはディオール様から送られたもので……手紙は、燃えてしまったんです……嘘じゃありません……」
カタカタと小さく震える女生徒が一人と、その正面には理事長補佐の四十代前後の男性が一人。
威圧的な空気に小さくなっている女生徒はサンドーレ・ベッジュだ。
彼女と理事長補佐の間には四角いテーブルが、その上には例の花の連なったデザインのクリスタルの耳飾りが置かれていた。





