322、初めての宿泊学習 18(非公式のお仕事:王子様に毒を飲ませよう)
宿泊合宿の三日目は、一日目二日目に比べ更に思い思いに過ごす生徒が多い。三日目に学園が準備した講義は「社交マナー」と「騎獣」だ。騎獣は二年以上で事前の申し込みと審査が通った者しか取れないので、そんなものには無関係な生徒達は旅行気分を満喫している。「社交マナー」は殆ど特待生達の為に組まれた授業で、彼等は食堂にも使われているホールでマナーと幾つかのダンスの練習をしているそうだ。
『メルティ・アイグの毒というようでござる。飲んだらその場で血を吐いて昏倒。数日生死を彷徨った挙句目玉を溶かされてこの世とおさらばでござる。適切な処置を受ければ死なずに済むでござるが、暫く頭痛、咳に喀血、吐き気、眩暈やら手足のしびれやら……色々苦しむらしいでござるよ。命が助かっても両目を失う例が多いようで―――』
(即効性の毒か……毒の種類が何か分かり次第解毒剤の手配までって、流石八郎)
「てか目玉が溶けるって……えぐ……」
約束の茶会までの時間。アルベラは自室で第三王子、スチュートに渡された毒の包みを眺めていた。隣には八郎手製の猛毒の蜜の香料。そしてその隣にはもう一つ……八郎が気を利かせて準備してくれた毒薬だ。
(こうもまぁ、ぽんぽんと毒も薬も……。こっちなら命の危険は無し。速攻で現れる症状は第三王子が渡したものと同じと……、ルーの事まだ話してないのに、誰かの目がある事前提なのが抜け目ないなぁ。第三王子の元に『渡した毒と違う毒がカップから出てきた』……なんてばれないように、カップを調べられないよう注意するよう言われたけど……。そもそもこの毒、あの王子様に効くのかな。可能なら王子様が八郎の毒を飲んでもがいてる間に、エリーが本物の毒しか入ってないカップと入れ替える手はず。王子様が八郎の毒飲んでもケロッとしてるようならカップに第三王子の毒と紅茶を吹き付けて入っていたようにみせかけると。―――エリー大丈夫かな。そこまで全部一人で……人目を盗んで……? 第三王子に渡されたこれ、もしもの時の為に私も少し持ってた方が良いかな……。ちゃんと全部使おうが使わなおうが私は苦しまないし……)
自分が悩み始めていることに築き、アルベラは一旦今までの思考を全て放棄する。
頭を空にしてふと思ったのは「自分がここまで気をもむ意味とはなんだろう」だった。
「……」
アルベラはスチュートに渡された包みを、怒りを込めてぐりぐりと指先で押す。
(何であんな奴の為に、何であんな奴の為に、何であんな奴の為に、何で……―――)
アルベラの指が包みを押すのを辞めた。彼女はじとりとそれを睨みつける。考えるように、彼女の指先は一定の間隔でテーブルを叩いていた。
(―――全部……馬鹿らしくなってきた)
「お嬢様、」
茶会の準備をしていたエリーがやってくる。
「そろそろそちら、お預かりしても?」
「ええ。準備は順調?」
「はい。お部屋の方も素敵でしたよ。湖が真正面から眺められて」
「それは楽しみね」
「あらあら、お顔がそうでもなさそうですね」
エリーの笑顔に、アルベラは「他人事だと思いやがって」という思いを込めてむすりとした視線を返した。だがすぐに「はぁ、」と息を吐き表情を戻す。
「ねえ―――」
***
「ご招待有難う、楽しみにしてたよ」
茶会用にと申請し準備した一室。ラツィラスはいつものように微笑んでいた。彼の後ろにはギャッジが控えている。
(ギャッジさんやっぱ来たか。当然だよな……。あの人の目を盗むとか、エリー大丈……)
とエリーを見れば、彼女は有能な執事を前にデレデレだった。頬を赤らめ今にも「キャー!」と黄色い声をあげそうな喜びの顔を表情をかべている。
(あの野郎……!)
こっちの気も知らずに、とアルベラは拳を握った。
「ご機嫌麗しゅう、アルベラ・ディオール様。俺まで招待いただけるなんて光栄です」
王子様に続いてのもう一人の招待客の挨拶―――ルーの声。
アルベラは己の感情を無視しそっと表情を崩した。
「いいえ、こちらこそ王族のお二人とお茶を飲めるなんて光栄です。来ていただいて感謝してます」
「ははは、折角なら俺は二人きりでも良かったぜ。エリーさんも入れて三人でもいいな」
「早速だなぁ」とラツィラスが呆れ混じりに笑み、「エリーだけでしたら交渉次第で貸出しましょう」とアルベラが素っ気なく返す。「ちぇー、つれねーなー」とルーが軽口で返し―――何もない様に和やかそうなお茶会が始まっていた。
「先ずは変わり種を良いですか」とアルベラは正真正銘毒も薬も入ってない普通のお茶を出す。
ガウルト土産のお茶をエリーが客人達の前に置いていく。
「あぁ、これ美味しかったよ。……あれ、けど少し種類が違うのかな? 貰ったのより香りが爽やかだね」
とラツィラスがカップを手に取る。ルーもカップを手に取り、その中身を眺める。
「そういえば俺、土産で貰ったのまだ飲んでなかったんだよな」
「君、そんなに忙しかったかい?」とラツィラスがクスクス笑い、「王子様ほどじゃなくても色々あんだよ。卒業生舐めんな」とルーが返した。
(貴方は珈琲の方がよく飲むって言ってたものね。だから珈琲を送って紅茶はおまけで……)
あの時の自分の厚意はなんだったのか。そんな思いが過るが、今は小さな感傷に浸ってる場合ではない。言葉をかわす二人へ意識を戻す。
(こうしてると普通に従兄弟って感じなのに)
これから毒を飲むと知ってる相手へなぜあんな自然な笑顔を向けられるのだろう、とアルベラはルーを見て思った。
(……て、人の事言えないか)
彼女が紅茶を見下せば、そこにはルーと大して変わらない笑顔があった。
三人は一杯目のお茶を飲みながら宿泊中の出来事や近状を話す。その中で当然と話題になったのはジーンの事だった。
昨晩、自室に女性徒を呼び込んだふしだらな騎士。
朝食ではすっかりその話題で持ちきりだった。ユリ達の話よりそちらの方が注目を集めていたほどだ。人によっては新たな王子様の側近というポジションを狙っているようだった。
「―――大丈夫だよ」
ラツィラスは大きな問題ではないという風に微笑んでいた。それが人を安心させるために浮かべてる物か、本当にそう思っての事かはアルベラから見たら不明だ。
「あれなら昨晩の内に話はまとまってるんだ。僕も本人から事情を聞いてるし」
「本人は何て?」とアルベラ。
「『俺はやってない!』て」
「犯人の言い逃れみたいな台詞ですね」
「ふふふ、本当はもっとちゃんと色々話してたんだけど、そこは省略って事で」
「はぁ……。それで、話を聞いてどう思われたんですか?」
「典型的な工作だよね」
と彼言った彼は何故か楽しそうだ。
「腹立たってのその顔ですか? それとももう犯人の目星がついてでも?」
「腹は立ってるしちゃんと犯人の捜索もしてるよ。けど、残念ながら犯人の目星はついてないんだ。一見大胆なやり方なのに、上手くやった物だよ」
アルベラはウォーフを思い浮かべ、「命拾いして良かったわね」と思う。
「じゃあ噂のように退学したり騎士の称号が剥奪されたりは」
「ないない。彼が騎士であることも僕の護衛であることも変わらないよ」
「そう、ですか……」
ないだろうとは思っていたが、はっきりと王子様にそう言われアルベラはほっとする。
「けど登校は少し置いてからね。すぐに人前に出るより少し時間をおいてからにするべきだって、大人の人達からのありがたーい助言」
「その置いてる間に女生徒を探すってか?」とルー。
「うん。出来る限りね。けどその人、もうこの屋敷にもいないじゃないかな。ジーンと同室の生徒と女生徒が逃げ込んだ生徒達の記憶は学園に帰ってから行うから、本格的に動けるのはそこからだよね」
「あ……記憶見るんですね」
「手っ取り早いからね」
くすくすと笑いラツィラスはカップを空にする。
「安心した?」とルビーのような赤い目がアルベラへ向けられる。
「はい。きっと殿下ほどでないでしょうけど」
「僕が? ふふふ……、他の件ならともかく今回のは先ず無いって、聞いたとき笑っちゃったくらいだよ。―――あ、けどそうか。彼の評判については心配してるよ。折角稼いできた信用がこんな事で削られるなんて可哀そうだ。それに本人も、見た目は何ともなさそうだったけど、もしかしたら少し凹んでるのかな。今朝、禁止されて外出れないからって部屋で木刀振ってたんだって。ペール(同室の生徒)が怒ってたよ」
「それは怒りますね」
「まあ危ないよね」
「やけくそって奴なのかな」と王子様は他人事に笑う。
ラツィラスの元に二杯目のお茶が置かれた。空になったカップへ新たな紅茶を注ぐのではなく、カップごと交換をする形……。貴族同士の茶会なら、茶器の自慢や賑やかしとして良く行われる方法なので不自然ではない。
彼は新たなカップを手に取り透明な赤橙色を眺め目を細めた。
「西のブロザのお茶です」
「あぁ、道理で。あっちの装飾って大味でかっこいいよね」
とラツィラスはカップの装飾に感想を漏らす。
ルーのカップも空になりエリーが入れ替えているところだった。
アルベラも残り数口分のお茶を口に運び、王子様の様子を見た。
彼は紅茶を揺らすようにカップをゆらりゆらりと回していた。揺れる水面を見下していた彼は、困った表情を浮かべ顔を上げた。
―――二杯目のお茶にはあからさまな猛毒の香り。
(気づかない方がおかしいか。カップがテーブルに来ただけでも甘い香りが私のところまで来たし)
昔から貴族で知られる毒花の香りだ。彼も知っていて当然だった。
「素敵な香りだね」
「そうでしょうか」
「ラムネリアは久し振りだな」
「え」
口を挟む暇もなかった
ラツィラスは紅茶を一口で飲み干す。
「な……」
「ご馳走様」
アルベラが驚きで言葉を失っていると、その目の前でラツィラスが咳き込みだす。口に当てた手の合間から鮮やかな赤い血が溢れて滴っていた。
***
「……」
アルベラは驚いた表情で茶会の扉の前に立っていた。
ラツィラスが倒れた。その後すぐにギャッジが動き、テキパキと室内から人払いをしていった。部屋に居たのはアルベラとエリー、そしてルーといつの間に居たのかルー付きの使用人二人。
他にあの王子様が倒れた事を知る者はいない。
アルベラは思い出したようにエリーを見る。エリーは笑顔のまま困った表情を浮かべていた。
二人の視線が絡まる。「なんで?」というお嬢様の問いの視線に「なんででしょう?」というエリーの返答の視線。
(だって、あのお茶は……)
よく分からなかった。頭の中が真っ白になってしまった。
まだまとまらない脳内だが、アルベラは「なぜ……?」という思いの元扉を叩いていた。
「ギャッジさん、あの、」
『申し訳ございません、アルベラ様。御面会はまた後日でお願いいたします―――』
「は い……」
「ちぇ。介抱の一つでもさせてくれて良いのにな。……?」
ルーはこの場にそぐわない明るさの声で言い、アルベラをみて首を傾ぐ。
彼女は無表情な目を自分へと向けていた。
茶会は終わった。もう表情を取り繕う必要はない。
「帰る。じゃあね」
今はこの公爵の令息様の相手より、部屋に戻ってエリーや八郎へ意見を求めたかった。
「待てって、部屋に送る」
「いい」
「けどお前顔色悪いし」
「いい。貴方と歩きたくない」
冷たい視線がルーへと向けられる。
彼は何と答えたか。何も答えなかったような気もする。
気づけばアルベラは部屋にいた。
テーブルには困惑した八郎とエリー。何も知らないニーニャが、困りながらもとりあえずと三人分のお茶をテーブルに並べた。





