317、初めての宿泊学習 13(ヒロインの聖域イベント)
「ユリ? ど、どうした?」
目を大きく開き息を切らせ戻ってきたユリへ、リドが驚いたように尋ねる。
部屋のなかでは一年特待生の女子組が集まりトランプ(アルベラの前世の物と全く同じもの)をしていた。
皆の視線を一斉にうけ、「あ……え……」とユリが言葉に詰まる。ユリは胸の前無意識に両手を組み、視線を横にそらせて「な、何も……」と答えた。そのさまに何かを感じたリドが目を据わらせる。
「そ、その……夕食までの時間、ちょっと聖域に行ってこようかなって」
「そ~なの~? いってらっしゃ~い」
とヒフマスは気前よく送り出そうとする。門限の時間となれば、聖域の警備にあたっている騎士達が残っている生徒達をまとめて馬車で送り返す。そのため、テンウィルとニコーラも「気を付けてね」と特に思うことはなく見送りの姿勢だ。
だがリドだけは違った。
目をそらし「うん、行ってくる~」と返すユリをじとりとみつめた。
ユリが鞄を取りちょっとした荷物をまとめているのを眺め「じゃあ、」と彼女が部屋から出ていくと、リドは手札を置いて「ちょっと抜ける!」と立ち上がった。
リドがユリを追って出た廊下では使用人や生徒達が行き来していた。その先に目的の背中を見つけ、彼女は速足でそれに追いつく。
リドは急いでる様子の目の前の肩を捕まえるように手をおいた。
「こらぁ、まてぇ!」
「きゃあ! ……リド? どうしたの?」
「どうしたもこうしたもこっちのセリフだよ。ユリ、何か嘘着いてるでしょ?」
「う、嘘なんて……着いてないよ……」
「ほぉうら、また目逸らす! 何? 後ろめたいことでもあるの? 私達には言えない話し?」
「い、言えなくは無いけど急いでて! そ、その……」とユリは胸の前でもじもじと指を動かす。
「私……授業中にベッジュ様にぶつかって耳飾りを無くさせちゃったみたいで……それを探しに」
「はぁ……? あのキャンキャン小うるさい御令嬢ズ……んぐ」
「リ、リド、しー!」とユリはリドの口を押さえる。
二人は辺りを見回し今のセリフが居ないかと確認した。人の行き来は当然とある。近くにいる者達の幾つかの視線がユリとリドに集まっていた。
「二人共廊下で何やってんだ」
口を塞がれたリドに口を塞ぐユリ。きょろきょろと辺りを見回す挙動不審な二人へ声を掛けたのはミーヴァだった。
「ミーヴァ、」
安堵と警戒が混ざり合った声でユリは彼の名を呼んだ。
「も、もしかして今の聞こえてた?」
「『小うるさい御令嬢ズ』が何だって?」
「う……」
聞こえていた。ということはきっとそばを通りかかった他の生徒や使用人達にも聞かれていたのだろうなとユリは肩を落とす。
(あぁ……また特待生や平民の評判が……)
「そうそう、ミーヴァにも聞いてもらえば? 何かいい知恵貰えるかもよ」
「良い知恵……?」
リドの言葉にユリは二人の顔を交互に見た。ぐっと口を閉じ葛藤した彼女だが、口の中の空気を飲むと観念して二人の手を取る。こうしている間にも失せ物探しの時間が消費されているのだ。
リドには先ほど事情を話したので、ユリはミーヴァを振り向き言った。
「ミーヴァ、歩きながら聞いてくれる?」
「お、おう……」
ミーヴァはどきりと胸を鳴らし、嫌でも赤く染まる頬を隠すように顔の前に手を翳した。
森への立ち入りは騎士の同伴を付ける決まりだ。だが、本日の騎士の貸し出の申請を行える時間はもう過ぎていた。その事もユリは自室に戻るまでに把握済みである。つまり―――
「つまりユリは一人でこっそり森には入ろうとしていたと」
「……はい」
リドに不正を指摘され、ユリは未遂の悪事を素直に認めて身を縮こませた。
屋敷の正面の庭、フロントガーデンの人目の少なそうな片隅を選んで三人は木々の影に隠れるようにしゃがみ込み言葉を交わす。
「やっぱり一人は反対だなぁ。何かあっても誰もユリの危険に気付けないじゃん。ユリが返ってこなくなって時間が経って、ようやく気付いた時には『時すでに遅し』かも知れないんだよ? ―――大体あの令嬢、普段は薬草学だなんて取るキャラじゃなくない? 気まぐれに急に真面目になんてならないでほしいよね。まったくもー、迷惑なんだからー!」
気まぐれであれ授業への参加は本来なら褒められる筈の行為である。それに文句をつけるリドに、言いがかりにもほどがあるだろうとユリは苦笑した。
「耳飾りの弁償だなんでケチな事言ってさ、またお父様に買って貰えばいいじゃん……」
とリドは頬を膨らませる。彼女が自分の側に立ち怒ってくれている事は分かる。だがその通りだと探す事を放棄できるものでもない。故意であれ過失であれ自分は人の大事な物を無くしてしまった原因なのだと、ユリは内心結構焦っていた。
「ありがとうリド。けど私、時間ぎりぎりまで探したい。お父さんの気持ちが詰まった大事なイヤリングだもの……。夕食までには戻るから、だから私が森に行ったことは秘密にしといてくれない? お願い。―――私が夕食までに戻らなかったら、リドは私の事は知らないふりしてこの紙を先生に渡して」
ユリは鞄から紙とペンを出し、さらさらと何かを書いてリドに渡した。紙には「すみません。薬草学の授業中落とし物をしました。森へ行ってきます。ユーリィ・ジャスティーア」と書かれていた。
「ユリ、これ……」
「先生には机の上に置いてあったって言って。お願い!」
「お願いってそんな! 待って、なら私も」
「貸して」
とミーヴァがリドの受け取った紙とユリの持つペンを取る。
さらさらと彼は文字を付けたし、リドへと返された紙にはこう書かれていた。
―――ミネルヴィヴァ・フォルゴートも一緒に行ってます
「うわ! 越された! ―――ちょっと待って、私も行くってば。探し物なら人手が多い方が」
「リドは残れ」
「はぁ!? ミーヴァ、あんたユリと二人きりになりたいだけ―――むぐ!」
「ち、違う! ちゃんと誰か残ってた方が安心だろ。お前だって言ってたじゃんか、危険があった時俺らが森に行ってる事を知ってる人間がいないと。ユリが森に入った本当の理由を知ってる奴が全員森に入って何かあって戻ってこられなかったらどうする―――あ、いや。ぜったい安全に戻ってくるから! それは俺が保証するから!」
「ふ、二人共待って! 私この事で他の人の手を借りる気は……。だってばれたら減点だよ。そんな事に付き合って何かあったら……誰かの卒業が私のせいで駄目になるなんて、そんな責任重すぎて抱えきれないよ」
「ユリ、リドならともかく俺はこのくらいで学園の卒業資格失わないよ」
「リドならともかく」の一言にリドが「なんだとコラァ!」と声を上げた。
「なんてったってあのアート・フォルゴートの孫だぞ。しかも中等部の頃から成績上位、前回の学園内魔術大会優勝者だ。ユリが学園側だったとして、そんな人材をあっさり切り捨てるか?」
「……切り捨てない」
「な? だから俺もいく。リドなんかよりリスク少ないだろ」
「なんかよりってこの野郎! ……確かにそうだけど……確かにそうだけど……!!」
リドがミーヴァの胸倉をつかみがくがくと揺さぶる。「や、やめろよ!」と揺さぶられながら抵抗するミーヴァ。
そんな二人をぽかんと眺め、ユリははっとし胸に手を当てた。
一人で行かなければという思い。しかしそれ以上に、力になってくれるという友人達の言葉にほっとしている自分がいた。
胸を満たす温かさにいつの間にかユリの中で強張っていた物が溶かされていく。それは彼女の真っ直ぐな責任感から生まれた罪悪感や恐怖心だ。完全に消える事はなくも、それらが必要以上にユリを責め駆り立てる事はもうない。
「有難う二人共」
ほろりと花が綻ぶような笑顔にリドとミーヴァの動きが止まる。
「へへん」とリドは照れたように鼻をこすった。ミーヴァは照れ隠しにリドへ矛先を向ける。
「お前は留守番だろ」
「こぉんのぉ……」
「二人の気持ち凄く嬉しい。けど―――」
「……?」
「……?」
「やっぱり私一人で行く。この事で他の人を道連れにはできないよ!」
どん、と言い切るユリにリドはぷるぷると肩を揺らす。数秒後、「こぉんの頑固者ー!」というリドの怒りの声が三人の周りに張っていた盗聴防止の魔術を破った。
***
結局一人で行くことを断固として譲ろうとしないユリをミーヴァが引っ張るように馬小屋へ連れて行った。
流石のユリもミーヴァのその熱意(?)に折れ、自分から「一緒に探してください」と頼むに至った。
馬小屋に着いた辺りでユリは辺りを見回しミーヴァを木陰にと引っ張り込む。
「な!? ユ、ユリ……!?」
「しー……。ミーヴァ、ごめん。私一つ隠してたことがあって」
「は?」
「一人で森に行くって言ったけど、実は完璧に一人ではないの」
「……は?」
「その……手を貸してくれる伝手があって。森へもその子達が飛ばしてくれるって。馬とかより早く移動できるらしいんだけど」
「その子達?」
「うん、―――ね?」
というユリの問いかけに、ユリの背後からぴょんぴょんと三つの光が飛び出した。拳サイズの光はミーヴァとユリの間でふわりと止まる。それらはぽんっと弾け、トンボや蝶のような翅を生やした手のひらサイズの人型の生き物―――妖精が姿を現せた。
「妖精……」
ミーヴァが呟き小さい頃を思い出す。
「ユリ、また妖精拾ったのか?」
ユリがストーレムの町に来て数回目、彼女が怪我した妖精を拾ってきたことがあったのだ。
その時、二人は周囲の大人からの助言を貰いながら介抱し、無事に妖精を完治させ野に放つことが出来だ。しかしあの時、何だかんだで助言をくれていた研究員たちは、ミーヴァ達が目を離したすきにその妖精を素材に加工しようとするので彼等は気が気ではなかった。ミーヴァが家に連れて帰れば、そちらの熱心な魔術研究家の爺様が熱心な目で妖精を見つめ、ユリが連れて帰れば商人の父が妖精の効果や効能、使い道やその価格について熱く語る。大人たちのちょっとした悪戯心に振り回され、どちらも気の抜けない数日間をすごしたのだ。
ユリもあの頃を思い出し、小さく笑って首を横に振った。
「違うよ。今回は話があるって声かけられたの」
(……妖精が人間に頼み事? 大丈夫か? 何か危ない事に巻き込まれたりしてないだろうな……)
「でね、ベッジュ様との話の後にすぐこの子達に聞いたの。『さっき私達が歩いた森の中に飛ばしてくれる?』って」
「『さっき私達が歩いた森の中』?」
「うん。この子達、授業について来てたから」
「大丈夫!」「私ちゃんと覚えてる!」「えへん!」と胸を張る妖精たち。「へぇ、なるほど」とミーヴァは頷いた。
「それで、そいつらがユリに声を掛けた理由は?」
「えーと、それはイヤリングを探しながらでもいい?」
「ああ……イヤリング……。そうだったな、分かったよ。じゃあさっさとそれ見つけて、そいつらの用事も終わらせよう」
「ちゃんと終わらせられるような用事なら」とミーヴァは心の中で付け足し妖精たちを訝し気に見つめた。
彼等は純粋な悪戯心で人を陥れる。自分達以外の存在について無知な妖精が、気まぐれに旅人を森で迷わせ餓死させてしまう事もあるのだ。そんな妖精の恐ろしさは一般的にも良く知られている物だ。
「よろしくー」「よろしくミーヴァ」「長いからミーだ!」と友好的な態度を見せる彼等だが、この可愛らしい姿に惑わされてはいけないとミーヴァは警戒した。
「じゃあお願い」
ユリが頼むと、妖精たちが顔を見合わせて頷きあう。
「二人共手繋いで!」
「絶対離さないでね!」
「森の後はちゃんと聖域行くよ!」
「うん、分かった。けど聖域の後はすぐにここに帰してね。約束よ」
「うん!」
「うん!」
「私達、約束は絶対!」
「聖域?」とミーヴァが訝しがる。
妖精たちの羽が震えるような速さで羽ばたき強く輝いた。二人の回りにぐるりと風が渦巻く。
一匹の妖精が「せーの!」と声を上げた。
「―――どっこいしょー!!!」
妖精たちが声を合わせ翼を大きく上から下へと打ち付ける。普段は薄く繊細に見える羽が、今は強い光に覆われ二回り以上大きく分厚い物へとなっていた。
ユリとミーヴァを包んだ風の塊は、二人の姿を周りの目から隠して空へと舞い上がり真っすぐに目的の地へと飛んでいく。
***
「ふーん。飛んでいったと」
夕食前の数十分。アルベラは八郎とテーブルを挟んで時間を潰していた。エリーとニーニャはその間部屋の外に出しており、転生組での水入らずの作戦会議(という名の雑談)というわけだ。
アルベラがキリエと散歩したり、ラヴィとルーラの茶会に偶然遭遇し仲間に入れて貰ったりとしている間、八郎はアルベラから渡された「多分毒」の液体の解析をしながらユリを追っていたのだ。
「まさかミーヴァ殿が一緒に行くとは思ってなかったでござる。本当ならユリ殿が一人で行って、戻ってこなくて捜索隊が出動。痺れを切らしたヒーローも探しに行って、自力で屋敷の傍まで来ていたユリ殿と遭遇して連れ帰る―――という流れなはずでござったが」
「やっぱり全く同じではないのね。けど、ここで私にとって重要なのはユリが聖獣の玉子を持ってくる事でしょ? なら誰と行こうが、ちゃんと彼女が無事で玉子もあればそれで良し。ついでに、うっかりミーヴァが玉子を二回落として割ってくれでもしたら万々歳なんだけど」
「―――くぅ……、ユリ殿が森でヒーローと二人きり……ミーヴァ殿、変な気を起こしていないでござろうか……。ヒロインはあくまでヒロイン……幾ら結衣に似ているだけの赤の他人とは言え、嫁入り前の娘に何かあったらと思ったら拙者、いてもたっても……―――あぁぁぁぁ! 結衣ぃぃぃぃ!!!」
「うるさい!!」
リド以外に自分達の動向を知る者がいる―――などと知る由もなく、ユリとミーヴァは森でイヤリング探しに勤しんでいた。
「ベッジュ様、この地点で『早退』してたはずだからここから先には無いはず……」
薬草学も魔獣学も、森の中を散策するような授業では必ず途中でリタイアする生徒が出てくるので「
早引き地点」という物が設けられている。そこで授業を抜けたい者達をまとめて屋敷に送り返すのだ。
「風で飛ばされたり人や獣の脚に蹴られててもそう遠くまでは行かないだろうしな。にしても、途中で帰った奴らの顔を覚えてる人間がぶつかった事を覚えてないなんてあるか?」
「どうかなぁ……ぶつかったことに気付いてなかったら覚えてるも何も無いし……」
「そうかもだけど……そもそも本当にあいつ等イヤリング何て落として―――」
「あったぁー!」
ミーヴァがイヤリングの存在自体を怪しみかけていた所、共に辺りを捜索していた妖精の一匹が声を上げた。それは共にここへ来た三匹ではなく、いつの間にか増えていた妖精の一匹だった。
ミーヴァやユリの周囲をふわふわと漂っていた光がその声に各々揺れて反応する。
「やったー!」「すごーい!」と喜ぶ声や、「越されたー!」「負けたー!」と悔しがる声。
その声の中を抜け誇らしげにユリの元にやって来た妖精は、「どう?」とクリスタルの花が縦に連なったイヤリングを持ってきて見せた。
「これだ……、これだよ! ありがとう!」
(なんだ、本当に落としてたのかよ……)
ミーヴァは疑った自分を僅かに恥じる。
「じゃあ次はヌシサマ!」
「今騎士が見回りしてるって」
「あいつらも帰ればこっちのもの!」
とユリを運んだ三匹が彼女の肩に腰を下ろしながら拳を握った。
聖域の湖には主と呼ばれる「なにか」がいるらしい。そのなにかがユリに用があると……、ミーヴァは聞いた数少ない情報を思い返しながら不安に息を吐く。
「そいつ、本当に安全なんだろうな……」
「大丈夫だよー、主様人食べないし」
「主様歯無いし」
「けど大波起こせるから怒ると怖いよねー。悪いことしたら丸飲みの刑なんだよ」
「おい、今こいつさらっと危ない事言ったぞ」
「大波、丸飲みとは何か」「魔獣なのか」と問いただすミーヴァの顔の周りを、妖精たちがキャッキャと笑い飛び回る。
「ほらほら、聖域こっち。騎士ももうすぐで帰るよ」
と妖精たちがユリ達を聖域へと案内する。
暗くなって見えずらくなった足元を照らしてくれる者。歩くのを手伝ってくれているのか、小さな体で指を掴み引っぱる者。
彼等の手助けを受けながら、ユリとミーヴァは夕闇に沈みかけた森で迷うことなく歩き―――無事聖域に辿り着くことができた。





