316、初めての宿泊学習 12(サンドーレ・ベッジュの耳飾り)
***
「―――あら、ディオール様。バスチャラン様」
「殿下、エイプリル様、」と立ち上がろうとしたキリエを「そのままでいいよ」とラツィラスが制す。一応腰を持ち上げかけていたアルベラも、王子様から頂いた言葉に芝生の上敷かれていたシートへと座り直した。
(二人きり……じゃないか)
アルベラはクラリスとラツィラスの後ろに控えたジーンを見て思う。
(二人共『当然別行動もする』とか言ってる割には結構な割合一緒に居るよな。学園内はあまり護衛の必要性無いともいってるけど、令嬢間ではこの人のお茶会にはジーンの同席が必須みたいな認識になってるし)
「良い天気ですわね。日光浴に最適な」とクラリス・エイプリルがほほ笑む。
「ええ。お二人もお散歩ですか?」とアルベラ。
「そうなんです。今お茶の準備中でその間に」
クラリスが湖の中央の小島を示し、そのガゼボの中組まれたお茶の席ではもうほとんど準備が整っているようだった。
「とても素敵なところでしょう? だから折角だと思って、ダメもとで殿下をお誘いしたんです。そしたら幸運にも、突然のお話だったにも関わらずお受頂けて。殿下の優しさには感謝してもしきれませんわ」
「まぁ、素敵ですね。お二人共楽しい時間をお過ごしください」
「……ええ、お二人も」
「またね」
とラツィラスが二人へ微笑みエスコートの手を差し出した。クラリスは嬉しいながらも気恥ずかしそうにそれに応え、アルベラとキリエへ視線を戻す。
「ではまた」
会釈しかけていたキリエはクラリスと目が合った自覚を持ちながら頭を下げる。顔を上げればラツィラスが軽く振り返り二人へと手を振っていた。
キリエはそれに笑んで返す。
「ジーン君もお疲れ」
「あぁ」
「美味しいお茶、飲めると良いわね」
ジーンは僅かに表情を渋らせ「どうだか」と言いたげに首を傾げた。
「じゃあな」と去っていく彼を見送りキリエが「美味しいお茶?」と尋ねる。
「殿下とのお茶会ってよく混ぜ物があるそうなの」
「あぁ……そういえば前に聞いたな。ラツィラス様凄い怒ってた」
「そんなに怒ってたの?」
「うん。あ、けど怖い感じにではないよ。中等部の時すっごい苦いお茶が出されたみたいで、『流石に限度があるって』ちょっと愚痴ってたみたいな感じ」
「へぇ」
「けどエイプリル様がかぁ……。ああいう人でもそういう事するのかなぁ」
「あら、キリエのイメージではエイプリル嬢はそういう事しなさそうな人なの?」
「うーん……俺はあんまり関わらないど……中等部の頃から『綺麗でおしとやかな人』って言われてるから」
「『綺麗でおしとやかな人』……」
「あ、え……ええと、けど!」とキリエが身を乗り出す。
「アルベラも同じ位皆から綺麗って言われてて……、あ……その、お、俺にとってはアルベラが一番綺麗で……!」
と言ってキリエははっとしその顔は「カァ……」と赤くなった。
キリエからの好意にはすっかり慣れてしまっていたアルベラだが、流石に恥ずかしがり屋のキリエが面と向かって「一番綺麗」等とは言ってきたことは無かったので一瞬面食らう。
いま会話を途切れさせ妙な沈黙が続くのは酷く気まずい、とアルベラは何でもいいからと手当たり次第に言葉を捻り出す。
「……あ、ありがとう。キ、キリエも、随分大きくなって……男らしくなって健康的になって……い、いつも筋トレ頑張ってて偉いと思う! 動物達の研究もこつこつ頑張ってるってザッヘルマ兄様から聞いてて……す、凄い! 偉いと思う!」
「う、うん、ありがとう」
(この間会ったお婆ちゃんと同じこと言ってるような……)
嬉しい。しかし何となく祖父母のような目線で言っているように聞こえるのは如何に……。
(異性として見てもらうにはどうしたらいいんだろう)
小さい頃からイベントごとがあれば手あたり次第アルベラに声を掛けてきたキリエだった。だが、一緒に遊べたとしてもその関係が進展する様子は一向にない。告白をするにもアルベラにそんな気がなさそうなのは分かるので「今じゃない」という感覚が付きまとう。
(父さんはガンガン押せば何とかなるとか言ってたけど……本当にそんなんでいいのかなぁ……)
***
(婚約者候補の噂って何だろう……もしかして嫌がらせの……? アルベラとどんな関係があるのかな。貴族同士の噂は直接私達には入ってこないから邪推しないよう気を付けないと……―――それに本物の媚薬って……て……え!? 本物の媚薬!? そんなの存在―――)
「―――ねえ!」
と一人の妖精がユリの前に飛び出た。
顔の真ん前に飛び込んできた彼に、ユリは「わ!」と声を上げ尻もちをつく。
「話し聞いてた!?」
「ちゃんと聞いて!」
「聞かないとダメ!」
存在を主張して他の二人の妖精たちもユリの目の前に回り込む。
「ごめんごめん、ちゃんと聞いてたよ」とユリは苦笑した。
「ホントに!?」
「ホント?」
「嘘はダメ!」
「本当本当。えーと……」
とユリは人差し指を立てる。
「湖には主様が住んでて、何でか分からないけど私と話したがってて……今日人気のない時に来てほしいと……。あと、昨日から行方不明のお友達がまだ見つからない。けど今日のお昼頃、お友達の鱗粉を体に着けた人間を他の妖精が聖域で見た……あってる?」
妖精たちは「おぉー!」と感嘆の声を揃える。彼等の羽は感情表現の一つらしく、何かあるとパタパタと早く羽ばたいたり輝いたり鱗粉を散らしたりと賑やかだ。
「正解! 迷子は他の奴らが探し中!」
「ユリも引き続き何かあったら教えてね」
「私達はユリを運ぶ係! 今すぐにでも運べるけど、今はまだ人がいるからダメー!」
「うーん……皆が居ない時間か……。ごめん、少し考えさせて」
ユリは両手を合わせごめんなさいのポーズをとる。宿泊学習時に決まってる時間外の聖域への立ち入りは禁止なのだ。消灯時間も決まっており消灯時間以降は外出は勿論、生徒の部屋の行き来も禁止である。
(聖女様が言ってたのはこれか……)
『ユリ、近々にあなたの所に小さな訪問者がちょっと大きな問題を持ち込んでくるみたい。断った方が平穏は保たれるでしょうけど……けど、私は受ける方をお勧めするわ。断然お勧めするわ。いろいろと賭けにはなるけど、うまくいけばきっと断った時よりも面白い未来に繋がるもの。失敗してもちょっとしたお咎めを受けるだけだろうし安心して探しに行きなさい』
『探しに? 一体何をですか?』
『さぁ、何かしら』
『え と……、メイ様……それって占いか何かの結果ですか?』
『あら、そこらで占いと呼ばれている娯楽よりは確率の高い未来よ。星を読むこともできるけど、そういうのよりもっと確実。ここ最近からなんだけどたまに感じるのよね、ふと。誰かといる時でも一人でゆっくりしてる時でも関係なく。未来視に近い物なんでしょうけど魔力は必要無いし映像で見えているわけでもない、その事象に関わる色んな人の感情とか思考の断片が分かるの。もしかしたらこれも寵愛の一種なのかもしれないけど、なら生まれた頃からあってもいい筈なのよね。生まれてからこんなに時間が経って……そんな寵愛聞いた事がないわよ。―――まったく本当に、一体何なのかしらこれ』
(聖女様はちょっとお咎めを受けるだけとか言ってたけど……、もしかしたらそのお咎めが卒業に響くかもしれないし……そうしたら私、あんなに応援してくれたおじいちゃんおばあちゃん、おばさん、姪っ子たちにも顔向けが……)
「お願い、考えさせて……! できれば明日の日中とかで人がいない場所を探してとかで手を打てると嬉しいんだけど。ほら、今人が沢山出入りしている場所、あそこ以外の森だって聖域でしょ?」
「えー! 主様日中は嫌がるよー」
「森の中は危ないよー」
「今皆気が荒立ってるのにー」
日中の森にもあまり来てほしくなさそうな妖精たちにユリは疑問を抱く。
「森がどうしたの? 日中も危ないのは分かるけど……、普段より人が多いから?」
「うん、人間の兵士達が魔獣を狩って回ってるし聖域の気を乱す奴が来てるから。だから魔獣が警戒態勢!」
「それにコントンが来てるの。ユリが襲われたら大変。きっとあいつユリの匂い嫌いだよ、僕らが好きな匂いはアイツの嫌いな匂い。アイツの好きな匂いは僕らの嫌いな匂い!」
「それにそれに、変な人間! すっごく丸いんだよ。なのにすっごくすばしっこいの。一人で何かしゃべって、ニタニタ笑って怖いの!」
「聖域を乱す人にコントンにニタニタ笑う人? ……う、うん。確かにそれは怖いけど……」
(コントンはきっと聖域にには入れないよね……。けどそれ以外の魔獣も危険なのか。コントンの心配をするなら日中の方が安全なんだろうけど、日中でも森の中は辞めて欲しいみたいだし……。ニタニタ笑う人はともかく聖域を乱す人って何だろう。―――『咎人』は聖域に嫌がられるとか聞いた事あるけど……騎士が沢山来てるし、その中に聖獣を狩った事がある人でもいるのかな)
「ユリー」「ユーリー」「ねえー」と妖精たちがユリの顔の周りを飛び回る。
「今夜はダメなのー?」
「ちゃんと帰すからー」
「優しくするからー」
「ごめん。すぐにはちょっと……。けど何も考えてない訳ではないから、少し待ってくれる?」
(もしかしたら……夕食から消灯にかけての時間は可能性あるかな。まだ庭への外出もできるし、聖域への道は妖精たちが手を貸して飛ばしてくれるらしいし……。夕食前に出される在室確認帳にサインしないといけないからそれまではちゃんとここに居ないと……)
「お返事早くね」
「早く早くー」
「返事遅いと勝手に飛ばすから」
「勝手にはやめてー」とユリは手を合わせてお願いし、妖精たちはきゃっきゃと笑ったりべーっと舌を出したりして羽を羽ばたかせた。
妖精たちとの話合いを終え、ユリはこそりと木々の合間から抜け何食わぬ顔で庭を散歩する者達に紛れた。
彼女はこの屋敷へ来てから、まだちゃんとこの庭と湖を回れていない。今日か明日の午前中を逃せば来年までお預けである。丁度いい機会だと、彼女は適当な場所で足を止め整えられた庭と湖全体を見渡した。
聖域の湖は大きく、大自然に囲われた様はまさに神聖という言葉に尽きる景色だ。それに比べこちらは人工的な美しさや可愛らしさがあり、聖域と比べると随分馴染みのある物に思えた。
小柄な湖の周囲はぐるりと舗装され生徒達が散歩しているのが見えた。なだらかな傾斜の先で水と陸が交わっている畔は水や砂を魔法で操り燥いでいる者達の姿や、パラソルを広げ和やかなピクニックをしている者達の姿があった。陸地が段差になって湖に落ちる危険のある場所には柵が儲けられていた。
キラキラと日の光を受けて輝く水面が広がり、その中央には小さな島にガゼボが建てられている。
(わぁ……、殿下と確か大伯のご令嬢……。綺麗……)
優雅なお茶会のワンシーンに見惚れているユリ。その後ろ姿を数人の女生徒たちが見つけ顔を見合わせる。
「ユーリィ・ジャスティーア」
「はい……?」
わざわざフルネームで呼んでくるのだから親しい間柄ではない。しかし割と聞き覚えのあるその声にユリは少々不安を感じながら振り返った。
「ホワイトローエ様、ブルティ様……ベッジュ様?」
ユリが口にした同級生である令嬢達の名。その最後の一人に疑問符がつく。白い髪に黄色の束が混ざっているホワイトローエに、明るい青髪のブルティ、毛先に向けベージュから焦げ茶へとグラデーションしているベッジュと、普段はあと二人の令嬢がおり、彼女らは良く五人でつるんでいた。
今は三人でいるようだが、ユリはそれについては「そういう時もあるだろう」となんとも思わなかった。
今気にすべきはベッジュの様子だ。彼女は目元を腫らし涙を流していた。
「あの、ベッジュ様は一体……」
「一体!? 貴女のせいよ、ジャスティーア!」
ホワイトローエが怒りのままに声を張り上げる。
「え……? 私がなにか」
「何かですって!? 貴女薬草学での事を忘れたってわけ!?」とブルディ。
ずいっと迫って来た二人に、ユリはあたふたと「薬草学?」と尋ねた。
「貴女、サンドーレ(ベッジュの名)にぶつかったでしょ!? 彼女、その時大事な耳飾りを片方森の中に落としてしまったのよ!」
「サンドーレが耳飾りを落として驚いている間に貴女はさっさとどこかに行ってしまって……信じられない。神経を疑うわね」
「わ、私……すみません。全く気づけなくて……」
「人にぶつかって置いて気づけないなんて……。粗暴だこと、それだけ貴女達(平民)は人とぶつかることになれてるらっしゃるのね。気を付けないと」
顎を持ち上げ見下ろすホワイトローエ。
そういうわけではない、気づけなかったのは自分のどんくささのせいだ。とユリは思ったが、泣いている令嬢を前にそういう事を返している場合ではないとユリは言葉を飲んだ。
「すみませんでした。ベッジュ様、耳飾りの特徴を教えてくださいませんか? 良ければ残った片方のデザインを見せていただくことは?」
「……見るだけよ、絶対触らないで」
ベッジュが見せたのは楕円にカットされたクリスタルが花の形に組まれ、縦に幾つか連なった耳飾りだった。
「誕生日にお父様がプレゼントしてくださった大切な耳飾りなのに……あなたの、あなたのせいで……ひっく……ひっく……」
「お父様のプレゼント……」
「父」というワードにユリの体から血の気が引いた。
ホワイトローエとブルディが棘のある言葉を向けるがユリにそれを拾っている余裕はなかった。
「すみません、この宿泊学習中に絶対見つけますから……ベッジュ様、その耳飾りどこらへんで落としたかは覚えてませんか?」
「分からないわよ! 周りはずっと同じような景色だったし」
「ええと……じゃあ、先生がどんな草花の説明をしてた場所かとかは……?」
「そんなの聞いてる余裕なかったわよ! 私は必死で、それどころじゃなかったんだもの!」
「すみません……」
「謝罪でどうにかなるとでも?」
「分からなければ授業があった場所を最初から最後まで見てみればいいじゃない。見つからなかった時は弁償の覚悟もしておくのね」
「そうね、弁償……。平民が返すのに一体何年かかるのかしら。可哀そうなサンドーレ……」
ホワイトローエとブルディの言葉に「します」とユリは返す。「はぁ?」といかにもな目で見下す二人を通り越し、ユリは真っすぐにベッジュを見て口を開いた。
「私、見つからなかった時は絶対弁償します。何年かかるか分かりませんが絶対に……。でも先にちゃんと探して……出来る限り見つけられるよう頑張ってみます。ベッジュ様、すみませんでした。お返しするまでお待ちください」
ユリは頭を深く下げ謝罪する。
そしてすぐに三人の前から立ち去り、彼女は急いで自室に向かった。





