307、初めての宿泊学習 3(旅の打ち上げへ)
ユリがぐっすりと眠りについていた頃―――ディオールのお嬢様は王都の北の冒険者ギルドと同じ通りに構える飲み屋「グランマのもてなし」にて地獄を見ていた。
「ひゃはははは! もっといけんだろ嬢ちゃん! おらおら口開けなぁ! 人はなぁ! 酒を溺れるほど浴びて吐いて浴びて吐いて浴びてを繰り返して大人になってくんだよぉ! この国の王様もそうやって王様になったんだ、知ってたかい? ひゃははははは!」
半ば意識を失いかけているアルベラを揺さぶるアンナも大分酒が回っており焦点が合っていない。
「うっぷ……―――もうむり……コントン、食べて……」
―――バウ
『イイノ?』
影からぬるりと鼻先を出した大きな犬の化け物に、カスピとビオが顔を青くして「駄目です!」「ヤメテ!」と声を上げた。
スナクス、ゴヤは既にアンナにより潰されており白目を剥いて床で潰れていた。ビオはその一歩手前だ。もうこの際意識を手放して楽になってしまおうかと思い悩んでいたところである。
カスピはと言えばビオよりもマシな状態だが、それは酔ったアンナを相手に武器と魔法と魔術を本気で構えて守り抜いて来たものだった。
室内に姿の無いナールは、アンナの手により服をはぎ取られ(ビオとカスピの必死の抵抗でパンツだけは守り抜き)窓から外に吊るされていた。こちらも既に意識は無く、本人が知らぬ間の見せしめとなっていた。
エリーは見た目こそ酔ってはいなかったが―――
「アンナちゃん、ほら、未成年相手だしそろそろその辺に……ね?」
―――と、アンナと柱を見間違え、それなりに密度があり固い種の木製の柱を片手で握りつぶし締め上げていた。
アンナに胸倉を掴まれ宙ぶらにされていたアルベラはエリーのその様を見て「あ、私もうだめだ……」と自らの死を覚悟し意識を手放した。
「―――んで男だぁ! 吐くほど酔った末に男を搾り取ってやんのさぁ! 魔力量の多い男をからっからになるまでなあ!!! 聞いてんのかい嬢ちゃん!!」
アンナのその声は開け放たれた窓から外に漏れており、通りを歩いていた男たち(特にこの声に聞き覚えのある者達)は顔を青ざめさせる。
ガルカは天井の上に張り巡らされた梁の一つに横になっており「そろそろ全滅するか……」と呟き、持っていた酒瓶をたまに傾けながら下の様子を傍観していた。
「ぐちゃぐちゃ」
窓際に置かれたソファーに座っていたミミロウは部屋の惨劇を前にぽつりと呟く。
今日はもうこのまま寝るだけだ。彼はここに来る前、この部屋が宴会の会場であり今晩の宿となる事を教えられていた。そしてカスピからこうも言われていた。
『いい、ミミロウ。皆がどんなにうるさくても眠くなったら寝て良いからね。煩かったらこの布を被って。―――あ、アンナに踏まれないよう部屋の隅か高い場所で寝るのよ』
ミミロウはカスピのこの言葉に従いソファーの手すりに畳んで掛けてあった布に手を伸ばす。
カスピへと目をやると、彼女は疲れ切った顔で苦笑しミミロウに手を振った。彼女の唇が「おやすみ」と動き、ミミロウも彼女とそしてここに居る皆に「おやすみなさい」と告げ布を頭にかぶった。
彼は一日を思い返し「今日も楽しかったな」と目を閉じる。
***
時はアルベラ達がスリが連行されるのを見届け、町を散策して時間を潰し、祝賀の会場となる飲み屋を訪れた頃に遡る―――
その通りは冒険者や傭兵と言った身なりの者達が飲み食いしている店で賑わっていた。路上や店内では楽器が奏でられ、夜を迎える街にはアルベラが普段見るよりも少し荒々しさのある気さくな空気が流れている。
約束していた飲み屋は蔦に覆われた少し大きな民家といった外見だった。
店先にはテーブルが三席ほど。店先の席は埋まっており、テーブルにはこの国の東の田舎料理が並べられていた。東北方面への旅だったという事で東の田舎料理がおいしいと評判のこの店を選んだのだそうだ。そしてその選抜理由には「酒が美味い」も当然含まれていた。
カスピが扉を押すとカランカランと扉に吊るされた鐘が音を上げる。
店内はテーブル席が四~五席と数席のカウンター席が並ぶ程々の外観通りの程々の広さだった。
「三階……って言っていいんでしょうかね。とりあえず、今回はそちらを貸し切りだそうですよ」
カスピが店員に「アンナの予約です」と言って了解をとり階段を上がってく。アルベラ達もそれに続き、テーブル席の全てが埋まって賑わっていた二階を過ぎて三階へと上がった。
(三階、というか屋根裏部屋)
とアルベラは到着した部屋を見て思った。
大きな窓と頭上の梁。屋根が高いので狭さは感じず、梁にはデザインの異なるアンティーク調のランプが点々と掛けられていた。東の田舎の工芸品であろう絨毯、テーブルや椅子、ソファの装飾、カーテン、壁紙等。悪い意味での田舎臭さの無い、可愛らしくお洒落さのある田舎の落ち着く一室が宴会場だった。
「よう、嬢ちゃん! 気に入ったみたいだね」
中央のテーブルで肘をついていたアンナが片手を上げる。
「ええ。もっと酒場って感じの場所かこれでもかっていう高級料理店かと思ってたからちょっと意外で」
といっても後者は店の名前的にあまり想像できていなかった。だからアルベラが想像していたのは前者の酒場らしい酒場だ。それこそ騎士達ご愛用の「酒の実」のような場所を想像していた。
「まったりした雰囲気がいいだろ。けどここの酒の揃えを舐めちゃいけないよ。貴族様でも高いと仰る類の瓶も置いてるからね、覚悟しな」
「私を誰だとお思いかしら。命を張って戦ってくださった皆さんへのお礼よ。どんなに高かろうが料理も飲み物も好きにしてちょうだい」
「おお、太っ腹! 流石公爵ご令嬢!」とスナクスが嬉しそうに拳を振り上げる。
ゴヤが「よっしゃあ」と言って酒の書かれたメニューの一番後ろのページを開いた。
ナールは窓際のソファに胡坐をかいており、アルベラと共に来たミミロウが小走りでそちらに行くとソファの上に飛び乗った。ミミロウの乗った反動でナールが揺れ、ミミロウには寛大な彼は何も言わない。
カスピはミミロウの行動に微笑み、思い出したように「どうぞ、私達も座りましょう」とアルベラ達を席へ促した。
正方形のテーブルが二つくっつけられた長方形の席。テーブルの高さはあっているが、角や脚のデザインと木の色が異なりあべこべな感じがまたこの部屋を賑やかにするのに一役買っていた。
一番奥の誕生日席に座っていたアンナ。アルベラはその正面に向かい合う誕生日席へと促される。当然とガルカとエリーがその左右に座り、カスピはエリーの隣に座ろうとし「ここはきっと騎士様が座りますよね」と一個空けて奥に詰めた。
(ガイアンさん、座るならあそこよ)
とアルベラはエリーの隣の席を見て冗談半分に思う。
ガルカ側の席(アルベラの右手側)は椅子が二つ空いて奥にスナクスとゴヤが座っており、「多分あそこにはタイガーさんとナールの奴が座る事になるんだろうな。ビオさんとカスピさんの間はミミロウさんの席だろうし」とアルベラは予想した。そして開始の際の席については結果そうなるが、飲み進めていけば席など関係のない話だった―――。
「んで? 騎士様方はいつ着くんだい?」と問うアンナは待ちきれない様子だ。
「時間通りに来るんじゃない?」とアルベラ。
二人のやり取りを聞いていたミミロウが「来たよ」とソファの上に立ち窓の外を覗いていた。ここには自分の正体を知っている者達しかいないという安心からか、ローブの下彼の蜥蜴のような尾が楽しそうに揺れている。普段ミミロウは自分の正体と尾の揺れに注意しているので、旅の最中、彼の正体を知らなかったアルベラ達は目にしなかった光景だ。
そのミミロウの姿が、前世でたまに見た電車で窓に両手を付いて風景に燥ぐ子供達の背と被りアルベラの口元が緩む。
「何がそんなに嬉しい」
右手から興味がなさそうにガルカが問う。アルベラは目を据わらせて緩んでいた口元を引き締める。
「微笑ましいでしょ。―――ここも素敵なお店だったし」
「安いものだ。アレが酒を飲み出したらどうなるか目に見える」
太い糸で織り込まれた酒の染み込みの良さそうなテーブルクロスを、ガルカは摘まみ上げ指先で弄ぶ。
アルベラは想像し「余計なことを言いやがって……」と苦し気に不満を零した。
(明日の朝にはこのテーブルクロスもお酒とゲロでびちょびちょになってるんじゃ……―――えぇ……部屋の隅にバケツが置いてある。しかも結構多い……)
流石冒険者で賑わう通りの店。そこら辺も準備万端なようだ。
「あの女、今日はいつも以上に気合が入っているぞ。貴様らがどれだけ持つか楽しみだな」
「あんたね……」
「―――皆さんお久しぶりです」
タイガーのよく通る声が室内に響き再会の挨拶を告げた。ガイアンが頭を下げて言葉を省略し、アルベラのもの元へ行くと片膝をついて首を垂れた。
「ご無沙汰しておりました、お嬢様」
「お元気そうで何よりです」とタイガーも彼の横に片膝をつく。
「ガイアン、タイガー、一週間ぶりね。もうすっかり良くなってるようで良かった」
「ええ、何しろ教会の治療です。抜かりはありませんよ」
タイガーが白い歯を見せて笑む。
「そうね」
旅の最中見慣れたこの笑顔もいつまでかは分からないが今日で暫くお別れなんだなとアルベラはふと寂しく思う。
「さあさあ、演者は揃ったね!」
パンパンという手を叩く音とアンナの「待ってました」と言わんばかりの軽快な声がアルベラのしんみりしかけていた気持ちを掻き消した。
「ならとっとと祝杯と行こうじゃないか! ―――飯だ! 酒をありったけ頼みな! 嬢ちゃん、今日はとことん付き合ってもらうからね!!」
「……―――」
この部屋に来た際の感動と騎士達との再会に感じたしんみりとした気持ちはどこへやら。アルベラの胃が一瞬で重くなる。顔を青くする彼女に、ガイアンが「大丈夫ですか?」と心底心配そうな声を掛け、タイガーは「これも大人への階段です」と軽いノリで親指を立てた。





