301、婚約者候補被害者の会 7(完璧な解決はしないまま)
彼女は鏡に向かい自慢の髪に櫛を通していた。真っすぐな水色の髪が薄く開けた窓から入り込んだ風にさらりと揺れて艶めく。それを満足げに見ていた彼女の耳に扉のノック音が届いた。
「入りなさい」という許しの言葉の後、一人の使用人が部屋に立ち入り頭を下げる。「お茶会は無事終わったそうです」とその使用人が告げた。
「無事?」
と部屋の主の彼女は眉を寄せた。
「はい。無事、皆さん退室されておりました。ダンスト様とサーグッド様は、少し部屋を調べていたようでその分遅れて帰られましたが。魔力の暴走の件で違和感を感じられたようですね。ですが何も得られなかったようです。ダンスト様のご様子だとディオール様への疑いは完全に晴れてないようでしたが、魔力の暴走について罪の意識を抱かれているようで必要以上に強く出られなかったようです」
「そう……結果はどうあれ、一応指示通りにはやったって事」
「はい。外から印の発動は確認しております。しかし毒の方はなぜ回避されたのかまだ不明です……」
「あの女が気づいた……とは思えないわね。毒に慣らされていても見極める術はまで養ってないようだったし」
「歴史の浅い家ってやることが本当中途半端……」と彼女は馬鹿にした笑みを浮かべる。
「もしかしたら、あの使用人が魔族だという話が本当の可能性もあるかと」
「魔族が人に仕えて主人を守るですって? 馬鹿らしい」
ディオールの令嬢に使えている容姿端麗な男の使用人を思い浮かべ、彼女は会ってなるものかと首を振った。しかし「だが……」と彼女は思案する。「そこらの一般的な騎士よりも腕が立つようだから甘く見ないように」というのは祖父の言葉だ。あの祖父がそう言うのだから、あの二人の使用人が使用人としても護衛としても優秀なのは確かだろう。そして、あの黒髪の使用人が魔族だという話も、祖父がいま調査中なのだというのだから結果が出るまでは完全に否定すべきではないと、一応分かっているつもりだった。それでも彼女が「そんな事あるはずない」と思いたくなってしまうのは、一般的な魔族の印象がそれだけ粗暴で残虐だからだ。
「―――あの二人の使用人が一緒に茶会に行ってたのだし、あの二人のどちらかが気づいて止めた可能性はあるわね。やっぱり完全に一人にしないと……あの女を叩くのは難しいわね」
「はい。あと、途中ラツィラス殿下が介入されたそうなので、もしかしたら殿下か護衛の騎士が手を貸したという可能性も―――」
「殿下が……? なぜ!? あの女が呼んだの!?」
「いいえ。偶然通りかかったそうで」
「そんな偶然あるわけないじゃない! どこまでも汚らしい女! 元準伯の分際で殿下に色目を使って……分も弁えずに図々しい……!」
憤る主人を前に、使用人の彼女は「どうぞ冷静に」と頭を下げた。幼い頃から使えてきた主だ。こんな姿にも見慣れている彼女が主人の怒りに動揺する事は無かった。
「お嬢様は何もご心配をなさらないでください。お嬢様の道の上は私共が誠心誠意綺麗にいたします」
「ええ。せいぜいお爺様に処分されないよう励みなさい。来週末の課外授業の準備もしっかりね」
「はい」と使用人の彼女は深く頭を下げる。
***
「―――そう、ガウルトのお茶とお菓子の話に花が咲いて気づけばあの部屋まで一緒に来ていたと」
「ええ。ラツィラスちゃんお嬢様のお土産楽しみにしてるって言ってました」
「そりゃあ私の立場で殿下の分のお土産を忘れるなんてできないもの……ちゃんとあとで渡しに行くけど……」
アルベラは呆れたようにため息を吐いた。
(中期一日目から盛沢山だったな……)
夕食後の時間、アルベラはエリーと共に学園内を散歩していた。
回っているのは学園の正門から学園校舎までの間に広がるフロントガーデンだ。馬車が行き交う事の出来る幅の広い道が数本と、その合間を装飾的に縫うように設置された遊歩道。校舎や寮に棟に囲われた中庭に比べ、こちらの方が広さがあり視界が開けているので開放感がある。
石畳の細い遊歩道を歩くアルベラの横顔を腰の高さに設置されたオレンジのライトが照らす。
ライトの芯に固定された日光石の周りには、細かいラメのような光がキラキラと舞って見る人を楽しませる仕掛けが施されていた。
(あれ結構いい値の奴……盗まれないのかな)
等とライトを眺めていたアルベラの元に一羽の鳥が飛んでくる。その脚には手紙の小筒。
エリーの腕にとまった鳥から手紙を取り、アルベラは内容を確認すした。
「ふーん……エリーが見つけた印、人の魔力を押し出したり引っ張り出したりする類の術ですって」
とアルベラは母から―――もとい母が手配した業者からの報告をエリーに伝える。
「エリーが見つけた印」とは、茶会の部屋にてダンストの椅子とテーブルの下、そして天井の照明器具に施されていた魔術印のことだ。
エリー曰、ダンストとサーグッドも少しの間部屋に残り席の周辺を探っていたらしいのだが何も見つけられず帰っていったのだそうだ。というのも印は視認できないインクで描かれていたり魔力の気配も抑えられていたりと、簡単に見つからないよう幾つか手を加えられていたそうだ。そんな隠された印をなぜエリーが見つけられたのかと言えば、単にいい目といい嗅覚を持っていたからに他ならない。あとは経験からの勘だそうだ。
「あらまぁ。じゃあダンストちゃんは濡れ衣ね」
「みたいね。本当ならその印もあの使用人が最後に消しておかなきゃいけなかったんですって。―――結局あっちでもサーグッド嬢の指示としかつかめなかったみたい」
手紙に書いてあるのはガルカやアルベラが聞いた自白の内容と同じだ。
そしてその使用人の処分について。彼女自身はディオール家への恨みや悪意は無く脅迫を受けての犯行という事で、命までは取らなくて良いだろうと母は判断したらしい。
魔術でディオール家に近づけないよう縛り、王都から遠く離れた国境沿いの小さな町に送ったとの事だ。食い扶ちに困らないよう、あちらの勤め先へ紹介状も送ったとの事。
アルベラは我が部屋の片隅で涙を流し震えていたあの使用人が生きていたことに少しほっとする。
そして「サーグッド家については様子を見ます」という一文にもよしよしと頷いた。これは先の手紙に『サーグッド嬢は隠れ蓑かも』とアルベラが書いた内容への返答だろう。サーグッド嬢の事を書かないであの使用人の自白だけを聞けば、ディオール家がサーグッド家に何かしらの制裁を下していたとも限らない。勿論それなりに調べを入れてからという手順は踏むだろうが、そうなると調べを入れる相手はサーグッド嬢その人だ。伯爵家の令嬢を尋問するなどとは―――勿論父母の事なので人の耳に入らないよう上手くやるのだろうが―――もしバレた日にはディオール家の悪い噂がまた一つ加わることになるだろう。
(―――まあ、噂の一つや二つ舐められるよりは怖がられる方がましだし良いんだけど……―――いま親しくしてくれてる人たちが去っていくのはやっぱり少し寂しいもの。ユリ関連は仕方ないとして、それ以外で避けられる悪評(割とガチで怖がられる系の)は避けといてもいいよね)
エリーは腕に乗せた鳥の後頭部を撫でる。鳥は目を細め小さく「クゥー」と気持ちよさそうな声を零す。
「ダンストちゃんとサーグッドちゃんには、あの印について教えてあげます? ダンストちゃんは安心するでしょうけど」
「そうねぇ……」
適当に歩いていた足を寮の方へと向けアルベラは返す。
「言っても言わなくても、どっちも大して変わらなそうよね。印を書いた犯人が分かってない以上、私が疑われてもおかしくないし……むしろ言わずに負い目を感じててもらってた方が私的には好都合?」
「負い目を追わせてあちらのアクションを抑える策ね。お嬢様ってばあくどい♡」
「『あくどくい』? 『慎重』『穏便』の間違いでしょ」
サクサクと道を行き、アルベラとエリーは鳥を連れたまま部屋へと戻り手紙の返事を母へ送り返す。
***
翌日の昼食―――
アルベラとルーラと食事をしていたラヴィは一点をみて「うげ……」と令嬢らしからぬ呟きを零した。
「またあの人。何なの……?」
何が? とアルベラとルーラが視線を向けると、そこには一人の令嬢がいた。周りに友人たちがおり談笑をしているようだが、彼女は警戒するかのようにきりりとした視線をラヴィへ向けていた。万引きの瞬間を捕らえようとするGメン並みの眼力だ。
彼女を見た瞬間「……ぁ」とアルベラは内心で察っした。
「今朝からすんごい見てくるの……感じわるー」
「リネート・ダンスト嬢よ、ラヴィ」と何度目かのようにルーラが教える。
「何かしらね……。ラヴィとお友達になりたいんじゃない?」
ふふふ、と柔らかく笑うルーラだが、彼女がそんなに察しが悪いわけでないのはアルベラもラヴィも知っていた。
「わざと言ってるでしょ。絶対そんな顔じゃないじゃないあれ」
二人のやり取りを聞きながらアルベラは昨日の茶会終わりを思い出す。ダンストから「ディオール様はケイソルティ嬢と仲がよろしいですよね?」と尋ねられたのだ。
それに対しアルベラは満面の笑みで「ええ、とても」と返した。「彼女が何か?」と問えばダンストは少し言いずらそうに「仲が悪いというお話と良いというお話、両方を聞きますので……どちらなのかときになりまして」と返したのだ。
その時一緒にいたベッティーナが、「もしかしたら候補者たちへの嫌がらせの件にラヴィも関係あるのではと考えているのかもしれない」と別れ際に教えてくれた。
確かにラヴィは第一妃の座を賭けたこのレースに乗り気だ。そして嫌がらせを受けたという話もないし、大伯家という家柄的にもその気があればいくらでも手回しが出来る立場ではある。―――だが、一番の問題としてラヴィという人間はそもそも陰湿な嫌がらせが出来るタイプではないのだ。裏でネチネチと策を練るよりも正面から堂々と感情をぶつける性分である。清々しい程の猪突猛進型だ。
それを同学年故に何となく感じているのであろうベッティーナは「ケイソルティ嬢は……私は無いだろうと思うのですが」と呟き、アルベラはそれに深く同意したのだった。
(きっと、ダンスト嬢もすぐ気づくでしょ)
ラヴィとダンストとを交互に眺め、アルベラは他人事に食事を再開する。
「もう! あんまりしつこいと文句の一言でも言いに行ってやるんだから!」
「ラヴィ、一応相手は先輩なんだから穏便にね」とアルベラが助言をすれば、ラヴィは「先輩だから何よ」と言い放った。
「学園を出たら私の方が上じゃない。年が上だろうが下だろうが爵位には関係ないわ」
「あら素敵、流石大伯家ね」
「ふんっ。表面上『先輩後輩』を気遣って見せてるあんたの方がよっぽど質が悪いじゃない。『先輩だから~』とか言って下位の人間泳がせて、どうせ腹の底で相手の事あざ笑ってるんでしょう。それとも相手が自爆して堂々と罰を与えられる機会でも伺っているのかしら、ディオール」
アルベラは数回ぱちぱちと瞬きをし、「まぁ!」と目を丸くする。
「ラヴィが人の心理に頭を使うなんてらしくないじゃない! それともルーラの入れ知恵? 大丈夫? 疲れてない? 疲れた頭には甘いものが良いって言うわ、デザート注文しておく?」
つらつらと流れ出る揶揄いの言葉に、ラヴィは腹を立て「もう!」と言って身を乗り出した。
「あんた本当性悪!」
その言葉にアルベラは傷ついたように口に手を当て言い返す。
「まぁラヴィ、大伯風勢が公爵家に性悪だなんて!」
手で隠した口元は今にも笑いだしそに歪んでいた。
「う、ぐぅっ……!」
「年が上だろうが下だろうが爵位には関係ない」。爵位が絶対なのだと自分で言ったばかりのラヴィはぐっと唇を噛み言葉を探す。彼女の悔し気な瞳にジワリと涙が浮かんだところでルーラが「ラヴィ」と呼びかけた。
「デザート、食べる?」と優しい手つきで背中を撫でられラヴィは隣の友人を見る。
「食べる!!!」
半泣きで返すラヴィのあまりに子供っぽい表情に、アルベラはこらえきれず吹き出す。ラヴィは「何笑ってんのよ!」とまた怒りの感情をぶつける。
「ごめんラヴィ。冗談よ、泣かないで。そのうち美味しいお茶とお菓子でもご馳走するわ」
「そんなはした金で許されると思わないで!」と言うラヴィの隣、ルーラはちゃっかり「ご馳走様です、アルベラ様」と微笑んだ。
「そう、わかった。じゃあ招待するのはルーラだけって事で」
「あんたって本当に―――!!!」
「冗談よ」
肩を震わせ笑っている様子のアルベラと悔し涙を浮かべながらムキになって何か返している様子のラヴィ。その二人を遠目から眺めていたダンストの元にまで、「デザートを食べる」だの「食べない」だの言っているラヴィの声は届いていた。
そのあまりに子供っぽい表情と言葉に、早速ダンストの中に「彼女は違うかも」という気づきが芽生える。―――そしてその気づきが確信に変わるまで三日もかからないのだった。





