300、婚約者候補被害者の会 6(茶会の見解)
「しょう、だく……」
彼女は呟くと、ぼんやりとした表情で言葉を咀嚼しその意味を溶かし出す。ゆっくりと見開かれる目にじわりと涙が浮かんだ。
無感情な赤い瞳がルディアと呼ばれた女性徒が現実を受け入れていく様を見守る。
「―――……はい」
涙をのみ込むような頷き。候補者に戻ることは出来ないのだと理解し、彼女は震えを抑え込むようにテーブルの下両手を強く握った。
承諾―――つまりは相手の申し出を彼も彼自身の意思を持って受け入れたという事。ただ申し出た本人の希望を受け入れただけではないのだ。王子様本人が相手の辞退を惜しいと思えば、その拒否もありえた。
王子様の瞳には温かみが戻っていた。彼の緩い笑みに憐みが籠る。
「ごめんね、ルディア嬢……キーヴァンフェーレ嬢、ライリー嬢、アルダ嬢。一度下した決定を変えるつもりはないんだ」
ラツィラスは元婚約者候補の令嬢達一人一人へ呼びかけ自分の身勝手を詫びる。そしてここまではこの国の第五王子として、ここからは学園の後輩として彼は頭を下げた。その顔には崩れる事のない緩い笑み。
「突然失礼いたしました、先輩。折角の茶会を邪魔してしまい……僕らはこれで失礼いたします」
ラツィラスの退室と共に彼の従者であるジーンが静かに扉を閉じる。
細い隙間の先には振り返ることなく立ち去る王子様の背。彼の後半の言葉や瞳からアルベラが感じたのは「慈愛」だった。あの一瞬垣間見えた冷酷な瞳とつい先ほどの慈愛の空気。アルベラはその両方を思い浮かべながら、彼の本質を探る様に閉じる扉を見届けていた。
夕焼けに染められた廊下。外からは放課後の部活動に勤しむ生徒達の声や楽器の音が入り込んでいた。
「後々……」
と先を歩いていたラツィラスが呟く。
「また落として悲しませるような事をするなら、本人がどう望もうとも辞退の取り消し何てするべきじゃないよね。それこそこんなイベントの一報に振り回される彼女達が哀れだ」
口元は緩い笑みを浮かべてはいるが、特に何かが面白くて笑っているわけでも嘲ているわけでもない。そしてこれはきっと正真正銘の独り言であり自分自身へ行った言葉なのだろうなと思いつつも、共に居てその言葉を拾ってしまったジーンは「そうだな」と頷き返しておく。
その後茶会は静かに幕を閉じた。
公爵令嬢が振る舞ったお茶を皆「美味しい」と言って飲みきった。しかしその表情からは半ば魂が抜けており、皆ガウルトの伝統工芸品である樹脂製の茶器の滑らかな手触りや控えめで繊細な装飾にも、あちらの国にしかないという花の茶の爽やかな甘い香りにも気が付いてはいなさそうだった。一応アルベラも「ガウルトの王室が愛用している工房が―――」などと説明はしたが、彼女たちの耳にはまともに入いっていなかった事だろう。
アルベラはダンストの礼と謝罪を受け、ベッティーナと共に先に部屋を退室した。扉を閉じる瞬間、二人は抑えきれ無かったような誰かの嗚咽を聞いた。
***
アルベラが茶会から自室に戻れば夕食の時間はすぐだった。
ベッティーナとは自室に戻る際に分かれており、エリーは茶器類の回収とダンストの魔力の暴走の件での調査のため茶会の部屋に置いて来ていた。
(人手不足かも……)
もう一人人員が必要だろうか、などと考えながらアルベラは手紙を預けた鳥を放つ。手紙は母へ。茶会の出来事とディオール家のボタンについての報告と相談だ。
用が済みアルベラが自室内を振り返ればガルカと捕らえた使用人。頭に布を被され後ろ手に拘束されたメイド服の女性―――しかも恐怖に震え頬を伝って流れた涙が襟元を濡らしていた―――を前に、アルベラは自分が何かとても悪い事をしているような気分になる。
「―――……。……ねえ、あの人は加害者、被害者は私、であってるわよね」
「どうだったかな。この場ではどう見ても貴様が加害者だが」
念のためガルカに尋ねるも期待した返事が返る筈もない。アルベラは開き直ったように足を組み
「なんだっていいわ。お母様からの返事も待ちたいし今日はここで夕食を食べましょう」とこの部屋にいる唯一の使用人(奴隷)に視線を送る。
「哀れな捕虜を肴に夕食とはいい趣味だ。飯か、俺の分もあるんだろうな」
「……」
「おい、何をもたもたしている。夕食の準備はどうした」
「……あんたが行くの。使用人つかまえて食事を持って来るように言うだけでしょう」
アルベラは額に手を当てる。
「どうした? 頭でも痛むか」
「ええ、貴方のお陰でね……」
分かり切っているだろうにニタニタと笑いソファに寝そべったままの魔族へ、眉間に皺を寄せ不自然な笑顔を浮かべるたお嬢様は半ば命令の口調で伝えた。
「あんたが行くの。分かった?」
「呆れたな。頼み方と言うのを知らんのか。公爵家の教育と言うのはお粗末なものだ」
「……」
「……む?」
ああ言えばこう言うですまし顔の奴隷。ぷつりと糸の切れる様な音をアルベラは自身の頭の中に聞いた。彼女は魔族の奴隷の襟首をむんずと掴み、引きずるようにして彼を部屋から追い出す。
「あんたが行くの、分かった?!」
声量は抑えているが語尾を強くし「ほら、さっさと行く!」と扉が閉められる。
「―――……っく、くく……なんだあの顔」
追い出されたガルカは楽し気にくつくつと笑い乱れた服を整える。
「仕方ない、ご主人様の飯の準備をしてやろう」と呟くと目ぼしいスタッフを探し夕食を部屋に持って来るようにと伝えるのだった。
「―――はい、そうです……ですからサーグッドのお嬢様からの命令で……、私は本当にただの学園の雇われでして……お金と脅迫で、やらざるを得ない状況で……―――」
顔に袋を被せられたまま、投げかけられた問いに正直に答えていく使用人。その回答にガルカは「な?」とアルベラへ顔向けた。
自白剤を飲まされた彼女の言葉に偽りはない。そしてその内容は全て、先に部屋に戻り魔族の言葉の縛りによりガルカが引き出していた内容と一切の違いも無かった。
「これで満足か? 俺の言った通りだろう」
「ええ、ありがとう満足よ」
「ふん。疑り深いものだ」
ガルカは使用人の周りに防音の魔術を施し部屋中央のテーブル、アルベラの正面の席に腰かけた。
食事は既に部屋に運ばれていた。
この有様を見られるわけにはいかないので、ワゴンごと部屋の前に置いておかせそれをアルベラ自ら運び込んだものだ。意地になってガルカに運び込ませていては食事が冷めてしまうと、そして相手を動かすために消費する労力も惜しいと彼女自ら動いたわけだ。
アルベラはワゴンの上の二人分の食事を見て目を据わらせる。自分の分だけテーブルの上に移し物音少なく夕食を開始した。
「気の利かない奴だ」
ガルカも当たり前のように自分の分をテーブルに乗せ食事をとり始める。無駄に食べ方が綺麗なのを見て「何でそっちの躾はちゃんとされてて使用人の仕事は殆どできないかな……」とアルベラが不満を零す。
「人前ではちゃんとこなしているだろう」
「そうね、それだけが救いだわ―――コントン」
―――バウ!
「貴方はどうだった? あの部屋で悪意を持った人いた?」
『アノヘヤ…… イカリ カナシミ オソレ オイシカッタ。アクイ ナカッタ』
「そう。有難う」
―――バウ!
「言っただろう、『扱いやすそうな奴だ』と。ああいう輩は行動が読みやすく動かしやすい」
「じゃあ、あの使用人の言葉の通りだとするとサーグッドのご令嬢がダンスト嬢の同情をかってあの場を設けさせて、この使用人を使ってダンスト嬢を私にけしかけたように見える形を作り出したって? で、コントンの証言も合わせると、そのサーグッド嬢は私に対して全くの悪意は抱いてなかったと。―――とんだサイコパスじゃない」
そう言って食事を口に運び飲み込むと、「そうじゃないって事でしょ?」とガルカに尋ねる。
「ならなんだ」
問われた本人は答えもせず問い返す。
「サーグッド嬢も違うって事でしょ。あの使用人はサーグッド嬢から指示されたと思い込んでるだけ。あの場に居ない誰かさんがサーグッド嬢の名前を使ったんじゃない?」
「それもあるだろうな。だがサーグッドという女が全くの悪意を抱かず人を襲えるイカレ女という可能性も捨てきれないだろう」
「……はいはい。じゃあそれも視野に入れとくわ」
(とにかく、ダンスト嬢が自覚なく誰かの駒として動かされていたって線は強そうね)
彼女の過去の行いから、今回も親しい友人を傷つければ友の為にと彼女が行動を起こすのは読みやすい話だ。
その友人を傷つけた犯人を、自分にとって気に入らない相手を差し替えたら。きっと己の手を汚すことなくダンストがその人物に剣を向けてくれる。
そう考えた人物がいたのだろう。というのがアルベラの見解だった。
(―――嫌がらせの犯人的に、ダンスト嬢が本当に魔力を暴走させれば万々歳。けどしなければ……そう見せかける方法があるとしたら……それを出来るよう人を送り込めたなら……)
アルベラが考えたのは、ダンストが暴走し憤慨した公爵令嬢が過度な制裁を彼女らに食らわせる、という筋書きだ。
婚約者候補を虐め、わざわざディオール家の紋章を置いていった人物だ。きっとディオール家なりその家の娘になり恨みなり疚しい気持ちなどがあるのだろう。
だとしたら相手が願うのは―――?
(服毒が上手く言って私以外が倒れればディオール家に世間体的な傷がつく。ダンスト嬢の暴走で私が倒れるような事があれば、直接的な傷を負わせられるし、その罪はダンスト嬢が負ってくれる。―――仮説でしかないけどそんな所か)
「用意周到じゃない。鬱陶しい……」
「少し泳がせておけばまた何かするだろう」
「そうね。泳がせて……あわよくば先回り出来れば最高かも。―――今残ってる婚約者候補の令嬢で一番立場の低そうな人とか見つけてどうにかマーク―――」
―――ダンッ!
突然の音にアルベラは言葉を切り、目の前の出来事を認め目を据わらせた。
「……お帰り……エリー」
「はい。ただいま戻りましたお嬢様」
「ぐ……このオカ……ぐぉっ」
アルベラの感覚では背後から風が通り過ぎただけだったのだが、どうやらその風はエリーだったらしい。彼女は部屋に入ってきた一瞬で偉そうに主と共に食事をする魔族の姿を認め、部屋に滑り込み魔族に気取られないうちに距離を詰めその頭を掴んで床に叩きつけたのだ。
「あんた……お嬢様と一緒のテーブルで同じ食事だなんて、いいご身分ね」
エリーのこめかみに青筋が浮かぶ。
「飯が食いたいなら貴様も自分で準備したらどうだ、オカマおと―――ぐ、」
「アァン!?」
「あんたも自分で準備したわけじゃないでしょう」
アルベラは他人事に冷静に返し食事を続けた。
食べ終わる頃に母からの手紙を持った使いが部屋を訪れた。
捕らえた使用人を袋に詰め担ぎ上げた使いは、調べたらまた報告をするといい部屋を出ていく。
(日中は堂々と扉から出入りしてくれるんだな)
と、アルベラは食後の紅茶の香りを楽しみながらいつかの窓から訪れた死体回収の業者を思い出し、いつも通りになった自室にほっと安心の息をつくのだった。





