3、始めの一歩 2(ここは我が家、彼は王子様)◆ ※1章で出るヒーロー イメージ一覧
夕刻になって始まったアルベラの誕生日。
「アルベラ嬢、お久しぶりです」
白い肌に柔らかそうな金髪の髪。アルベラと同い年のこの国の王子、ラツィラス・ワーウォルドが人懐っこく微笑み、赤い瞳を瞼で細める。
アルベラも目を細めた。こちらは眩しさでだ。
ラツィラスは俗にいう美少年だった。
誰の目にも天使と映るその少年の笑顔はアルベラには眩しすぎた。
(焼き殺される……これが浄化の光……)
と、内心自分でも冗談なのか本気なのか分からない事をぼやく。
「ラツィラス王子、本日は足をお運び頂きありがとうございます……」
「いえいえ。僕、実は今日をとても楽しみにしてたんです」
可愛らしい顔で可愛らしい事を言う少年に、アルベラは「あらまぁ可愛いらしい」と親戚のおばさんのような感想を漏らす。勿論頭の中でだ。
「お誕生日おめでとう……」
と言いかけ、ラツィラスは「あ」と呟いた。
そんな彼の様子を気に留めていなかったアルベラだが、「そうだった、」と呟き手を取った王子様の行動にぎょっとした。
「お誕生日おめでとうございます」
とん、と手の甲に口づけの感触。
アルベラは一拍置いて「ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」と心の中で叫び声を上げていた。
嫌なわけではないのだ。子供の可愛らしいご挨拶だ。嫌であるわけがない。
だが攻撃力が高すぎた。
(こ、これが本物の王子!!!)
そしてゲームで言う攻略対象――ヒーローだ。
本当に、自分の周囲に真っ白な羽や花を飛ばして見せる人間が存在した。自分の知らない人種……まさに未知との遭遇。とアルベラは困惑した。
顔を上げてにこりと笑んだ彼に一瞬胸を鷲掴みにされるも、残り僅かの理性がそれを振り解く事でアルベラは我にかえる事が出来た。
「これはこれは……」と口の中で繰り返し、アルベラは言葉を探した。
(本当に同じ人間ですか……)
「と……とても素敵なご挨拶に言葉もありません。ありがとうございます。どうぞ、パーティーを楽しまれて下さい」
(大丈夫……? 日本語……じゃなかった。ケンデュネル語間違ってない?)
とりあえず心配だったのは国語が出来てたかどうかだ。
頭を深く下げたアルベラはドクドクと不自然に高鳴る心臓を片手で抑え物理的に沈めようとする。
「そんな……ふふふ、大袈裟ですね」
頭の上では王子様がくすくすと笑う声。
アルベラは深く息を吐き、「よし!」と気合を入れて頭を上げた。
表情を引き締め過ぎたのか、顔を上げた彼女を見て王子様は何度か目を瞬いた。
(しまった……表情硬かったかな……)
「アルベラ嬢、」
「はい」
「なんだか……前より大人っぽくなりましたね」
「え?」
「――殿下」
大人の男性――アルベラの父ラーゼン・ディオール侯爵の声が二人の間に割って入る。
アルベラがほっとする一方、ラツィラス王子はパッと表情を明るくし「ラーゼン!」と親し気に呼びかけた。
「もういらっしゃっていたのですか」
「はい。待ちきれませんでした。――あ、本日はお招きいただき有難うございます」
王子様を前にラーゼンは何処か……言ってしまえば少し迷惑そうな顔をしていた。だがアルベラへ顔を向けた時にはそんな様子は一切消えていた。
「アルベラ、殿下とのご挨拶は済んだかい?」
「はい」
「そうか。今度は私が殿下とご挨拶をさせてもらってもいいかな?」
「もちろんです」
「有難う。じゃあ少しケーキでも食べて休んでくるといい」
「はい。……では失礼いたします」
「アルベラ、よくできましたね」
挨拶続きだったアルベラを見守っていた――もとい見張っていた母レミリアス・ディオールがねぎらいの言葉を娘に向ける。
「はい……」
(そりゃ、姿勢を崩そうものならお母様の無言の圧がありましたし……)
この国の社交界デビューは一般的には十五歳からとされている。しかし十歳ごろから子供同士での茶会を開いたり、茶会やパーティーの主催者が我が子を紹介し少しの間同席させるなどの予行練習が始められていくのが慣例だ。
アルベラも十歳になったこの日からその予行練習が始まっていた。
もう客人達を前に父母を盾にすることは出来ないのだ。
母であるレミリアスが少し離れた場所からアルベラを見守っていたのもそのためだった。
今しがた来たばかりであろう客人が、笑顔を浮かべて真っすぐにアルベラとレミリアスの元へやってくる。
「これはこれは公爵夫人、この度はご招待いただきありがとうございます。アルベラ様、心よりお祝い申し上げます」
レミリアスがその言葉に返し、アルベラも母と共に客人と会話をする。
客人との挨拶が途絶えた所でアルベラは母から離れいつもより豪華な食器や装飾品に彩られた料理を物色し、自分の為にと作られたどぎつい紫色のケーキ(味は見た目の印象よりも優しかった)を頬張り……。そうやって彼女の二度目の人生、十回目の誕生日パーティーは何事もなく終わりを迎えた。
***
――『前より大人っぽくなりましたね』
(『綺麗になりましたね』ってニュアンスで言ったの? まさか『十歳にしては老けましたね』みたいな半ばピンポイントな事当ててくるわけ無いし……。にしたって『綺麗になりましたね』って意味だったとして、この年でそんな女性の扱いできる……? 怖……。絶対同じ人間じゃない……)
アルベラは自室に戻り、ドレスのまま窓の外を眺めていた。
パーティー会場にはまだ客人たちが残っている。
貴族のパーティーではそのまま客人たちを空いてる部屋に泊めることも珍しくない事、しかし今日は泊まる者達はいないという事を母から説明を受けてアルベラは知っていた。だから今残ってパーティーを楽しんでいるであろう者達も、もう少しすれば皆帰るのだろう。とアルベラは屋敷から街へと続く道を眺めていた。
(別れの挨拶とかしてないけど、あの王子様はもう帰ったのかな)
「はぁ……」
(私大丈夫か……。あれ相手にしつつヒロイン虐めないといけないんでしょ? 敵うの?)
二年前、一度は会った事のある相手だ。
それなりにキラキラしてたという記憶はあったが、本物の王子様はそんな記憶の比ではなかった。
(『悪役令嬢』としての仕事が始まるのは、十五~六歳から入学する高等学園での三年間。今日は他のヒーローも来てないかと見て回ったけど、いなかったのか見つけられなかったのか……。それにもう一人、気になるのが……)
――先輩と仲良くね
自分をこの世界に転生させた少年が言っていた「先輩」とは何なのか。
(私を探してるかもしれない協力者か……)
「どこの誰か知らないけど、居るなら早く来てよ」
とむすりと頬杖をつく。
(今回の誕生日会、去年より人が多かったけど、使用人達は他の貴族達の誕生日に比べれば小規模だって言ってたな。お母さまは『我が家は公爵家としての歴史が浅く敵も多いので、今はまだ大々的に人を招くことは避けている』て言ってたし、結構人を選んでたみたいだった。だからかな)
探してる人物が見つからなかった事を残念に思いつつ、「お父様もお母様も何かと苦労しているんだなぁ」とアルベラはぼやいた。
他人事にそんな事を考え、眺める先には瞬く街の明かり。
「……探しに行っちゃう?」
ぽつりと呟き、何馬鹿なことを、と自分に返す。
街は危険で汚い。平民たちは野蛮で酷く臭いのだと先生から教わっていた。一見まともに見える者達も、裏では何を企んでいるかわからない。
『だからアルベラ、外へ行きたいなど言ってはいけないよ』
父は自分の治める町をやたらと悪く言っていた。
しかしそれは今思うと矛盾だった。
授業でアルベラは、我が父は民から良く思われていると聞いたのだ。それは父が領主になってから、水回りの設備が整えられ民の生活が改善されたから。家や仕事の無い者達への窓口も作り、浮浪者を減らして治安が良くなった地域もあると。
今思えば、父があの時屋敷に招いて話していた相手は貴族だったのだろうかと思う者もいる。
スレイニー先生と父の、過剰にも思える平民や街への悪評……。
それらを思い返し、アルベラは「もしかして……」と思った。
(もしかして……お父様、単に私を外に出したくないだけなんじゃ……)
父の溺愛は今だから自覚できた。
こんなに娘を甘やかせて好き勝手させて。アルベラの一言で首になった使用人たちも過去に数人いた。
(お父様……まさか私に印象操作を……)
街を眺めるアルベラの目が、父への疑念で座っていく。柔らかい頬が空気で膨らんでいく。
大人の記憶や精神を思い出しても、昨日までの十つの子供の精神が消えるわけではない。その短気さと癇癪持ちで使用人たちの手を焼いていた昨日までの彼女は健在だった。
頬にため込んだ空気を「ふー!」と吹き出し、アルベラは腰に手を当てふんぞり返るように窓の外の明かりを見下ろした。
「良いじゃない。確かめてあげる」
それからは早かった。
パーティーで忙しそうな使用人たちの目を盗み父や母の様子を見に行き、倉庫から太く長いロープを引っ張り出して自室に持っていった。
しかもそのやり口は大胆だ。
気の弱そうな使用人を一人捕まえ、ロープを包んだ布を持たせて自分の部屋へと運ばせた。誰かに言えば即刻首だと脅し、片づけるときにまた呼ぶと伝え追い払った。
お嬢様の挙動がどこかおかしいと気づく使用人たちがいれど、彼らが自分から藪をつつきに行くようなことはなかった。なにより、どうしたのかと見ているとお嬢様が「文句あるのか」という目で睨み返してくるのだから何も言えない。
アルベラは「よし!」と自室に運ばせた包みを開いて、中からロープを出した。それを手際よくベッドの足に結ぶ。
(お父様め、私を騙そうだなんてそうはいかないんだから)
先ほどルミアには今日から一人で風呂に入るし着替えもすると伝えた。だから二十一時以降は呼ばない限り部屋に来ないようにと。
(できるだけ動きやすくて地味目の服……うん、これでいいか。あとはパンツ的なのもあると嬉しいんだけど……うん? こんなの持ってたっけ? 質は良すぎるけどまぁいいや、どうせ全然来てなかったし……よし!)
着替えて鏡の前で自身の格好を確認し、窓に目を向けアルベラは唇で弧を描いた。
窓の外を見回し、人気が無いことを確認してロープを垂らす。
――ごくり
二階の高さ、地上との距離を再認識し頭の中が冷静になってきた。
自分は何をしているのか。何を早まった事をと考え直す。
なんなら人目を盗んで扉から出ればいいのでは、一階の空いている部屋の窓から出るでもいいのでは。そもそも街に行きたいなら明日の日中母に頼んで人をつけてお出かけさせてもらえばいいのでは、と大人の精神がなだめるように提案してくる。
しかしアルベラは握ったロープを離さない。
街に行くかどうかはもうどうでもいいのだ。
彼女の興味は今、町よりも「窓からロープで降りてみる」というチャレンジ自体に向けられていた。
――一度目の人生は真面目過ぎた。二度目の人生はもっと好き勝手に生きてやる。
彼女の前世の悔いは、早速自分自身に必要のない危険を招く。しかし今の彼女はそのことに気づかない。それよりも「楽しい」という感覚が、久々に感じる興奮が、彼女の頭を支配していた。
***
「なあ、あれ」
「ん?」
ラツィラスへ声をかけたのは共に窓の外を見ていた赤毛の少年、ジーン・ジェイシだ。
従者であり護衛見習い(騎士見習い)であり友人である彼は、ラツィラスより前から窓の外を見ていた。何か動物でもいるのかと思いラツィラスも窓の外を見て、ジーンが示す方を見て小さく「あ」と零した。
「まったく……殿下も中々強情なものだ……」
と少しの間席を外していたラーゼンが戻ってくる。
彼らがいるのは客間の一つ。
部屋の中にはラーゼンとラツィラスとジーンと城の騎士たちが数人とこの屋敷の使用人が数人。
まだ誰も少年たちが見ているものには気が付いていない。
こそこそと何かを話している少年二人に、ラーゼンはまた何か無茶を言い出すのかと迷惑そうに眉間を抑えた。
「どうしましたかな、お二人共」
ラーゼンに尋ねられ、二人は顔を見合わせてうなずいた。先にラツィラスが頷き、それに答えるようにジーンが頷く。
「町の明かりが綺麗だったので」とラツィラスは答え、
「少し散歩をしてきてもいいですか?」とジーンは尋ねる。
もともとジーンは今回の話し合いにもこのパーティーにも、ラツィラスの従者として付いてきただけだ。パーティーも参加はせずに騎士たちと共に外から眺めていただけ。
だから、いい加減飽きてきたのだろうとラーゼンは思った。
「どうぞ、ジーン殿」
その返答を聞くや否や、彼は「ありがとうございます」と足早に外に出ていった。
(屋敷の者達は……まぁ大丈夫だろう。城の紋章もある)
「彼も随分慣れてきましたな。前はもっとぎこちなかったでしょう」
「ふふふ。一生懸命勉強してましたから。言葉遣いが悪いとザリアスが所かまわず逆さまにするって愚痴ってましたよ」
「逆さま?」
「はい。こう……足を掴んで、こうやってくるそうです。ちょっと楽しそうですよね」
足を掴んで上下にゆするジェスチャーをして王子様はくすくす笑う。
「僕もやってと頼んだんですがダメでした」
「それはそうでしょう」
ラーゼンは呆れて息をついた。
「ところでラーゼン」
「……」
「お話の続きをしましょう」
「もう少し休まれては?」
「いいえ。もう散々話し合いましたし、ゆっくりするなら話が終わってからにしたいです」
「つまり……私にさっさと折れろと?」
ラツィラスはくすくすと笑い「そうですよ」と無邪気にラーゼンを見上げた。
(やれば意外とできるもんだな)
アルベラは念願の「綱を伝って降りる」というチャレンジを達成していた。
下りている間に「私は一体何を……」と思ったが、なんやかんや体を動かしているうちに地上へ着くことができた。
両手につけていたグローブを外す。
(少し皮むけてる……けどこれだけで済んだのは幸いか)
このグローブが凄いのか、思っていたより自分の皮膚が強かったのか。そんなことは今はいい。
自分が下りてきたロープを見上げ、「やってやったぜ」と言わんばかりに息をついた。
屋敷の中でぬくぬくしていた人生。思い返してみれば今までで一番の達成感だ。
(けどこれ上るの? いける?)
カサリ、と芝を踏む音がしたがアルベラは気づかない。
その音はサクサクと同じペースのままアルベラの元へとやってくる。
「――何やってんの?」
「……!?」
突然の声かけにアルベラは小さく飛び上がった。