297、婚約者候補被害者の会 3 (ダンスト嬢からの手紙)
『チッ……―――少し悪夢を見せてやろうかと思っただけだというのに。コイツの基準はどうなってやがる』
「これ誰の声かしらね」
アルベラはこつこつとテーブルを指で叩く。彼女の視線の先にはガルカがいた。彼はいつもの如くアルベラの部屋のソファにごろりと寝転がっており、その態度にも表情にも奴隷らしさの欠片もない。
今は正午。午前の授業を終え午後の授業を迎えるまでの休憩時間だ。
午前中はユリへの「嫌味仕事」とその後のスカートンとのちょっとした戯れ(主にコレが一番重かったのだが)、そして久々に合った親しい同級生たちとの挨拶―――授業の合間の空き時間はそちらの事でいっぱいだったため、この件について触れられずにいたアルベラは昼食の時間を割いて詰問へと自室に赴いていた。
しかし自室に赴いたからと言って昼食を抜いているわけではなく、アルベラの前にはしっかりと湯気の上がる温かな食事が並べられている。
「先ずはこれについて質問を投げかけてから」と、まともな答えは返ってこないだろうと予測はしつつでアルベラはガルカを睨みつけた。同年の令嬢や令息なら地位と言う後ろ盾もあってこの睨みはそこそこ効いただろうが、人間社会のルールや上下関係に重きを置かない魔族には物理的な影響もないただの視線などそよ風にも劣るようだ。
ガルカは「はぁ」と呆れたようにため息を吐くと、お決まりの人を小ばかにする笑みを浮かべたまま「聞いてわからないとは哀れなものだ」と返した。
アルベラの隣、エリーが食事用のナイフを強く握ったまま「あぁ?」と低音で唸る。
「誰かが呪術を一つ試そうとしただけだろう。聞く分には出来なかったようだがな。さて、それに何の問題がある」
まるで自分でない誰かがやったかのような言いようをアルベラはつつく。
「『誰か』じゃなくあんたでしょう。なんでそんな呪術をこの部屋で試したの? 誰に試そうとしたの?」
「いいかアルジサマよ。声というのは幾らでも作れる。その青豚が幾ら誰かに似た声を溜めて帰ってこようが、その声の主が想像した人物本人だと限って惑わされないことだな」
「あぁもう……ごちゃごちゃと……」
呟きアルベラの髪が魔力に灯り風を受けたように持ち上がり、瞳が緑に輝く。アルベラの手元には本心をぺらぺらと話してしまう自白剤の瓶。既に蓋は外されているそれから数滴拝借し、彼女は「疑わしきは罰する!」とガルカの顔目掛け自白剤混じりの水を放った。
―――パシャン と弾ける音が上がり水はガルカの片手により払い落とされる。
ガルカは手についた水を口に含んで見せ「どうだ、何か質問してみろ」とあざ笑った。
「こんなちんけな魔法と薬がこの俺に効くとでも? 馬鹿らしい。俺に尋問するなら今の数千倍力を付けて出直す事だな」
「はぁ……」
昨日の夜の時点でアルベラが最後に聞いたスーの「溜め音」は自分の声の「おやすみ」だ。その後に溜められた音であれば自分の眠ってる間しかない。睡眠中は窓も扉も戸締りはしていた。人の部屋に勝手に入る事ができる身の回りの人物で思い当たる者がいるとすれば、声の通りこの目の前の魔族しかいないのだ。犯人はほぼ確定―――いや、ほぼも何もアルベラの中では「断固確定」だった。
「お嬢様、よろしければ私が絞めましょうか?」とエリーが拳を握る。その手にはナイフが光を反射し輝いていた。
「いい。聞く分に縛りの魔術で悪さは出来なかったみたいだし……確認しなきゃいけないお便りもあるし先に食事とそちらを済ませましょう。―――私達(ディオール家)に呪術を向けられないって分かったのは一つ収穫ね」
「切り替えが早いのは貴様の数少ない美点だな。評価しているぞ」
ガルカは「ふっ」と片手に息を吹きかけ濡れた水を乾燥させる。
「何目線。言っておくけどあんた有罪確定だからね。声の件誤魔化されてないから。―――エリー、ナイフ」
なかなかテーブルにナイフを置いてくれない彼女にアルベラが手を差し出す。エリーは「はい」とにこやかにナイフを手渡し、すぐさま気に食わない魔族へこれでもかと大きな舌打ちを打つ。
イライラがMAXなエリーへ「暴力沙汰は人目のない所でね」と忠告するとアルベラはひと月ぶりの学園の味を堪能し始めた。
食事を終えたアルベラは紅茶を口に運びエリーへ尋ねる。
「で、このリネート・ダンストとアルダ・サーグッドというご令嬢方はどちらも二年生なのね」
「ええ。ダンストちゃんは騎士見習いだそうですよ」と、主人の食べ終えた食器を片付けながらエリー。
アルベラが手にしているのは午前の授業中に自室に届いていた手紙だ。
ガルカは呪術の件で咎められたにも関わらず堂々と部屋に居座りソファで寝転んだまま。主に情報収集や裏工作が仕事の彼はアルベラの身の回りの世話は全てエリーに丸投げしていた。―――というより、エリーが進んでやりたがるため今のこの図はなるべくしてなったといえる。ただ一つアルベラとエリーが彼に対して思う事を挙げるなら「使用人(奴隷)の分際でくつろぎ過ぎだ」という点だろう。
「ガルカは? この二人と面識は?」
「俺に声を掛けてくる女共の中には無い名だ」
「一応名前は憶えてるのね、見直したわ」
「これも誰かさんのためへの『オツトメ』だろう。有難く思え」
「はいはい……」
あしらいの相槌を返しアルベラは手紙に視線を落とす。
(ガルカに声を掛ける系のご令嬢ではないと……。片方は騎士見習いだっていうし正義感の強いタイプ……? 『婚約者候補の件について』だなんて、こちらの意識によっては角が立ちそうな表題を掲げて手紙を寄越してるし……先輩って立場もあって強気に出たの? 公爵令嬢相手に? ―――……もしかして他の大伯やら公爵家やらの差し金とか……?)
「サーグッドって……名前は聞いた事がある気もするんだよなぁ……。中伯だった気がするんだけど……。この人も確か婚約者候補だったはず。手紙を送ってきたダンストって令嬢は知らないわね」
「とりあえず午後の授業が終わるまでにそのお二人の情報を集めておきますね」
「お願い。―――そっちもね」
「十七かそこらの餓鬼など容易く骨抜きにしてくれる」
「骨は抜かなくていい」とアルベラが言い放つ。そこに扉のノックオンがかぶさった。
エリーが扉へと向かい外を確認し「ベッティーナちゃんですね」と訪問者を伝える。
(ベッティーナ……同級生で騎士見習いのベッティーナ!)
「ナイスタイミング。どうぞお迎えして」
「はい」
***
申し訳なさそうにやって来たベッティーナとアルベラが話せた時間は十分もなかった。
「―――そう、同じ団の先輩でしたの。手紙のこの方に心当たりがなかったので助かりました。有難うございます、ベッティーナ様」
「いえ……突然の訪問にもかかわらず招いていただき私こそ感謝しております。折角のお休みの時間に申し訳ございませんでした」
「い、いえ……同級生ですしそんなに畏まらず……」
(固い……)
令嬢然としたベッティーナにはアルベラはつい「様」付けになってしまい、他の同級生たちと関わる時よりも「お嬢様モード」が入ってしまう。
もっと楽に話してもいい気がすると思いながらも、結局彼女とはこの「お嬢様モード」でのやり取りの方がしっくりきて結果的に楽なのだと思ってしまうのだった。
数えるほどの問答をし、アルベラとベッティーナは午後の授業に向かうべく席を立つ。
短い時間ではあったが彼女とのやり取りでアルベラは最低限の気になっていた事を確認をすることができ満足だった。あとはエリーとガルカに任せようと、アルベラはエリーに視線を送り部屋を後にする。
(友人が嫌がらせを受けて婚約者候補を降りて、ダンスト嬢はその事について私に話があると。つまり今回のお誘いは彼女の感情的な行動……)
ベッティーナがやって来てアルベラに開口一番話したのは、「手紙が届いているか」と「手紙の事で聞きたい事があればお答えします」という事だ。自分からは何を話したらいいのか、どういう立場から話したらいいか迷っている様子で、いつもしゃんとしている印象のベッティーナには珍しくどこか歯切れの悪い印象を受けた。
(先輩を庇うような言葉を結構挟んでたし、私と先輩との間で板挟みになって……―――ていうか、どちらかというと先輩の方を非常に心配しているようだったな……)
アルベラは話している間のベッティーナの様子を思い出す。
まるで罪人の罪を少しでも軽くしようと励む弁護人だった。そして対する自分は罪人の行く先を選定する閻魔か何かのように映っていたようにも思う。
「ベッティーナ様、そんなに心配しなくてもあちらが剣でも抜いてこない限り私も穏便に話を聞きますからご安心を。不当な言いがかりをつけて罰したりするつもりはありませんから」
「は……はい、いえ、すみません! アルベラ様がお相手ですので、私は何も心配は……」
そう答えるベッティーナの目は見事に泳いでいた。これはもしかして自分ではなく相手に対して心配でもあるのかとアルベラは思い当たる。
「まさか感情任せに剣を振り上げるタイプの方でして?」
冗談のつもりで笑みを浮かべながら言ったこの言葉。それに返ったのは慌てた即答だった。
「い、いえ、そう言うのはたまにですので!!」
「たまに……」
「た、たまに……―――あの、手紙のお茶会ですが念のため私も参加させて頂いてもよろしいでしょうか……。あ、ああ、えーと……! な、何も危ない事は起きないと思うのですが念のためです。他のご令嬢方もいらっしゃるようですし、きっと何もないとは思いますから!」
(―――がっつり感情で動いちゃうタイプの人か)
ベッティーナの反応からそう悟り、どうか穏便に相手も話してくれればいいなとアルベラは願うのだった。





