294、翼を取り戻す方法 26(前期休暇の終わり)
その日アルベラが屋敷に戻るとアンナ―――というより、今はティーチとしてファミリーにいるのであろう彼女から手紙が届いていた。
(わぁ早い)
アルベラはストーレムの町に着いた時、屋敷に来る途中で伝達所に立ち寄りピりが治った旨をアンナに送っていた。手紙の内容はそれを受け取っての物だった。
―――ピリ坊も治ったことだし、早速明日祝杯といこうか!
アルベラは返事を書き、窓の外でじっとこの部屋の主人が帰って来るのを待っていた健気なネズミに渡す。ネズミは腹の辺りのポケットに丸めた紙を入れるとすぐに空けられた窓から外へと出ていった。
―――明日はお父様に家で過ごすよう言われてるから駄目よ。
―――じゃあ来週の『後の休息日』だ! あの騎士さん方もその日ならまだいるんだろう? 十八時に王都の『グランマのもてなし』においで。
ネズミの往復により飲み会の日程が決まり、アルベラはソファーに倒れ込んだ。
(休みはあと三日……。今年はバスチャラン領の恵のお祭りには行けなかったな。今年からスカートンも手伝うって言ってたけどどうなったんだろ。―――二日はストーレムで過ごして最後の一日は午後には寮……選択科目を見直しつつゆっくり過ごせそうね……)
***
久しぶりの両親との水入らずの夕食を済ませた深夜、風を感じたアルベラの瞼がぴくりと動いた。
(……)
薄く開いた目と視線が合った気がしたが、暗闇でも容易く辺りを見渡せる魔族の目が彼女の瞼が閉じられているのをしかと確認しガルカは息を吐いた。
(気のせいか……)
窓際ではスーがカーテンに紛れるように身を寄せる。窓に腰かけたまま、ガルカは「もううなされる事はないんだな」とつまらなそうに呟いた。
あのダークエルフの瘴気を抱えている時の彼女は眠っている時いつもうなされていた。
初めの一回目は何となくだった。
苦しそうに歯を食いしばる彼女の顔に笑っていたのだが、何となく人が病人にするようにその額に片手を乗せていた。するとアルベラの苦し気な表情が僅かに解け、心なしか安心しているようにも見えた。
その時は驚いてばっと手を離してしまったが少し落ち着いて改めてまた手を置き、先ほどの現象が偶然ではなかったことを確認する。
その後も何度かうなされているところを見ては同じことをした。いや、わざわざうなされていることを期待して寝顔を見に行っていたというべきか。
内何度かは何をやっているのかと自分の行動を馬鹿らしく思ったが、自分は魔族なのだしきのむくままやりたいようにするだけだと開き直った。
だが靄が消えてからという物、もう彼女が夢にうなされる事は無くなった。
「―――……少し寂しいものだな」
窓から離れず、部屋に入り込む春も半ばの柔らかな風を指先に集めて遊ぶ。
ガルカは魔族らしく、自分の気持ちをありのままに受け入れ口端を上げる。
独占されたくはない、だが独占はしたいという感覚。
「狩か……」と彼は呟く。
(どう詰めていくか……。とりあえずそのうち悪夢の呪いでもかけてみるか)
そして自分が触れた間だけその呪いが無効化されるようにするのだ。
子供だましみたいな馬鹿らしい遊びだが、あの時と同じ満足感が得られるなら一度試してみるのも悪くない。何より悪夢を見せていた犯人が自分だと発覚したら、彼女はどんな反応をするだろうかと考えると楽しかった。一人思考に浸り彼はくつりと笑う。
***
同じ月夜。
届いた知らせに赤い眼が細められた。
「―――彼等死んじゃったんだ」
届いた手紙には、とあるダークエルフの双子の訃報が書かれていた。
(手を組める相手でも無かったし、まあ別にいいか)
手紙には小さな細身の瓶が同封されており、彼はそれを月明かりにかざして煌めく様を楽しむ。
(薬はちゃんと出来たし……。使うのはもう少し魂を補充してからかな。それまでに体の方も療養してもらった方が良いか。歩けるくらいはしておこう)
彼が部屋に戻り受け取った手紙は他に二つ。一つは公爵家、一つは大伯家からだ。
(孫を貰えなんて、そればっかり……。伯爵は相変わらずだな)
くすくすと笑い、彼は瓶を窓際に置く。
瓶の中に揺れる水面が影となって台に落ち、水の影が木目の上ちゃぷちゃぷと揺れた。その様を幼さの残る瞳が見つめる。
「兄さん、喜ぶだろうな」
***
前期休暇の最終日、学園開始の前日。アルベラはお昼過ぎに王都に着くようにストーレムを出た。
王都で昼食を済ませ寮に行くと先に送られていた使用人たちがアルベラの荷物を運び込み整えられていた。
クローゼットを開けば数着新しい衣類がかけられており、休み中新しい服を買う暇がなかった娘への母からの気遣いだろうとアルベラは予想する。
(ありがとうお母様。休日にでも新しいの買いに出るか。ドレスも何着か注文しておかないとだし。―――にしても、本当にただ来るだけだったな。荷物の整理も終わっててやることないし)
アルベラは掃除も済んで埃一つ見当たらない部屋を見渡す。
「エリー、ガルカ。あなた達も自分の部屋整えないとでしょ? 私暫く部屋にいるしコントンもいるし、いってきていいわよ」
「あら、じゃあお言葉に甘えて」
「部屋の掃除など風で一瞬だ。俺は別にいい」
「アンタの部屋何もないわけ?」
埃を飛ばせば終わりのような彼の言葉にアルベラは呆れる。
しかし彼女にも一人にして欲しい理由があるのだ。
「コントン、ガルカの頭食べちゃって」
―――バウ!
ソファーに寝そべろうとするガルカの頭部を、地面から生えて出たコントンの大きな口が咥えようとした。両手でそれを阻止し、ガルカは「何のつもりだ?」と口端を吊り上げ眼光鋭く尋ねる。
「お母様に大事な手紙を書くのよ。集中したいから出てって」
「ならそう言えば良いだろう。大体手紙何て人が居ようと居まいと」
「ほら、言ったって無駄じゃない! いいから一人にして。一時間くらいしたら戻って良いから」
「と、ご主人様が言ってんだから大人しく言う事をききなさい」
エリーがガルカの襟首をつかみ扉へと引きずる。
「このクソカマが」とガルカが言い欠けると、エリーの手はガルカの首を掴み上げ、首を持って彼を部屋から引きずり出したのだった。
「では、一時間ほどでもどりますね」
「ええ、お願い」
ニコリと二人は笑顔を交え室内は静かになった。
アルベラは「ほう」と息を吐く。
「コントンもありがとう。良いって言うまでは影の中から出ないでいてくれる? 一応何かあった時のため近くにはいて欲しいの」
バウ! という返事で彼は影に沈みアルベラは足元に「ありがとう」と感謝を落とす。
「さて、」と彼女が取り出したのは八郎とのやり取り用の「極秘ノート」だ。この間八郎が書き足してくれた、自分が留守にしていた間のユリの動向や気になる事柄を確認すべくぱらぱらとノートをめくる。
―――コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。
アルベラはノートを閉じ、それを魔術具の箱に入れ引き出しに仕舞った。
(まだ一時間経ってないしあの二人ではないはず……てかガルカなんてノックしないだろうし)
アルベラは扉についた小窓 (黒いベールのようなものが張られており内側からしか見えない)を覗いく。
(な……んで、ジーンが???)
彼が一人で自分の部屋を訪れる事は少ない。
最後に来たのはスチュートの誕生日の後だっただろうかと思い、そういえば自分はここに入学してまだ四ケ月しか経っていないではないかと思い至る。
(たった四ヶ月で多いも少ないもないよな……。なんだろう。またあの子のお使いとか?)
アルベラはとりあえずと扉を開き彼を出迎えた。
「こんにちは、どうしたの?」
「よ、う……。お疲れ」
「また殿下のお使い?」
「いや、今日は個人的な用だ。すぐ終わる。渡したいものがあって―――」
「―――……?」
アルベラは疑問符と笑みを浮かべたまま固まる。
(今なんて……? 個人的な用……??)
「―――それ霧の指輪か?」
ドアにかけたアルベラの手。その指に嵌められた指輪を見てジーンが言った。声が心なしか普段より少し低い―――が、今の彼女がそんな些細な事に気付くことはなかった。アルベラは我に返り慌てて「え、ええ、そう」と頷く。
「ガウルトに行った時見つけて。丁度いいと思って買ったの」
ジーンは「そうか、自分で」と呟き「丁度いい……?」と首を捻る。
「まさか『隠れ蓑』って事か」
アルベラは含みのある表情で人差し指を口の前に立てた。
「今の所私は水と風しか使えないお嬢様で通ってるもの。競技大会までくらいなら隠しておいてもいいと思って」
「何に出るか決めたのか?」
「いえ、まだ考え中。けど霧がその時使えるなら知らない人達のいい目くらましになるでしょ」
(ヒロインをコテンパンに負かせって指示があるし)
「なるほど、……じゃあ余計丁度いいかもな」
「丁度いい……?」
ジーンの片腕が持ち上げられる。扉の影になって隠れていた光沢のある紙袋が目の前に突き出された。
「これ」と言われ、アルベラはそれを受け取り「これ……」とオウム返しして見下す。
「え、これ……なに?」
「手袋だ。騎士の間でも評判のいい店で、腕のいい冒険者とかも愛用してる」
「う、ん」
「旅先で魔術の暴発で腕怪我してただろ。もしかして魔法や魔術耐性の高いグローブ、持ってないのかなって……。もう持ってたら悪い。あとデザインも……無難にシンプルなのにしたけど気に入らなかったら使わないでくれ」
「お前んちなら、もっといいのも帰るだろうし」と言いそうなった言葉をジーンは呑み込む。
アルベラは紙袋を下に置き、箱を取り出し蓋を開く。細い紙に囲われて収まった手袋をじっと見下す。
何の動物か魔獣かは知れないが、明るいグレーの柔らかい手触りの皮だ。
「マウンティゴの皮だ」
「―――マウンティゴ? 魔獣?」
「角が五本生えた大きいイワヤギだよ。動物だ。電気や炎が殆ど効かない」
「……」
手袋を見下ろしたまま動きのないアルベラにジーンは不安になった。
「悪い、迷惑だった―――」
「―――いえ!」
「……!?」
「あ、ちが、ごめん」とアルベラは口早に言い自分の口に片手を当てた。「落ち着けと」内心自分を叱咤し、呆れて目を据わらせる。
「あ、有難う……。うれしい、です……大事に……します……」
声が尻すぼみに小さくなっていく。一緒に顔の角度もゆっくりと下を向いていくのでジーンには彼女の表情は見えなかった。
「敬語……?」
「―――ごめん!」
「は?」
がばりと、切迫した様子でアルベラが顔を上げ、ジーンは驚いて後ろによろける。
「あ、明日からの準備でちょっと忙しいの。この後急ぎの用事もあって……ええと、えと……また明日!!」
「あ、ああ。また」
バタン! と強めに扉が閉じられた。
相手のテンポが掴み取れず、ジーンは数秒呆然としてしまったが我に返って辺りを見る。
幸いにも廊下を歩いているのは学園に所属する使用人のみ。何となくほっとしつつ、何となくどぎまぎしつつ自分の部屋へ向かった。
―――『ごめん!』
そう言って顔を上げた時の彼女の顔は赤くはなかっただろうか……。
ジーンの歩調が速くなる。
普段なら動体視力に自信のある自分が、妙な緊張のせいで相手の顔もろくに見えていなかった。
胸に拳を当てると普段より早い自分の鼓動を感じる。
落ち着け、落ち着け、自分に言い聞かせ足早に自分の部屋へと戻る。
アルベラは扉に寄りかかりバクバクとうるさい自分の心音を聞いていた。鼓動により体が揺れているように感じる。
深呼吸をしてこの揺れは収まるだろうか、と深く息を吸ってはいてみるもあまり効果はなかった。
「―――……」
『アカ フカイ? ドロドロニスル?』とコントンの声が影の中に響く。
「ドロドロって……」と零しアルベラは首を横に振る。
「いい。大丈夫、」
『クゥーン……』
残念そうな声を上げ、コントンは壁に触れたアルベラの手に鼻を擦り付けて闇へ潜っていった。
「大丈夫……まだ大丈夫……」
バクバクとなる心音は少しずつ落ち着いて来ている。しかし手にした手袋を見れば頭の中に幸せホルモンが吹き出る様な感覚に襲われ顔の熱が収まらない。
「これしき、まだ全然……なんともない……大丈夫、大丈夫……」
何が大丈夫なのか。アルベラはその場にしゃがみこむ。
このグローブがどんなに優秀であろうとも、こんなんじゃ当分実践で使用なんてできないのではないだろうか……。
そんな事を頭の片隅で思いながらアルベラはひたすら「大丈夫」と繰り返し、頭の熱が冷めて落ち着くまでその場に蹲った。
第三章―完―
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