291、翼を取り戻す方法 23(静養の重罪人)
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「先日、清めの教会でとある出来事がありまして」
そう話し出したファーズとういシスターへ三つの視線が向けられていた。一つは静かに様子を見るアルベラの視線、一つは鬱陶しいとばかりに邪険に見据えるガルカの視線、一つは興味深げなタイガーの視線。そして最後の彼のみが「ほう、」と乗り気に相槌を打った。
「シスターが一人正気を失っておりました。聖女様の執務室に勝手に立ち入ろうと扉を破壊しようとしていたのです。―――幸いその時近くにいた他の者達が制止し一切の被害はありませんでした、その子が瘴気でない事以外。彼女も浄化され今ではいつも通り過ごしております」
ファーズは一度言葉を切りアルベラの様子を伺うが、特に反応はないようなのでつづけた。
「ただ、どうしてもそうするに至った前後の記憶が戻らないようで、本人から事情を聴く事は叶いませんでした。ですがいくつかヒントが。彼女はずっと譫言を言っておりました。『届け物……聖女に渡せ……届け物……』と。そして彼女から魔族の気配が……」
「なるほど、それで魔族といえば公爵家と思い至ったのですね」
緊張も警戒も一切感じないお嬢様の姿勢にファーズは本当に彼女が犯人なのだろうかと疑う。
―――『ディオールのお嬢様が何と答えても気にしないで。よろしくね』
(清めの聖女様はああ仰っていたけど……)
ファーズにもよく分からないが、清めの聖女はこのディオールのご令嬢が清めの教会を訪れているという事確信を持っているようだった。
そうでなくても自分は聖女様に言われた使いをこなすだけだと、彼女はテーブルの上に鍵を置く。
アルベラも良く知るダタから預かっていたあの地下の鍵だ。
「これは?」とアルベラ。
「申し訳ございません。私も詳しくは」とファーズ。
ファーズもこの鍵が何なのかは知っていた。聖女と共に地下のアレを目にした事があったから……。しかしそれを知らないかもしれない相手に、そして他の者達もいるこの場で気安く口にしようとは思えなかった。
「聖女様がお礼を、と」
「お礼?」
「はい。『ありがとうございます。清めの聖女より、心からの感謝を』」
ファーズは聖女から預かった言葉を口にし代わりに深々と頭を下げた。
「私は知らないと申しましたがなぜお礼を?」
「お気になさらず。それらしい人に片っ端からこれを見せて礼を言うように仰せ遣っているので」
「そ、そうでしたか……」
お疲れ様です、とアルベラは心の中目の前のシスターに同情した。
(清めの聖女様は魔族や魔獣の気配に敏感だとか、そういうセンサーが聖女の中でも一番働くとかいうしそのせいか?)
鍵を前にアルベラはあの日の事を思い出す。
自分は教会の前で馬車に乗って待っていただけだった。肝心の仕事はガルカに託し、何でもいいから鍵を聖女の部屋なり机なりに置いてこれないかと伝えた所、彼は適当な人間を操り鍵を持って行かせたらしい。
アルベラは知る由もないが、水に沈んだ村の件で聖女はアルベラの存在を村の外からでも感じ取っていた。そんな彼女が教会周りにいる神の恩恵を一切受けず、教会の神の気に拒まれているアルベラの存在を感じ取るのは容易い。しかも魔族と何か大きな魔獣の気配までするのだ。嫌でも聖女は「この気配の正体はなんなのか」と窓の外を伺ってその辺りに視線を向けていた。
そして馬車から下りるガルカの姿を目撃しこの後のあの騒ぎである。操られたシスターから魔族の気を感じたともなれば犯人は明かだった。
「ディオール様は清めの教会の怪談をご存じで?」
社交的な緩い微笑みを浮かべたまま鍵を見つめるお嬢様に、ファーズは聖女に言われた通りの話をする。
「暇つぶしに聞いていただければ幸いです。怪談は苦手ですか?」
「いいえ、得意と言うわけではないですがそこまで苦手でもないです」
「では―――」
清めの教会に一人の孤児がやって来た。
幼い頃に大きな火傷を負った彼は、不幸にも他の子供達から虐められるようになってしまった。
暫くして彼は不幸な事故で亡くなってしまったが彼の悲しみや憎みが怪物となって宿舎に住み着き、月のない日に宿舎の中をはいずっては子供を襲って食い殺したのだそうだ。
「―――この話はいつの間にか宿舎に広がっていた噂です。何度か噂を封じる事を試み、今はたまに耳にしてもお化けが出る、怪物が出るとしか聞かなくなりました」
アルベラは宿舎の中で見た部屋の隅の血の跡や手形や足形を思い出す。
(『食い殺した』の辺りは事実なんだろうな……。で、虐められてた火傷の少年って言うのは……)
***
ダタは愚を閉じ込めていた地下に潜り階段に腰かけていた。
鍵は開けられており彼がこの部屋を訪れた際には子供部屋の中央に地下への口がぽかりと開けられていた。
石造りの室内には散らばっていたはずの骨は片付けられておりもう何も残っていない。
『貴方はおかしい……神はきっと貴方の存在を許していらっしゃらない……』
彼は自分がここに来た時の事を思い出していた。教会に立ち入り不快感を覚え、神への讃美歌を歌いに聖堂に入れば毎回体調を崩した。
そして一人のシスターが彼の様子に彼の存在を疑い始めたのだ。彼女は特に神にご執心で、ダタのような人間は悪しき者だと信じて疑っていなかった。他のシスターやブラザーの中には、彼女に同調する者達もいた。共に暮らす子供たちはそんな一部の大人たちの空気を敏感に感じ取り、ダタを弾き者にしたのだ。
別にそれ自体は気にしなかった。
彼は火傷の事もあり教会に来る前から気持ち悪がられることが多かったから。
そして誰かが彼に気を向け関わろうとすれば、その人物は少しずつおかしくなっていくのだ。気が狂い粛清されいつの間にか姿を消している。
村にあった小さな教会の神父も気が狂った一人だった。その教会が抱えていた他の孤児たちは隣町の教会や施設へ、ダタのみは気味悪がられ事を深く受け止めていた村の者達により清めの聖女へと預けられた。
『聖女様が何もしないというのなら私が貴方を清めます。魔を払い、神聖なる気でその器を満たしましょう』
自分の頭を掴む冷たい女の手を思い出しダタはガシガシと前髪の辺りを乱した。
あの時ダタは死にかけた。手の中で神聖な神の気にあてられもがき苦しむ少年を前に、あのシスターは酷くご満悦だったのを覚えている。
ダタが人を心底恐ろしいと思ったのはあれが最後だった。あれより前もあれ以降も人がそこまで邪悪に見えた事は無かった。
『やっぱり……やっぱりそうだったんだわ、お前は人ではなかったのね! やったわよジパード、私やっと貴女の力になれた! 人の皮を被った化け物め! 神の気に魂もろとも焼かれて消え―――ひひゃっ』
プチン、と小さな気泡が割れるような音ともにダタの前からシスターの姿が消えた。
悪しき者を払ったと信じて止まないシスターは喜びで胸を満たした瞬間に肉塊となって地面に潰れていたのだ。
あの時はダタも何が起きたのかよく分かっていなかった。
気づけば自分の持っていた石ころがシスターだった肉塊の上に落ちており、彼女の血や肉を吸い始めていた。
いつどこで手に入れたかは覚えていないが村に居た頃から彼はそれを持っていた。
人が笑っているかのような弧の窪みが三つ描かれた白い石。ざらついていて丸っこくて子供の手に納まるサイズの石。それを耳にあてるとひそひそと話し声が聞こえ、魔石か何か特別な石なのだろうかと大切にしていた。いつも独りぼっちだった彼はそのひそひそ声を聞いて時間を潰すことが多かった。
その石が彼の目の前でシスターの血と肉を吸い赤子のような姿になっていった。
赤子の背にはシスターの悦に歪んだ顔が浮き上がり、それを見ると不快感と愛おしさで彼は頭がおかしくなる感覚を覚えた。
ダタは小さな愚を抱え自分の部屋へと持ってきていた。
前々から知っていたこの部屋の地下に愚を投げ入れ、血相を変えてやって来た聖女に「ここに何かいなかったか」と尋ねられ首を振った。
いつしかごくたまに、宿舎からもその周辺からも行方不明者が出るようになった。教会は子供が消える現象に警戒を強めていった。
初めの頃はダタが子供達をあの地下へと送り込んでいた。この化け物を、あの女を消し去りたいと思うのに、たまに強く愚に餌を求められる感覚があり抗えなかった。
そうやって愚を地下に匿い三年が経っていた。
殺せないので閉じ込める他なく、餌を求められれば抗うのも叶わず。「これを一体どうしようと」考えていたある夜、彼の心に魔が差した。
地下の入り口を開けたままにし、窓から外をに出て様子を伺う事にしたのだ。
そして惨劇が起きた。
宿舎の外から子供たちが追いかけられる様を彼は窓の外から熱心に眺めていた。窓に映った自分の顔が目に入り、そこで彼はようやく自分が笑っている事に気付く。今まで感じた事のない充足感、高揚。
愚は数人の飲み込み満足したのか大きくなった体をぐにゃりと押し込みダタの部屋へ戻りあの地下へと下りていった。まるでそこを自分の巣だとでも認識しているかのような愚の行動に、ダタは愛おしさを感じ床に鍵をかける。
―――『シスター、あそこだよ! あの化け物あいつの部屋に入ってった!』
宿舎の中は依然騒がしく、人の来る気配を感じダタは窓から跳び出し教会の外へと駆けていた。幸いその数日間は清めの聖女は遠出の用事で留守にしていた。
『そこにいるのは誰!』
誰かが教会の柵をよじ登る自分に気付き駆けつけてた。
『お前―――まさか……いえ、やっぱりお前が……』
彼の存在に気付いたのはダタを祓おうとしたシスターと同じ考えを持つ者の一人だった。彼女は「誰か! 化け物が逃げるわ!」と声を上げながらダタへ遠慮のない魔法を放った。
その時の事はダタもどう逃げ切ったのかよく覚えていない。
人の目のから逃げ切り気づけば教会から離れた細い路地を脚を引きずりながら歩いていた。彼はその時、今更に混乱していた。
そういえばあの愛おしさはなんだろう。「手放したい」「この化け物を消す方法はないだろうか」と考えることもあったのに、と。
ダタが教会から脱走した数日後、王都に戻ってきた聖女はあの地下を見つけた。
聖女は専門の者に鍵を作らせていた。ダタが来てない時も誰かがここに立ち入った形跡があった。きっと聖女もダタがたまにここを訪れているのを知っているはずだ。
宿舎はあの夜から立ち入り禁止となりすぐに新しい宿舎の建設が始まった。
愚の存在もあり聖女はあの建物を残し置くのが安全と踏んだようだ。建物を崩せばあの地下の魔術にどう影響するか分からない。
愚を祓おうとなり移そうとなり、聖女なら考えたはずだが変わることなく愚はあそこにいた。宿舎も解体されず、どうしていいのか手をこまねいているかのようにずっとここはこのままだった。きっと移動も祓いも叶わなかったのだ。
今思えば、神の使いともいわれる聖女でも成しえなかった脅威があの短時間で片付けられてしまったとは驚くべきことなのだろうとダタは口元を歪める。
(毒を以て毒を制すってやつか)
「―――……こことも遂に」
緩んだ口元のままダタは一人呟く。自然と「自由」と言う言葉が彼の中に浮かんでいた。
ここの宿舎も遂に取り壊されるらしい。
この噂を聞き、地下の亡骸はどうなっただろうかとつい見に来てしまったのだ。
―――僕の石……
目の前に出来立ての愚を前に立ちすくむ少年が見えた気がした。
ずっと宝物だった石があの女に奪われてしまった。あの頃はそう思うと悔しくて仕方なかった。
あの頃あの愚から、あの女から……自分は大事な石を取り返したくて仕方なかったんだよなとダタは思い出す。
それがいつしか石は諦め、死んでもなお自分に不快感を抱かせるあの女への怒りへと変わっていた。
(結局あの石、愚が死んでも取り返せなかった……)
「チェ、愚を作る石、気になってたのにヨ」
いつの間にか現れていたマンセン(他の木霊を乗っ取ったもの)が恨めし気に零す。
「あいつ等の巣を漁ってたんだろ。何か収穫はあったか」
「あア! タイラントの血ダ! 死んだ生き物の体を動かせル!」
「ああ……あいつらがどっかの貴族から奪ったって奴か」
「魂がないんじゃただの人形と変わんねーんだけどナ。けど竜血石とこの血とあの陣ダ。あいつ等ほっといたらもう少しで本当に妹生き返らせてたナ」
「へぇ……。それって結構凄いんだろ。お前等は死者の蘇生って今まで見たことあるのか?」
「定期的に誰かしらが試みるこっタ。上手く言った奴は大昔に二度だナ。一つは国ごと滅ぼされたシ、一つは詰めが甘くて術者も蘇りも直に死んダ」
「……ああ、そういえば前に聞いたな。『神は禁忌を許さない』だったか。ならあの双子も放っておけば神が勝手に滅ぼしたんじゃないか?」
「かもナ! けどそうなったらこの血も使用済みで手に入んネー。俺としてはこうなって良かったゼ。他にも未使用の魔術が幾つかあったシ。ア、そういえばズーネの奴がナ―――」
木霊はころころと機嫌よく言葉を投げかける。
ダタは気だるげな体を引きずるように宿舎を立ち去り、あの石にももう何の未練もないと木霊の言葉に耳を傾けた。
***
―――あの怪談は事実を基に作られたものだった。
かつて教会で一人のシスターが失踪し、それを皮切りに数ヶ月に一人失踪者が出るようになった。
「化け物は、実は本当に居たんです」
ファーズは遠い目で話す。まるであれを見た事があるような様子に、アルベラは内心冷や汗をかきながら知らないふりを突き通す。
(詳しく聞きたいけど聞いたらあの人たちに関わったことがばれる。ドグマラについては話すなって言われてるし危ない敵を増やすような行動は我慢我慢……)
「けど、ずっと壊せなかった宿舎を近々取り壊すと」
話しを聞いていたタイガーは遠慮なく興味を表に出す。
「はい。庭園となる予定です。一般開放とりますので、完成しましたら皆さんも是非いらしてください」
「お化け屋敷の跡地の庭園とは、ぜひ行ってみたいものです」とタイガー。
彼の言葉は本心だろう。
「素敵ですね。是非伺わせて頂きます」とアルベラ。
彼女は心の中「できれば行きたくないものだ」と零す。
「それで、この鍵は結局何です?」
タイガーは尋ねた。
ファーズは「それが……」と鍵を手に取り懐に仕舞う。
「申し訳ありません。本当に何も聖女様から伺っていないのです」
「そうですか、それは残念ですね。けどわざわざ教会の怪談を話して頂いた辺り、その化け物と何か関係がありそうだと思ったのですが。―――そう思いませんか?」
アルベラはタイガーに笑いかけられ「そうね」と返す。
「怪物を閉じ込めるために残していた宿舎が遂に取り壊される……。化け物退治が終わったって事ですものね。宿舎の特別なお部屋の鍵に思えますが……何でしょう。とにもかくにもおめでとうございます。庭園が完成しましたら公爵家として是非ともお祝いの品を送らせて下さい」
「そういうつもりでお話したわけではないのですが……」
ファーズは困った笑みを浮かべだんまりの魔族の方にも目をやった。
彼は聖職者が何のようだと言わんばかりだ。気に入らなそうに視線を鋭くし話しかけるなと威嚇する。
(ユリちゃんと同い年だと言うのに……若くても貴族。やはり高位の子は分かりづらいわね)
ファーズは自分が話すべき事を話し終え小さく息を吐いた。
(邪を祓う聖女が払えなかった愚を本当に彼等が……?)
思う事は多い。
もしあの愚を屠ったのがこの魔族なら。それはとても恐ろしい事ではないだろうか。そんな力を持つ彼が人ともに暮らしているなんて。
そしてもし目の前の少女がそうであるなら……。
愚を作った少年は、神に反旗を翻す一団だの、災いを呼ぶ者達の集だの、狂乱者の集まりだの……―――得たいの知れない「ドグマラ」とやらの一人だという噂があった。
(ラツィラス殿下の有力な婚約者候補がそんな怪しげな一団と繋がってる……?)
そんな事があって良いのだろうか。もしそうだったとして、このまま彼女が第一妃になるような事があれば……、と考える彼女の脳裏、ふと床に転がった頭蓋骨を愛おしく撫でる聖女の姿が浮かんだ。
―――『久しぶりね……姉さん。皆も……久しぶり……』
(余計な考えはやめましょう。この方たちがこの国にとって危険なら聖女様が真っ先にお気づきになるもの。私は頼まれた事だけをすれば良い)
「どなたかは知りませんが、聖女様はあの鍵の件でとても感謝していたんです……。全く……誰に伝えたらいいものか……」
ファーズは物憂げに手元のカップを見下ろしながら誰へともなく感謝の言葉を口にする。





