29、バイヤーとの接触 1(これがフライ)
城から発つこと20分そこそこ。ディオール家の馬車がこの通りでも大き目な酒屋の前に泊まる。最近国内で人気のブランドだ。店先の艶々な木製看板には、筆文字のようなフォントで大きく「ブラーデンの酒」と彫られ、漆のような塗料で塗られていた。
そう。ここはニーニャの実家の酒屋だ。酒造庫はさらにこの街の東西南北の端に作っており、ここは住居兼販売本店ということだ。
アルベラはニーニャが使用人として働きに来た際、「王都から」「修行で」「実家を継ぐため公爵様の元で勉強を」など自己紹介で言っていたのを記憶の片隅の隅の隅の隅の隅に置いていた。正直あの頃は「なんか小さな使用人が来たな」「なよなよしすぎていて、いじりがいは無さそうだな」程度にしか思っていなかったわけだが、偶然にも覚えていたのは幸運だった。
三か月前のあれはその記憶の裏付けと、作戦への協力を乞うためのものだった。勿論、危ない薬の販売会に行く等とは言わず、王都を探検したいと伝えて。
家は王都のどこにあるのか。部屋は余っているか。等々。念のため気になる事を全て聞いておいたのだ。そしてアルベラの勝手な審査の結果合格し、今回の隠れ蓑としてまんまと白羽の矢を突き立ててやったということだ。
エリーのノックに、店の主人が待ちわびていたように出迎える。
「こんばんわ。ディオール公爵。無事お越しいただけて何よりです。こんな売れるようになって間もない若い酒屋へ、足を運んでいただきありがとうございます。お時間があれば我が家の家宝にあたる酒でも開け宴会といきたいところですが、そうもいかないのですよね。いやはや残念」
「ブラーデン殿。とても嬉しいお誘いだったのですが申し訳ない。私はまたの機会に伺わせて頂くとして、娘をどうかお願いいたします」
「こんばんは。アルベラです。どうぞよろしくお願いいたします」
「お任せを。こんばんは、アルベラお嬢様。しっかり庶民の家を堪能させて差し上げます。朝食もお約束の通り、妻の得意な民間料理をご用意しておりますよ。お嬢様が庶民の味をご所望だと聞いて、妻はそんな絵本の中のような話が現実にあるのかと驚いておりました」
ブラーデンの主人は立派なビール腹をたゆんと揺らして景気よく笑う。
「娘がお世話になってる上、まさか公爵のご令嬢とこんなに仲良くして頂いてたとは。知ったときは感極まり涙を流して喜んでしまいましたよ。いえいえ、大げさな話ではなく本当なんです。お嬢様、こちらこそ一晩ではありますが、よろしくお願いいたします」
「ニーニャの実家であればと、ちゃんとお父様とお母様の了承も得ましたので。ご迷惑かとは思いますがよろしくお願いいたします!」
楽し気に、嬉し気にお辞儀をするご令嬢に、主人は噂よりいい子そうではないかと微笑む。
ディオール一行は馬車で宿へと向かい、ニーニャの実家にのこったアルベラとエリーは、エリーの乗ってきた馬を預け、さっそく部屋へと通された。
2階に1部屋余っているという話だったが、頼んでいるのはニーニャの部屋だ。みんなでパジャマパーティーをするという名目でお願いし、無事要望通りの結果を得ることが出来た。
「こんばんは、ニーニャ。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします! 準備は出来てるので、まずはお風呂に行ってきてください」
「はーい。じゃあエリー先に入ってくるね」
「一人で大丈夫ですか?」
「エリーのぶわか! 変態! おっさん!」
アルベラはキャッキャとふざける子供さながらにお風呂へとかけていく。他人の家なので足音も声のボリュームも抑えているが、テンションがやや上がっているのは確かだろう。
お嬢様の子供らしい無邪気な面に、エリーは満足げに微笑む。椅子へ座り荷物を整える彼女へ、ニーニャは不安げに尋ねる。
「エリーさん、今晩本当に抜け出すんですか?」
この3ヵ月でニーニャはすっかりエリーとお嬢様になれていた。お願いをされた初めの一月と半月は怖くて仕方なかったが、後半になるにつれ精神的なスタミナも切れ、付きまとわれることにも慣れた時には気づけば怖くなくなっていた。そして、その頃には誰の目から見ても、お嬢様とニーニャが仲良しに見える図が完成していた。
そうもなれば、お嬢様が父へ「ニーニャの実家、王都にある人気の酒屋さんなんですって。お酒の作り方とか、アルコールのないお酒がある事とか、いろいろ聞かせてくれたの! お父様、私見に行きたいです! ついでにニーニャが手伝いで帰ってるってことですし、お泊りして一般のご家庭を体験してみたいです!」と言い出しても自然な流れに見えた。
お嬢様の謹慎が解けた始めのお願いがそれだったので、父も外に出たがる娘を我慢させてたことに罪悪感があったのか三度目のお願いで快諾したのだった。
ニーニャはエリーへ荷物を渡す。
「あの、これ、全部そろってると思いますが確認お願いします」
「ありがとう、ニーニャ」
鞄の中身を全てだし、エリーは自身の書いたメモを見て頷く。
「ばっちりね。感謝するわ」
「あの………」
「なあに?」
ニーニャは自分のベッドの上、お気に入りであろうクッションを抱き上目遣いにエリーへ問いかける。
「今晩、帰ってきたら普通に一緒に寝るわけですよね」
「ええ」
「………エリーさん、は、その………じょ、女装したまま、寝ますか?」
言い辛そうに、申し訳なさそうな表情で尋ねるニーニャに、エリーはいつもの屋敷の部屋の中を思い出す。
事情を知っている奥様にお願いし、あの部屋には信頼できる鍵を付けてもらっていた。
ニーニャが同室なのも奥様の見立てだ。一番秘密を洩らさなそうなビビりだと箔を押されている。
そんな部屋であることもあり、エリーは警戒心も薄くすっぴんになって過ごしていた。どんなに心が女であろうと、化粧を落とせば外見は男だ。ニーニャはずっとそれに怯えびくびくしながら初めの頃は過ごしていた。中身が女であることにはちゃんと理解を示してくれてるようだったが、それでも怖いものは怖かったらしい。
ここ最近になって慣れてきたように見えていたが、やはり自分の部屋で男の外見の何かがともにいるのは落ち着かないのだろう。
「大丈夫よ。夜用の化粧道具もちゃんと持ってきてるし、すっぴんに比べればお肌には悪いけど女装したまま寝るわ。………お嬢様も一緒だしね。私まだすっぴん見せたことないの」
「そ、そうなんですか?! でもそれは………………早めに見せた方が、いいのでは………?」
「そうなんだけどねぇ。私もタイミングがつかめずにいるのよー。心の準備もあるし」
「………そういうものなんですかね」
「ええ。そういうものよ。ニーニャも彼氏が出来たら初めてのお泊りで同じことに悩むわよ。今のうちに覚悟しておきなさいな」
(うう~………。こうやって話してる分には普通に頼れる年上のお姉さんなのにぃ………)
ニーニャは公爵家での自室での光景に、うっすらと思い出し涙を浮かべる。
一方お風呂では、上がったアルベラがこの世界のドライヤーにあたる起風具でご機嫌に髪を乾かしていた。
「あ~~~。生き返ったぁ~~~」
直ぐに着替えてしまう寝巻きを着て、既に始まっている今夜の作戦に胸を踊らせる。
***
「うううううううううううううううううううううああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
アルベラとエリーは王都とディオール領地の真ん中の平原を駆けていた。
フライの背に乗っているので「飛行している」という言葉の方が正しい。
フライは3人まで乗れるが、スピードを考えると人数は少ないほどいい。そしてフライと対面する前に、アルベラが後先考えずに発した「折角だし別々に乗ってみたい!」という要望により、行きのみ、アルベラとエリーは分かれて別々の個体に乗ってストーレムの街へ向かっていた。
だが今は一人か二人かは問題ではない。
「ぅ、う、ううう~………………いいやあああああああああああああ!!!!!」
予想外の乗り心地に、アルベラは叫び声を上げるしかなかった。この人生でこんなに腹から声を絞り出したのは初めてだ。
フライが加速するタイミングで、散々声をあげ、体を強張らせることに疲れたのか、アルベラの体からするりと力が抜ける。
(あ、これ、死ぬ)
フライの背に取り付けられた席の上、公爵ご令嬢は白目をむいて意識を手放す。「これが走馬灯かぁー。すごーい」と意識もろくにないなか笑みを浮かべてか細い声が漏れる。
脳裏で雪崩のように記憶が押し掛け、その中の一つがフラッシュバックした。
『うわあああああああ!!!!!!』
『キャーーーーーー!!!!!』
楽しげな叫び声がたくさん聞こえる。
隣の席の友人は興奮した様子で、乱れた髪も気にせずに恐怖と笑顔で顔を歪ませていた。
『やばいやばいやばい、一番高いところ来たー! ねえ、落ちるよ! ここだよ! くるよ! ほら、ほら! 落ちる! 落ちる、落ちる、落ちる! ヤバイ! ヤバイ! 怖い! ヤバイ! ――――――て、あれ?』
その後、一拍置いて訪れる絶叫。
いつだったか、まだ10代後半でしかない頃に友人と行った遊園地での記憶。
(あれ、これ、ジェットコースターと似てる?!)
そう思ってからは苦ではなかった。
顔の皮膚という皮膚が風圧で吹き飛ばされて骨がむき出しになっていないか、と顔をペタペタ触りながら自身を落ち着かせる。実際ガラスだかプラスチックだかの透明な素材が座席の上に被されているのでそこまでの風圧は無いのだが。気分だろう。
(ジェットコースターよりも加速と減速に規則性があるから、そのリズムをつかめばアトラクション感覚で楽しめなくもない………かも)
そして多分馬車に施してある魔術のお陰か、前世で乗った日本一のジェットコースターよりも負担が少なく思えなくもない。
(あれに比べれば全然平気! …………いや、やっぱ同じくらい!)
フライの飛び方は、ビューンと飛び、フワリと減速。またビューンと飛び、フワリと減速。これを繰り返していた。
鳥の翼を一振りして「ビューン」。勢いがなくなってきた頃に虫の羽が高速で羽ばたき「フワリ」。その間に準備が整った鳥の翼が大きく空を扇ぎ「ビューン」だ。
飛び方に慣れれば、背中で座席の周りにひしめく羽毛へふれる余裕も出てきた。
並列して少し離れた場所を飛ぶエリーの乗ってるフライを見る。
飛んでる姿はまるで燕だ。だが、その頭部には真っ赤で大きな複眼がついており、額のような部分には小さく短い触角が備わっていた。胸から腹にかけてもハエのそれで、体の真下には羽毛も生えていないので虫の面が強く出ている。脚も6本あり、後ろの2本が逞しく発達し、鳥の脚のようになっている。翼も一見燕のそれだが、よく見れば2枚、燕の翼の下に黒い筋の通った透明な羽がしまわれており、それが飛んでるときに「フワリ」の役割を果たしていた。「フワリ」といってもそれなりのスピードを保って進んでいるので、虫の羽は減速を防ぐのにそこそこ機能しているのだろう。
燕と蠅を足した生き物。それがフライだった。
(私はてっきりトンボ的な奴とか、ちょうちょ的な奴とかがくるかと…………。まさかそのまま『蠅』だなんて)
初めて見たときのなんとも言えない気持ちを思い出す。ぱっと見は燕で可愛かった。だが二度見してどう見ても蝿の部分を見つけてしまい、気持ち悪さと無気味さがじわじわと沸き上がって来たのだ。けどやっぱり遠目で見れば燕。
(うーん…………。可愛いと気持ち悪いの共存…………)
後ろの絶叫が止んだことでフライ御者が心配したのか振り返る。
「ちょっとお兄さんよそ見止めて! 前向いて! 危ない! 怖い! 危ないから!!」
「おう! すまない! 嬢ちゃんが気絶しちまったかと思って! なあんだ、ずいぶん元気だな!! なんならもっとスピード出すかい?」
(まだあがるん?!)
「いや無理!!!! これ以上出したらお金払わないから!!! 傷害罪! 殺人未遂罪でうったえてやるんだか、らああああああああああああああああ!!!!!」
フライの御者は「ハッハッハ!」と笑いながら客人の言葉を無視し一気に加速するのだった。
アルベラの乗っているフライの加速に合わせ、エリーのフライも加速する。二羽の巨大な燕が低飛空しながら追いかけっこをしているようだった。
「ゆううううううるううううううさあああああああああなああああああいいいいいいいいいいいいいん、あああああああああああ!!!!!!!!」
アルベラはフライの背の上、御者のお兄さんの戯れに、恨みの籠った叫び声を目一杯あげる。





