287、翼を取り戻す方法 19(ユリの忠告)
ユリは衝立の裏側に映し出されたシルエットを見つめていた。
魔術具であるこの衝立は裏側から見ると反対側が透けて見えるのだ。衝立向こうの景色はクリアに映し出されているのではなく、暗めの青の色付きガラスを通して見たような色味となっていた。そこに居る人物は白い光のシルエットとなって映し出されており、人の周囲や部屋の辺り一面に、薄い光の靄が漂っていた。衝立に移される白い光は魔力だ。つまり人の内の魔力やその周辺の魔力が視覚化されているのだとユリは事前に聞いていた。相手が何か企て、魔法で何かしようとすれてばすぐに分かるらしい。
(アルベラ……)
表情は見えないが、その声と衝立にはっきりと映し出されたシルエットはユリも知る彼女で間違いない。
アルベラの左右の後ろには案内してきたシスターと元からこの部屋にいたシスターとが待機しており、彼女らのシルエットもまたアルベラ同様衝立にはっきりと映し出されていた。
メイの口元には笑みが浮かべられていたが彼女の視線は鋭く緊張感のある空気が漂っていた。
その様子から、ユリは癒しの聖女が「癒しの聖女」としてそこにいるのだと背筋を伸ばす。
(私は二人の邪魔にならないよう静かに……)
ユリは既にメイが癒しの聖女であることを知っていた。と言うのも―――
―――『驚かずに聞いてね、ユリ。実は私、癒しの教会の聖女なの。歴代の癒しの聖女の中でも随一と言われるあのメイク・ヤグアクリーチェ様とは私の事よ。どう、驚いた?』
ユリがそう教えられたのは清めの教会に行き清めの聖女と挨拶を交わした際だ。
驚かずに聞いてと言いながらその文末には「驚いた?」と期待の込められた一言。
ラツィラスからメイの正体を知らされていたユリは「遂にこの時が来た」と思いながら、言葉に迷い反応が遅れてしまった。
ぴたりと動きを止めてしまった彼女に、メイの側近であるパンジーが「驚きすぎて言葉もないようですね、聖女様」と助けの手を差し伸べてくれる。
パンジーの言葉と同じようにユリの様子を受け取っていたメイは、「みたいね」と頷き満足げな笑みを浮かべたのだった。
「―――それで、ご用件は?」
聖女の問いかけ。アルベラの返答にユリはびくりと身を揺らした。
「ええ。ジャスティーア様に用が」
(私……?)
どうしたらいいのかとユリが聖女を見ると、聖女は衝立の方に目を向けたまま「へぇ……」と呟き棘のある笑みを浮かべていた。
―――『聖女様に約束の件で参りましたとお伝えください』
アルベラは半立体の拳サイズの白い花が幾つも咲き誇った白地の衝立を見つめ「ああ聞いてここに通した以上分かってる癖に」と内心唇を尖らす。
「凄いいいタイミングね。このお茶会、ついさっき始めたばかりなんだけど……ネズミでも潜り込んでるのかしら」
(―――ぎくり)
壁に張り付く八郎が身を揺らした。
(あれをネズミと言うならカピバラか)
アルベラは見え見えの八郎の巨体に素知らぬ顔を貫く。
(ていうか……だからなんで誰もアレに気付かないの)
天井と壁とがぶつかる角。角に体を挟ませているのか手足で踏ん張っているのか知れないが、そこからこちらを見下ろす八郎がぐっと親指を立ててきてアルベラは反射的にいらっとしてしまう。だが場が場だ。顔に出すわけにはいかず我慢する。このお茶会中に突撃できたのも八郎改めあのストーカーのお陰だ、感謝しなければという気持ちで感情を誤魔化し衝立へ集中した。
「ユーリィ・ジャスティーア様。貴女に謝罪を。―――今までごめんなさい。私、貴女の聖具の小汚い箒を壊したわ。センスの悪い気色悪い人形も盗んで捨てたし、寒い中水もかけた。今まで貴女にやった事、貴女を傷付けた事、申し訳ないと思って謝罪をしに来たの。今までごめんなさい」
全て言ってから深く頭を下げたアルベラに、ユリは「そんな、」と言って表情を歪めた。
『謝罪はどうするでござる?』
『そんなの……ここまで来たらもう正面突破よ。謝るだけ謝ってその場を乗り切るわ』
『まあそれが手っ取り早いでござるよなぁ。―――ふぅんむ……、今度のお茶会は二十四日らしいでござるが、折角だしそこに突撃してみるとかどうでござる?』
『良いわねそれ。聖女様の目の前で謝っちゃえばユリから報告する必要もないし』
(アルベラ氏偉いでござる! 有言実行! 悪役としてヒロインに媚びない姿勢も天晴なり!)
(八郎……)
ニヤニヤしている八郎が視界に入りかけ、アルベラはあげそうになった頭を下げ直す。
「謝罪だなんて……」
衝立の向こうではユリが言葉に悩んでいるようだった。
「私そんな事―――箒は元々買い換える予定だったし、人形も実際気持ち悪かったし、水はびっくりしたけど過ぐに乾かして貰えたから私は何も……」
慌てる彼女にメイは「ユリ」と冷静に名を呼ぶ。
「今回貴女がどう感じたかは置いといて、彼女がしょうもない嫌がらせをした事には変わらないわ」
(ぐっ……)
はっきりと聞こえる聖女の言葉にアルベラはぐさりと胸が貫かれる。実際自分でも「しょうもない嫌がらせ」と自覚はしていたが、それを人に言われるとそのしょうもなさが際立ってみっともなく感じた。
「いい? こういう輩は見逃せばどんどん悪化してくの。相手が寛大だったとは思わず、ビビりだの臆病だの勘違いして調子づくのよ」
「え、ええと……」
「だからこうしてあちらから謝罪を口にしているのだから、それはしかと受け止めて『もう二度とするな』くらい言わないと駄目。分かった!?」
「は、はい……!」
アルベラが見つめる衝立の向こうから二人のやり取りが聞こえる。
(聖女様のお言葉は最も……。けど嫌がらせは辞めるわけにはいかないの。そういう意味でも『ごめんなさい』、ユリ)
別にこの嫌がらせを心底楽しいと思った事は無いし、決してそんなことは無いし……。と「どうやってクリアしよう」と悩んだ末に嫌がらせを達成し、ちょっとした達成感に胸が満たされた日々を思い出しアルベラは「あれは仕事、あれは楽しんでたわけではないはず」と胸中繰り返す。
「アルベラ、頭を上げて。謝罪は……有難う。ちゃんと受け取ったからもう謝らないで。あとジャスティーア様じゃなくてユリでお願い。えと……様付けはなれなくて、ソワソワしちゃうから」
と空気を和ますように苦笑するユリに「ユリ……」と責める様な呆れる様な聖女の呟きが零れる。
「有難うユリ」
アルベラは頭を上げニコリと笑んだ。だがそれは社交の笑みだ。
「では、これ以上お茶会を邪魔するのも胸が痛みますから退散させて頂きます。この度はお時間を割いていただき有難うございました。お二人共どうぞ楽しいお茶会を」
クルリと踵を返すアルベラニ「え!?」と上がるユリの声。
天井に張り付いていた八郎も「切り替えはやすぎぃ!」と内心つっこむ。
「ま、待って、アルベラ!」
ユリの呼び止める声に扉を開いていたシスターが動きを止める。
「あの、私も丁度……貴女に言おうかどうか悩んでたことがあって。丁度いい機会だしって」
「なにかしら」
振り返るアルベラとユリの正面に座る聖女。二人の視線を感じユリは迷いながら口を開く。
「―――ごめんなさい、言い方が見つからないからとても直接的になるんだけど―――アルベラの良くない噂が流れているでしょう。あれ、誰かが意図的に流してる気がするの……。だから『気を付けて』……て」
(気を付ける……?)
なんとも自信のなさそうな遠慮気味な忠告にアルベラは首を傾げた。
(まさかユリからそんな忠告を受けるなんて)
「貴女が何故そう思ったのか聞いて良いかしら?」
「え、ええ……」
ユリが迷いながらも思い出すのはつい最近のお茶会での事や、特待生同士やその他から漏れ聞いた噂だ。
―――「ディオール様が平民に水を?」
―――「どこかの公爵令嬢が婚約者候補に嫌がらせをして回ってるって?」
―――「かなり嫉妬深いそうよ。殿下と軽く挨拶しただけで脅迫文が送られたって」
―――「フォルゴート様の才能に嫉妬してるって噂だろ」
―――「グラーネ様ウェンディ様ケイソルティ様くらいなんでしょ、まだ嫌がらせ受けてないの」
―――「香水瓶に毒を入れて持ち歩いてるって……」
「私も何て言ったらいいのか分からないんだけど……実際にアルベラがした事を大げさに悪く言いふらしている人がいる気がするの。アルベラが私に水を掛けた件とか、ヒフマスを投げた件とか」
(私ね)
アルベラは人前でもユリに嫌がらせがしやすいよう、自分が意地悪な印象になる様に広げた噂の事を思い返す。
(中には私が流した噂じゃないのもあるけど)
「私やヒフマスについてなんかはその時限りの話だしあまり大きな問題とは思ってないんだけど、殿下の婚約候補者の話とか貴族への嫌がらせの話は嫌な感じがして……聞いててなんか質が違うっていうか……」
「悪意のある噂って事かしら? 貴族間でならよくある事よ。貴族でなくたって……噂なんてそんな物じゃない。自分の噂なら私も小耳に挟むから気にしないでいいわよ」
「そう……よね。私が聞くくらいだし……。けど、誰がやったのか分からないような物もアルベラのせいにされてる気がして気になったから」
「……」
「アルベラ?」
(―――素で言ってるんだとしたら、私の事をどれだけ信用してるやら。それとも人が良すぎるって奴? ヒロイン様様ね……)
アルベラは呆れるも余計なことは言わず礼を言う。
「そう。わかったわ……。ご忠告ありがとう」
「ではディオール様、私とも少しお話良いかしら? ―――ユリは少し席を外しててくれる? パンジー」
「はい」
アルベラの視界、衝立の奥からパンジーとユリの姿が現れる。
二人は部屋を出て行き、変わらず聖女は衝立の奥からアルベラへ言葉を投げかけた。
「第三王子、スチュート様の誕生日会での件。前にも軽く確認はしたけど、毒は本当に貴女ではないのね」
「勿論です。私に彼女の命を狙う理由がありません」
「ではその時の魔獣の件は? 魔獣の使役瓶をあのトイレに入れてユリを閉じ込めたご令嬢方だけど、その瓶は貴女から渡されたものらしいの」
(何の話だ)
「この間のお茶会の件はご存じ? そのご令嬢方、貴女の指示とかでユリを誘っておいて散々いびり倒していたそうなのだけど」
そちらの話ならアルベラも知っていた。この件が片付いたら、礼のご令嬢方の事を調べ接触でもしてみようかとは思っていたが。
「……それは聖女様自らお調べに?」
「ええ。私の使役でね。媒体を通して直接私が聞いたような物よ」
「そうでしたか。お答えいたしますとその件は私は初耳でした。瓶を投げ込んだという生徒達が誰かは存じませんでしたし、お茶会でジャスティーア様を誘えと誰かに頼んだ事などありません」
茶会の方は知っていれど今はそんな細かい事どうでもいいだろうとそ知らぬふりを突き通した。
「そう……。で、それをどう証明なさって?」
アルベラは内心溜息をつく。表面上では涼やかな笑みを浮かべ、「ではこれでどうでしょう」と提案する。
「そのご令嬢方には私から言って聞かせておきます。それでもだめでしたらその件から私はお見逃しを」
「だめよ」
「さて……では」
「私は貴女に高位貴族である責任を要求しているの。『下位の者達の手綱をしっかり握っておいてほしい』とお願いしているのよ」
『要求』と『お願い』どちらでお聞きしたらよいでしょうねぇ? と内心で尋ねつつ、表では笑顔のまま「『要求』ですね。承知いたしました」と承諾する。
「話が早くて助かるわ。貴女の指示でないのなら貴女の名前を勝手に使う卑劣で愚かな貴族共にちゃんと首輪を嵌めておいて」
「承知いたしました、癒しの聖女様。―――では、治療の件は」
頭を下げたご令嬢。その瞳が衝立奥から真っすぐに自分へ向けられているのを感じ、聖女は「分かりましたわ」と返す。
「癒しの件、しかと承りました。貴女は連絡を待ちなさい」
「はい、では私はこれで。―――お茶会を邪魔して申し訳ございませんでした。失礼いたします」
(本当、なんで誰もアレに気付かないかな)
外に出たアルベラはゴキブリ顔負けの身軽さで天井に張り付いている八郎を見上げた。ぐっと親指を立てる彼の姿にため息を吐き無視して廊下を進む。
(治療の件はこれで良し……。今日は後は……)
皆の治療の方はどうだろうか、何かやっておくべきことはあるだろうか、とアルベラは考えていたが、ふと首に下げていた小さな重みを思い出した。
(―――そうだ。清めの教会)
部屋に戻ってきたユリと変わらず椅子に腰かけていたメイの横では衝立が退けられ、カップに温かい紅茶が入れ直される。
「ユリ、さっきのあれは聞きようによっては釘を刺したみたいだったわね。ワザと?」
「釘? なんのことですか」
ユリはカップを手にしたままきょとんと聖女を見つめた。





