286、翼を取り戻す方法 18(お嬢様の謝罪)
『お嬢様、どうぞこちらを』
ガイアンが自国の紋章とディオール家の紋章が描かれた革表紙の手帳を取り出した。アルベラから預けられていた渡国証だ。
アルベラは礼を言って渡国証を受け取り、自分が国境の関所を通ってきた記録を確認した。
店の個室、テーブルの上にはそれぞれ軽食や飲み物を置いて話していた。
『で? あっちでのお互いの話は十分だろ。嬢ちゃんはこっち来て何してたんだい?』
昼間っからアルコールを頼んでいたアンナが尋ねる。その手には旅出の際にはなかった指輪が数個はめられていた。ユドラの片腕からくすねたものだ。アンナはその半分を装備し、半分は大事に保管してるのだという。
『聖女様との御面会と傷跡の治療と瘴気の処理とか諸々ね』
『全部ちゃっかり済ませちまったと』
『いいえ。まだ聖女様とのお話が少し残ってるの』
『ほーん、話しねぇ』
『姉さんたち、今夜はうちのもてなしを受けてくれるんでしょう? それで明日は傷を完璧に癒すために癒しの教会へ行くと。タイガーとガイアンも行くんでしょ? それって一緒にでる予定?」
『さあ、そこまではまだ話してないけど』とアンナ。
『私共はアンナさん達を見送りタイミングを見てと考えてました』とタイガー。
二人の返答を聞き、アルベラは『そう』と考える。
『……なら明日、私も姉さん達と一緒に教会へ行こうと思う。ピリの治療について聖女様とお話の続きをしたいから』
『わかりました。では私共も一緒に参ります。こちらにいる間はお嬢様の護衛として働くよう伯爵から仰せつかっておりますから。ーーー勿論伯爵の命がなくともご一緒させて頂いてますけどね』
にっとタイガーは相変わらずの気軽な笑顔を浮かべ、ガイアンはその隣で静かに頷く。
アンナも『へぇ、了解』と答え捕捉した。
『まあうちらで教会行くのは私とスナクスだけだ。他の奴らは完治してるから屋敷出たら解散だよ。ビオとミミロウはカスピ達と合流するから一緒に王都に行くけど』
『え……、もうお仕事するんですか?』とアルベラが不安げに尋ねる。問いかけはビオに向けたものだ。彼女は目の下にクマを残しやつれた顔をしていた。
アルベラの問いに見るからに本調子でなさそうなビオは苦笑しながら首を横に振る。
『いいえ、ミミロウを送り届けるだけです。私は数日、断れない依頼がない限りはゆっくり休みます。治療は受けませんが数日は教会に通ってお祈りをしようかと。清めの教会の聖歌は悪夢にもよく効きますから』
アルベラが聞いた話だとビオは外傷は少ない物の、あちらでの戦闘の後遺症が一番酷かったそうだ。首の傷は眠っている間に治療により治りきるも、目を覚ました途端病室のメンバー(エリーとアンナ)に襲い掛かり押さえられたのだという。薬で眠らせ精神安定の治療を受け、聖水や浄化の魔術が付与された札などで精神の落ち着きを取り戻せたのだそうだ。しかしあれから毎晩悪夢を見てうなされているらしい。
この世界、殆どの国では悪夢には祈りが効くとされている。実際恩恵(祈る事で得られる神聖な魔力)を受けやすい体質の者程その効果は大きい。
ビオは平均より祈りの効果を高く受けやすいので、そのおかげもあり日に日に良くなってはいるのだそうだ。
『是非そうしてください。希望があれば屋敷でも、安心して眠れるようそれ相応の治療に当たらせて頂きますから』
(あの靄がずっと体から溢れ続けてたら、それにあてられた人たちはこうなってたかもしれないって事か……。ビオさん……私の治療のために側にいたせいで……、何か申し訳ない……)
***
馬の背に揺られ、アルベラは昨日冒険者や騎士達と合流し、その後屋敷に帰り父母との再会や旅の報告、冒険者と騎士達との夕食を思い返しほっと息を吐いた。
昨日の報告会にて、ダークエルフの姉もガルカに止めを刺されたという事で冒険者や騎士達に伝えていた。
(お父様とお母様にはドグマラの件は避けて見知らぬダークエルフに襲われて遅れたと伝えたし……護衛の皆のお陰で倒せたから報復の心配もないって、それもちゃんと忘れず言えた―――)
ピリに怪我させた事、癒しの聖女にその怪我の癒しを依頼する事も伝えた。
自分は必要な事は伝え、隠せる事はちゃんと隠せていただろうか……とアルベラは自分が両親に報告した内容を思い返し吟味する。
―――『アルベラ、聖女様が救いの声を断る事はないだろうけど、もしもの時はちゃんと私に言うのだよ』
思い出したのは昨晩の父ラーゼンの言葉だ。
(娘の心配をこんなにもしてくれるなんて。お父様、相変わらず何て親バ……なんてできた父親かしら。―――けどあの言葉に甘えれば私の印象は更に悪くなる事確定……)
癒しの聖女の自分への心証は出会う前から最悪なのに、そこに自分の欲しい返答が得られないからと公爵である父に頼ればどう思われるか。アルベラは癒しの聖女が口にしそうな嫌みを幾つか想像してしまい苦笑した。
だがそれがなんだ、と自分に言い聞かす。
(……大事なのは目的を果たすこと。癒しの聖女様からどう思われようと印象がどうなろうと、ピリの怪我さえ治れば何でもいいじゃない)
アルベラは覚悟を決めていた。苦笑は強気な笑みに変わり、手綱を握る手に力が籠る。
これから訪ねる教会。そこに誰が居り癒しの聖女と何をしているのか。全ては八郎からの報告で知っていた。
(これさえ済ませば……)
***
通された部屋には甘い香りがほんのりと漂っていた。
アルベラは扉の前でスカートを摘まみ恭しく頭を下げる。頭を下げたのは元々あったのか急遽用意したのか知れない衝立の向こうに聖女が座っているためだ。
「折角のお茶会を邪魔してしまい申し訳ございません、癒しの聖女様……それに」
頭を下げたまま、緑の瞳は聖女の正面の席に座っているだろう客人を見据える。
「ユーリィ・ジャスティーア様」
「え?」と衝立の向こうから小さな声が聞こえた。
「頭を上げるご許可を頂いても?」
「いいわ、上げなさい」
ユリは現状が掴めずでメイと衝立とで視線を行ったり来たりさせていた。メイはおろおろするユリにくすりと微笑み口の前で人差し指を立てて見せる。ユリがこくこくと頷くのを確認し、静かに視線を衝立に戻した。その一瞬で彼女の表情は聖女のものとなっており、一切の不正を許さない厳格な空気が流れだす。
「―――それで、ご用件は?」