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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (後編)
283/407

283、翼を取り戻す方法 15(高級レストランへ潜入)◆

挿絵(By みてみん)



(ラーノウィー殿やマンセン殿との話……。賢者殿の世界への介入とドグマラと言う存在。聞いていて色々と納得でござったな)

 アルベラの準備の間、マンセンはガルカの部屋でくつろぎ、ダタはマンセンに呼ばれるまで街をうろついていた。

 八郎はアルベラと共に今晩の店の予約や入店時に必要な道具の準備で街を駆けまわりながら、自分をこの世界に転生させた老人について考えていた。



 あの老人―――世界を創ってしまい挙句神の怒りをかい無謀にも神と喧嘩し互いの世界の壊し合いをした賢者。

 八郎が選んだ「女性への転生」をあっさりと覆し、ほとんど前世の姿のままの転生を()()()()()()()()()()()()()()

 彼は「勝てなくとも嫌がらせくらいは」と内側からじわじわと世界を苦しめる種を蒔いたというわけだが、「ドグマラ」のその種の一つで間違いないだろうと、アルベラの靄が塔に吸われていく様をみて八郎は確信した。

 不自然に瘴気を抱え、個人により差はあれど歪んだ価値観や精神をもって生まれた人々。彼等は争いごとを起こし人の世を乱す、まさに賢者様の希望に沿った駒なのだ。

 魔族との関係性もそうだ。

 魔族と言う神が意図せず生まれてしまった世界の厄介者は、存在するだけで環境に負荷をかける。彼等が自然界の魔力を多く消費する事で精霊たちは活発さを失い大地の治癒力が失われその土地は衰退していく。その逆もありきだ。大地が何らかの影響を受けて弱れば精霊たちに負荷がかかり同じくその土地は衰退していく。多くの魔族が遠慮なく魔力を消費し暴れれば、それだけ世界に負荷がかかる。

 なぜ賢者がアスタッテという名を受け入れ魔族に手を差し伸べたのか。全ては自分の目的のためだったというわけだ。

(今までに聞いたアルベラ氏の悪役令嬢業にはドグマラという単語は全く出てこないでござるし、聞いた所全てゲームのストーリになぞったものばかり。彼等はこの世界オリジナルの存在である故、彼等が何をしてもアルベラ氏の仕事には待ったく関係ないようでござるな。―――それは放っておいてもいい存在と言う事でござろうか。拙者の予想では神様のお気に入りの魂をこの地に集め、ゲームのストーリーと言う皮を被せて彼等に大きな問題を解決させるつもりかと思っていたのでござるが、やはり世界中に種がまかれている以上あちこちで問題は起きているわけで……。言葉通り『自分の蒔いた種』、回収するのは人の道義でござろうが……賢者殿、それについてはどうするつもりなんでござろう)



 ***



 ディオール公爵の領地、ストーレムの町のツーファミリーのたまり場の一角。

「オイ、なんだこりゃ」

 テーブルの上にどかりと脚を乗せ煙草を吹かせていたリュージは、手下に渡された手紙を見て顔をしかめた。

「へい。ハチローの急ぎの頼みとかで」

「あの野郎暫く留守にしてる身で良いご身分だな。……『ジヴァジ・タイガー』『アレック・ガイアン』『コルディネ・アントワーニュ』?」

 リュージは書かれた名を見て眉を寄せる。

「『貴族の証明書の偽装』すか。『高級レストランでの使用』。見せるだけのでいいみたいですね。まあ割とすぐ出来るやつか。今晩使うとかで、とりかかっちまっていいですか?」

「おう、任せる」

「あとこれも」

「あ?」

 渡された便せんには青い封蝋がされていた。蝋に刻まれているのは装飾的に描かれたコウモリの画だ。

 良く知るそれに、リュージの眉間の皺が深まる。

「嬢ちゃんからすね。まだ旅行中じゃないんすか? ティーチの野郎まだ帰って来てませんし」

「そうだったか」

 と興味も薄く言いながら、リュージは明らかに手紙でないだろう厚みのある四角い物体を取り出す。それは約一月前に彼がアルベラに送った誕生日プレゼントのライターだった。

 手紙にはこれのお陰で助かったという一言とお礼、補充のお願いが書かれ、礼の品も共に入れられていた。

「早速か」

 同封されていた礼の品がリュージの手のひらに転がり出る。神獣の恵み石だ。質のいい親指サイズのものが二つ。

「何すかその石。魔力片? 魔石?」

「まあそんな所だ」

(ちっ、生意気にも対価の品は十分でやがる)

 神獣の体に生える魔力の結晶、つまりは魔力片だ。恵みの石と特別感を持って呼ばれるそれをむなポケットに仕舞い、リュージは「ふぅ…」とたばこの煙を吐いた。

「礼は後日改めて、か……。来なくて良いって伝えとけ。こんなもん送りかえしゃ済む事だ」

「了解しやした。会えるのが待ち遠しいって返しときますね!」

「てめぇ……」

 一拍置いて男の叫び声が響き焦げ臭さい匂いが窓から漏れ出る。叫び声を聞いた周辺住民は馴れたもので「この叫び声は通報は要らない奴」と、チンピラの戯れと判断されたのだった。

 叫び声は派手だったが男が受けた制裁は前髪を焼かれたというもので、男は即日焦げてちりちりになった前髪を仲間に笑われ弄られた程度の被害で済んだ。



 ***



(勝手に名前を使った事はタイガーとガイアンには後で伝えて謝っておこう。証明書の偽装の事は……伏せていいか。名前を借りるとしても見た目も本物に寄せる必要はないか。むしろしない方が良い……よな。私の誕生日で貴族達に顔見られてるし私の護衛ってのが知れてるもの。名前も顔も一致して覚えてる人は少ないと思うけど念のため……。店員は貴族の家紋やサインしか確認しないし大事なのは紹介状だしね、と……)

 街中の手紙の配達所を訪れ、アルベラは速達でそれでいて一番高い価格設定の伝書鳥に手紙を預けた。手紙には彼女の魔力片が同封されているので、予約の可不可についての返答があれば直接アルベラへと鳥が飛ばされるはずだ。

(『ミルジェンラ』についてはこれで大丈夫か。アルベラ・ディオール名義の紹介状は私本人制作の本物だし。紹介状は旅先から紹介相手に送ったって事にすればそちらも解決)

「―――で、八郎はどう? 変装とお金は大丈夫そう?」

 と言って振り返ったアルベラの表情はなんとも生き生きとしており八郎は目を据わらせた。二人は配達所を出て買い物の続きをしながら宿への道を歩く。

「アルベラ氏……もしかして楽しんでござらんか?」

「全然別に。別に……『実際公爵家だしお金も払うし、後でだけど本人達タイガーとガイアンの了承も得ちゃえば店側にバレても大した問題にはならないなー』とか、『思ってた以上にリスク無いしちょっとしたゲームみたいでわくわくするな』とか思ってない思ってない。『そもそも私の紹介状自体が本物なんだし、失敗すること自体ほぼあり得ないし店の入店ぐらいなら余裕だったな』とか思ってない思ってない」

 八郎が魔術を展開し二人の会話が周りに聞き取れないようにしてくれているため、アルベラは隠さず本心をさらけ出した。

 八郎は彼女の言葉に一人の大人としていざ忠告せんと口を開いた。

「成功率の高い軽犯罪に味をしめないよう気を付けるでござるよ。ほどほどにしないと癖がついてやめられなく―――」

「誰かさんみたいに検問抜けの常習犯になったら困るものね。ご本人からの忠告だもの、深く受け止めて気を付けるわ」

「おふっ……」

 八郎は胸に矢が刺さったような仕草をして背を丸める。

 アルベラは「別に大丈夫よ」と不承不承に返した。

「どうせ私の実力じゃあなた達みたいな完璧な不正は出来ないんだもの。ばれると分かっててずるなんかしないし。今回は特別。今後はまた自分の実力に見合った真っ当な手段を取らせて頂きます事よ。―――やむを得ない事がない限り……」

「つまりアルベラ氏もチート貰っていたなら不正をしまくっていたと」

「貴方がやってる事の殆どは私もやっていたでしょうね」

「ア、アルベラ氏には拙者の全てがお見通しなんでござるな!? イヤン!」

「うるさい。さっさと帰って準備する」



 ***



「ケッ、何が貴族限定の高級店ダ。脇が甘すぎんだロ」

 貴族の証明の品は目視により簡易的に済まされ、少々念入りに行われたアルベラ・ディオールからの紹介状の確認も無事済み、アルベラ達は店のスタッフ達ににこやかに迎え入れられた。

 ダタの体のどこかに潜んでいたマンセンがつまらなそうに呟く。声がくぐもっていないのは案外姿を消して肩や頭辺りに乗っているだけか、それとも本体は離れた場所に居り魔術によって近場に声を送っているからか。どちらにしてもアルベラには見破る事は出来そうにない。

「何はどうあれ、ちゃんとコントンは返してよね」とアルベラが小声で釘を打つ。

「おウ! お前らが忙しく駆け回ってんの見たらそれなりに満足したからナ。店出る時に返してやらァ」

「いい性格してるわ……」



 今晩のアルベラは「コルディネ・アントワーニュ」の名を借りていた。これはブルガリー伯爵が訪れた際に、アルベラと手合わせして彼女を雪原の上に投げ飛ばした女性騎士の名だ。

 本人の了承などえる時間などなかったため当然勝手にである。

 ―――アントワーニュ準伯爵家のご令嬢が王都に遊びに来て、アルベラの紹介によりあの店を利用する。それが今晩の筋書きである。

 名前を偽っている以上見た目も同じく「偽り」だ。

 桜色を暗くしたような鬘にレンタルのドレス。暗い茶色の瞳に出来るだけ目元の印象を柔らかくした化粧。鬘の前髪を目が半分隠れる高さで切りそろえているので化粧もあいまって普段のアルベラのきつい印象は大分緩められていた。後ろ髪は巻いてアップにしている。顔の火傷は傷隠しのクリームで、両手の火傷は二の腕までを覆う手袋で隠していた。

 この姿は本物の「コルディネ・アントワーニュ」の姿ではない。本物の彼女は黒髪を肩の長さで切りそろえ、どちらかと言えばきりりとした印象だった。

 名前と姿を本物に寄せなかったのは八郎とダタも同じだ。

 八郎はタイガーの名を借りてはいるも実物とは程遠いなりをしていた。体型は八郎そのままで鬘を被り、どうやってか顔つきはそこらに居そうな貴族っぽい中年男性の物になっている。

 ダタはガイアンの名を借りそちらも見た目など一切本人に寄せてはいない。彼の場合顔を弄っているわけでもなく、ただ正装を纏い鬘の長い前髪で顔の半分を覆っているのみだ。

 顔見知りさえいなければ挨拶もすることはないので名前と顔が一致しない件も気にすることはないと、アルベラは高をくくっていた。そして店を訪れてその自信は確信に変わる。

 きっと誰にもばれず今回の夕食は終える事が出来るだろうと、アルベラは無意識に安どのため息をついていた。

(この店がそこまで調べはしないだろうけど、お爺様の部下である彼らならお爺様経由で私と縁が出来て店を紹介したって流れがあっても自然だものね。名前を借りる皆は騎士仲間だから一緒に居てもそこまで怪しくない。―――この人たちが大人しくご飯を食べるだけで満足してくれればいいんだけど……)

 と彼女は斜め後ろの高身の平たい男を見る。長い前髪の下には口元がはみ出るのみで表情は全くだ。

(距離感に困るなぁ)



 一階を突き抜けて奥へ進むアルベラ達の後方、客人達がざわめきたった。アルベラ達の上着等の荷物を預かり先導して案内していたスタッフがすぐさま反応して振り返り慌てたように道を譲った。

 スタッフの「申し訳ありませんが」という声と、後方の来客を確認したアルベラは彼の行動に納得して同じように道を開ける。八郎もそれに倣い、ダタに自分をまねて頭を下げるようにと指示していた。ダタはすんなりそれを受け入れ八郎に倣ってくれる。

 周りの客など視界に無いようにさっそうと目の前を通り過ぎていく彼らを見て、八郎が小声で呟いた。

「王子殿でござるな。これは奇遇」

「嫌な奇遇だこと」

 とアルベラは返す。



「―――ラッグストから手紙きてたろ、見たか?」

「勿論確認したよ。彼とは会うの久々だね。変わらず元気だと良いけど」



 変装したアルベラに気付きもせず道を譲られ去っていった王子様方―――スチュートとルーディンは店奥に設置されたレトロだが華やかに装飾されたエレベーターへと乗り込んでいった。

 この国ではエレベーターはそれなりに普及していた。魔術と科学の融合により稼働するその便利マシンは、主にこの店のような高級な飲食店や宿で扱われているのだ。一般庶民にしてみたらまだまだ珍しい機械だが、貴族やちょっとした小金持ち以上となればたまに目にする代物だ。

 アルベラ達もアレに乗り込む予定だったのだが、先に彼らが乗ったので少しの間待ちとなる。エレベーターは二つあったが片方は丁度上に行って留守にしていた。そちらの方が早く帰ってくるのは明かなので、「ここでの足止めは短い物だろう」と思いながらアルベラは一階から四階への吹き抜けを見上げた。

(あの人たちはどうせ最上階。私達は個室の一般席の予約だし……余計な心配は要らない……要らないよね……うーん、不安……)



 この店は五階建てで最上階は一間ひとまのVIP席となっている。

 そのVIP席、予約自体はどの爵位の貴族も可能だが単純な早い物勝ちというわけでもない。

 男爵位の者が予約し後から伯爵位の者の予約が入れば後から予約した伯爵位の方が優先され、更に後から公爵位の者が予約をすればそちらが、更に王族が予約すればそちらが、と爵位の高い者が優先される。

 男爵位の者が予約し、後から誰の予約も入らなければめでたく初めに予約をした男爵位の者がその席を使える、と言う事なのだ。



 アルベラ達がこれから向かうのは三階だ。この店の一階と二階はテーブル席が並び、三階からは個室となっている。最上階を使うであろうスチュートには会う事は無かろうと、アルベラは自分に言い聞かせ嫌な気分を取り払おうとした。

(せっかく靄が無くなってこそこそする必要なくなったと思ったのに、運の悪い……―――いや。そういえば今日はあのエルフはいなかったな。……と思えばそちらは幸運)

 彼女はふとスチュートが学園で連れていたエルフの奴隷を思い出す。

(今日は私だけでなく八郎にこの人たちにと臭いものだらけ。いたらかなり怪しまれただろな。あのエルフ、普段どれだけの事をあの第三王子様に報せてるかは知れないけど、もしかして私のこの体臭について、もう何かしらご主人様に伝えてたりするのかな……。けど第三王子のあの性格で何も言って来たりしないって事はアスタッテの匂いについては何も言ってないんじゃ……)

「……?」

 ざわりとまた後方が騒がしくなりアルベラは胡乱気に入り口の方へ視線を落とした。

 ダタの方辺りから「オ! あいツ!」とマンセンの声が上がる。店のスタッフが不思議そうにダタを見上げるが、声の主でないダタはそれを無視する。

 新たな客人に店内の人々はまた首を垂れていた。

 「これはまた奇遇でござるな」と八郎がぼやき、アルベラは口元に不自然な笑みを浮かべて表情を強張らせる。彼女は背中にひやりと冷たい物を感じた。

(なんで……)

 城の護衛騎士達に囲まれた第五王子―――ラツィラスが真っすぐエレベーターへと向かって歩いて来ていた。

 ―――「あら? ラツィラス殿下は先ほどいらしてなかった?」

 ―――「しっ、先ほどいらっしゃったのはルーディン殿下よ」

 顔を隠すように頭を下げるアルベラの耳に、周のそんなやり取りが入ってきた。

(バレた時に名前を呼ばれでもしたら……いやそもそもばれないだろうけど)

 アルベラ達の側にも、エレベーターの前にも店のスタッフは待機している。特にアルベラ達を案内している方は、彼女達の名前を一応は伝えられて把握しているのだ。誰かがアルベラをアルベラの名で呼べば不審に思われる事間違いない。



 ―――チンッ

 降りてきたエレベーターが鐘の音を鳴らし到着を告げる。

「殿下、どうぞお乗りください」

 エレベーター内に待機していたスタッフが声を掛けたが、ラツィラスはエレベーターの前で頭を下げる先客を見て緩く笑んだ。

「良いよ、来た順。どうぞお先に」

 見目麗しい王子様の微笑みと優しい声音に近くから女性の吐息が零れる。

「殿下もこう言ってる。気にせず先に乗られよ」

 とアルベラの知らない―――しかしどこかしらで顔は見た事のある……気がする年配の騎士が伝えた。

「ありがとうございます」

 スタッフが礼を言い、迷っていたアルベラも声音を低くひねり出す。

 平民の彼等に全て代弁させるわけにはいかない。貴族である一行の誰一人も殿下に礼を言わないのはちょっとしたマナー違反に当たるのだ。

「……ありがとうございます……」

「……?」

 頭を深く下げ礼をいうアルベラを前にラツィラスはゆるりと首を傾げた。

「ではご案内を、()()()()()()()()

 スタッフの呼びかけにアルベラは頭を上げざるを得なくなり、持っていた扇子を開いて口元を隠した。会釈をし数人の騎士と王子様の前を通りエレベーターに乗り込む。

 乗り込んで束の間、ほっと息を吐いたアルベラだったが―――

「失礼、レディ」

 聞き馴れた声にぎくりとしつつしアルベラは振り返った。そして即後悔した。

 エレベーターの前、王子様がキラキラと笑顔を輝かせて手を差し出していたのだ。

 幸いにも顔の前に開いた扇子はそのままだ。

「こちら落としましたよ?」

 無条件に人の心を虜にしてしまうような、そんなとろりとした心地よい空気の波が優しく押し寄せ辺りを包んでゆく……、そんな感覚にアルベラは口元をひくつかせる。

 王子様は見覚えのない真っ白なハンカチをアルベラへ差し出していた。

「……―――」

(私のじゃないんだけど)

「どうしました?」

 無垢な顔で首を傾げる彼を睨みつけそうになり、アルベラは自分を抑えて「有難うございます……」と手を伸ばした。

 失敗すれば噛みついてくるワニの玩具の口から物を取って逃げるように、アルベラは差し出されていた知りもしないハンカチをさっと取りさっと身を引く。

 王子様はくすくすと笑いを零す。

「呼び止めてしまい失礼。良い夜を」

 アルベラは社交の笑みを浮かべ頭を下げる。

 洒落た装飾が施されたエレベーターの格子状の扉が閉じ、手をひらひらと振って見送る王子様が視界の下へと消えていく。彼の後ろ、自分を見送る騎士達の中、ジーンが無表情に自分へ観察の目を向けているのを見つけ、アルベラは構えたままの扇子をぴたりと顔にくっつけた。

(はぁ……疲れた……)

「あ、あの……」

 エレベーターの中、スタッフが遠慮気味にアルベラに声を掛ける。

「アントワーニュ様は、殿下とはお知り合いで?」

「いえ、……!?」

 アルベラへ声を掛けたスタッフの男性は、腰が抜けでもしてるのか壁に寄りかかりながら鼻血をハンカチで抑えて止めようとしているところだった。

「あ、あの……大丈夫……」

「ああ、申し訳ございません……あんなに……あんなに魅力的な方を、見たのは初めてでして…………あ、あんなに……あんな……何て言ったら良いのか………………私には妻も子もいるのに先ほどの美しい笑顔が頭から離れず、ずっと胸が高鳴って……一体どうしたら……」

 もう一人のスタッフに目を向ければ、そちらは胸に手を当て魂を抜き取られたかのように瞬き一つせず正面を見つめ続けていた。

(あの野郎……! この後始末どうつける気だ……!)

 目の前の二つの惨劇にアルベラらは拳を握りしめる。手の中でくしゃりとした手ごたえを感じ、「くしゃり?」とアルベラはハンカチを見下ろした。

 エレベーターが三階につき高い鐘の音を上げた。

 呆然としていた案内係は我に返り「こちらです」とフロアに踏み入る。

「いい? さっきの事は幻よ。さっさと忘れなさい」

 この後も職務が残されているスタッフへ、アルベラはそれしか言える事が思い浮かばず言い放つ。

「いいでござるか。貴殿と日々生活を共にして支え合っているのはあの王子様じゃなく奥さんと子供でござるよ。一時の気の迷いで家族を不幸にしては駄目でござるよ」

「は、はい……」

 情けなく返す男の両の肩をぽんぽんと八郎が叩き言い聞かせる。アルベラは待っていた案内のスタッフを振り返り、「待たせたわね。部屋はどちら」と尋ね促した。

 彼を追いながら彼女は手にしたハンカチに目をやった。光沢のある真っ白なハンカチはその柔らかさや滑らかさが手袋越しにも上質なものだと分かる。

(何を考えてんだか知らないけど……あの王子、寵愛を使ったな……。度合いは知れないけど扉の両端に待機していた彼等はもろにそれを食らったと。何考えてるの? あの子そこらの名も知らないようなご令嬢に試すように寵愛を放ってるわけ? 寵愛を疎ましく思っていた人間がする事?)

 「こちらへどうぞ、」とスタッフが扉を案内し、アルベラ達はその一室へと入りテーブルを囲い適当に椅子に腰かける。

「用がある時はこちらのベルをお鳴らし下さい。ではごゆっくりどうぞ」

 未だ魂が半分どこかへ行ってしまっているスタッフが荷物を籠にまとめ上着類をハンガーへ掛けふらふらと退室する。それを見届けるとアルベラは訝し気にハンカチを開いてみた。中には切り取ったメモ用紙が挟まれており走り書きでこう書かれていた。 


 ―――黒いのちゃんと消せてよかったね


「なんでよ!」

 アルベラは思わず悲鳴混じりの声を上げる。

 何故自分の正体がばれたのか。

 このハンカチは一体だれのものでこのメモはいつ書いたのか。

 もんもんとする彼女の気も知れず、姿を現していたマンセンはテーブルの上メニューを開き寝転んでいた。

「おイ。あれこの国の王子様だロ。相変わらずスゲー寵愛だったナ―――俺このサラダとフルーツジュース」

「では拙者は取り合えず高級肉の産地食べ比べをば。おっ、このチーズたっぷりのと魚とヨネ酒 (日本酒)もいいでござるな」

「ダタはどうする?」

「パンとスープと肉だ。腹減った、何でもいいからさっさと頼んでくれ」

 マイペースにメニューを眺める面々。周囲の倍の重力でも受けてるかのようにアルベラはテーブルに突っ伏していた。

「……疲れた。帰りたい」

「これからだロ、勝手に帰んなヨ」

 マンセンがちりんちりんとスタッフを呼ぶ鐘を鳴らす。



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