280、翼を取り戻す方法 12(愚の完成品)
「あれを?」
とアルベラは返す。「そんな事私達がやらなくたって貴方でも十分そうでは」と彼女は思ったが、男はアルベラのそんな気持ちを読み取り愚に目をやった。
「よく見てろ」
アルベラが見届ける先、石化した部分がぱりぱりと剥がれ床に落ちていく。石化の落ちた面には既に新しい皮膚ができており、元あった形に戻ろうと内側から肉や皮が押し出されは始めている。良く見れば、砂となり床に落ちた部分が愚の体に吸い寄せられ吸収されていた。
皆が見届ける先、愚はみるみる内に再生し元通りの形になっていく。
そしてまた同じだ。
訪問者へ腕を伸ばし幸せな笑みを浮かべる。
「相変わらずすげーナ」と木霊。
「あれは死なない。気になるなら木っ端みじんにでもしてみろ。俺はもういい」
そう言って男はふらりと後ろの階段に腰を下ろす。後は任せたとばかりに、彼は頬杖をついて見届ける体勢となった。
「ほう……。なら本当に玉が必要か拙者が試させて頂くでござる」
八郎は相も変わらず背負って来ていたリュックをどさりと床に下ろした。突き刺さっているポスターのような紙を数本引き抜き、自分の周りにずらりとそれらを広げる。全ての紙に陣が描かれており、どれも一目で上級とわかるほどに細かい。
つるつるな表面を見ただけで耐水加工が施されているのがわかる。上質な皮紙である上に、全てになんらかの特殊加工を施してあるようだ。
紙の特殊加工は耐水の他に耐熱、防炎、防腐、過多魔力耐性が一般的だ。きっと彼の事だから全てにしっかり全ての耐性加工を施しているのだろうとアルベラは思った。
「緊縛!」
八郎は地面に片ひざをつくと、左手端の「ポスター」改め「陣」を左手でパシりと叩いた。
地面から幾つもの鎖が現れ、金属の擦れ会う音を上げながら愚の体をその場に縫い止める。
「防御壁一、防御壁二、防御壁三、防御壁四、防御壁五展開! 座標指定、空間断絶!」
ズラリと並んだ陣の上を八郎の右手が翳されて走り、愚の周りに光の陣が出現しドーム型や四角型、同型のものが数珠並びになって等、五重、六重と囲んでいった。
八郎は最後に大きく片手を振り上げる。
「座標指定、ブラックドット! 展開!」
だん! と、広げた中で一番大きく複雑な陣を彼は力強く叩く。
最後の魔術は光の陣が現れるわけでもなく、傍目には何も起きていないように見えた。
木霊だけが何かを感じ取ったようで、葉を震わせ小さく「まじかヨ」と呟いた。
皆が見届ける先、次第に愚の輪郭が歪んでいく。
次々とその表面に凹みが現れ、愚が内側から何かに吸われていることにアルベラは気づいた。3Dのモデリングがバグっているかのような光景を見ながら、内側の何かに吸われ虫食い状になっていく愚を見届ける。
最後のほうは一瞬だった。
残りわずかとなった体は一瞬垣間見えた拳ほどの黒い点にちゅるりと全ての吸い込まれた。愚を吸い込みきると残された鎖は光となって消える。黒い点と愚のいた周囲にはられた陣は変わらず展開されたままだ。
「さて、どうでござるかな」
八郎は眼鏡をくいっとかけ直す。
「とんでもなく凄い魔術なんでしょうけど、大声出す必要って……」とアルベラ。
「雰囲気でござる」
「ああそう……」
(だと思った)
皆が八郎にならい何かが起きるのを待っていると、やがて黒い点から何かがじわりと滲み出た。雫のように垂れ下がった赤黒い塊は重力のままぼとりと床に落ちる。
それを追うように、点から次々と粘土のような肉片が溢れ落ちた。吐き出された肉片は床の上側にあるもの同士でくっつき再生を始める。
「こいつまじカ……」
「隙をついて玉を奪うか。やらなくて良かったな」と男が木霊に向けて軽く笑いながら言った。
木霊は想像以上の八郎の力に引いているようだ。
(奪う話しも出てたのか)
とアルベラは彼らの会話を背に聞きながら目を据わらせた。
「うぅーむ、これで再生するでござるか」
「吸い込んだままにできないの?」
「質量の少ないものなら。あの大きさは無理でござるな」
「ふーん。吸ってぐちゃぐちゃに混ぜ来んで吐き出すなんて……エグい魔術ね。ハンバーグ作りには便利そうだけど」
「ほほう、ハンバーグ作りとは楽しそうでござるな。北で見 つけた超貴重な禁術なんでござるが、アルベラ氏の希望があれば教え」
「いい。危険術法違反で捕まりたく無いもの」
「そうでござるか? 気が向いたら言って欲しいでござる。その時は先ずは魔力と精神力の底上げからでござるな」
八郎はくるくると皮紙を巻いて片付ける。
「何年かかると思う」と木霊に問う男。
「んア、精神力の方は知んねーけど魔力の準備は十五から二十年は堅いだロ。それでもできるカ……あの餓鬼のポテンシャル次第だナ」
男と木霊のやり取りが聞こえ、アルベラは自分の話かと冷や汗をかいた。
(二十年かかったとして三十六歳か……。まだまだ働き盛りの年頃。―――あの魔法を使えるだけの魔力ってのは惜しいし、禁術はともかく底上げはじっくりやっていこう)
自身の将来に備え少女が決意した瞬間だった。
「それで……あれをこの玉でなら殺せるって?」
グネグネと再生中の愚を示しアルベラは男を振り返った。
「どうだろうな。とりあえず試したいんだよ」
「愚を殺せなくても、靄の消し方やドグマラについて知ってる事教えてくれるの?」
「いい。教えてやる」
「それは助か、……!? ちょっと」
アルベラは足首を捕まれしゃがみ込む。再生しきってない肉塊―――腕が数個くっついたような塊を目の高さに持ち上げ困ったように見つめた。
(気持ち悪くもないんだもんな)
八郎の方にももぞもぞと肉塊がやってきており、そちらは足を登ろうとでもしているのか彼の足にもたれていた。
動きだけ見れば犬猫のような動物のとる動きに似て見えなくもないのだが、いかんせん情というのも湧いてこない。
アルベラは本体に近寄ってはあの大きな塊に寄って来られるのはごめんだと、腕の塊を風に乗せて本体の上に飛ばして落とす。
腕が本体に吸収される様を眺めているアルベラへ男が言った。
「随分気に入られてるな。俺やマンセン達への反応とは違う」
「マンセン?」
「俺ダ。一万と千匹目でマンセンダ。覚えとケ」
「木霊にも名前あるのね」
「ア? 何か文句あっカ?」
「無いわよ、何で喧嘩腰―――。ねえ八郎聞いてたでしょ、さっさと玉を試すけどいい……、何してるの」
アルベラが目を離したうちに、八郎は本体の方からやってきた適当な手を拾い上げ「せっせっせーのよいよい」と言いながら手遊びをしていた。
手にくっついて生えている二つの顔がキャッキャと幼い笑い声を上げる。
「いや、不思議なものでござるな。こんなふうに子供の笑い声がすれば何かしらの情が湧いてもいい筈でござるが」
「湧いてこないわね」
「不思議でござる」
「だからって一緒に遊ぶことある?」
「一緒になんて遊べてないでござるよ。拙者がぶら下がってる手を勝手に振り回してるようなもんでござる」
「そうなの?」
アルベラが尋ねれば「この通り」と八郎が愚のを床に置いて手を放して見せる。肉片は放たれると八郎へ手を伸ばし、靴に触れたり服を掴んだりとしていた。側に生えた顔は八郎へ手が触れると反射のようにキャッキャと声を上げる。どうやら手遊びが楽しくて笑っていたわけではなく、八郎に触れただけで声を上げるようだ。
「なるほどね……。ずっと眺めててもしょうがないし、試すことさっさと試しましょうか」
「でござるな」
アルベラは腰に下げていた鞄 (八郎の私物)から玉を取り出そうとする。
「―――まて」
左隣からガルカの制止が入った。
「なに」
「完成品だ」
と彼は呟く。その目は嬉々と輝いていた。
「完成品って、」とアルベラは呟き、以前ガルカから聞いた話を思い出した。
(不死の愚こそが完成品。そういえばそんな話も聞いたな……)
「ああ完璧だ。完璧な完成品だ」
「だからなに。まさか惜しくなったの」
「ああ、」
「ああって……」
そう言って少しの間ガルカは愚を見つめていた。再生中の愚の体を隅々まで見渡し、部屋の中を見渡し、アルベラと愚を比べるように見て後ろで階段に腰かける男に問いかけた。
「これを作ったのは誰だ?」
「俺だ。随分前にな」
(こいつ今、私と愚のどちらを優先するか少し考えてなかった……?)
二人のやり取りの外でアルベラはガルカに向けられた冷たい視線に眉を顰める。
「なぜ殺す。外に出せば勝手に好きにするだろ。面倒を見る必要もない。これは勝手に生きて勝手に人を飲み、飲んだ分だけただでかくなる。それを繰り返すだけだ。貴様らに害がないのならそれでいいだろう」
「他の愚ならそれも良かっただろうな。けどそいつはダメだ。残してやりたくないんだよ」
「なんで?」とアルベラ。
「材料に消えて欲しい奴が居るんだ。―――愚の効果なんだろうな。そいつを前にするとその感覚が消えちまう。それがまた腹が立つ」
「どういうこと?」とまたアルベラ。
「お前ら、なにも感じないとか言ってたな」
「ええ」
「魔族、お前はどうだ」
「喜びと昂りだ」
「だろうな。随分魅せられてるようだ。マンセン、お前は?」
「情だナ。離れてるときはなんとも思わねーガ、前にするとスッゲーお気に入りの可愛いペットって感じダ」
「俺も同じだ」
男はため息混じりに言った。
「そいつを前にすると憎しみが消える。憎しみが無くたって攻撃は出来るが見た通りだ。殺したくても殺せない。だから色々試してるんだ」
「ドガァ・マ・ンラの気の強い道具は特にナ。俺は結果なんてどうでもいイ。お宝集めたいだけだからナ」
「物を集めるって点で互いに都合が良いから一緒にいるってこと?」
「まあそんなとこダ。しょっちゅう一緒じゃねーけド、こいつとは結構関わル」
「そうなの」
「で、」とガルカが焦れたように割り込んだ。
「どうやってヌーダがこれを? 特別な道具でも使ったか」
「そんなところだ。色々と偶然が重なったんだよ」と男は気だるげだ。
うんざりとしたように「もういいだろ。それを片付けろ」と言う。
「ダメだ」
「……!」
玉を出そうとしたアルベラの手をガルカが掴んで押さえる。手首を締め付ける力が強い。アルベラは痛みを耐えながら「離しなさい」とガルカに言った。だが彼女の声は聞こえていないようで爛々と輝く瞳は男に注がれていた。
「ガルカ、離して」
ギリギリと手首が締め付けられアルベラの声に焦りが篭る。
「ガルカ!」
横から八郎が出てきてガルカの手を力付くでこじ開け、アルベラの手を解放してやる。そんなやり取りが起きてることにも当の本人は気づいていないようだ。
「これを俺が譲り受ける。貴様が要らないなら俺が貰ってやる」
(なに勝手なこと言ってんの)
と、手首を労りながらアルベラはガルカを睨んだ。
「だめだ。そいつは消す。だからお前らを呼んだ。それに納得できないって言うならお前は要らない、出ていけ」
「ちっ……なら」
「なら力ずくで奪う?」
アルベラが問う。八郎がガルカを後ろから羽交い締めにした。
「ガルカ殿、冷静で無いでござるよ」
「はっ。俺は冷静だ。貴様らこそ頭がおかしいんじゃないのか? あれを殺す? 出きる筈がないだろう、非力で無能な人間ごときが」
目を見開き口端を吊り上げ、ガルカは荒々しく言い放つ。どうみても「乱心」という一言のそれだ。
「起きて」
アルベラは早く済ませた方が良いだろうと鞄から玉を出した。アルベラの呼び掛けに、玉の中でごぼりと泡が立って消える。
『主よ』
「喋んのかヨ!」とマンセンが声を上げて突っ込んだ。
アルベラは何をどうしたらいいのかと、水に沈んだ村の事を思い出す。
「貴様、本当にその玉であれが殺せるとでも思っているのか?」
「村人か溶けていただろ。同じことが愚にも出きるか試せ」とローブの男。
アルベラは玉に問う。
「あなたあれ溶かせる?」
『負の異形の消化を望みか』
「ええ。できる?」
『怒り、悲しみ……正しく我の餌なり。贄の対価は願いなり。主の願いは何か』
「願い……?」
「やめろ」とガルカが唸る。
「あれを殺す? そんな愚かなことをしてみろ。貴様らを愚にして再生できなくなるまで八つ裂きにしてやる」
ガルカは八郎にしっかり押さえ込まれていた。こめかみに血管を浮かべ、両手には鋭い爪。
八郎が後ろで「愚には魅了の力でもあるでござるか」などと呟いている。
「あれがちゃんと死んだらまた主人である私たちが呼び掛けるまで寝てて」
『承知』
ごぼりと玉の中に泡が立つ。
玉からめきめきと根が生え床を貫いた。アルベラの耳に石畳の下で何かが這って進む音が聞こえてきた。それは壁からも聞こえ始め、表からは見えないが愚の周りを囲い込んだ。
ごぼりとまた大きく玉の中に泡が立つ。
愚の周りをいつかに見たような水が覆っていく。魔力のあるものに反応し浮かせる水の中で、愚は見事に床から引き剥がされ浮き上がる。
八郎に押さえ込まれていたガルカの動きがピタリととまった。目を見開き縦長の瞳孔を細くした。
あの水は結局なんなのだろう、と考えながらアルベラが眺めていると、後ろで木霊が「あの胃液懐かしいナ」などとぼやいているのが聞こえた。
(胃液なんだ)
とアルベラは目の前で根を張り自立した玉を眺めた。
胃液の中に浮いた愚は胎児のように背を丸めていた。ゆっくりと中で回りながら、体内での成長を逆再生するかのようにその身を溶かしながら小さくしていく。その過程で愚からポロポロと人骨が溢れ落ちていく。
子供の小さな骨が殆ど。
最後に出てきたのは大人の物だった。
(う……)
アルベラは思わず後ずさる。
残った愚は蜥蜴と胎児を足したような形をしていたが、本来頭であるべきそこに顔はなくのっぺりしていた。愚が液体の中でくるりと回転し背をこちらに向けると、そこには溶けて所々頭蓋が覗く女の顔があった。それはうっとりと幸せの笑みを浮かべている。
「アノコハシンダ ダカラダイジョウブ ダイジョウブ……アノコ シンダノ……」
じゅぅ……と最後の肉の塊が溶け切り、女の頭蓋が液体の中に沈んだ。
液体が床に吸われるように消えていく。玉の中で活発に泡が上りその身を煌々と緑色に輝かす。
「愚を吸収したカ。その玉またヤバくなったナ」
「ええと、マンセン?」
「なんダ」
遠慮気味に名を口にしたアルベラにマンセンが何事もなく答える。
「あなたこれが何か知って」
「―――死んだ、か………………はは、ははは…………くくく……くくくくく……」
マンセンとアルベラの視線がローブの男に注がれる。
男は片手で目元を覆い声を殺して笑っていた。くつくつと揺れる肩の上、マンセンは呆れたように「うっワ。ダタが壊れやがっタ」と零した。
ごぼり……、という大きな泡音に呼ばれた気がしアルベラは光の収まった玉へ顔を向けた。
(また後で聞くか……)
アルベラが手を触れると玉を支えていた根が枯れて崩れる。アルベラは手の中にずしりとした玉の重みを感じた。