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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (後編)
279/411

279、翼を取り戻す方法 11(宿舎の地下室)



(不法侵入だよな)

 男の案内の元宿舎に立ち入りアルベラは内心でそんな感想を零す。

 幼稚園や保育園を思い出させる大きさの二階建ての建物。事務室や多目的であろう部屋を幾つか通り過ぎると、子供たちの生活部屋であろう部屋が並んでいた。

 三階建ての白く新しい宿舎には現在百五十人ほどの子供達が暮らしているのだという。そちらと比べるとこちらの建物は半分以下のサイズだ。漆喰のような白い素材でコーティングされて分かりずらいが木造建てで、多分暮らせる子供たちの人数は三十人程と言った所。

 街中にあるような廃屋とは異なり、やたら滅多らに物が放置され散乱して居たりと言う事はない。棚やベッド等ある程度古くなった大きなものはそのまま残され、それらより小さく移動が容易い物は持ちだされているようだ。多分使えると判断されたものは新しい方の宿舎へと移されたのだろう。

 開け放たれた扉が並ぶ廊下を歩いていると、前を歩く八郎が他の部屋より長めに目を止めた一室がありアルベラもそこを通り過ぎる際つられてそれを注視していた。

「血だな」

 後ろを歩くガルカがそう伝える。

 部屋の中、何かが何かを角に追い込み襲ったように黒い染みが床や壁に染みついていた。良く見ればその一室から何かが這い出たような血の跡が掠れ掠れと廊下に残っている。まるで丸々と太った四つ足の生き物が大きく垂れ下がった腹に血を浴び、その腹を床に引きずりながら歩いた図を想像させるような跡だ。

 廊下の床に目をやっていたアルベラはその引きずったような血の跡が薄くなり途切れると顔を上げた。前を行く八郎は壁や天井を観察しており、顔を上げたアルベラも彼と同じ流れで同じように壁や天井を見上げる事となった。

 顔を上げてすぐ、壁に黒い手形が張り付いているのを見つけたのだ。一つはっきりと押された手形の周りを良く見れば、朱肉が足らなかったために薄くなってしまっただろう手形が数個、向き違いでぺたぺたと残されていた。

 その手形の群を捕らえた視界、天井に黒い点のような物を見つけて見上げてみればそれも手形。先ほどの物より小さく、幼い子供の物のようだ。そしてその場には裸足の足形も。

(なんであんな場所に)

「まるでお化け屋敷でござるな」

「そうね。ていうかまるっきり事故物件」

「事故物件! 大島てるで詳細を検索でござるな」

「わぁ懐かしい」

「検索? 『オオシマテル』なんて図書館聞いた事ねぇゾ」

 木霊がアルベラと八郎の会話に割り込む。

「てかもうこの布必要ねーだロ。取レ」

 それに対しガルカが「そちらの視界など無くても問題ないだろう」と言った。

 どういう意味かとアルベラがガルカを振り返る。すると彼は顎を持ち上げ、前を行く男へとアルベラの視線を誘導した。

 彼は学校にあるような幾つかの蛇口が並んだ長細い水場の前を歩いていた。水場の向かいには共有のトイレと「お風呂」と書かれたパネルの貼られた扉。水場に挟まれた廊下の向こうは、左右に扉が三つずつありその先は行き止まりとなっているのが見えた。

 男の頭に天井から緑色の物体が降って来てぴょこんと着地する。

「―――やっぱ気づいてたカ」

 木霊だ。籠に入っている者と全く同じ声、同じ喋り方。大きく異なるのは葉の色だ。男の上に下りてきた方は、一般的に知られるような緑、黄緑、黄色の葉 (季節によっては紅葉した葉も含む)を纏っていた。そして葉から覗く小さな手足も本などで知られるように半透明の緑色だ。

 男は頭の上の木霊を邪魔そうに片手で払った。木霊は彼の頭から降りて肩に着地する。

「おっと、本体は近くにいたでござるか。流石ガルカ殿、魔族の嗅覚は侮れないでござるな」

「ふん」

 何かあれば張り合う言動をする癖に、褒められたら褒められたで癪に障るようだ。ガルカは八郎の誉め言葉に気に入らげに眉を寄せた。

「ま、そういう事ダ。そいつの視覚がどうしても必要ってこたねーガ、俺的には手足も目も多い方がいいんだヨ。俺らに会えて、もういらねーんだしそっちは籠から出セ」

 言われて八郎は「まあそうでござるな」と籠を開けて中の木霊を出す。黒い木霊は床に下りると「ふうー」と零し、ぴょんぴょんと跳ねながらどこかに消えてしまった。

 被せていた布をたたんで籠に入れる八郎から木霊と男へとアルベラは視線を移す。

「貴方達はあの玉が何なのか知ってるの? 私達、所有はしてるけどその正体とか正しい使い方とかはほとんど知らないわよ」

「けどあの玉を所有して、そうして傍に置くことはできている」

 アルベラはてっきり木霊が返すものと思っていたが、口を開いたのは男の方だった。

 男は右手の三つの内の中央の部屋の中へ入っていた。他の部屋同様、ここも二人部屋らしくベッドが部屋の左右に置かれていた。

「アルベラ・ディオール。お前はあの村でどうやって玉を抑えた。どうやって持ち出した?」

 腹に力の入ってないような気だるげな声。男と会話していてどこかで聞いた事のあるような、感じた事のあるような感覚にアルベラは首をかしげながら「秘密」と返した。

 部屋の中に入りしゃがみ込んで何かをしている男の背を、部屋の入口から眺めアルベラ達は待つ。

「そうか。まあ見れば分かる。お前はその靄やドグマラについて知りたいんだもんな」

「ええ。それで貴方達はこの玉を使って何かをやり遂げないとそれらについて教えてくれないと」

「そういう事だ。下りるぞ」

 男は立ち上がり足元に開けた地下への入り口に片足を下した。どうやらしゃがんでその扉を開ける作業をしていたようだ。

「待った!」

 と八郎が声を上げる。

「あまりでかい声は出すな」と男の静かな言葉。そして向けられた八郎への視線。

 アルベラは男のフードの下に大きな隈と生気のない暗い目を見る。

「なんだ」

「拙者、その穴通れるでござるか?」

 男は八郎の体を見て思い出したように「ああ」と呟いた。木霊も「チッ、しゃーねーナァ」と零す。

 彼が片足の踵で床を小突けば床に描かれていた魔法陣に魔力の光が走り、柔らかい動きで地下へのその口を広げた。

 男は振り返りもせず下へ続く階段を下りていく。

 「感謝感謝」と八郎が後に続く。

 アルベラとガルカもその後に続いた。



 石が重ねられた壁を降りながら八郎は「教会の宿舎の地下にこんな場所があるとは奇妙でござるなぁ」と呟いた。まったく何も警戒して居なさそうな能天気な声だ。

「アア。聖職者の娯楽や嗜好品が厳しく制限されてた時代があったからナ。ここはその時代の聖職者が作った隠れ家だロ」

「ほう。この国にそんな歴史があったでござるか。もしかしてアルベラ氏は教養として習ったでござる?」

「一応知ってるけど、まさかこういう隠れ家作ってたなんて知らないわよ。教科書には書かれてないもの。凄いじゃない、必死に隠しきったのね」

「ほほう。観光みたいで楽しいでござるな。して、禁止されていた娯楽や嗜好品とは」

「一般的な甘味類とか、珈琲とか紅茶とか。ハーブは許されたからその時代の聖職者はハーブティーを好んで飲んでいたそうよ。タバコや今禁止されてる類の吸い物はOKだったって言うから面白いわね」

「ほう、想像するに第六感を刺激するとかそういう話でござるか」

「正解、流石ね。薬学を学ぶとそういう話にも触れるのかしら」

「まあそいういうのもあるでござるが、北でもそういう吸い物が神との繋がりを深めると信じる聖職者もいたでござるからな。して娯楽の方は」

「賭け事と性行為」

「どこの世界も性行為は穢れでござるか……世知辛い。けどそれは納得でござるな。この通路、全く声が反響しないでござるし」

「いや。この防音の魔術と吸音の魔術をかけたのは俺だ。それも微妙だがな。―――どうした、今日は異常な位静かだな」

 前を歩いていた男がそう言って足を止めた。後半は誰かに問いかけてるような声だ。

 アルベラが彼を見れば、彼の立っている場所は既に地下室だった。その足元にはバラバラなサイズの石で作られた石畳みの床が広がっている。その前方には空間。今いる場所からは通路の天井に視界が阻まれ部屋の広さはまだ分からない。

 「微妙」という男の言葉に、アルベラは「こんなにしっかり施して置いて?」と疑問に思ったが、そんな事は聞こえてきた囁き声に気をとらわれすぐに忘れ去られる。


「デングリガエシ デキタンダヨ」


「……?」

 先ほどまでとても静かだったというのに小さな子供の声が空間の奥から聞こえてきた。性別も分からないほどに幼い子供の声だ。

「来い」

 男がアルベラ達を見上げる。その目元に、頬にアルベラは爛れた皮膚を見た気がした。

 男が片手を払うと空間に明かりが灯された。彼は奥を指さす。

「俺の条件はアレだ」

 八郎は階段を降り切ってアルベラの妨げにならないように横に退く。アルベラとガルカは後に続いて空間へ降り、部屋の隅にうずくまっていただろうそれを見た。

 部屋の奥に居たそれは、八郎とアルベラが部屋を訪れるとぽつぽつと楽し気な、幸せに満ち溢れた言葉を溢し迎え入れた。


「マホウガツカエタンダ」

「シスターガワラッテクレタノ」

「アイツガコロンダ」

「オハナ チャントサイタヨ」

「アノコハモウイナイ コレデミンナシアワセ ネ」


 沢山の腕が、沢山の頭が訪問者たちを見て微笑んでいた。皆幸せそうな笑みを浮かべている。それらの大きな胎児を思わすぶよぶよな手足が重たげにその身を持ち上げてアルベラ達の方へ来ようとしていた。

 四肢が胴を持ち上げれば、腹の下に敷かれていた幼い腕が光を求めるように訪問者たちの方へ伸ばされる。

「愚か……」

 ガルカが呟く。アルベラもあれを見て同じものを思い浮かべていた。

 人を集めて捏ねたような肉の塊。しかしその特徴は本に書いてあったものと微妙に異なる。

(皆笑ってるし……赤ん坊の手足……? 形は色々って書いてあったし、手足についてはこの個体がそういうタイプだったってだけ……?)

 愚は悲しみの塊のような存在だと書かれていた。そしてそこに生える人の頭も、すべて苦しみや悲しみの表情を浮かべていると。

 だがアルベラの目の前にあるのは喜びに包まれた人々―――ここが孤児たちの宿舎だったためだろう、子供が大半だ―――の顔ばかり。つられて自分も幸せな気分に……、等と言う事はないが、もっと暗く哀れな存在だと書かれていたし聞いていた。

 そしてアルベラが気になったのはもう一つ。

 彼女はチラリと八郎をみるが、八郎もやはり落ち着いていて興味深げに愚を観察しているばかり。

 悲しくないのだ。

 全く何も。あれを前にして、悲しいどころか何の感情も湧いてこない。本でこの奇怪なクリーチャーの絵を見た時の方がまだおぞましいと思えたほどだ。

 愚はアルベラ達の前まで身を引きずってやってきていた。手を伸ばし、幸せな笑みに嬉し涙を流していた。その口が紡ぐのは彼等の生前の幸せな記憶だろうか。

 一つの幼い手がアルベラの頬に触れ優しく撫でる。


「オネエチャン イキテタッテ。コンドネ シンセキノオウチデ イッショニクラスノ」


「連れが魔族で良かったな。これは俺達(ドグマラ)と魔族に手は出さない」

 「そう」とアルベラは愚を見上げながら答える。

 八郎は子供の手に眼鏡を盗られかけ「おっと、」と零し取り返していた。

 ガルカは金の瞳を爛々と輝かせ、目の前の愚を黙って見上げている。

 男は鬱陶し気に愚へ手を翳し、部屋の奥へと魔法で吹き飛ばした。その威力に遠慮はない。壁に叩きつけられた愚は一部を抉られ身もだえしていた。抉られた部分は石化しボロボロと砂になって崩れている。

 あの効果はこの男の魔法だろうか、とアルベラは落ち着いてそれを眺めていた。気味が悪い位にあれが傷つき悶える姿も何も感じない。妙な気分だが、それ相応の混乱もやってこないのでどうしようもなかった。

「あれを殺せ」

 男は指さしもせず言葉だけで愚を示す。



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