278、翼を取り戻す方法 10(玉を取りに行き男の元へ)
「ではアルベラ氏、しばし待たれよでござる」
「夕食済ませたばかりに大丈夫?」
「これしき余裕でござる! 腹六分目!」
「あれだけ食べて六分目ってあんた……頼んだわよ」
「うっす!」
八郎はびしりと敬礼し部屋をでて行った。―――窓から。
(なぜこいつらは扉を使わないのか)
宿の人間に姿を見られようと問題ないだろうに、とアルベラは日が沈んで街灯の灯った道を見下ろし窓を閉める。
木霊に玉を持ってくる役は八郎が買って出てくれた。ガルカでも出来るその役をなぜ八郎が買って出たかというと、八郎ならあの玉を直接触っても全く問題ないためだ。玉はいわば電源を切っているような状態なわけだが、それでも健常者の気を容易く狂わせてしまうだけの効果はあるのだという。ちなみにこれは雷炎の魔徒談だ。魔族であれば玉の影響は少しはマシらしいのだが、「マシ」とはつまり何かしらの影響はあるとのこと。
魔徒は魔術を施した布や台座越しに玉に触れていたので、ガルカもそうすれば安全に玉を持ってくることが可能だ。だが八郎ならそんな物も不必要、素手でいい。しかもその気になれば玉も使える。移動速度もそこらの飛行騎獣に劣らない。となれば玉を持ってくるのはガルカより八郎のほうが適役というわけだ。
(八郎なら運送中に奪われたりの心配もないし…………あ、いや……。あいつ食事中と入浴中と研究中は普段より気が抜けるんだっけ……。どうか玉をどこかに置き忘れたりとかのうっかりはしないでよ……)
以前はガルカに運ばれ一晩で行った地。八郎はそこへ自足で向かい、玉を受け取ったら適当なタイミングで寝て明日の朝にまたここを訪れるとの事だ。
彼曰く―――
『これしきスキップで片道三時間前後でござろう』
『早いわね』というアルベラの呟きに八郎はドヤ顔でくいっと眼鏡をかけ直して見せる。それに対しガルカが張り合うように返す。
『ふん。俺だって一人ならあんな場所一瞬だ』
『はいはい、私と言うお荷物のせいですみませんことね……』
『全くだ』
「こいつ」とアルベラは思うも、一番足の遅い自分が返せる言葉もなく若干残る悔しさを飲み込んでそのやり取りは終えるのだった。
用が済み部屋を出ようとし、アルベラは扉の前で立ち止まった。一応とガルカを振り返る。
「隣の部屋にいて問題ないのね?」
「ああ。貴様がどうしても一緒の部屋がいいと言うなら止めないがな」
アルベラは目を据わらせ「そう」とだけ返し木霊へ視線を向ける。彼女の心中を察し木霊は横になって寛いだまま片手をひらりと振る。
「寝込み襲ったりしねーヨ」
アルベラは半信半疑といった様子で「そうであることを願うわ」と返し自室へと戻った。
翌日の朝、八郎は何事もなく戻ってきた。昨晩のうちに玉は受け取り、その後王都に戻ってきて一汗流し睡眠を取るだけの余裕もあったらしい。勿論相変わらずの関所の無断通過。
「こんなにあっさり無断入都されて、ここの警戒網も心配ね……」とアルベラは何とも言えない気持ちで零した。
「大丈夫でござるよ。こうやすやす人目を盗んで出入りが出きるのは拙者だからこそ。ここの監視は他より充分しっかりしてるでござる」
「あの病院から真っ直ぐ関所という関所を無視してきた奴がなにをいう。人間どもの脇が甘くなければここへの到着は数時間後ろに押したぞ」
「……これ以上しっかりしてくれなくていいわね。多少弛んですれてるくらいで充分」
ガルカのもっともな言葉にアルベラはコロリと意見を変える。
八郎は持ってきた玉を片手の上に乗せ木霊に見せた。透明度の高い緑の玉の中では、たまに液体を思わせるように透けた景色がゆらめく。
横になっていた木霊は鳥肌をたてるように纏った葉を揺らした。
「さて、木霊殿。玉でござる。これでどうでござるか?」
彼はぴょんと飛びはね立ち上がる。
「早いじゃねーカ。感心感心。ちょっと待ってロ」
木霊は少し黙った後「今から清めの教会前の広場に来い」と言った。
「広場の端のエボルロの木の近くに男が居る」
「特徴は?」
「背の高いがりかりの根暗ダ」
「背の高いがりかりの根暗……?」とアルベラ。
「まあ俺がいるしわからななきゃ聞け」
そう言い木霊はまたコロリと横になる。
ということで清めの教会の前である。
アルベラは髪色を変え顔の傷を隠し、相変わらずすっかり手放せなくなってしまったお古のローブを纏っている。
(けどこのローブも今日まで。うまくいけば今日靄を消せるかもしれないし)
「うまくいきますように」と彼女は思うも、神の加護から外されている自分が何に祈るんだかとバカらしくなる。
エボルロという大きな葉の茂る広葉樹の下に行くと「あれダ、あの一番ほせーノ」と籠の中の木霊がいう。
(見えてるの?)
アルベラは八郎が持つカゴを見る。それには布がかけられていた。布は風などで飛ばされないようしっかりとめられている。木霊は大人しいもので音も立てないので側から見れば何が入っているのかさっぱりだ。内側からも外の景色がさっぱりの筈だが発言的に見えているらしい。
アルベラ、八郎、ガルカの三人が示された人物のもとに行くと、その人物は顔を上げ「来たか」と呟いた。
「じゃあまずは移動だ。話すより見せる方が早い」
男はさっさと移動し始める。
(玉があるかどうかも確認しないのか。この木霊が全部見て伝えてるから?)
アルベラは広場をつっきり清めの教会へ向かう男の後を追い見上げる。
フードを深く被った彼は背中でも十分分かるくらいに陰険な空気を纏っていた。猫背なせいだろう。声や視線に感情は感じられず身の回りの全てに興味がなさそうにも見える。体は薄くローブの袖から出た手の甲や指は皮と骨のよう。
(がりがりの根暗ね……なるほど。―――なんだろう、どこかで見たような……。けどまだ顔も見てないし)
「なんだ?」
男は最低限の動作でアルベラへ視線を向けた。アルベラは「なにも」と返す。男はアルベラの返答を待たず視線を前へ戻しており、無駄話に興味はないとばかりにまた黙って足を進める。
アルベラが八郎とガルカの様子を見れば、どちらも事の流れに身を任せているようで戸惑っている様子も困ってる様子もない。
(物理的に強い人達は羨ましいわ……)
黙々と歩き男は清めの協会の横に接する道に入る。
アルベラ達の右手には長く鋭い鉄製の柵が続きその中にはたまに人の手が加えられているのであろう木々が繁っていた。
柵に沿って進み、男が歩きながら「ここだ」と呟く。かと思えばその姿は消え、柵と生垣の奥―――教会の敷地内から「来い」と聞こえる。
(え……)
「おらおラ、さっさと追っかけロ」
と木霊が囃し立てる。
「ねぇはち ろ」
と八郎の名をアルベラが呼びきる前に体が持ち上がり視界がぶれた。
すとんと地面につくような揺れを感じ、体が平行感覚を取り戻した時、彼女は自分が干された布団のように担がれていることに気づいた。担いでいるのはガルカだ。
「ちょっと……」
アルベラはそのまま男を追って歩き出すガルカに苦言を呈す。
「なんだ」
「柵を越えるくらい自分で出来たんだけど。てか下ろしてくれる? 自分で歩く」
「柵が越えられないと弱音を吐こうとしていただろ」
「違う。周りの人達の目を盗んでどう不法侵入するのか、八郎にやり方を聞こうとしたの」
「そうでござったか。ふむ、そろそろアルベラ氏にも忍の極意を伝授する頃合いでござるかな」と八郎の意味深な言葉。
「なに。貴方が使ってるのって忍の技なの?」
アルベラは胡散臭さを隠さず問う。
「いや、言ってみただけでござる」
「ああそう……。……ねえ、てか降りるってば」
アルベラが身を捩りガルカから無理やり降りると、先を行っていた男が人気の無い古びた宿舎の前立ち止まって待っていた。
「お前らもう少し静かにしろ」
「はい……」
「うっす」
「ふん」
と各々の反応が男へと返り、男は返答などどうでも言いように宿舎の扉を開けた。
清めの教会の聖堂からは聖職者達の歌が聞こえており、少し離れた場所にある宿舎からも歌の時間でもあるのか、子供達の聖歌の声が聞こえていた。