272、翼を取り戻す方法 3(恵みの聖女様に相談)
自身の有り様は十分伝わったとアルベラはローブを纏う。
「黒い靄は旅先で人から貰ってしまいまして。詳しい経緯については控えさせていただいて良いでしょうか」
(グラーネ様個人のお人柄は信用してるけど……どんな流れで誰が知るとも知れないし……)
普段より感情の感じ辛い“黒”の潜む瞳に見つめられ聖女は重々しく頷いた。
「分かりました、強制は致しませんわ…………それで、アルベラ様の急ぎの用とはその気の事でしょうか」
「悪しき気」という言葉を控え聖女はローブの下に消えた瘴気を見据える。
「これも一応。ですが一番は他人種の治癒についての相談なんです」
「他人種? とは?」
「旅先でエイヴィの友人を怪我させてしまい、彼女の治癒を癒しの聖女様に依頼しようかと。それにあたり治癒の依頼は可能か、駄目であっても受けてもらえる方法があるか、……―――それと……もしもの時恵みの聖女様からのお言葉なら、癒しの聖女様は聞き入れてお受けになってくれるかを尋ねに参りました……」
―――いざという時は癒しの聖女を貴女(恵みの聖女)が説得してくれないだろうか。
つまりはそういう意味となる。アルベラが情けなく思うその言葉に、シャイ・グラーネは儚げな優しい笑みを浮かべた。
「そんな事、それくらいのこと……私は幾らでもして差し上げます。癒しの聖女様も決まりとはいえ、怪我人を前に心を動かさずなんていられないでしょうから。他人種の教会への立ち入りについては厳正な審査がありますからその手続きは必要となってしまうでしょうけど、それさえ済ませて正式な証明書さえ持参すれば問題ない筈です。その……、それ相応の治療費と言うのも発生してしまいますが。…………何か?」
「あ、はい。ええと、噂で聞いていたよりも容易く思えたので。ちゃんとした手続きがあるようで安心しました」
(知らなかった。今まで治療目的で教会に行ったことないし……っていうか教会全般用無かったし。癒しの聖女様へ直談判かと思ったけど必要なさそう)
「はい。ちゃんとありますよ、手続き」と聖女は微笑むと、彼女はスカートンそっくりな目元を細め「それで噂とは?」と尋ねた。
「はい。癒しの教会で他人種の冒険者が治療を受けられなかったとか、貴族の奴隷は受けられたとか。そういった物です」
「なるほど……、確かにそんなお話もあったような……。奴隷の方については一般の方と扱いが異なってしまうので今回の手続きから外れますが……冒険者の方については……」
聖女は苦笑しアルベラは首を傾げた。
「その……癒しの聖女様やシスターの方々も、証明書があったとしても怪我の程度や態度によってはお断りをすることがあるんです」
「は、あ……。なぜ?」
「例えば、神を冒涜するような事を言ったり、聖女様を馬鹿にしたり。その場合速やかに病院へ案内されますね。―――あと、気の荒い方が証明書なしに断られる事前提で行き、これ見よがしに外で騒がれたりという出来事も過去にあったようでして……」
「わざわざいちゃもんを付ける人が居るんですね……」
「はい。けど滅多にはありませんよ。他人種の方は入国の取締自体が厳しいので」
「そういえばそうでしたね」
話している間にアルベラの目からも黒い靄は消え、聖女から見ていつも通りの公爵ご令嬢の姿になっていた。シャイ・グラーネはあまりにも普通過ぎる、普段と変わらぬお嬢様の様子に物憂げに瞳を揺らす。
「ですからご友人の治療についてはご安心を。因みにご友人の怪我と言うのはどういったもので?」
「翼です。エイヴィの子なんですが、左右両方の翼を失ってしまいまして」
「……そうでしたか、それは早く治してあげたいですね」
聖女の眺める先、折角消えたばかりだというのに緑の瞳の奥に黒い影が再度沸き上がる。僅かな蟠りでしかなかったが、その様は神に使える彼女の身からするとやはり不気味で不穏で……放っておいていいと思える物ではなかった。聖女の血が、神に与えられる魔力がそれを野放しにしてはいけないと訴えかける……。
だが、シャイ・グラーネは聖女としての感覚に蓋をして今の話に集中することにした。
「城から発行される証明書も必要ですが、癒しの聖女様にも患者の説明と治癒のお願いはしておいた方が良いですね。そちらについては私の方から癒しの聖女様へ伝言をしておこうと思います。アルベラ様もいちど、癒しの教会を訪ねてみてください。聖女様に直接でなくても担当の方にお話ししておくだけでも問題ない筈ですので」
「―――ありがとうございます」
アルベラは噛み締めるように言って頭を深く下げた。
顔を上げ「丁度良かったです。このあと癒しの教会へ行ってみようと思っていましたので」と言えば聖女は優しく笑み「そうでしたか」と返す。
「アルベラ様はお体に障りはないですか?」
聖女は黒い靄の事を意識して尋ねる。
「はい、なんとも」とアルベラからははっきりと返された。
「その気についてご不安は?」
「聖女様や聖職者の方からどう見られてるのか……粛清対象なり、観察対象なりにされてしまうのかと。その……『異端者狩り』『異教徒狩り』のようなのがあったら嫌だなぁとは思います」
「まぁ」と聖女は口に手を当てた。そして急いでアルベラの言葉を否定する。
「大丈夫ですわ。そんな、急に異端者や異教徒だなんて! そんな事になったら私が絶対に止めて見せます。恵みの教会でアルベラ様を保護致します!」
身を乗り出し力強い口調になった聖女に、アルベラは心強く思いながら不安が増した。
「―――と、いう事は……『起きないとも言えない』という事でしょうか」
アルベラの引きつる笑顔に聖女ははっとする。乗り出した身を元に戻し彼女は体をもぞつかせながら弁明した。
「あ、その、いえ。そんな事は……! 教会も城も、悪意のない人間を問答無用で罰したり罪人に仕立て上げるような事は致しませんわ。……………………けど、団体としての意思がどうであれ、個人の価値観は異なるので……その……」
「この状態が過激な方の目に留まるのは危険という事ですね」
苦笑するアルベラに「はい……」と聖女は言いずらそうに頷く。聖女が申し訳なく思ったのはその事に対してだけではない。
(アルベラ様……すみません、貴女は既に三聖女の観察対象でして……)
そんな言葉を心の内に恵みの聖女は後ろめたさから身を縮めた。
聖女同士の秘め事を漏らさない代わり、彼女はアルベラの身を案じて「教会の周囲ではそのローブを脱がない方が良いかもしれません」と忠告しておく。
「何も問題が無ければ……、その方が普通に生活し周囲への影響もなにもないようでしたら、教会がその方へ何かをすることはありません。ですのでその事だけはどうかご安心を」
恵みの聖女の「申し訳ない」という空気が痛いほど伝わる。アルベラはその空気を少しでも和らげようと、何でもないと肩をすくめた。
「わかりました。では目を付けられないよう大人しくしていますね」
と軽い調子で返し「あ、あと良ければですが」と世間話をするように尋ねる。
「こうなった人の前例がとかってあるんでしょうか。あれば知っておきたいのですが。その人自身の話でも、その周囲に関する話でもいいので。……ああ、あとこれって、教会で払ってもらえたりしますか?」
もしそうであれば木霊やウサギを探す手間が省けるとアルベラは少し期待する。
「前例については清めの聖女様がお詳しいでしょうね。あちらの教会には呪具や呪われてしまった方の事例と対処法をまとめた書物が揃ってますので、申請をすれば一般の方の閲覧も可能ですのでそれを見に行かれるのも手かと思います。私はアルベラ様のようになった方とお会いしたことがありませんので……。ご期待に沿えられず申し訳ございません」
「いえ、聖女様がそんなに謝らないでください。清めの教会の書物のお話は十分有益ですし」
アルベラは大の大人に、しかもそれなりの地位―――この国で王の次に偉いとまで言われている人物に頭を下げられ続け気が気ではなくなる。
(この人は本当に……)という困惑から先ほどからずっと苦笑いだ。
「アルベラ様のその気を取り除けるかですが」
「はい」
「試してみましょうか?」
と縮こまっていた聖女は首を傾げた。そんな姿はやはりスカートンそっくりだ。今日の訪問は友人には秘密にしており、恵みの聖女にも口留めをしている。休みが終わる前に他のご令嬢方と一緒にお茶でもしようと約束していたのだが、この靄がどうにかできなければその約束もおじゃんだなとアルベラは考えていた。その矢先、聖女様からのこの申し出である。
「……是非」
アルベラの表情がじわりと明るくなり、彼女は心の中で「ラッキー!」と声を上げた。
その表情に安心した様に聖女の肩から力が抜ける。彼女は照れ笑いを浮かべ両手を差し出した。「こちらへお手を」と手招きをしアルベラに手を出すように促す。
「祓いは清めの教会が専門ですが、私達もある程度なら心得ております。凶災の実の処理なんかは恵みでも癒しでも承っておりますから」
アルベラは片手を出し、聖女はそれを両手で包み込む。
「へぇ、凶災の実と同じ扱いなんですね」とアルベラは何の気もなく呟いていた。その言葉に恵みの聖女の顔がみるみる青くなる。
「……! ご、ごめんなさいね私ったら! さっきから本当に……余計な事ばかり……! 私ったらなんでこんなに……ああ、穴があったら入りたいわ……! 神様、愚かな私にどうか天罰を!」
「い、いえ! 本当に十分ですから、十分助けていただいてますから聖女様はもっと自信をもって! 余計な事を言ってすみませんでした!」
「貴様等とっとと始めたらどうだ」
ほぼ壁と椅子と同化していたガルカの突っ込みにより、わたわたと慌てふためいていた二人は落ち着きを取り戻す。互いに恥ずかしそうに顔を見合い小さく咳をしたり髪を撫で付けたりする。
「そ、そうですね。アルベラ様のご都合もありますもの。始めましょうか」
「はい。聖女様もお忙しいわけですし……よろしくお願いします」
「私のことはお気になさらず。では、」と聖女は表情を引き締める。
部屋の空気が静まり返った。数秒、何も感じずアルベラは包まれた自分の片手を眺めていた。その間に静けさが増し、空気が床へと沈み押さえつけられるような感覚を覚える。次第に聖女の全身をキラキラとした光が包みだした。髪が揺らぎ、そうっと開かれた彼女の瞼の下、シルバーグリーンの瞳が金色に輝いていた。
聖女の唇が何かの音を乗せてゆっくりと開かれ―――
「―――!」
アルベラは体の芯から拒絶するような気配を感じ飛び上がる様に立ち上がっていた。椅子が倒れ音を立てる。彼女は血の気が引いた顔で引き抜いた片手を胸に抱き、呆然とテーブルの上の聖女の両手を見つめた。
聖女も同じく呆然としていたが数秒の思考停止後、我に返り「大丈夫ですか!? 一体何が……!?」と声を上げた。
***
恵みの聖女との面会を終えアルベラは馬車へと戻った。片脚を馬車に乗せ驚いたように天井辺りに目をやって、「え……」と目を据わらせる。
「お帰りでござる! いや~、恵み殿がいて行幸でござったな」
中で待っていた八郎が笑いながらアルベラを迎え入れた。ぼんやりとしてる彼女の様子に「どうしたでござる?」と八郎は尋ねる。
アルベラは気を取り戻し「ああ……いいえ、ただいま」と返し「本当、お会いできて良かったわ」と椅子に腰を下ろした。
アポなしで突然訪れ時間を作ってくれたのだ。権力の乱用。聖女の優しさへのつけこみ。そのどちらも自覚しているので誰かしらの反感を買っても文句はない。
「で、どうだったでござる?」
馬車がゆっくりと動き出す。
アルベラは癒しの教会での手続きについて話し、ピリの治癒は何とかなりそうである事を伝えた。
「なるほど。恵みの聖女殿ではその靄のみを払うことはできなかったでござるか」
「ええ。ちゃんとやる前に逃げちゃったわけだけど……。あの感じ……あのままやってたら私ごと消し去られてたんじゃないかってぞっとする……」
アルベラは思い出したように身震いした。八郎は「無事で何よりでござる」と笑う。
「で、これから証明書と治癒の依頼手続きをしに癒しの教科へ行くと?」
「ええ。教会への立ち入り証明書、癒しの教会からも受け付けてるんですって。……他にも王都内の役場からも申請は受け付けてるらしいんだけど、教会からの方が城に送られるのが早いんですって」
「なら城に直接行った方がもっと早いのではござらんか?」
「そうだけど……城はちょっと……」
アルベラは言葉を濁す。城に行ったら会ってしまうかもしれない二人の人物を思い浮かべ、反射的に「なら教会の方がいい」と思ってしまう。
(今は会いたくない……)
アルベラの瞳に黒が混ざる。それを見つけた八郎が「どうしたでござる?」と尋ねるがアルベラは「何も」と短く返し言葉を続けた。
「折角グラーネ様が癒しの教会に予約を入れといてくれたんだしそちらで済ませる。癒しの聖女様に直談判しなきゃいけないかもって覚悟してた分、その必要もなくなって気も楽だし」
「聖女殿に会わなくて良いなら濃くなった『瘴気』……改め『賢者殿の悪意』にも気づかれず済むでござるしな。まあ、優秀な聖職者は不審に思うでござろうが、わざわざ呼び止めるほどでもないでござろう。これが済んだら靄の処理かコントン殿の救出でござるな。拙者、アルベラ氏達が教会で手続している間木霊を探して置くでござるよ? 木霊同士での視界の共有は可能、つまり木霊がいればダークエルフの居場所も分かるかもしれないでござるしな」
(ていうかコントン殿、生きてるんでござろうか……)
思うも、余計なことを言って彼女の不安を煽ることは無いと八郎は言葉を飲み込む。
「あ、それ助かる。そうしましょう」とアルベラは頷いた。
恵みの聖女とのやり取りについてはひと段落し、アルベラは何の気なしに窓の外に目を向けていた。ふと怪訝に眉を寄せ首を傾げる彼女は景色を見ている様子ではない。
どうしたのかと八郎が不思議に思っていると、アルベラは窓の外を見たまま目を据わらせ息を吐き顔を八郎へ向けた。
「馬車に乗った時なんだけど」
「ほう」
「音がして」
「ほう?」
「お仕事の指示が来たの。今その確認してて。『ヒロインに水をかけろ』ですって。癒しの教会の前って場所の指定付き」
「な……!? ま……!?」
八郎が言ったこの「な」と「ま」は、「なんで」と「まさか」の意だった。
「あーあ。久しぶりのクエストかー。気合入れなきゃー」と棒読みで、「なんでこのタイミングで」という不満の空気たらたらにアルベラは呟く。





