266、エイヴィの里 10(エリーの故郷、病院への移動)
窓の外、空の一部が白み始めてるのを確認しアルベラはカーテンを下した。
(エイヴィの迎えが来るまでに族長さんとは話しておきたい。―――靄の方は私の感情に左右されてるみたいだし、平常心保つよう気を付けないと。そういえばあの夢、ダークエルフの男の一生みたいな奴……何であんなの見たんだろ。夢の感じだと最後、彼はガルカに首を落とされたみたいだったけど……。この靄が私にまとわりついてる理由も謎なんだよな。後でガルカに訊いたら分かるかな)
アルベラの荷物は腰から下ろす鞄のみ。ベッドに吊るされていたそれを取り、アルベラは鞄のベルトを腰と片脚に巻く。袖を見てひらひらとぶら下がっているような布は千切って捨てた。袖は肘辺りまで焦げてボロボロだった。
(みっともないけど着替え無いし仕方ないか。―――これで多少はマシか?)
袖を捲って誤魔化し彼女は部屋を出る。
リビングには呪術師の老婆が白湯をすすり、ガルカは部屋の隅で床に堂々と横になり目を閉じていた。
(回復に専念しろと言っただろ、あの馬鹿)
浅い睡眠の中、アルベラが部屋から出てきた事を察しガルカは内心で咎める。しかし彼自身もそれなりに疲れていた。何しろエイヴィの里から突然に転送された先が、普通に飛んでいては半月は掛かってもおかしく無い場所だったのだ。そこから怒りのままに翼と魔力を酷使しこの地まで戻ってきた。できればすぐにでも深い眠りに落ちて体力だけでも回復しておきたかった。
「おば様、お世話になったお礼これで足りるかしら」
「ん? おぉ……、ほっほっほ。よく分かってるじゃないか嬢ちゃん。ああ、医者の奴にもそれくらい渡しといてやんな」
ガルカの耳が二人のやり取りを拾う。
「良かった。―――あの、この時間って族長様は起きてるかしら?」
「ああ。あいつならエリオットが気になって今晩は頭がさえちまってるだろうさ。あいつに用かい?」
「ええ。拾って頂いたお礼を」
「良い心がけだね。家は分かるかい?」
「いいえ」
「扉をでて真っ直ぐ歩きな。左手に緑の屋根と三角の赤い旗が見えたらそこが族長の家さ」
「分かりました。ありがとうございます」
―――ぎぃ……、バタン。と扉の音が鳴る。
(この里の中なら問題は無いか。……あのオカマ男の仲間という事で随分優遇されてるようだしな)
「アンタは行かないで良いのかい?」
老婆が目を閉じたまま横になっているガルカに訪ねる。だが彼が目を開ける様子はない。
「おやおや、狸寝入りとは……。付き合いが悪い魔族だね」
老婆はふぅ、と白湯に息を吹きかける。冷たくなりかけていた湯が丁度いい温度を取り戻しうっすらと白い湯気を立ち上らせた。
アルベラが族長のもとに行ってから一時間と少し。横になっていたガルカの耳がピクリと動き、彼は体を起こす。
(迎えが来たか)
「ガルカ、」
同時に家の扉が開きアルベラが現れる。
「あら、起きてたのね」
「ああ。なんだ」
「エイヴィの人たちが来たって。里の近くで待っているそうだから、今から三人を運び出すって」
「酒臭いな」
「一杯だけね……」
眉を寄せるガルカに、アルベラは「仕方ないでしょ」とため息を零した。
「私達の恩人で、しかもエリーのお父さんよ。断り切れなかったの」
「早く王都に行きたいと言っていた奴の正しい行動とは思えないな。大体何が『恩人』だ。安全な場所からのんびりと眺め、事が済んでからようやく姿を現した臆病者共だろ」
「治療してくれただけ有難いでしょ。それにあんな化け物の前に勝算なく飛び出たら飛び出たで、どうせあんたは『無謀』だの『脳無し』だの『愚か』だのと馬鹿にしたでしょ」
「勝てなければそうなる」
「はぁ……」とアルベラは深いため息を挟んだ。
「分かったから……。移動に関しては私が吐いても気にせず飛ばしてくれていいわよ。そこまで飲んでないし大丈夫だろうけど、―――わ、」
「ほれほれ、お二人さん。じゃれ合ってないでさっさと準備をし」
老婆が家の外からやって来て、アルベラの背後からばさりとこげ茶色の布を被せた。
随分と使い込まれたローブだ。一見浮浪者にも見間違えられそうなくらい年季が入っていた。
「間に合わせがこれしかないからね。私が町に行く時に使ってる奴だよ。お前さんのその靄、きっとエイヴィ達は怖がるだろうからね。少しくらいならコイツが隠してくれるさ。お前さんとは事情は違うが、私も仕事柄瘴気を体に溜め込む事があってね」
「まあ……。これはご丁寧にどうもあり―――」
「銀貨三枚だ。穴の開いてない方。よこしな」
笑顔で片手を差し出した老婆。その片手の左右には下から生えた二本の虫の脚が、手のひらを指さし「ここに銀貨を置け」「ほらここだここ」と言うような動きをしていた。
(……無償の優しさより受け取りやすいか)
アルベラは目を据わらせ銀貨を払う。
「ほいさ。まいど」
老婆はほっほっほ、と満足げに笑う。
アルベラがローブを纏い外に出ると、三人が担架に固定され運び出されていた。
(あ……エリー……)
この里の者は知っているであろうエリーのすっぴんだが、エイヴィやアルベラの一行は驚くだろう。
アルベラはエリーの担架を持つ者達を呼び止め、間に合わせの処置を施すことにした。
「よし。これでお願いします」
エリーの上に布を被せ、アルベラは彼らを送り出す。
(なんか死体運んでるように見えるけど、エリー的にはすっぴんみられるよりマシでしょ)
担架を運ぶ二名も「死体っぽい……」と思いつつ布に覆われたそれを黙って運んでいく。
アルベラも彼等について行こうと思ったのだが、治療師の家から聞こえた「ぱたん」という遠慮気味な扉のしまる音に釣られそちらを振り返る。見ればとぼとぼと歩く小柄な人影があった。その人物はシーツのような布を頭からかぶり、「かなり手抜きなお化けの仮装」という佇まいだ。
「あれって……まさかミミロウさん……?」
覚えのある背丈にアルベラは彼の名を出す。
そういえば気を失う前彼の声を聞いた気がするとアルベラは思い出す。そもそもなぜここにビオが一緒に居るのかも疑問だったのだが、それは町に移る際の道中にでもガルカに訊こうと思っていた。
「ミミロウさん、」
アルベラが彼のもとに行くと、ミミロウと思しき彼はシーツのようなものをぎゅっと体に巻いて身を小さくした。
シーツの側に寄れば、肉が腐ったような匂いがそれからする事に気付く。
「アルベラ。…………ごめんなさい」
その声はやはりミミロウの物だった。彼は申し訳なさそうに縮こまっている。
「何で謝るの? ミミロウさんは何も悪いことしてないでしょ?」
「ううん」と彼は首を横に振る。
「居るだけで駄目。居ることが駄目」
悲し気な言葉に、アルベラはどう返したらいいのかと困惑する。
「面倒なガキだ」
ミミロウの後ろに回っていたガルカが、白いシーツを掴みばさりと上に引っ張って取り上げた。
「あ、」とミミロウは声をあげシーツの端を追いかけて腕を伸ばす。
そこに姿を現したのは二足歩行の蜥蜴のようなシルエットだった。首で紐を結びポンチョの様に体を布で覆っていた。布から出た部分はグレーの鱗に覆われており、鼻と口は蜥蜴の様に突き出ていた。ギザギザで不揃いな歯と、鱗より少し暗い色の馬のような鬣。頭の左右には耳なのか飾り羽のような物なのか、ひょろりと長い帯状の物が垂れ下がっていた。
その鱗の隙間や目頭、歯の隙間など錆びのようなものが所々に見えていた。それだけでなく鱗や鬣の乾燥しパサついた質感は見る者に不健康さを感じさせる。
見た事の無い姿形にアルベラは頭を悩ます。
「……ええと、リザードマン? 竜人族?」
「ドラゴンだ」
「ドラ……」とアルベラは目を見張る。
「ドラゴンって人になれるの? しかもミミロウさん言葉ぺらぺらだし。そう言うのはてっきり物語の中の話かと……」
「極限られた種だけだ。だがコイツが人型なのはそれだけじゃない。呪いだ」
ピクリとミミロウは身を揺らす。両手で頭を押さえ縮こまる。
アルベラはガルカから布を取り、ミミロウの頭に被せた。
「呪いって? ミミロウさんが呪われてるの? ―――あ、この話私聞いてもいいかしら?」
アルベラはミミロウに許可を求める。ミミロウは間をおき「……うん」と布の下頷いた。姿を見られたのだし仕方がない、という諦めがあったのだろう。
「―――おおい、あんた等!」
怪我人達を運び出した者達が、道の先で手を上げアルベラ達を呼んでいた。それは背中にエイヴィと同じような翼をもった中年の女性だった。
「里を出るからさっさと来な! ここを出たらあんた達はもう里に入れないから、忘れ物ないようにね!」
「は、はい! ―――ねえ……、いろいろと追いつかないんだけど私達ここに戻ってこれないの?」
アルベラはガルカに問う。
ガルカは「らしいな」と素っ気なく答えた。
「ここは本来部外者は立ち入り禁止だ」
と、教えてくれたのはエリー達の面倒を見ていた治療師だ。小柄な猿のような男で、顔が毛に覆われ年齢不詳だ。エリー達の様子を見に行った時、アルベラは彼と挨拶を交わしているので自己紹介は済ませている。
「オイらは山賊だからな。貴族や商人を襲ってきたし余罪なら幾らでもだ。それに血を辿れば国から無断で逃げた罪人の集まりみたいなもんだしな。定期的に狩に来る奴らがいるから、そいつらに居場所が割れると面倒なんだよ。アンタらはエリオットの仲間だってんだからオイも特別に治療をしてやったまでだ。有難く思いな」
「ああ、はい……。はい…………」
「何だ? まだこの見た目に馴れねぇか?」
「いえ。その、ちょっと……、情報量が多くて……」
アルベラは頭を抱える。
「まあ、そっちもそっちで色々事情が重なってるようだもんな」
と彼はアルベラとミミロウとを交互に見た。そもそも魔族が正体を隠さずヌーダど堂々と共にいるのも珍しいのだ。
「時間がありゃぁ、オイもお前さんらから色々聞きたかったよ。残念だが今回はお預けか」
「じゃあなー」と治療師と呪術師に見送られ、アルベラとガルカとミミロウは先に行った者達の後を追う。
道の両側、地面に札の立てられた場所で待つ彼等に追いつくと「準備は出来てる」と言われた。
どうやら札に何らかの仕掛けがあるらしく、その仕掛けを発動させたという事らしい。札の文字が青く光り道の上に陽炎が掛かり景色が歪んでいた。
普通にその陽炎の中を通っていく前の者達に続きアルベラも札の間を通る。すると辺りの景色が微妙に変わり、低い木々が目に付く山頂付近のなだらかな傾斜の上に立っていた。
(あの森、エイヴィの里の。アレはエリーの魔法の石柱。―――なるほど。ダークエルフとやり合った場所から結構近かったのね)
アルベラの位置から山頂の森もダークエルフと衝突した場所もどちらも目視できた。ダークエルフとやり合った場所の方は数キロ先という近さだ。
どうやらあの場所がエイヴィとの待ち合わせ所となっているらしい。
怪我人は担架に乗せられ空を移動し、アルベラとガルカとミミロウは馬に乗ってその地へと向かった。
***
「コレ死体か?」
「いや、生きてる」
エイヴィと混ざり者達とが短いやり取りを挟んで担架の受け渡を済ます。
エリー、ピリ、ビオは勿論だが、ミミロウもエイヴィ達に運でもらう事となった。ベルトを使って互いを固定して飛ぶエイヴィ便だ。エイヴィの体にうつ伏せになって固定される運ばれ方とブランコに座って運ばれる型とがあるのだが、ミミロウはブランコ型の方で運ばれていた。
アルベラは靄の事があるのでガルカに運ばれている。エイヴィ達にベルトを貸してもらい、彼女もミミロウ同様ブランコ席に固定され吊るされる形をとっていた。
アルベラ達の宿の荷物や騎獣も、エイヴィ達が全て病院へ運んでくれるとの事だ。
「シロツエとかいう婆の話では、あのガキは人に呪われてるそうだ」
その声は風や距離の影響を受けずアルベラの耳に届く。
シロツエとはエリーの生まれである山賊たちの里で、アルベラを開放してくれた呪術師の老婆である。ガルカは呪いについて詳しい彼女の、ミミロウに対する見解をアルベラへ話した。
「人が意図的に手順を踏んで呪った物ではなく、多くの恨みや怒りが長年積み重ねられて呪いになったんだと。かなり強くて濃い呪いだ。他の呪いが入る隙もない位にな。だからアレは竜血石を取りに行けた」
「ガルカはソレ知ってたの?」
ガルカの聴力なら差し障りないだろうとアルベラは通常の声で返した。そしてガルカも当然と返し会話は成立する。
「全てではない。アレがドラゴンである事と強い呪いに他の力が阻害され効かなくなってる事は感じていた。それが人の怨呪によるものとまで知るほどあれを探ってない。―――あと、いつものローブがなくなって気づいたが、あれは貴様と同じように神の恵みも受けられないようだ。―――アスタッテの匂いもしないが、あいつからは神の匂いも一切しない。でなくても死臭や腐臭に覆われて素の体臭が消えてるほどだ」
「恨み……ミミロウさんが……。しかも『長年』って、彼もあんたと同じく見た目より年を食ってるって事?」
「いいや。あいつは見た通り幼い」
「何で呪われたかはガルカも知らないの?」
「知らん。本人から聞け」
それからアルベラは町へ行く間に、自分の体から漏れる黒い靄がダークエルフの男から流れ出たものだと知る。
ビオとミミロウが合流したタイミングや、ビオが黒い靄にあてられ錯乱し首を切って自害しようとした話、その後エリーの仲間である山賊たちがやって来て里で治療する運びとなった事を聞いた。
(この靄はもともとあいつの物だった。だからあんな夢をみた……と、いう事でいいか)
ボイディゴという名のダークエルフの男。
思いだせる限りの彼の一生をアルベラは思い浮かべる。
あのダークエルフの双子は生まれながらに道徳心に欠けているようだった。窃盗癖や弱者への虐待。だというのに兄弟間での絆は深く、まともな感覚を持つ妹は彼等を恐れながらも、自分には優しく甘い双子の兄姉を慕っている節もあった。
(変なの……。その他に対してはあんなに冷酷なのに……)
ボイディゴはそんな彼女が愛おしく、双子の姉に対してはもう一人の自分であるかのような厚い信頼を寄せていた。
だから、最後に見た泣きそうな姉の顔に、あれ程にも残酷な彼の胸は締め付けられた―――。
(まあ、胸って言っても頭と切り離されてはるか上空だったけど)
最期の最期に感じた共感しやすかった彼の人らしい感情に、アルベラは「やっぱり変な感じ」と呟き、それは風に掻き消された。
手元にあるものを使いに使って全く歯の立たなかった相手。
理不尽に、ウサギ狩りのような感覚で自分を殺しに来ていた相手。
アルベラは自分の中の新参者(靄)へむけ頭のなか語りかける。そこに彼の意思があるとは思えなかったが、あろうとなかろうとどうでも良かった。
(あの子の復活は失敗よ)
竜血石はもうない。片割れは死んだ。二人で発動させる手筈の魔術は、彼女一人ではもう起こせない。
(あなた達があの子にあんなに残虐な物を見せていたから。あなた達の生まれながらの質とあの子の質との相異を無視して押し付けたから……。全部自業自得)
彼等の思惑は破れた。
彼等の撒いた地図に惑わされ命を落とす者達ももうなくなるだろう。
哀れなあの子は生き返りたかったか、それともこの生からは解放されたかったか。それについては考えた所で杞憂だ。
(長い年月をご苦労様。いい気味)
何にもならない当てつけのつもりだったが、それでも少しは気が晴れた気がした。
***
担架を持って先を行くエイヴィ達が高度をゆっくり落としていく。
既に眼下には町が広がっており、教会のような外装の建物の前に広がる広場へと彼等は着地した。
(これがこちらの病院。姉さんたちも日の出の頃に運ばれたって聞いてるけど、もう治療を受けてるのかな)
布に覆われたエリーの担架をチラチラと見る人々の視線。
(あとで布の下に化粧ポーチを入れといてあげよう……)
などとアルベラが考えていると、エイヴィの一人がアルベラに声を掛けた。
彼はとても固い表情をしており、里にいた頃と今とのアルベラの「匂い」の違いに気付いているようだった。
「里長がお待ちです。一緒に来ていただけますか」
(里長が?)
「ええ」
エリーとピリ、ビオが病院の建物へと運ばれていく。
アルベラは彼の後を追いながらガルカの血が入った小瓶をバッグの中開け、霧に乗せて体に纏った。香水も取り出して普通の使用方法で軽く香りを纏い「これで鼻のいい人たち誤魔化せないかな」と考える。
エイヴィは人目を気にしてか出来るだけ端を選んで歩いているようだった。ヌーダでない人種の者達の視線をたまに感じながら、アルベラはガルカと共に彼の後に従った。