264、エイヴィの里 8(ドグマラの死)
ユドラはボイの首を胸に抱き、急いで最後の転送の魔術具を発動させる。
「悪いわね、ボイ」
彼の体は持っていけない。
(事が収まってから……、回収できる状態なら回収してあげる)
目の前の景色が変わり周囲が暗くなる。
見慣れた森の中を歩きながら「ズレたか」と彼女は呟く。
(あの魔族……『狭間の壁海』に飛ばしたはずなのにどおして……。あのフードのガキも、まさかドラゴンだった何て。嫌な匂いと妙な魔力……、中身がちゃんと識別できなかったのはあのローブのせいだったのね。てっきり魔獣の類だと思っていたのに……)
「くそっ!」
地上を這う太い木の根をユドラの片足が踏み割る。
「オオ! まじカ、あの魔族!」
木霊のマンセンは変わらず森の中に身を潜め、あの紫頭のヌーダの子供の動向を眺めていた。
魔族とダークエルフの衝突も、全くの他人事なので一人身を乗り出し当たり前に観戦に盛り上がっていた。
『―――おい何だ。決着ついたのか?』
マンセンが木の幹に立てかけていた銀の筒から男の声が問いかける。
「ン? アア、決まっタ決まっタ! 双子の弟死んだゾ! 圧勝ダ!」
『はぁ!? なんでだよ! どういうことだ!? あのガキが一人でか!!?』
「んなわけあるカ。トドメ刺したのは魔族だヨ。あのガキもそれなりに粘ってはいたけどナ、殆ど詰んでたゾ。ア、アラーニエも始末されたゾ」
『はぁ!? あの蜘蛛女をか!? ふざけんな、嘘つけ!』
「ハハハ。ラーノウィーだっせーよナ」
『うるせー!』
「マ、あいつ等も数人がかりでやっとだったけド」とマンセンは笑いながら伝える。
通信機口で相手がぐちぐちと不満を零してるのが聞こえる中、マンセンは思い出して「ア」と声を上げた。
「そうダ、今姉がそっちに行っタ。ほどほどにダメージ受けてたし楽勝だロ。塔の場所は分かるカ?」
『おお、そうか分かった。―――まさかガキ相手に本当に追い詰められて逃げかえって来るとはな。―――塔も問題ない。見つけてある。流石ダークエルフ様、良い場所に住みやがって』
「弾かれ者のヴェラー・ニエには勿体ない場所ダ。―――ジャ、こっちはもう少し見てから行ク。そっちはろしくナ」
『おう!』
通信機が相手側から切れるとマンセンの物もふっと風の音を最後に切れる。
ずっとあの魔族を眺めていたマンセンは今は黒い靄の行き先がどうなるかが気になり、それに目を奪われていた。
ダークエルフの男の遺体は、何かにぶら下げられてるように力なく空にとどまっていた。遺体の内側で大火事でも起こってるかのように遺体の全身から黒い靄が漏れ出ていた。頭を失った首からは特に多く靄が流れ出ている。
それは行き場を探すようにダークエルフの体の周囲をぐるぐると周り、一定の量が出るとある方向へ吸い寄せられるかのようにその端をのばし始めった。
「まだまだ入ってそうだナ。さてさテ~、どうなるカ」
***
ガルカはダークエルフの体から漏れ出た黒い靄に全身の毛が逆立つのを感じた。
(……まるであの玉や石と同じだな)
魔徒に預けられた緑の玉と、アルベラの体の中に埋まった竜血石。それらと似たような物をあのダークエルフにも感じていたガルカは、器や表への出方が違うだけで中に入っている物は同じなのではと、ぼんやりとではあるが考えていた。
そしてその「中に入っていた物」が今、単体で、「黒い靄」という形で外に出てきている。
ガルカの本能が「アレは負の塊だ」と告げている。不幸。災い。暗闇。恐怖。生き物の恐れや悲しみの根源となる存在の塊だ、と。
(アスタッテの匂いが強いわりに嫌な気配だ)
ガルカはじりじりと後退し靄から距離を取る。
(呪いや病いに似てるようにも思え……―――!?)
遺体の周りを緩やかに漂っていた靄が急に動きを変えた。
物凄い速度で自分の方に迫ってくる黒にガルカは咄嗟に横へ避ける。靄がわき目もふらずに先ほどまで自分の居た場所を通過していくのを見てガルカはほっと息を吐いた。
しかし、遺体から溢れ続けるその塊が真っすぐに向かう先はどこなのか。何となく予想がついてしまった。焦りが込み上げる。
この事態がいい事なのか悪い事なのか分からず混乱しながらも、彼は翼を打ち靄の行くであろう場所へ先回りを計る。
アルベラの治療をしていたビオは炎症を抑える作業に手を焼いていた。
(この火傷、電撃によるものよね。アルベラ様と相性の悪い魔法だったのかしら。本当なら傷口を塞ぎ終えていてもいい頃なのに)
治りが悪いとは言え治ってないわけではない。こういう場合炎症さえ抑えてしまえば、皮膚の再生や痕を消す作業は通常の怪我と同じペースで進められるようになる。
(もう少し時間が掛かりそう。けど、里か町まで運んで、それからゆっくり休息をとればアルベラ様は大丈夫。顔の火傷……、腕もだけど……こちらの国の医療技術だと綺麗に痕を消せる人は少ないかも……。結構ふっかけられそうだし、自国に帰るまで待っていただいた方が良いわね。お嬢様がこんな傷……目が覚めたらきっと辛い思いをされるわね……。……隠す方法なら幾らでもあるわ。帰りに傷隠しの軟膏を買っていきましょう。里か町にあれば良いんだけど。―――ピリちゃんとエリーさんも早く探しに行きたい所なんだけど、ガルカさんは……)
ぞくりと悪寒が走った。
ビオが顔を上げるとミミロウが空を見て臨戦態勢に入っていた。
「ミミロウ、何か見える?」
グルグルと唸り、ミミロウが『真っ黒なヘビ』と言い翼を開いた。
『止めてくる』
「お願い」
ばさりと彼は翼を打った。
ミミロウの視線の先、ガルカが翼を広げ大きな両腕を凪いでいるのが見えた。
しかし大蛇にも見える黒い塊は彼を通り抜けこちらへ真っすぐに向かってくる。ミミロウは大きく息を吸い、胸の中に空気を巡らせた。空気は熱を持ち、やがてミミロウの首元が内側から赤く灯り長い首を伝って口端から炎がはみ出る。
『グゥゥオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!』
ミミロウが口を開くと、咆哮と共に灼熱の火炎が放たれた
ガルカは既に気配を察して退いており、炎が向かうのは黒い塊の先頭だ。
黒と赤の大蛇がぶつかり牽制し合う―――と思われたが、ミミロウの炎は放たれるままに直線を描いた。
靄が炎に干渉することは無く、それはあっさりと炎を透過してミミロウの元へやって来て彼さえも通り過ぎていく。
「何……」
空を見上げていたビオは木々の合間に見える黒に恐怖した。
真っすぐにこちらにむかってくるそれは、ミミロウが言っていたように真っ黒な大蛇の様にも見えた。が、頭部の見当たらないそれに生き物らしさは皆無だ。
全身を包み込む恐怖にビオの額に汗が滲む。呼吸が早くなる。
―――アレが来る、アレが来る、アレが来る、アレが来る、アレが……
瞬く間に黒い靄はアルベラ体へと流れ込んでいった。
その余波がアルベラの側で動けなくなっているビオの頬を掠った。頬に感じた冷たいとも熱いともとれる、気体とも魔力とも異なる存在。ぷつり、と彼女は自身の中で何かの糸が切れるのを感じた。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
真っ黒な恐怖にビオの思考が覆われる。彼女は頭を抱え絶叫した。
***
アルベラの視界、何人かの人影が自分を見下ろしているのが見えた。
持ち上げられた感覚。気づけば目を閉じており、次目を開いた時には辺りが野外から室内に代わっているようだった。
水の中に居る時の様に周囲の音がはっきりと聞こえず、眠気が優先して彼女はまた目を閉じる。
胸の上に僅かな重みを感じ目を開けるとミノムシのような何かが自分を覗き込んでいた。それは自分へ幾つか言葉を投げかけると、ぶつぶと独り言のような事を言って見えなくなった。
直ぐにまた意識は途絶え―――
***
アルベラが目を覚ますと隣には少女がいた。
自分と手を繋ぐその少女は銀髪で褐色の肌をしていた。
アルベラは彼女と森の中を駆け笑っていた。
ふと振り返ると自分達を追いかけてくる人影があった。
少女だ。その子もやはりダークエルフで、そちらは白みのある金髪だった。隣りにいる銀髪の彼女よりも幼い。
隣の彼女が幼い彼女へ向け笑顔で手を振った。
アルベラも幼い彼女へ向け笑顔で手を振っていた。
顔を上げると少し成長した彼女がいた。自分と常に一緒に居る方の彼女だ。
自分と彼女の間には一匹の木霊がおり、自分達はそれの葉を剥がして遊んでいた。
周りの葉を全部取ってしまえば中から半透明の緑の木霊の体があらわれる。その体は同じく半透明の緑の葉で覆われている。鱗のように重なるその葉を一枚ずつ剥がしていくと木霊が暴れて面白い動きをするのだ。
自分が木霊を押さえつけ、少女が木霊の葉を剥がす。数枚済んだ頃に交換して自分が葉を剥がす。
苦しんで悶える木霊の声が面白くて、それを二人で見て笑った。
離れた場所で自分達より幼い彼女が恐る恐るこちらを覗いていた。
時間は流れ、百年等あっという間だった。
―――悪意の発散と快感を求める日々。自分達を押さえつけてくる周りへ積もる反感。両親の死。同族との衝突。里からの追放。ついてくる可愛い妹。同類達との出会い。それらとの殺し合い。死。快楽。黒い靄。体への蓄積。精神の破壊。周りのへの影響。あの塔。使い方。黒い靄との付き合い方。―――悪事。快楽。悪事。快楽。悪事。快楽。悪事。快楽。悪事。快楽―――
気がつけばゆうに二百年が経っていた。
そして三百年。
ついにあの可愛い妹まで壊れてしまった。
生まれてからずっと共に居た、片割れの涙を初めて見た。
自分も泣いていた。
ユドラと俺の考えは同じだった。
妹を生き返らせよう。
どうやって?
俺達は知っていた。
この世に魔族が神と呼ぶ存在がいる事を。それが知識を授けてくれるという事を。
必要なのは極上の首だ。
首一つに知識一つ。
無駄に長く生きたエルフの頭を供えてやったら、塔の声はちゃんと求めた知識を授けてくれた。
俺達の準備は滞りなく進んだ。
魂と体の保存さえ済んでしまえば時間は幾らでもあった。
あと少し。あと少しでモヴィエータを生き返らせられる。
怒りで頭が猛烈に熱かった。
目の前にあの魔族がいた。
邪魔だ。邪魔だ邪魔だ邪魔だ。
心臓を返せ。アレはモヴィの物だ。俺達が先に見つけたものだ。あと少し、あと少しで―――
酷く冷たい視線が自分を貫いていた。
あいつの腕が、俺の首が、体が……
***
「ユ ド―――……ぅ……わ」
アルベラは自分の声にぱちりと目を覚ました。
直前に感じたのは落下に似た浮遊感と足がびくりと揺れるあの感覚だった。
(夢……)
視界には木製の天井が広がっており、それは何度か目を覚ました際に見ていたような気もする。
身を起こし、自分の体に触れて自分の形を確かめようとしたが、両手が包帯に覆われていることに気付き諦める。全身に軽い筋肉痛のような痛みはあったが、両腕の包帯を除いてそれ以外に気になる点は無かった。視界も正常だ。
木製の寝台。横になる面は木の皮を編んで作られており、アルベラが床に脚を下すとその面が小さく揺れてキシリと音を立てた。
(ピリと里を回って、蜘蛛女に襲われて、殺されかけて、)
アルベラは胸に手を当て視線を下す。呼吸と共に上下するそれを眺め記憶の確認を続ける。
(ダークエルフの男……、コントンが瓶に吸い込まれて、電気が……―――エリー、ピリ……)
感情が昂り、アルベラの周囲で髪がぞわりと舞い上がった。
魔力の光を灯し毛先が水色に、瞳が緑色に輝く。同時に視界に滲み出る黒い靄を見つけ、アルベラは「なにこれ」と小さく呟く。
昂りへの自覚はあった。先ずは落ち着こうとアルベラは深く長い呼吸を繰り返し、髪の毛が重力のままに落ち着くまでそうした。
「ふぅ……」
瞼を持ち上げると髪の毛の灯りは消えていた。だが黒い靄は僅かに残っていた。
(これ、確かラヴィが憑りつかれてた時に見た……)
と、それに触れてみるも靄はアルベラの指に軽く散っただけですぐに消えることは無かった。
靄も気になるが、それよりも先に確かめるべきことがある。
(靄は後だ)
「コントン」
アルベラは自分の影に意識を向けた。数秒待つも部屋は静かだった。
「コントン」
問いかけに返る返事は無く、アルベラの不安に比例するように黒い靄が滲み出て色を濃くした。
あちらの方が先に目を覚ましそうだ。
治療された者達が眠る部屋の様子を眺め、ガルカは隣の家屋へ向かおうと足を持ち上げる。
途中、普段は容姿端麗な―――今は無骨な熊のような容姿をした男であり女である彼女の横を通り、その傷だらけの顔を見下す。
普段のぴんぴんした姿を知っているだけに、その人物がぼろぼろで力なく眠る姿と言うのは滑稽で情けなく……何となく神経を逆なでされされるような気分だった。
(普段はあれだけ大口をたたいているくせに……)
「汚い寝顔だ」
気に入らない現状に腹いせの言葉を吐き捨て「ふん」と鼻を鳴らし部屋を出ていこうとしたガルカだが、その横腹にそこそこ重みのある拳が撃ち込まれる。
「誰が、汚いですって……」
寝台の上すっぴんで包帯だらけのエリーが横たわったまま拳を握っていた。
「弱ったレディーに対してなってないわね、クソ魔族」
「今の貴様をレディーと呼べる強者がこの世にどれだけいる事かな」
「本当に憎たらしい。後で覚えてな、さ……」
言葉が途切れ、エリーの瞼と拳から力が抜けた。数秒後には「ぐー……」といびき交じりの寝息が聞こえ始める。
「…………く、くく……くくく…………、これの……どこがレディーなんだ」
ガルカの肩が小刻みに揺れ、噛み殺した笑い声が溢れていた。先ほどまであった不快感は容易く消えて無くなっていた。
「おい、貴様もそう思うだろ?」
と笑んで細まった目が部屋の角へ向けられる。視線の先で布を被った何かがもぞりと動いた。布の下、誰かがガルカの問いを受けて首を横に振る様に動く。
「……ふん。貴様は眼も腐っているようだな」
布の下の彼はしゅんと項垂れた。
彼はぽそりと「ごめんなさい」と小さく返したが、ガルカはそれを聞く前に病室を出ていた。治療所であるその家からも出て、彼は隣の家屋に目を向ける。
「起きたか」と呟き、ガルカは真っ直ぐにその家屋へ足を運んだ。
(やっぱり……コントンがいない。―――じゃあピリとエリーは……)
見渡した部屋の中は簡易的だった。
テーブルとイス。壁際の低い棚とその上に置かれた幾つかの本。カーテンに覆われ外が見えなくなっている窓と、扉が一つ。自分以外は誰もいない。
アルベラは内装から農村にあるような一般的な木造の家屋を想像した。
彼女はベッドに手を付き体の様子を見ながらゆっくりと立ち上がる。眩暈がないのを確かめると無理のない歩調で扉へ歩く。
外が見てみたかった。何となくエイヴィの里ではないような気がした。ここがどこなのか知りたい。皆はどうなったのか。あのダークエルフは……、ピリは……。足音は無意識に潜められる。
「―――!?」
「―――!?」
突然扉が開き、アルベラはベッドと扉の丁度中間あたりで足を止めた。
扉の先に居たのはガルカだった。
彼の聴覚や嗅覚であれば自分が目を覚ました事等お見通しであろうに、何をそんな驚いた顔をしているのかとアルベラは疑問に思う。
ガルカはアルベラの周囲に視線を走らせると目元を厳しくし警戒を色濃く口を開いた。
「……貴様、自分の名を言ってみろ」
「アルベラ・ディオール……」
「じゃあ俺の名は」
「ガルカ」
と言い、じっとその魔族であろう人物の顔を見て不安げにアルベラは問う。
「ガルカ……よね? もしかして偽物?」
ガルカは呆れたように首を横に振り「本物だ」と返す。
「意識は正常か?」
「ええ。……多分」
「そこに鏡がある。見てみろ。自分で見えるかは分からないがな」
言われ、アルベラは壁にかけられた小さな鏡を覗き込んだ。
そこに映ったのは首、顎、右頬へと長細い火傷をおった自分の顔だった。
(やっぱり……あの時食らってたか)
「どうだ?」
「そうね。可哀そうな火傷」
「違う。目だ」
「目?」
アルベラが鏡の中の自分の瞳を覗き込む。それは緑でありながらも黒々としており、狂気じみた影を宿していた。
「―――いっちゃってるわね」
「ああ。『いっちゃってる』だろう」
何とも気の抜けるやり取り。それなりに重要な確認だったのだが、状況が理解できていないアルベラの返答は他人事の様に軽く緊張感に欠ける。
ガルカは深く息を吐いたが、一拍置いて小さく肩を揺らし笑いだした。
「その間抜け面はある意味正常だな」
自分を間抜け面と笑う彼にアルベラは目を座らせむっとする。
「ええ。心配をかけたわね」
「全くだ」
アルベラは一瞬聞き間違いかと思った。
扉の前で壁に寄り掛かり腕を組んでいるガルカは、口元に笑みを残したまま金色の目を細めていた。怒ってるようにも、悲しんでるようにも、困ってるようにも見える曖昧な表情。
(ええ……と、)
アルベラが返しに悩んでるとガルカは「ふん」と鼻を鳴らす。その顔には普段の嘲た笑み。いつもの彼の顔だ。
「部屋から出るならその靄が消えてからだ。靄が消えたら声を掛けろ」
そう言い彼は扉を開けたまま部屋の前から立ち去っていった。
アルベラが寝台にもどって腰を下ろすと、隣の部屋から「水はテーブルの上だ。飯が欲しければ持っていってやる。食いたいものがあれば言え」と投げ掛けられた。
「て、手厚いじゃない……」
アルベラはぽかんと、四角く縁取られた明るい隣室を眺める。





