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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (後編)
263/411

263、エイヴィの里 7(彼の死)



 ***



「……っ、がぁ、」

 ガイアンの口端から泡立った血混じりの唾液が溢れる。首には女の褐色の細い指が食い込み、ながい爪が皮膚に刺さって血を滲ませていた。宙にぶら下げられた自身の体の重みと、首を絞めつける女の手が呼吸を邪魔し意識が遠のきかける。

「騎士様ともあろう方が情けない顔ね」

 ようやく聞けたこの男の苦しむ声にユドラは満足気な笑みを浮かべた。

 ガイアンは両手で女の腕を掴んで抵抗していた。魔法の一つでも放てればその腕を振り払うことも切り落とすことも出来たのだが、自分の首を掴む女の指には魔力封じの指輪がはめられていた。それの発動先は外でもない自分ガイアンだ。

(こいつ、どれもこれも質の良い……)

 このダークエルフはそこらの貴族でも容易く手に入れられないような強力な魔術具ばかりを取り揃えていた。ヌーダの技術では作れない物も多く目に入り、それらには他国の言語が織り混ぜられた陣や紋章が彫り込まれたり浮かび上がったりしている。

 それらの何が厄介かといえば、陣や装飾の形状の意味を知らない故に展開を容易く阻害出来ない点だ。更に単純に性能もいい。籠められた魔力量や、威力、展開までの時間。そのどれもが一級品なのだ。

 「あれを目にした時、タイガーの奴ひきつった笑みを浮かべていたな」などとガイアンは頭の片隅で彼の言葉を思い出す。

 『な、んだ……ありゃ……。相手するのが俺の隊じゃなくて良かったぜ。あんなの相手にしたら半壊させられちまう』

「あらあら、騎士様は装飾品の虜かしら?」

 忌々し気に自分の魔術具へ目を向ける水色の騎士様にユドラは余裕の笑みを浮かべた。

「う……、ぐっ、ふ……」

 いよいよガイアンが力負けしかけた時―――


「―――グウオオオオオオオオオ!!!」


 ドラゴンが現れ、ユドラとガイアンの間にわって入った。

 ユドラは飛び退き肩に熱を感じる。片腕が無くなっているのを認め、彼女は舌打ちをし残った片手で傷口を抑えた。

 魔術具を発動させ、止血と傷口の保存を行う。

 自分の目の前を通り過ぎたドラゴンは地上へ降り閉じていた口を開いていた。

 ドラゴンの口からはごろりとガイアンが転がり出て、その首には鮮血を流すユドラの腕がぶら下がっていた。

「この……、()()()ドラゴンが……!」

 ユドラは怒りの声を上げた。



 ドラゴンが降り立ったのはアンナの近くだった。

 「よう、ミミロウ。やっと来たね」とアンナがドラゴンを仰いだ。

「大丈夫ですか!」

 地上に降ろされたガイアンへ物陰に隠れていたビオが駆け寄る。

 ガイアンは首から女の腕を引きはがし、回復薬のストックを飲んで腹に手を当てた。損傷を受けていた内臓を魔術で治療し「ぺっ」と口内の血を吐き捨てる。ついでに魔術でドラゴンの唾液を体から掃う。

「ありがとうございます。助かりました」

 掠れてはいたがその声はしっかりしていた。

 氷でガチガチに多い補強された彼の脚を見て、ビオは「両足は」と言いかけたがガイアンは片足を持ち上げ問題なく動かせる事を示した。

「痛みは止めてますから、まだ持ちます」

「……分かりました。では私は他の皆を」

「―――魔術具ゲぇーット!」

 二人のやり取りの合間、アンナはガイアンの手からダークエルフの片腕を掠めとる。彼女は血だらけの顔面ににたりと笑みを浮かべ、捥げた片腕事その魔術具を使用しダークエルフに攻撃を放ち始めた。

「ははははは! こりゃあいい!! 散々やってくれやがってあの女あ゛あ゛あ゛!!!!」

 彼女は狂った様に「あはははは」と笑いながら、魔術具での攻撃の手を緩める事なく地上を駆けるナールの使役魔獣に飛び乗る。片腕は相変わらずぶら下がり使い物にならず、獣は脚で挟んで操っていた。

 ドラゴンは既に地上から飛び発ち、ガイアンとビオの上空でダークエルフとの攻防を繰り広げていた。ドラゴンを相手にしながらアンナへも反撃を始めたダークエルフの攻撃を、アンナはピョンピョンとかわしながら二人から離れていった。

 ビオは千切れた他人の腕を振り回すアンナの姿に目を据わらせた。

「せめて外して使いなさいよ、悪趣味なんだから……」

(戦力としては頼もしいが、やはり好かないな……)

 ガイアンも血まみれで下品に笑うアンナの背を見送り心の中感想を漏らす。 

「―――で、では私は皆の所へ、」

「お願いします。その後お嬢様を探して頂ければ幸いです」

「了解です」

 二人の気が抜けたのも一瞬で、ビオはガイアンから離れて地に臥した仲間の者とへ駆けていく。

 ガイアンは魔術陣を周囲に幾つか作りながら空を見上げた。

 皮膚を腐らせ腐臭を漂わせる若いドラゴンがあのダークエルフと戦っている。ドラゴンは若いとはいえその口は大人の男を無傷で納められるサイズはある。種類によっては十分に成体としてとれるサイズだ。ガイアンがあれを「若い」と思ったのは腐っていない部分の翼の膜や鱗のハリ、爪や手足の裏の質感を見ての経験則からである。多分アレはもっと大きくなる種だ、と彼は記憶にある大型種のシルエットと視線の先のドラゴンを重ね推測する。

「あれがあの少年……」

 ドラゴンの飛来。得た敵方の魔術具。

 つい先ほどまで死を覚悟していたガイアンは、勝機が自分達側に傾いたのを感じ固唾を飲んだ。

(この旅路、彼等と組めた事は幸運だったか……)

 空を見上げ攻撃の準備を整えるガイアンの目の前、四足歩行の魔獣がスタッと地を蹴った。その背には片腕で片腕を振り上げ、「アハハハハハハハ!!!!」とけたたましく笑うアンナ。

(……実力は認めよう)

 むしろ実力以外は認められないが。と彼は戦闘へと気持ちを戻す。



 ***



『貴様ら、そんな口をきいていざという時助けてもらえると思うなよ。幾ら泣き喚き散らかそうとも動かん時は動かんぞ』

『ふん。あんたの助けなんて端から必要としてないわよ』

『契約上私の事はちゃんと守りなさい。金なら払うわ』



 ダークエルフの男を遥か遠くに、アルベラを抱えガルカはつい最近のやり取りを思い出す。

 過去何度か、エリーというあの気に食わない混じり物も、高飛車で勝気なこのアルベラというヌーダも、本当に痛い目にあい周りの助けがなければ脱せられない絶体絶命の窮地に陥ればいいと思った事があった。

 この者達が甘く見ている自分という存在が、本当はどれだけ強く共に居て情をかけて貰えていることがどれだけ有難いか、もっと深く理解すべきだと思うことが度々あった。

 ―――だが……

 ガルカは連れてきたアルベラの、消えいってしまいそうな極浅い呼吸の音を聞く。普段と異なり彼女の中に埋まった異物の匂いに嗅覚を向ける。服に残る血にこの体温、自力で起き上がる事も出来なくなった弱った体を両手の上に感じる。

 現状では腕以外の外傷は少ないが、瀕死の重傷を負った形跡はありありと残っていた。そして傷は埋まろうとも体力的にそのダメージを引きずっているのが分かる。

 意識を手放し回復に専念すればいいものを、重たい瞼を下ろそうとせず頑なに緑の瞳が自分へ向けられている事にガルカは気づき無視し続けていた。

 いつもの如く凛とあろうとする彼女の在り方が今はただただ痛々しかった。

 「ガ、ル……」とアルベラが掠れた声をひねり出す。

(―――俺はこんなもの) 

 ガルカは眼光を鋭くし唇を噛んだ。

 自分はこんなものが見たかったのだろうか。こんな気持ちになりたかっただろうか。

(ちっ……、あんな小鳥がいなければ。コイツがあれを気にしなければ……、あんな状態のダークエルフの一人や二人容易く屠れたものを)

 気にせずダークエルフをあの場で片付ける事も出来たのは確かだ。だがそうすると、順番的に一番先に死ぬのはあのエイヴィだ。ダークエルフが彼女を殺し、その後にガルカがダークエルフを殺す事になる。

 そうなれば。もしもそれを()()に見せてしまったら―――。

 足を掴まれたあの瞬間、ガルカは咄嗟にそんな事を考えた。そして、想像した展開にならない方法を選んだ。つまりはあの場からの退却だ。

 自分にとってあの鳥はどうでも良い存在だった。エリーについては、アルベラを避難させた後の回収でも間に合うだろうと本当にそう考えていた。

(あのエイヴィを助けようとすれば、次はこちら(アルベラ)が狙われただろう。それかあのオカマ男か……。あれを気遣う義理はないが、俺がこの手(退却)を取った事に関してあいつは感謝するべきだな。あそこで気を失ってさえいればあのダークエルフがアレに目をつけることは無いだろ。―――エイヴィの方は、もう生きている保証はないがな)

 ガルカは腕の中の虚ろな瞳を見下ろす。それは自分へ向けられてはいたが、彼へ縋りつく隙も悲しみに暮れる暇もなさそうに思考に沈んでいるようだった。

(あのエイヴィを諦めきれてないか。女々しく泣いてくれてればまだいいものを……)

(ピリを助けるのに私は邪魔で……だから適当な所に置いて行ってもらって……。けどのその間にアイツがこっちに来たら……私には抵抗の手がない……。エリーが目を覚ましても今の彼女じゃ荷が重い……どうにかして八郎を呼ぶ? どうやって……―――そうだ、雷炎の魔徒様なら召喚の小石が……。あれは……そうか、里に……。間に合う……? 分からない、けど……)

「ガル、カ……」

「煩い」

 ガルカはアルベラを睨みつける。

「『回復するまで口を開くな』」

「―――……」

 今のアルベラに拒否の即答が出来ないと分かってるうえでガルカは「言霊の縛り」を使った。

 僅かながらの反発に、ガルカの服を掴むアルベラの拳へ力が込められた。

 「くそっ」とガルカは吐き捨てアルベラの訴えよりも自分の思いを押し通す。



 森を左手に一直線に飛ぶガルカの頭上に大きな影がかかった。彼の目の前に一頭のドラゴンが現れ翼を羽ばたかせ宙にとどまる。

 そのドラゴンは皮膚が錆びれ、腐臭を放っていた。この旅の中、ガルカが頻繁に拾い上げてきた匂いだ。

『いた。アルベラ、ガルカ』

(―――ミミロウさん?)とアルベラは薄く瞼を持ち上げ声の方へ瞳を向ける。だが彼女が捉えられたのは大きな影だけだった。

 「ふん。隠していないと強烈だな」とガルカは片手で鼻をつまむ。

「貴様、内臓も腐ってるんじゃないか」

 嫌味で行った彼の言葉に、『うん……。ごめんなさい』といつもより低くがさついたミミロウの声が返る。 

 ミミロウの素直な反応にガルカはつまらなそうに舌打ちした。

「ガルカさん、アルベラ様の治療をします。下に下りて」

 ミミロウの背から顔を出したのはビオだ。

 彼女の言葉にガルカの耳が揺れる。

 ガルカはチラリとビオへ視線を返すと速やかに高度を落とし足を付けた場にアルベラを寝かせた。



 ビオは先ずアルベラの指先を切り血を採取した。その血を一滴、透明な液体の入った瓶に垂らす。その瓶を、持ち歩きようの既製の魔術陣に乗せ発動させる。陣を発動させると瓶の中の液体はじわじわと赤く染まっていった。瓶を横にし、ビオは血を採取する際に切ったアルベラの指先をその瓶の口に入れる。瓶の中の液体は横にされても零れ出ることは無かった。瓶の中の液体はアルベラの指が入ると、よく見ていなければ気づけないほどのゆっくりしたペースで水嵩を減らし始めた。

(貧血の応急処置はこれでよし。この間に火傷ね……)

 薬と魔術でアルベラの両手の炎症を止めながら、ビオはガルカへ言葉を向ける。

「どこへ行こうとしていたんです?」

 彼の向かう先がエイヴィの里でなかったのは彼女の目から見ても明らかだった。

 ガルカは立ったまま治療の様子を見下し答える。

「ここに来る前に立ち寄った大きい町があるだろ。そこへ行こうとした」

「なるほど。確かに里よりも治療施設が整ってそうでしたものね。―――どこへ?」

 ガルカが二対の翼を広げたのを感じビオは弾かれた様に顔を上げる。

 彼が翼を出している姿は今までも見た事あったがその時はいつも一対だった。そしてそれらは今よりも小さくて薄い。一対の時の姿が頭に定着していたビオには、ガルカの体に対し今の翼のサイズはアンバランスに大きく思えた。

(なんかいつもより魔力も濃いし……この魔族、ちゃんと仲間なのよね……?)

 否が応にもビオの警戒心は煽られる。

「手を止めるな。ただの後片づけだ」

 ガルカは興味薄に言い地上から離れる。首をもたげたミミロウに「貴様はここにいろ」と言うとガルカは翼で空を打った。

 その羽ばたき一つであっという間に魔族の背は来た道を辿り小さくなっていった。

「後片付けって……」

 こちらにもあのダークエルフのような相手がいるのだろうか。アルベラはそいつにやられたのだろうか。だとすると何故この魔族は無傷なのか……。

 ビオはぶんぶんと首を振り雑念を振り払う。

(今はこっちに集中)

 緩めていた手に意識を向け直し、アルベラの治療に尽力する。



 一直線に空を切るガルカの正面から陣を生成しながら怒りの形相で飛んでくるダークエルフの姿があった。

 あのエイヴィの子供の姿は無い。怒りに染まった頭や魔力から遊んでる暇など無いと捨ててきたことが分かった。

(好都合)

 ガルカは口端を吊り上げる。相手はここに来るまでに満足がいくまで準備をしてきていたらしい。魔術知識や技術に長けて居るのは流石エルフと言った所か。ガルカも初めて見る量の陣で周囲を固めてダークエルフはこちらへと突っ込んできていた。

「あのガキはどこだ!!! 返せ! あの心臓は俺達の物だ!!!!」

「知るか。欲しいなら奪ってみろ」

 ガルカは両手両足を本来の魔族の物へと戻した。黒く硬い皮膚と太くとげとげしい毛におおわれた腕。鋼の甲冑を思わす鱗に覆われた黒い鳥足。

「かあああええええええせええええええええ!!!!」

 先に攻撃を仕掛けたのはボイだった。ガルカの腕や足のの届かない遠距離から全ての陣を展開させ集中砲火する。

 ガルカの姿は瞬く間にボイの魔術に覆われ見えなくなった。同時にボイの周囲には強固な防壁が組まれ、自身も大砲の弾となったように魔族の元へと突っ込んでいく。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!」

 あの首を引きちぎってやると、ボイの両手が皮膚を固く爪を鋭くする。

 距離を詰め、攻撃の合間に魔族の大きな手と足が見えた。

 両手両足で攻撃を防いでいるようで、自分の攻撃が相手の肉を焼き、又は断ち、又は溶かしているのが見えた。骨が覗いている部分もあり、攻撃が効いていることにボイの顔が笑みに歪む。

「ははははははははは!!!!! 死ね死ね死ね死――――――――――――?」

 ボイの視界がぐらりと歪んだ。

 一陣の黒い風が通り過ぎたと感じた後だった。

 ごろりと景色が反転しその中に自分の体が入り込む。周囲の防壁が崩れて散り、自慢の陣の数々は光を失い消滅し攻撃が止んでいた。魔族が大きな片手を払い無感情にこちらを見下ろしていた。



 遠のく。遠のいていく。

 二つの人影は空を背景に小さくなり、代わりに双子の片割れが飛んできて自分の視界を受け止めたのが見えた。

 彼女の驚愕の表情がジワリと悲しみに歪み―――



「ユド……」

 彼の意識はそこで消滅した。



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