247、目的の地 2(お宝についての報告)◆
この日の訓練後、アルベラは神獣の恵石の使い方についてガイアンに聞いてみた。ちなみに今日の訓練は「魔術と魔法での身の守り方について」だった。人が発動した閉鎖の魔術の解き方や、その他トラップ系の魔術の張り方や暴き方、書き換え―――相手の張った魔術を自分の物にしてしまう、「乗っ取り」とも呼ばれるやり方を教えてもらった。
ガイアンが本日教えた魔術をそこかしこに張り、その道を辿りできる限り早くゴールするという実践が今日の訓練の締め括りとなった。
(今日はもう、暫く魔力は使えそうにないな……)
体の芯のがクタクタになり上手く力が入れられない様な感覚に、アルベラはもってきた神獣の恵石を取り出す。
(使い方を教えて欲しかったんだけど、今日は聞くだけにしよう)
「ガイアン、頼みがあるんだけど―――」
彼女から恵石を受け取ったガイアンは、お嬢様が国境沿いで商人に神獣の素材について訊いていた事を思い出した。
(通りであの時買わなかったわけか)
「なるほど……これはかなり上質ですね。生え変わりなどで落ちた石は殆ど空なので」
「へぇ。空かどうかってどうしたら分かるの?」
「魔術で調べたり機材で調べたりもできますが、手っ取り早いのは―――」
―――パチリ
ガイアンは石の魔力を操作し、石の持つ効果を発動させて見せる。
「単純に石の輝きを見るといいでしょう。この明るさならまだ十分使えそうです。光が弱々しくなってくると比例して効果も弱まるのでわかりやすいかと思います。光で判断できないものもあるのですが、この石の場合はこの見方で十分ですね」
「へぇ。―――ねえ、ガイアンはそれ素手で持ってて痛くないの?」
彼はやんわりと笑み、「ええ。勿論痛いです」と答える。
「ですので、加工しない場合はこのように使ったりします」
彼は地面に陣を描き始めた。
「この陣はこれ以上簡略化できないため『印』はありません。もし使用したければ地道に覚えるか手本を持ち歩いた方がいいですね。私としては空でいつでも描けるようになるのがお勧めですが……。完成品を持ち歩きたい場合は耐久性のある媒体でないと発動できないこともあるのでご注意を。個人的には紙より皮をお勧めします」
説明しながら、彼はスラスラと地面に陣を描き切る。その中心に石を乗せ手のひらに印を描くと「例えば、」と言い掌を上に向けて見せる。
印が淡く輝き、そこにパチパチと電気が爆ぜた。
アルベラは「おお」と小さくこぼす。
「あと、この印を他の場所に描けば……」
ガイアンは近くの木の幹に自身の魔力で印を描いた。彼が陣を発動させると、先ほどの掌同様木の幹に描いた印の上でパチリと電気が爆ぜた。
「なるほど。直接持たずそうするのね」
「はい。あとは工房に預けてお好みの装飾に加工してもらったりしても安全に使えます。タイガーのように、もともと電気を扱うのが得意な者はこのような陣も加工も必要ないことが多いですね」
「へぇ」
「今回のはこういった素材を使う場合の代表的な例ですが他にも方法はあります。陣や印の組み合わせで色々と応用が効きますしね。興味がありましたらお勧めの参考書をお教えしますよ」
と、彼は陣に一回り小さな陣を書き足しまるで囲い二つを幾つかの線で繋ぐ。
(うわぁ……複雑なものが更に複雑に……)
「これは風の礫を作り、一直線に飛ばす陣です。お嬢様、石の効果を消費させて頂いてよろしいでしょうか?」
「ええ。実は同じくらいのがあと二つあるの。なくなったら買えばいいし、だからそれは遠慮なく使って」
アルベラの言葉にガイアンは目を丸くした。
「そうでしたか、それは幸運でしたね。でしたら少しだけ―――」
彼は陣を発動させる。
すると木に書いた印から電気の球が出現し、正面にいたガイアンへと放たれた。ガイアンはそれを自身の魔法(氷の壁)で防いで消滅させる。
「はい。こんな感じです。ちなみに今の攻撃は石がない場合雷や放電の陣を描くことで再現できます。全く同じとはいきませんが。―――あと、元々風が使えたり雷が使える者はそれらの陣が省略できます」
「なるほど。じゃあ中心のこれはあくまで転送用の陣ってこと?」
「ご明察です。ですが捕捉すると保護の効果もあります。この陣を通すことで、自身が石の効果から守られますのでそして転送してるのはあくまで魔法の展開場所です。展開している魔法事態をあの場所へ送った訳ではありません」
「なるほど……」
アルベラはその後、ガイアンに陣の書き方を教えてもらい見本の紙をもらった。
(長期戦で覚えるとして、暫くの間は見本を持ち歩くか。すぐ必要な時のために魔術用の皮紙も買っとこ)
アルベラはガイアンとの訓練を終え、宿での夕食も済まし自室に戻る。
あとは汗を流し寝るだけだ。
(さて。あの二人と一匹はどうなったんだか)
地図の下見をしにいった彼らのことを考えつつ、アルベラは荷物を漁る。着替えの類はエリーが既にベッドに置いといてくれているので準備は不要だ。彼女の今の目当ては―――
ずしりとした重い皮袋を両手で持ち、アルベラはそれを呆れた目で見る。
どんぶりサイズに膨らんだ袋の中には大小様々な石が詰め込まれていた。全てあの神獣の恵石だ。「少し前払い」と言ってアンナからもらったのがこの袋だった。
アルベラは先ほどガイアンに言われた言葉を思い出す。
『この石含め、いざと言うときのために大切に温存しておくといいでしょう。転送の魔術事態はご自身の魔法を石の効果の代用にして練習が可能ですし。―――買う事自体は簡単ですが、この質のものが世に出回ること自体が稀です。―――ああ、けど公爵や辺境伯ともなれば、神獣を必要以上に傷つけないと契約の上で、交渉次第で狩猟の許可が出るかもですね。―――これの値段ですか? 私の感覚なので自身はありませんが……このサイズでこれだけ神獣の魔法が蓄積されているのでしたら……安くて三十万。高くても……五十万、というところでしょうか』
「これ、一体幾らだ……」
大雑把に見てもガイアンに見せた小石の四〜五十倍の物質量だ。そしてあの獣の頭と背にはこれの倍以上の石が生えていた。
(神獣って凄いんだな……)
アルベラは遠い目をし、キュッと皮袋の口を閉じる。
***
コントンからの報せを受け取り、アルベラはそれをエリーに伝えアンナへの伝言を頼んだ。
下の階からは、夕食後から酒に燥ぐアンナの声が聞こえており、今あの場に顔でも出せば地獄を見るだろうとアルベラは保身で自室に篭っていた。
(まあ、どうせもう寝るだけだし……)
彼女は窓に腰かけ、風に当たりながら地図眺める。
コントンは目的地を見つけて戻ってきた。彼曰く、目的地自体は「すぐそこ」なのだそうだ。だが詳しい距離や馬でかかる時間など人での尺度はコントンにはよく分からないとの事で、道案内はできるが詳しい情報が知りたいならガルカに聞いてくれと言われてしまい、アルベラはあの魔族の帰りも待っていた。
地図と共にガイアンから教わった転送の陣を眺め、それを宙に描いて真似てみる。
訓練からある程度時間も経ち、食事も休息も十分取れて、魔力はいつも通り使えるようになっていた。
アルベラの指先がなぞった場所に、光の線が浮き上がる。しかしそれはずっと残っているのではなく、一定の時間が経つと消えてしまう。アルベラの魔力や魔法の質の関係上か、彼女の線は霧散しやすかった。そのため陣や印を空中に書いて使う場合、速やかな完成が必要とされる。
(前よりは大分魔力を止める時間は伸びてきたけど、流石にこんなに要素の多い陣は無理ね)
アルベラはとりあえず暗記のためにと消えてく線は気にせずに、手本を真似て陣を描き続ける。
そうしている彼女の背後から、ふわりと夜風が入り込んだ。少しして頭上から影がおち、アルベラは顔をあげる。
「コントンから聞いたな。探してる石について知りたいか? ―――くくっ。どうした。いつも以上に間抜けな顔だな」
真上から覗く金色の瞳がニッと細められた。
「近い! 適切な距離!」
寄りかかっていた窓枠から離れようとしたアルベラの両肩にガルカが手を置き彼女を抑える。
「転送の魔術か。なるほど、あの石の使い方を教わったか」
ガルカは片手で陣を描く。数秒でそれを完成させると、恨めしげに見上げてくる緑の視線を受けて満足し片手を払ってかき消す。
「で、地図の示す場所についてだが」
「暑苦しい。離れて」
「聞きたくないのか?」
アルベラは少々逡巡した後「さっさと続けて……」と不服そうに言いガルカを睨みつけた。
ガルカの耳が彼女の「音」を拾い上げる。驚き、そしてすぐに平常を取り戻した音だ。彼はそれにつまらなさを抱えながら続ける。
「目的地は奉られた洞穴の奥だ。あそこに立ち入るのは貴様じゃ無理だろうな。呪いがかかっている」
「呪い?」
「ああ。愚かな人間を立ち入れさせない呪い……いや、贄か?」
「呪いなの? 贄なの?」
「呪いが結果的に贄を作り出してるんだ。あの石は命を吸って蓄えているのだろうな。似たものが王都にもあるだろう?」
「『だろう』って、知らないけど」
「ああ、貴様らの鼻は詰まってたな。失念した」
ガルカの嫌味ったらしく、小馬鹿にした物言いに「こいつ」とアルベラは内心いらついく。
「穴の奥からはアスタッテの墓に似た匂いがした。多分あの緑の玉と似たような何かが眠っている」
「え? 王都の件は? 気になるんだけど」
「城だ。王都の城に似た気配がある。あちらはもう随分と吐き出しきってしまってるようだがな。あちらはこちらの紛い物のようなものだ。完成度はここにある石の方が数倍上だな」
「城に……。命を吸って吐き出す何かがあるの?」
「ああ。それについては『ある』という事しか知らんがな。大方治療か何かに使っているのだろう。死の淵に立った人間を回復させるだけの精度はあるようだからな」
「そう。さすがお城ね。なんでもお持ちとは」
(死にかけた人の治療か……)
アルベラはふと第一妃のことを思い浮かべたが、今の自分の目的を優先して地図に視線を向ける。
「お城の件は了解。じゃあ洞穴とやらは? ここからどれくらい? その呪いってどんなの?」
「馬で行けるのは一時間ほどだ。そのさきは人の足で二時間くらいか。鳥がいると楽だろうな。途中ちょっとした崖を登ることになる。コントンに運んでもらうでもいいだろうが、あの騎士供には見せたくないのだろう」
「ええ」
(足といえばあんたも含められるけどね……)
アルベラはあの箱部屋さえあればと現状を悔いる。
「呪いは奥に進めば進むほど体が切り裂かれていくというものだ。そして、奥に行けば行くほど石に誘われて足が自然と進んでしまうらしい。『もう少し、もう少し』とどこまで行けるか試すうちに戻れなくなるという事だな」
「えぇ……、石の効果と呪いの合わせ技なわけ……」
「そんなところだ」
「じゃあ穴には入らない方がいいと……。どうする? 洞穴を壊したら呪いにあてられず石が取れるかしら?」
「無理だろうな。壁が厚すぎる。呪いの方も、長く日が経ち過ぎている。中で死んだ人間どもの血や魔力を吸って衰えるどころか凶悪さに磨きがかかってるようだぞ」
アルベラはガルカの言葉に「ああ」と零し、苦しげに片手で顔を覆った。
「そっか……呪いって時間が経つと成長するのもあるんだっけ…」
「そういうことだ。まあ存外、行けばなんとかなるかもしれん」
「……? なんで?」
「冒険者の中に呪いが効かない奴がいる」
「なにそれ、初耳……」
「だろうな。あのチビだ。身を隠して自分を探られるのを嫌ってるだろう」
「ミミロウさんの事?」
「それだ。明日あの場所を見て、手伝う意思があるなら本人が名乗り出るだろう。まあ、どうせ穴の中に興味本位で誰かが入いれば、あれはそれを見捨てられず助けに行くだろうしな」
「そう。ミミロウさんが……」
「あとあの森だがな」
「ん?」
「木霊が多い。ニュムペードもいるかもしれんから気をつけろ。―――なんだ」
アルベラはガルカへ何か言いたげな視線を向けていた。
わざわざ忠告し、一応この身を心配してくれていることが引っかかったのだ。だが彼女は暫し沈黙しただけで、説明を終えた彼へ「ありがとう」とだけ返した。
「じゃあ話は終わりね。今の、一応みんなにも伝えておきたいけどそれは明日かしら。姐さんに絡まれるのごめんだし」
窓 (ガルカ)から離れようとしたアルベラを、ガルカは後ろから覆い被さるようにして見下ろした。
肩に置かれていた手は話していた間だいぶ力が緩んでいたのだが、そこに体重がかけられまた力が加えられる。
顔を上げた彼女の目が驚きに一瞬見開かれ自分の顔が映る。その光景と大きく鳴った相手の心音に、ガルカは満足そうに目を細めた。
「重いんだけど」
いつもの調子で彼女は言うが、それが平常を取り繕っているものだとガルカには分かった。
すぐにでも、本気になればいとも容易く自分の腕の中に捕らえられてしまう弱い人間。彼女の瞳が困惑と緊張に揺れ、ガルカの心を満たし優越感をくすぐった。しかし―――
「―――!?」
ガルカも驚きに目を見開く事となった。呆然としていた彼女が知らぬ間に手を持ち上げており、彼の鼻をぐいっと摘まみ上げたのだ。一瞬張り詰めたかけた空気がその行動によって崩れる。
アルベラはガルカを睨み口を開きかけた。だが迷いがあるのか、彼女は何も言わずにむすりと口を閉ざす。
「いつまでそうしている気だ」
ガルカは自分の鼻を摘まむ手を掴み離させる。
何かに迷うよう見上げてくる緑の瞳は、いつの間にか冷静さを取り戻し必死に何かを思考しているようだった。
ガルカに手を掴まれたままアルベラは頭の中で葛藤を続け、ここ最近言って良い物か悪い物か悩んでいた問いを遂に口にする。
「―――あんた……まさか私の事好きなの……?」
問いの後に続くのは沈黙だった。
ガルカの目はゆっくりと細められた。無言の相手にアルベラは「は?」とこぼす。そしてやはりガルカは何も言わず自分を見て来るだけだ。
「え……、ちょっと、何か言いなさいよ。このタイミングで黙るの止めてくんない? 何? 最近やたらと距離近いし―――いや、それは前からだけど……。……単に欲求不満? 周りに同族がいないせい?」
アルベラは目の前の魔族の思考や行動が理解できずに慌てだした。
ガルカは黙ったままアルベラを見下ろしていたかと思うと、すっと彼女から目を逸らす。前にかけていた重心を己の中心に戻し、彼女の背を雑に押して開放した。
アルベラは押された勢いに数歩足を動かし、怪訝な顔で背後を振り返る。
「ちがう」とガルカは感情の伝わりずらい声で返した。
アルベラは「……え?」とやけに間の抜けた、緊張感に欠ける声を零す。
「揶揄いを本気だと思ったか? 思い上がるな、恥ずかしい奴め」
そう言って彼は言葉の通り人を馬鹿にした笑みを浮かべた。
その表情にいつもなら苛立ちを覚えただろうが、今のアルベラの頭は、目の前の「魔族」という生き物の理解に精一杯で感情は後回しとなっていた。
「ちがう、の ね……」と彼女は呆然と尋ねる。
「はっ……、欲求不満? 俺は女には困ってない。あの町で、あの学園で、俺が何人の女から夜を誘われてきたと思っている。―――それとも俺がそうだと言えば貴様が相手をしたか? どうしてもと言うなら俺も相手をしてやらなくもないが」
「―――ああ、もう。そういうのいい」
頭を抱え、アルベラは虫を退ける仕草で片手をパッパと払う。
ガルカは「……あぁ?」と低く唸る様にこぼし、苛立ちに目元に皺を寄せる。
「疲れた。一人にして」
「貴様……可愛げというのを知らないのか? 使われてやった人間(魔族)に対してその扱いはどういう―――」
「ああ、はいはい。報酬ね……」
アルベラはガルカの文句を遮り、テーブルの上に置いていた小石を投げる。今日使用した神獣の恵石だ。
「いらん」
ガルカはそれをキャッチしてすぐにアルベラへ投げ返す。アルベラはそれを反射的に風で受け取り手の中に納めた。
「そう。じゃあお礼は別の形で。奴隷とは言ってるけど、ちゃんと他の使用人と同じ金額をお父様からもらってるんでしょ。そこに上乗せしておくから」
「金に興味はない」
アルベラはため息をつく。なんとなくこの魔族が今言いそうな事が予想できた。彼女は「じゃあ何?」と頭を抱えたまま一応尋ねた。
アルベラの予想に反し、ガルカは窓にあぐらをかくと少しの間考えていた。だが、顔を上げるとやはりアルベラが予想した類の要求を口にした。
「体で払え」
アルベラは深いため息を吐く。ここで意外だったのは彼がいつもの揶揄いの笑みを浮かべていなかった事だ。その表情では冗談なのか本気なのか分からないではないか……、とアルベラは内心面食らう。
(本気でも『はいどうぞ』とはいかないし……。―――駄目だ。もう本当、色々と許容範囲越えた……)
アルベラは重たそうな動作で首を横に振る。
「嫌。未成年に何言ってるの」
「貞操をそこまで大事にしてる口か?」
「人なりには大事にしていこうとは思ってるわよ」
ぐったりとそう返し、彼女は「ああ、頭が痛い……」とこぼす。
彼女の様子に、ガルカは表情薄くそっと息をつく。
「おい」と声を掛けられアルベラが頭を上げると、彼はいつもの嘲た笑みを浮かべていた。目を細め口端を持ち上げた人をおちょくる時の笑みだ。
「それは遠回しに看病しろとお願いして―――」
「出てけ! 破廉恥!」
言葉と共にアルベラは手の平をガルカに向けた。髪や瞳が魔力でカッと輝き、彼女の前に大量の水が現れ一直線にガルカへ向け押し寄せる。
ガルカはそれをひょいと避け、水は綺麗に窓を抜け宿前の道に大きな水たまりを作った。
ようやく一人になれたアルベラは、すとんと椅子に腰かけ天井を仰いだ。
「はぁ……、ああ、もう……。魔族の思考、真面目に理解しようとするもんじゃないな……」
やがて、彼女は先ほどの自分の発言を思い出し、恥ずかしさに耐えられずに両手で顔を覆った。
(……やっぱり言うんじゃなかった! 自信満々に『あんた私の事好きでしょ?』なんて………………死にたい……!)
勿論ここでの死にたいは「穴があったら入りたい」の意だ。
(ったく。最近やけに機敏になったな)
これも日々の練習や訓練とたまの実践での成果か。
水を避けて屋根の上に飛び乗り、ガルカは着地した場所にそのまま腰を下ろしていた。服の裾が濡れているのを見つけ指ではじく。弾かれた裾は水気を失い一瞬で乾ききった。
心地のいい夜風に顔を上げ、彼は灯りの消え始めていく村の様子を眺める。
『―――あんた……まさか私の事好きなの……?』
先ほどの問いを思い出し、彼は目を細めた。
「―――だろうな」
静かで短い肯定の言葉は余韻もなくあっさりと消えてなくなる。
(だからといって……別に、急いでどうしたいという訳でもない)
この世界で互いを「人間」と認め結束し合う者達のような、「恋人」や「夫婦」という物への拘りが魔族にはない。特に「結婚」等という儀を持って自分を他人に縛りつけたいと思うような感覚は皆無と言ってもいい。彼等にとって生きていくうえで大切なのは人を満たす事よりも自分を満たす事なのだ。
(今は……まぁ……これでいい……)
先ほどのやり取りでの彼女の驚いた顔や動揺した声、どこか怯えを含んだような空気を思い出し、ガルカは「くくっ」と笑みを溢した。
***
エリーは一人、村の周りを散策していた。
何かを探し辺りを見回し、やがて彼女は足を止めてある一点を見つめた。
目を細め顎に手を当て、考えるように動きを止めた彼女は見る人によっては妖艶だっただろう。
だが、その時彼女の姿を見ていた唯一の人物は、彼女が足元から拳サイズの石を拾い上げ、自分に向けて振りかざそうとしている所までを見届け恐怖に背筋を凍らせた。
「ま、待て待てまて! 何もしねぇ! 悪かった!」
背の低い茂みの中に実を隠す誰かは慌てて声を上げる。
「お久しぶりねぇ。えぇと……、名前は忘れたわ」
ニコリ、とエリーは笑む。彼女は数秒後、茂みの中の人物が固唾を飲む気配を感じた。
「お前が出てってから割と立つもんな。ったく。『ゲシ』だよ」
「ゲシ? ゲシ……ああ、言われてみればそんな子もいた気がするわね」
「『そんな子』って、俺ぁお前より年上だ。―――てかお前、やっぱエリーなんだな」
「そうよ。なんか文句あるかしら?」
「ありません」と茂みの中の彼は咄嗟に敬語になる。
「やたらと山に入ってから視線を感じると思ってたけど、やっぱりあなた達だったのね。そんなに分かりやすくべたべたしてたら、そろそろ此方の誰かしらの堪忍袋の緒も切れちゃうわよ?」
「わ、わりぃ。ここらに入った時点で問答無用で獲物候補なんでな……偵察は必須なんだよ。相手がお前だと分かればもうやめるよ。割に合わん」
「そう。それは助かるわ」
「……親父が会いたがってるぞ」
「誰が合うもんですか。あんなむさ苦しい顔みたくもない」
「ったく、よく言う。前は似てるって言われて喜んでたくせ―――」
「ぁ゛あ゛ん?」
「……っ、じゃあま、俺はこれで。皆にはお前が元気そうだったって伝えとくよ。じゃあな」
がさりと茂みが揺れ、葉や枝を踏み鳴らす音が分かりやすく上がり遠のいていく。
エリーはそれを聞き届けると、「ご苦労な事ね」と呆れたように呟き宿へ戻って行くのだった。





