245、それぞれの休み 2(ユリのアルバイト)
大きな巨体がアーチ型の天井のはりの合間で小さく身じろぐ。
その下では自分達の頭上に不審者が潜むことなど知ることもなく、癒しの教会のシスターやブラザー達が行き来していた。
八郎はスクロールを開いていた。つい先ほどお嬢様のほうから文言が書き足されたようで、自身の持つスクロールから僅かに魔力の気配を感じたからだ。
―――ユリはユリ。娘は娘、だからね!
足されていたのはその一文だけだった。八郎の「ユリ殿については何も問題なく! 引き続きお任せあれ!」的な内容への返答だ。
(ふっふっふ。分かってるでござるよアルベラ氏。けどそれはそれ、これはこれ……。人生の楽しみは幾つあってもいいのでござる。娘の生き写しを見守るのもまた一興! はっはっは! ―――えーと、『御意。アルベラ氏もご武運』と。よし)
八郎はくるくると三十センチ弱のそれを巻いて閉じ懐にしまう。
八郎が人目を盗み辿り着いた部屋では、ユリとメイがお茶を飲んで雑談を交わしていた。
お茶を運んできたシスターに便乗して部屋に入り、八郎はばさりと持ってきた布を広げ壁紙になり切る。明らかにその分厚さと所々はみ出た体等、雑さが目立つのだが不思議と部屋の誰も彼の存在にはきづいていなかった。そもそも八郎が皆に気付かれていないのは高度な隠密系の魔術を使用したからであり、この布もただの演出で、それ自体には何の効果もないからだ。
***
「本当に大丈夫?」
メイの顔がユリへずいっと寄った。
「う、うん。本当に大丈夫。学園楽しいで……楽しいよ!」
つい敬語が出てしまいそうになり、ユリはパッと言い直す。
メイが聖女であることを知ってしまった事で、どうも今まで通りすんなりとため口でとはいかなくなってしまっていた。
「ふーん……。何か怪しいぃ……」
メイが目を細める。
ユリの発言がまごついてしまうのは、メイが聖女である事実を隠しているせいだ。
(知らない振りが下手でごめんなさい!)
ユリは背中に冷や汗を浮かべながら誤魔化しの言葉をつづけた。
「しゃ、爵位を気にしない人も思ってたより多いし、思ってたより友達もできたし。メ、メイちゃんもその一人だしね。本当に恵まれたなって思うよ」
「ふーん……友達……」
暫し訝しがるが、「友達」という言葉に悪い気はしなかったようでメイは表情を楽にして「ま、それならいいわ」と浮かせていた腰を椅子に戻した。
(あの子達ってば、何かあれば教えてって言ったのに大した話もないまま休みに入っちゃったし。愚の討伐が終わったら流石に顔出しに来るかしら)
メイ―――癒しの聖女ヤグアクリーチェは金髪と赤毛の少年を思い浮かべ息を吐く。
第三王子のスチュートの誕生日で、ユリが毒に犯された事は彼女も知っていた。それは自身の放った使い魔の目を通して見たからだ。
(ユリをお願いって言ったのに……。今回はあの子達は参加してなかったし、あの子達がユリを助けられなかったのは仕方なかった事なんだろうけど……、けどなんか腑に落ちないのよねぇ。ユリの事で報告はしてくれたけど、なんか表面的っていうか……。あの子の立場であそこまで状況がつかめない事ってあるかしら。犯人も毒の種類も謎? そこら辺の貴族の仕業でこんな事って……―――それとも)
メイの脳裏で薄紫の髪の毛がふわりと舞い、顔つきのきついご令嬢が怪し気に笑う。
(あの子と何か関係があって、それを庇ってるとか……)
あの日、メイはスチュートの誕生日とやらが気になって無数の使いを学園に放っていた。
無生物に魔力を込め、自分の目として耳として使う術である。あの時は清めの効果の高い満月の夜に祈りを捧げ清めた紙を使用していた。清めの効果が高ければ高いほど、使いは神聖なものとなり他の介入や破壊がされずらくなる。そして操作性もスムーズだ。
意思とは関係なくランダムに飛ばしていたそれらの視覚を拾いつつ、メイは気になった個体を選んでは操作してあの日のパーティーを覗き見していた。
『はぁ……。どいつもこいつも……おこちゃまで浅ましいったらないわね……』
貴族同士のマウントの取り合いや立場の弱い者への陰口の様子を目にし、うんざりしていた頃、彼女は様子のおかしいユリを捕らえた視界を見つけた。
苦しむユリの後を追い、操作する使いを転々と移動し、魔獣が現れた所で「助けを」と傍のシスターに声を掛けた。
今すぐ学園に行くようにと、目的地へ案内する使い魔を作り人を向かわせようとした。だが―――。
人を向かわす準備の間に、事は何故か収まっていた。
「一体何が?」とメイが学園に撒いた「目」に意識を戻すと、恰幅のいい男に介抱されたユリの姿があった。生徒か教師か、それとも学園の関係者でもないのかも知れないが、彼がユリに危害を加えそうにない事と、しっかりと彼女の体調の回復に努めてくれていることは見て取れた。
視界が悪かったために他の個体へ意識を移すと、その目の前に気を荒くした様子のあの魔族がやってくるではないか。
公爵家が奴隷として使役している彼は、不機嫌な様子でメイの操作中の目を裂いて消滅させたのだ。
(あいつ……あの魔族……! アレが聖女の放った使いだって分かったうえで手を出したわね……!)
頬を膨らませ足をパタパタと揺らし……、まるで幼い挙動を見せる聖女様に、ユリはどうしたのだろうと紅茶を飲みながらその様子を眺めた。
「……ユリ」
「は、はい!」
「あれは生半可な力じゃ駄目よ」
「は?」
「あなた、明日から清めでバイトよね。今日は夕方からご挨拶でしょ?」
「はい。……あ、え?」
(バイトの日はいったけど、私今日が挨拶の日だとは言ってないような……)
ユリは困惑するが、メイは気づいてなどいない。
「いい? ここの聖女様があなたの為に馬車を準備しているから一緒に行きましょう。パンジーと私も行く」
パンジーとはメイによくこき使われているシスターである。ユリが見るに他のシスターやブラザー達の様子から、ここの教会でそれなりに偉い人である。
(つまり、メイ様……メイちゃんが準備してくれたって事ね……。パンジーさん、)
助けを求めるように、ユリは今も近くに控えているパンジーへ目をやると、彼女は呆れたような息を吐き、ユリの視線に頷いて返した。
「うん……。けど急にどうしたの」
「供えなきゃ。中期に」
「え?」
「生意気な貴族に制裁を食らわせてやらなきゃ! あと魔族も倒せるようにならないと!」
「ま、魔族!? なんで急に」
「急じゃないわ。奴ら最近静かになったとはいえ、血の気の多い奴は定期的に湧いて出て来るもの。そろそろそういう奴らが何かしでかしてもおかしくない時期よ。―――よし。じゃあ思い立ったら吉日ね!」
メイはぴょんと椅子から降り、ユリのもとに行き手を引く。
「え、今から?」
「ええ。あ、お茶は気にせず残してきましょ。どうせあちらでもお茶を飲むことになるんだし」
「―――はぁ……。メイ、馬車は裏ですよ」
「ありがとうパンジー」
ぱたぱたと出ていく彼女らの後を追い、八郎は布をリュックサックにしまい壁を這い天井に忍ぶ。
(ふむ。ユリ殿の選択は教会+αの兼業ルートで、兼業先は図書館……と)
八郎は部屋に入った時に二人がしていた内容を頭の中反芻した。
(勉学に励むのはいい事でござる。図書館……やはりミーヴァ殿が有力でござるか。ユリ殿は設定やルートなど知らずで選んでるわけござるが……まさかこれが自分の運命に関わる選択だとはつゆも知らずでござろうな………………いや。選択すれば未来もそれに沿って変わるのは皆同じでござるか。それがユリ殿の場合、少々拙者とアルベラ氏にネタバレしているだけの事……。ユリ殿は気にせず生きるでござるよ!)
頭の中で余計な雑念を沸かしながら、八郎は原作での長期休暇の流れを思い出す。
原作のゲームだと、休み中のバイトは攻略対象との親密度を上げる重要な要素だ。
選択したのが図書館であれば、たまに図書館でミーヴァと出会い仲を深められ、好感度が一定の数値を越えると図書館の手伝いの欄が魔術研究所からの募集に代わるのだ。
他にも、侍女をやった場合初めの頃は男爵家、一定の回数こなすと伯爵家に代り、更にラツィラスの好感度が一定の数値達してれば城内での侍女バイトが出現し、ジーンの好感度が高ければ騎士団の小間使いが出現する。
(―――温室や厩の手伝いなら、キリエの好感度が高ければ動物学の助手バイト出現。魔獣の背に乗って空の散策イベント。容姿のパラメーターが高くウォーフの好感度が高ければ高級クラブの裏方バイトが出現。一緒に夜の街を散策イベント。聖女のパラメーターが高くスノーセツの好感度が高ければ天文学者、星見の助手バイトが出現。一緒に星みるイベント。―――ミーヴァ殿の研究所バイトだと、疲れ果てて研究所で一緒に爆睡イベント、でござったな)
今のユリとミーヴァの仲の良さやユリがミーヴァに寄せる信頼を思い浮かべ、「やっぱり幼馴染と言うのは強いでござるな」という感想を八郎は漏らすも、そこに立ちはだかる「友」の壁は厚く思えた。
(ミーヴァ殿は前々からユリ殿を意識していたようでござるが、ユリ殿は幼い頃からの付き合いでミーヴァ殿が自分に良くしてくれてると思っているようである故……―――ミーヴァ殿、ファイトでござるよ)
ユリ達は教会の準備した馬車に乗りこみ西へ向け進みだす。
八郎はそれを自前の足で一定の距離を取り追うのだった。
***
清めの教会では聖堂にて、空中スペースに作られた祈りの間にて一人の老女が祈りを捧げていた。彼女の結ってまとめ上げられたシルバーブロンドの髪は、ステンドグラスから入り込む光を纏い輝いていた。
王都にある清め、恵み、癒しの「三大教会」と呼ばれる三つの聖堂には、天井近く、ステンドグラスを正面にする高さの場所に、円形の広い祈りのスペースがある。その床の裏には魔術陣が描かれており、下の階からその場所を視認する事は出来ない。
その祈りのスペースで光である神を円として象ったステンドグラスを見つめ、彼女は思い出したようにぽつりと呟いた。
「そういえば今日だったわね。そろそろ準備を―――」
物音を感じ顔を上げると、迎えに来たであろう白光のシスターが苦笑を浮かべていた。
「……あら」
どうしたのかしら、と思ったのと同時。彼女の横に小さな人影を見つけ老女は目を丸くする。
「まあ。癒しの聖女様……」
目が合い、白光のシスターに連れられてきた―――改め「シスターを捕まえて突入してきた」であろう少女はハラハラと手を振った。
「御機嫌よう、清めの聖女様」
どう見てもその年頃の少女にしか見えない素振りに、清めの聖女は「あらまあ、」と微笑みを零した。彼女は立ち上がり、客人達のもとへ行く。
この神聖なスペースは、この教会の聖女のみの立ち入りが許されている。同じ聖女と言う立場であれど、清めの聖女の祈りの場に他の聖女達は立ち入ることは出来無いのだ。
「御機嫌よう、癒しの聖女様。その恰好ですと、今日は『メイ』としておこしですか?」
彼女はメイのまとうラフな衣類を眺めそう判断した。
「流石ね。話が早くて助かるわ」
メイは腰に当て胸を張る。
「あのね、清めの聖女様。今、貴女の後任候補を連れてきた所なんだけどお願いがあるの」
「あら。ジャスティーアさんの事かしら?」
まだ予定の時間よりも二時間は早い。清めの聖女は目を瞬いて小さく驚きの素振りを見せた。
「そ。貴女にお願いがあってね。あの子をビシバシ鍛えて欲しくて」
「まあ……ビシバシと?」
「そう、ビシバシと! 魔族の討伐もお願いできる位」
真ん丸な瞳を勝気に光らせるメイに、清めの聖女は「またこの方は急なことを」と朗らかに笑う。
「要件は理解致しました。では、もう少し詳しくお聞かせいただいてもよろしいかしら?」
「もちろん。因みにユリはパンジー同伴で教会を散歩してるわ。あ、ちゃんと一般開放している範囲をね。話が終わったら早速清めの聖女様直伝の祓いの技術を叩き込んでやって」
「お気が早いですわね」
清めの聖女は上品に笑みを溢し、癒しの聖女の話を聞くべく応接室に向かう。
静養者の子供達が宿舎の一室で勉強机に向かっているのが見えた。
ユリは、メイに言われついてきたシスターのパンジーと清めの教会の庭のベンチに座り当たをのんびりと見渡していた。
「申し訳ありませんね……。あの人ときたら……いえ、『あの子』と来たら言い出したら人の声が聞こえなくなってしまって……」
一応今のパンジーは「静養子(孤児)が心配でついてきた面倒見のいいシスター」という役を与えられているそうで、それを守って二人きりだというのに聖女の事を「あの人」から「あの子」へと言い直す。
「いえ。お気にせず。もともと歩いて来ようと思ってたので、私としては運んで頂いて感謝してるくらいです」
「そう行って頂けると幸いです」
―――ズズ……ズズズ……
(……?)
ユリの耳が何かが這うような音を捕らえた。それと一緒に、キャッキャと燥ぐ子供たちの笑い声も
だが、ここの静養の子達は今は皆勉強の時間らしく、外で遊んでいる姿はない。
教会の外から聞こえたのだろうか。
ユリの視線は清めの教会の宿舎から逸れ、その奥の古く一回り小さい建物に吸い寄せられる。
嫌な感じだ。
(清めの、古い宿舎……)
「……あ、お化けの!」
―――『清めの教会の古い宿舎の話知ってる?』
―――『知らない? お化けの噂』
スカートンの誕生日で耳にした話を思い出し、ユリはつい口に出してしまった。
「ジャスティーアさん、どうかなさいましたか?」
「あ、すみません。つい」
ユリは口に手をあてチラリと宿舎を見る。
「あの……、あの建物について、パンジーさんは何かご存じですか?」
パンジーはユリが指さす奥の古い建物を見た。
「昔使用していた宿舎だと聞いてます。静養の子達をもっと受け入れられるようにと新しい宿舎を作ったそうなのですが、訳あってまだ崩していないようですね」
「訳って何かご存じですか?」
「いえ……。私は存じ上げませんね」
本当に知らない様子で首を傾げる彼女。実際、三つの教会がすべての情報を共有している訳ではないのだ。それを学びの中で知っているため、ユリは彼女が知らないのなら仕方ないと納得する。
「すみません、何だろうなと気になったもので」
「ずっとあるので、気持ちはわかります。私も気にはなってたので」
普段厳しい空気を纏っているパンジーがうっすらと優し気な笑みを浮かべる。
それだけで少し得した気分になり、ユリはあの嫌な感じは気のせいだと思う事にした。その証拠に、今はもう何も感じず聞こえない。
彼女らはその後すぐに清めの聖女の使いに呼ばれ、応接室へと招かれ清めの聖女との挨拶を果たすのだった。
***
―――アハハハハハ!
―――キャハハハ!
―――ハハハハハハハハハハハハ!
『オイデ オイデ ラクニシテアゲル。―――オイデ イトオシイコ オイデ ……』
「今日は起きてたか。おはよう、シスター」
古い宿舎。
ダタはまたあの部屋に来ていた。
久しぶりに戻った王都だった。
地下へと繋がる床扉の前、彼は床に座り込み壁に背を預けた。
地下からは子供たちが狂ったように笑う声と、それとは別に低い女の声が聞こえていた。強力な防音の魔術がかけられているだろうに、それでも耳をすませば聞こえてきてしまう声。
『オイデ オイデ カワイイコ イトオシイコ ……』
―――キャハハハ!
―――アハハハハハ!
「いい加減耳障りだな」
地下から聞こえる声に、彼はうんざりとした様子で呟いた。
ダタはあの時の玉を思い浮かべる。
『―――おい、ダタ聞こえるか?』
持っていた通信機から声が聞こえる。ウサギの獣人、ラーノウィーからだ。彼は確か今、ダークエルフたちへの「嫌がらせ」とやらに夢中になっているはずだ。
「なんだ? 終わったか?」
『まだな。けどなんか変なの見つけたんだ』
「なんだ?」
『ほら、あの村のガキだよ。魔族とワンコロ連れたお嬢様。なんでかあの姉があのガキの事付け回してる』
「あいつらも玉狙いか?」
『さあ。多分別だと思うけど。―――どうする?』
「なにを」
ラーノウィーの声が分かりやすくにやにやし、ダタは既に通信機を口元に寄せていた。
『何かあったら助けて欲しいか? お前を助けてくれた優しい優しい“お姉さん”のこ―――』
揶揄いを相手にする気はない。
―――ふっ、とダタは通信機に息を吹きかけ通信を切った。
「弱い奴を守っても疲れるだけだ」
何かあっても知りはしない。あの子供がどうにかなったところで玉の探しようなら他にもある。
『オイデ オイデ ……』
「あんたを野に放つか、このまま閉じ込め続けるか、どうにかして消滅させるか……。なあ、どうしたいシスター」
散々この化け物を殺そうと、いろいろと試してきた口で彼は問う。
『オイデ オイデ ……』
彼の中で何度も繰り返されてきた問い。彼が導き出したのは、やはり今回もいつもと同じ答えだった。
「……もうとっくに死んでるだ。あんたにしたら全部一緒だよな」
***





