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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (後編)
244/411

244、それぞれの休み 1(愚の討伐)◆



 ジーンは木の幹に頭をぶつけ地面を見つめる。

 その周辺では事の済んだ騎士達が手当てを受けたり休息を取ったりとしていた。

 ジーンの手足や胴には、ずきずきとした打撃の痛みが残っていた。回復薬は飲んだのだが、すぐのためその効果がまだ現れていないのだ。

 ―――体の痛みなど安いものだ。

 彼は真新しい嫌な記憶と感情に唇を噛む。

 ―――『死にたくない、死にたくない、死にたくない……』

 ―――『怖い、助けて、なんで、なんで……』

 一方的にやられ息絶えた愚の悲痛な叫びが、耳にこびりついて離れなかった。ジーンは目を閉じ、その眉間にはしわが寄る。

「水、いるかい?」

 隣の木に背を預けて座っていたラツィラスが尋ねる。その声はいつもよりくたびれており、緩い笑顔には疲労の色が浮かんでいた。

 「頼む」とジーンは沈んだ声で返し、「了解」とラツィラスはジーンの方にひらりと片手を払う。ジーンの頭上からバケツをひっくり返したような水が流れ落ちた。

 ジーンはそれを目を閉じ黙って受ける。

「ありがとな、すっきりした」

「どーも」

 目を細め、笑ったのだろうラツィラスの視線は、氷の柱に貫かれた炭の塊へと向けられていた。

 辺りには肉の焼けた匂いが漂っており、それが嫌なのか彼は事が済んでからずっと口と鼻にタオルを当てていた。

「陛下の希望通り、お前がとどめさせたな」

「そうだね。……聞いてた以上に嫌な感じだよ。拘束なしで思う存分暴れてくれた方が、まだ気持ち的には楽だった」

「気持ち的にはな」

 だがそんな事になれば、けが人だけではなく死人も出てただろう。とジーンもラツィラスも理解していた。



 ***



 愚の討伐。

 城から支給された拘束用の魔術具に押さえ付けられ、処刑を待つだけの魔物の退治は、きっと一般的なそれより遥かに簡単で安全だったのだ。

 だがそれでもけが人は出たし、多分手こずっていた。

 ―――魔術具で拘束された愚は、通常の手順に沿って討伐が行われた。

 通常通り、先ずは移動の主軸となる四本の足を切断し、その手足が再生されきるまでに胴体を切り刻むなり、魔法で抉るなり燃やすなりして最終的に心臓を潰したのだ。

 体組織とは別で、分厚い肉の壁に覆われた愚の心臓は他の生き物同様大抵体の中心にある。

 なので手っ取りばやく中心を狙うのも手なのだが、周りに生えた人型を放っておけばそれが攻撃者を惑わすのだ。

 痛い痛いと叫び、助けてくれと手を伸ばす。

 そしてその声を聞いた攻撃者は、ほとんどの場合攻撃の手を緩めてしまう。沸き上がる罪悪感に、手を差し伸べたくなってしまう。

 離れた場所から魔法で攻撃したとしても、胸に沸き上がる悲しみは同じだ。魔法が当たり、愚が泣き叫び、その声を聞き攻撃者もその周辺の者も、謝罪をせんと報いを受けようとふらふらと愚へ歩み寄ってしまう。

 そしてまんまと愚の「手」の範囲に入ってしまえば、肉塊の中に飲み込まれ欠損した部分の肉の補充に使われてしまうのだ。

 精神強化の魔術の使い手や、特殊な効果への耐性を上げる魔法が使える者を連れての今日の討伐でも、それらの被害は避けられなかった。



 愚の声に惑わされ、周りで泣き崩れるだけでなくそちらへ駆け寄ろうとする騎士もいた。そんな者達を仲間が抑え、愚へ攻撃をしつつ自責に涙を流す。

 第四騎士団の団長ザリアスと副団長のシリアダルも今回は参戦して愚の回復を妨げていた。だが彼らはもしもの事が無い限りは王から止めを刺すことを禁じられており、周りへの指示と死傷者が出ない事への立ち回りに専念していた。

『離せニセモノ!! くそが!!!! この人でなし!!』

 ジーンは愚のもとへ引きつけられていく騎士を地面に押さえ、彼の拳や蹴りを受けながらも愚へ炎を放つ。愚が苦しむ声は胸にじくじくと膿むような痛みを与えた。

 辺りからは自分が抑えた騎士が上げるのと同じような声や、泣き叫ぶような声があちらこちらから聞こえていた。

『ラツ、もう俺が燃やす! お前の補助があれば焼き尽くせる!!』

 ジーンはたまらず声を上げた。

 ラツィラスは討伐が始まった頃はまだ動けていたのだが、いよいよ愚の心臓も狙えるかもしれないという頃になって動きが鈍っていた。それは彼だけの事ではない。

 皆、愚の苦しみに比例し動きや正常な判断力を失っていた。

 このままでは悲しみに食われてしまう。

 頭がおかしくなってしまう。

 離れたところから騎士達へ補助魔法や魔術をかけていた者達にも、頭を抱え蹲る者達が出始めていた。

 ジーンも、もうそろそろ自分が愚へ火を向ける事は出来なくなってしまうのを感じていた。

『クソ野郎がぁぁぁぁ!!! 離せクズ!! 死ね! 死ね! 死ね!』

 地面にうつ伏せにし、自分の下に押さえた騎士が暴言を吐きながらでたらめに手足をばたつかせて暴れる。自分が愚に引きつけられていないのは、彼(彼等)がいるおかげだとジーンは思った。

 愚に胸を痛め、攻撃の手を弱め……、ジーンの理性もとっくに歪められていた。何が正しく何が間違っているのか、処理しきれなくなった頭。感情に沿って動こうとする体を制しているのは本能だった。彼の本能が、守るべきは「あちら」ではなく「こちら」なのだと訴えかけていた。だが―――

 抑えられた騎士が涙を流しながら叫ぶ。

『いやだ!!! 助けるんだ、守るんだ!!!! ああ、あ……あああああああああああ!!!! 離せえええええ!!!!』

 騎士の必死な叫びにジーンは苦しそうに顔を歪める。

 ―――だがその本能の訴えももう限界だった。


『ラツ!!!』


 全て燃やしてしまいたい。

 この場の全ての存在が辛い。煩わしい。

 敵も味方も関係なく、もう誰の声も―――鳴き声や叫び声、怒声を聞きたくなかった。

 そもそもなぜ自分は堪えていたのか。この場の終結をなぜ「ラツ」に委ねているのか。それも忘れ、怒りや悲しみを込めて友の名を呼んだ。


『―――ごめん』


 ラツィラスは小さな謝罪を呟く。

 それは愚に向けた物で、彼の耳にはあの化け物の悲痛な叫び以外は聞こえていなかった。

 赤い瞳がくるりと潤み、突然にも餌かかったかのように光を強くする。

 辺りの温度が下がり大地が凍った。

 謝罪の声を耳にした一瞬、ジーンは辺りの色や音が失われたかのように思えた。見上げた友は涙を流し、片手を愚へ向けていた。

 一点に凝縮された魔力が爆発し、突風が起きる。

『……っ!』

 ジーンは爆風に顔を伏せる。

 少しして風が止むと、砂や土の埃ではない白い煙が冷気と共に漂っていた。

 下に敷いた騎士はまだ叫びながら暴れている。地面と接していた半身はにはまばらに氷がつき、動きの少ない部分は大地に縫い留められていた。 

 ジーンも、自分の両足が氷に巻き込まれていることに気付き力を込めて持ち上げる。幸いにも氷はそこまで分厚く無く簡単に割れてくれた。足も少し寒くなった程度で火傷や凍傷にはなってなさそうだった。

 「ひゅー……、ひゅ―……」と、その場の中心から空気の漏れるような呼吸音が聞こえた。愚だ。

 討伐隊員たちの視線の先、愚の巨体は地面から生えた氷柱に磔にされぐったりとしている。

 手足を失いハムのようになった体は、地面から数メートル離れた場所に持ち上げられ、弱弱しく膨らんだりしぼんだりを繰り返しす。それは最後に、精一杯の力で膨らみ声を吐く。

『―――しにだぐ ない…………しにだぐ ない よぉ……』

 この声はその場にいる全員の胸を締め付けた。

 その声を最後に愚は「しゅぅ……」と小さく萎み、そこから上がる一切の音や声が無くなる。

 愚の体から暗い灰色の煙が立ち上り、ちりちりと焦げ臭い匂いが漂い始めた。かと思った瞬間、瞬く間に愚は見えない炎に焼き尽くされ真っ黒な炭となった。

 辺りにいた騎士達は皆同じように呆然とその炭を見つめる。ほとんどの者が地面に膝をつき涙を流していた。

 涙を流していないのはこの討伐の要である隊長と副隊長とその他数人のベテランの騎士達だ。皆苦い顔をしている。人目が無ければ、きっと彼等も涙を流していたのではないだろうかとジーンは思う。

 ジーンは愚の亡骸とその周辺から視線を逸らし、近くにいる友へ目を向けた。

 ラツィラスはじっと、感情を殺した視線を愚の亡骸へ向けていた。その頬には涙が伝っている。

 ジーンは何となく自分の頬に触れる。そこでようやく彼は自身も涙を流していた事に気が付いた。



 ***



「ジェイシ」

 木に頭をあて目を閉じていたジーンは、名を呼ばれて振り返る。

 自分に声を掛けたのは先ほど押さえていた騎士仲間だった。彼はジーンと目が合うと頭を下げる。

「悪い……、面倒をかけた」

 頭を上げると「これ使ってくれ」と彼は回復薬をさしだす。

 ジーンはそれを素直に受け取った。

「いえ。俺も気遣える余裕がなかったので……結構手荒になりました。すみません」

 相手の傷だらけの顔を見てジーンも頭を下げた。

 今いる第四騎士団の団員の殆どはジーンより年上だ。ジーンと同じ年の騎士もいるにはいるが、今回の討伐には含まれていなかった。つまりは今回の討伐隊の騎士の中で、ジーンは一番の下っ端なのだ。それを自覚している彼にとって、他の騎士達から謝罪されるというのはとても居づらい状況だった。

 騎士は「これくらい良い」と首を振る。

「生きてこそだ。お前が押さえてくれたお陰で助かったよ」

 彼はそう言い片手を差し出す。ジーンがそれを握り返し、彼は満足した様にその場を立ち去った。

「……僕もごめん」

 先輩騎士が去り、手にした回復薬を見てたジーンの隣から静かに声が聞こえた。

 ジーンが目を向けると、困り顔で笑うラツィラスが座ったままこちらを見ていた。

「君のあの時の言葉、『俺が燃やす』ってやつ……一瞬本気でお願いしようかと思っちゃった」

「聞こえてたのか」

「ぎりぎりね」

「ふーん……」

 ジーンはくつりと笑う。

「そうなってたら本当に情けなかったな」

「まあ、ならなかった訳だけど」

 ラツィラスはどや顔で返し、その後にくすくすと笑いを零した。



「怪我人の手当てが終わりました。骨折が二人。どちらも暴れた仲間を抑える時に負ったそうです。こちらも治療は完了し、移動は問題なありません。戻ったら明日は一日安静にした方が良いと。―――他の者達の休息は十分でしょう」

 全体を確認してきた副団長シリアダルが団長のザリアスに隊の状況を報告する。

 ザリアスは「わかった」と頷き隊全体へ声を上げた。

「馬の準備をしろ! キュレス邸に帰るぞ!」

 この日、ケンデュネル国の西の地では愚の討伐が済み、その遺体は回収され王都へと運ばれた。

 第五王子と騎士団たちはあと数日をこの地の領主のもてなしを受け、町の様子を見たり魔獣の討伐へ出向いたりして過ごす予定だ。



 ***



 ジーンはこの地の領主所有のキュレス邸にて、宿となる部屋に戻ると休息をとっていた。部屋は王子以外は二人一部屋。同室の者は席を外しており今は一人だ。

 彼は椅子の背もたれに背を預け天井を仰ぐ。既に今日の愚の声も記憶の一つに過ぎない物へとなっていた。

(あっけないもんだな)

 愚を見るのはあの日以来だった。

 あの怪物を倒したからと言って、自分の中でなにかがガラリと変わることは無かった。

 あの日と変わらない同じ感覚。

 父や母がいない分、少しは気が楽だろうかとも思ったがそんなことも無かった。

 過去は過去であり魔獣は魔獣だ。

「―――……」

 ジーンは深く息を吐き目を閉じる。

 倒れる愚を思い出せば、同時に思い出される彼の姿。―――この世で初めて出会った騎士。第一騎士団の元団長シザンズ・ワーデン。

 村に来た彼を初めて見た時、自分が憧れていた騎士と言うのは、ひどく冷たい目をしているのだなと言うのが素直な感想だった。そして他の騎士達も、思っていたより横暴でニセモノの自分へだけではなく、他の村人たちにも蔑んだ目を向ける者もいた。

 ―――そうか。これが騎士……。

 あの時の落胆は、幼い彼に世界がまた一つ薄く暗くなったように感じさせた。

 そしてその翌日、ジーンは父と母を亡くし真っ暗な闇の中に一人いた。

 ジーンの頭に思い浮かぶ、記憶の中のあの夜。真っ暗なリビングと椅子に座る幼い自分。そこをふらりと立ち寄ったあの男。

 愚を処理し終えた彼は愚をいたぶっている時に見せた狂ったような笑みも、過激な発言も、瞳の奥の黒い影も、その時には跡形もなく消えており、村に来た時同様、感情の薄い冷酷な騎士長へと戻っていた。

 ―――『ああ、ここの子供か……』

 彼は扉のなくなった玄関口に立ち、ジーンを一瞥すると興味がなさそうにその場を立ち去ろうとした。

 ジーンは彼を呼び止め尋ねた。「なぜ笑ってたのか」「騎士は皆()()なのか」と。

 後者については彼は「他の騎士など知らん。どれもこれも、私には大して変わらなく見えるが」と答えた。そして、愚を倒している時の「笑み」について答える時の彼の言葉には、ほんの少しだが感情が籠っていた。

 ジーンがそこに感じたのは、神に縋るかのような、助けを求めるかのような感情だった。

 ―――『……安心するんだ。あの悲しみが……沸き上がって、胸を満たすようなあの感覚が……とても安心するんだ……』

 そして、光のない瞳が自分に向けられ、感情の無い機械のような言葉で彼は言った。興味がなさそうに、つまらない者を見るような目で。

 ―――『お前は……。お前にも、理解できそうにないな』

 分からなかった。あの状況で笑うなんて自分ではできないと思った。

 そしてやはり今日も、愚と対峙して笑みを浮かべられるような心境にはならなかった。

 二度目の愚との遭遇で確認できたのは、やはりあの彼が異常だったのだと、ただそれだけだった。

 ジーンは彼の最期をザリアス伝手で聞いた。

 自分が王都に来た頃、秘密裏に処刑されたのだと。気が触れ、自身の屋敷に勤める人々を大量に虐殺したのだと。

 その時もやはり、いつもと変わらず淡々と目に付く人間を作業のように手にかけていたらしい。

 そして報せを聞き駆けつけた兵や騎士に捕まり、その後大人しく処刑されたそうだ。

 彼は最期に「私の神の意向を知った。だからそれに従ったまで」と第一騎士団の副団長に伝えたらしい。

 神の言葉など只人が聞けるはずもない。第一騎士団長は頭が狂ったのだと、前から人を殺めるのに躊躇いのない様子からも既に狂っていたのだと、この事を知る者のほとんどがそう思ったそうだ。



 目の前で泣き叫ぶ母の頭が、手が切り刻まれた。そしてそれをさも楽しそうに、嬉しそうにやってのけた人物は処刑された。今日またあの愚という魔獣と対面し、「やはり自分には理解できない」と再確認することが出来た。

 それだけでもう十分だった。

(俺は、俺が見たかった騎士になる)

 薄く目を開き、「ふー……」とジーンは息を吐いた。

 今日はもう、用のない騎士達には自由時間が与えられていた。ジーンはラツィラスの護衛があるので夕食時には彼のもとに行っていないといけないのだが、それまでまだ時間があった。

 窓を見て、少し散歩でもしようかと考える彼の視界に、壁にかけられた日付を示す装飾品が入り込んだ。

 「そういえば今日だったな」と、ジーンは友人のお嬢様の旅立ちが今朝であることを思い出す。今の時間ではまだ移動の最中だろう。あと少し経てば野営の準備でも始めている頃だろうか、と考える。

 ―――こんこん、と扉がノックされた。

 「いいぞ、」とジーンが答えると扉が開かれラツィラスが顔をのぞかせた。

「ジーン、夕食まで時間あるしちょっと散歩行かない? 町の下見。……執事さんがハヤテ(一人乗りの小型の鳥の騎獣)貸してくれるって」

「わかった。……けどお前さっき今日はもう何もしたくないとか言ってなかったか?」

「気が変わったんだよ。部屋でじっとしてるより外に出た方が気が晴れるでしょ。……あれ? もしかしてジーンはもう疲れた? 護衛他の人に頼もうか?」

「ばかいえ」

 ジーンは立ち上がるとテーブルに立てかけていた剣と、壁にかけていた上着を手に取る。



「折角だし早速冒険者組合覗いてみない? 依頼の掲示板、一度じっくり見てみたかったんだ。あとその周辺の酒場とかも面白そうだよね」とラツィラス。

「掲示板は俺も見てみたい」

 ジーンは頷き、冒険者組合の近くには大抵武器と防具が揃えられた大きな店があるのを思い浮かべ、「あと武器屋も」と付け足す。

 善は急げ、だ。二人は足早に屋敷の厩へ向かい、偶然厩で出会った親しい騎士と騎士見習いの二人も加え、共に四人で街へ出かけるのだった。



 ***



挿絵(By みてみん)

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