233、 初の前期休暇 13(祝いと打ち合わせ)
『アナタ、聖堂でグラーネ様に媚びを売ってご迷惑をおかけしてるんですってね』
『聖女様のご令嬢ですもの……。平民でも優しくお受け止めになってくれて当然とでもお思い? ご本人のお気持ちを考えた事はあるのかしら?』
『あなた、将来第一妃様の側近でも狙ってらして? グラーネ様と仲良くなれば、他の有力な婚約者候補の方々ともお近づきになれやすいですものね。いかにも頭の悪い平民が軽々しく考えそうなことだわ』
休憩室の一角、天蓋からカーテンが垂れ下がり個室のようになったそこで、五人の令嬢は通りがかったユリを引き留めねちねちと嫌味を言い始めた。
『そういえば、あばずれと噂の彼女から、男の気の引き方を学んでるって噂よね。今日のそれも彼女が施したのかしら?』
『あら……もしかしてアナタが狙ってるのはお妃様の側近でなく周りのご令息方かしら?』
『フォルゴート様に色目を使ってるだけでは飽きたらず……? あらあら、欲張りね……』
『ディオール様も胸を痛めてらしたわ。自分の仲の良いご友人が平民ごときに取られてしまうかもって……』
ご令嬢が言った「あばずれの彼女」も「彼女が施したそれ」もユリには通じておらず、何の話をしているのかと途中ユリは疑問符を浮かべていた。そして「男をたぶらかしたいのか」という分かりやすい話になってから頭が付いていく。
ユリは困り果てつつも、とりあえず間違いは訂正しようと口を開く。
『あの、聖堂へ行くのは習慣で、グラーネ様とは偶然お会いなるだけなんです。アルベラ様からご友人を取ろうだなんて、そんな事考えても―――』
『あら、言い訳? なんて見苦しいのかしら』
『アルベラ様、だなんて馴れ馴れしい。もうお友達気取り?』
『私知ってるわ。平民は目があっただけでお友達なんですのよね。言葉への理解が足らず、字も書けないから、』
『まあ。じゃあ私たちももうお友達にされちゃってるのかしら……困ったわぁ……』
―――くすくす、くすくす
(これはどうすれば……)
泥に杭だ。会話での解決は望めなそうだと、ユリはその場の対応に頭を悩ませた。
***
アルベラは自分がいない間の誕生日パーティーの様子 (ユリの周りに偏った物)を一通り聞き、「ふーん」と呟いた。
彼女はケーキを口に運び味わいながら、つい最近の記憶をたどった。引っ張り出したのは五人の令嬢のファミリーネームだ。
「……ホワイトローエ、ブルティ、グリンデ、ベッジュ、……あとルビレット、だったかしら」
「そうでござる。ユリ殿が去った後、彼女らが話してたでござるよ。『ディオール様のご要望には添えられたのかしら』と。―――アルベラ氏、もしかして交友があったでござるか?」
「この間お誘いを受けてお茶会へ行ったのよ。奇遇ね。けど誕生日会の前に私は誰にもそんな指示してないし、彼女達とはこの間のお茶会までは公の場で挨拶する程度だったの。クラスは同じだけど、今まで関りもそんなに無かったし」
「で、ござろうな」
「どういう意味?」
アルベラは八郎の言葉が、彼女らとあまり関わらない事に対してのものかと思った。だがその受け取り方は違った。
「彼女らはアルベラ氏の取り巻き故、クラスが同じなのは設定どおりでござるよ」
アルベラはフォークを咥えたままぽかんとし、「そうなの?」と返した。
「原作では、でござるがな。今の状況的にはスカートン殿、ラン殿、ラビ殿と、その周辺の友人がアルベラ氏の取り巻き……と言うより『一派』と考えられてるようでござるがな」
「一派?!」
「まあそういう反応になるでござるよな。―――聖女の娘に、大伯家二人でござるよ。その三人は手下と言うより横並びに友人として見られているようでござる。深く考えたがる輩は何かの同盟でも組んでるのでは、とも噂してるでござるよ。で、他の中伯以下のご令嬢方は第三者的には『取り巻き』として捉えられているようでござる」
「というと、ルーラやサリーナ、アプルやルトシャ辺りが取り巻きって事かしら?」
ルトシャとアプルは、ランやサリーナ、スカートンと中等部から仲の良い令嬢だ。
アルベラが高等学園に入学してからは、アプルとは選択科目の基礎薬草学で顔を合わせていた。
ルトシャとは授業で被る事はないが、学食で会った時などは共に席について互いの授業の話をしあったりなどしていた。
「うむ。そういう事でござる」
「へぇ……、一派……」
アルベラは呆れた笑みを浮かべる。
「大伯以上の家柄の婚約者候補が四人。何の裏もなく仲良くしてるとは思いたくても思えないのが貴族の思考、でござろう。―――まあそちらは置いといて、」
といいながら、八郎はテーブルの中心の大皿からケーキを取って、自分の皿に乗せる。
「ユリ殿のいびりの方は、ヒーローが来て助けて無事解決、でござる」
***
『何してるの?』
ユリがご令嬢方と言葉を交わしているところに、小声ながらも不思議と耳が拾い上げてしまう声がぽつりと六人の間に落とされた。
ユリは横から手を引かれ、驚いてそちらを見る。
『―――あ、セーエン……様』とユリが名を呼ぶ。
セーエンは「様?」と首をかしぎユリを見た。後、令嬢たちを見渡す。
儚く美しい少年の登場に、ご令嬢たちは口もとを扇子で覆ったり目を丸くしたりとして呆けていた。
***
「は……セーエン? 居たの?」
「アルベラ氏、自分のパーティーに招いた客人でござろう……」
八郎の視線にアルベラは「……うっ」と言ってたじろぐ。
「お、お父様やお母様が招待した人達が多かったし、彼は多分その中の一人で……私もリストには目は通したのよ。けど多分見落としてたっていうかなんていうか……ていうか『あいつ』絶対私に挨拶しに来てないし……私の誕生日なのに……出迎えでも見てないし……」
「まあ人がたくさんいたでござるしな」
「そ、そうそう。そういう事!」
「―――……ん? 『あいつ』?」
顔を合わすたびにセーエンはアルベラを睨みつけていたので、彼女の中では自然と「あいつ」呼ばわりが定着してしまったのだ。
(原作ではセーエン殿とアルベラ氏は特に何もなかったはずでござるが、まさか騎士殿と仲良くなってセーエン殿と不仲になるとは。……面白いでござるなぁ)
「それで、それからは『特に何もなく』って事ね」
アルベラはユリの話に戻し、八郎はご機嫌に答えた。
「うむ。そうでござるな。ユリ殿がセーエン殿、ウォーフ殿、ミーヴァ殿、王子殿と踊って無事パーティーイベントクリアでござる! 公式イベントでない故、今後にどうつながるか分からないのがまた一興! 一興なり一興なり! はっはっは!」
(どこが『特になし』よ……)
アルベラはため息をついた。
「平民が公爵家の令息や王族とダンス……。不穏でしかないじゃない」
これはヒロインの性故か……。
(まあそれを目の敵にしていちゃもん付けるのが私の役目か。あのパーティー中に変なクエストが出なくて良かった……。木霊を相手にしている最中に発生してタイムアウトになっていたら、って考えるとなんか命拾いした気分ね……)
「誕生日の方は報告有難う。そのご令嬢方については旅から帰ってきたらでいいでしょう。―――どうせその間、あなたは殆どの時間をユリに付いて過ごすつもりでしょうし」
八郎は「ふんす!」と鼻から息を吐き胸を叩いて見せた。
テーブルの上の品が殆どなくなりかけた頃。
アルベラはポリポリと固焼のクッキーを食べながら時計を見た。
(エリーやガルカが戻ってくるまで一時間を切ってたか……。木霊の事とかダークエルフの話も済んだし他に急ぎで話しておきたいことは……)
「―――ところで、これは拙者の見立てでござるが、」
「……?」
「ユリ殿の恋愛があったとして、王子殿、騎士殿、キリエ殿、のルートは無いのではと……。可能性があるのはミーヴァ殿、セーエン殿、ウォーフ殿でござるな」
「……。王子様とは無いの?」
八郎は首を傾げ、「アルベラ氏……」と言い「はっ」とする。
そうだ。彼女はあの時いなかった。
八郎は記憶の中の光景に納得し、にんまりと笑った。
彼は六分の一サイズに切り分けたケーキにぶすりとフォークを突き立て、形を崩さずにそのひと固まりを口に押し込んだ。
そんな彼の姿に正面のアルベラは「もはや一口なんだもんな……」と呆れる。
ケーキをもぐもぐと咀嚼する彼が思い出すのは、あの王子様本人も気付いているのか分からない、愛おしさを含んだ温かい笑みだ。
そんな笑みを向けられ、ドギマギとしながらも共に踊っていたその少女は―――
「私ではないのは確かよね。貴方がそう思った理由って」
頬杖をつき尋ねるアルベラに、八郎はごくりと口の中の物を飲みこむ。そして申し訳なさそうに視線を落とした。
「残念ながら……」
「その言い方止めてくれる? なんか私が凄い傷ついてるみたいじゃない。言っておくけど別に残念じゃないし傷つきもしないからね」とアルベラは半ば腹を立てながら言った。
彼女自身、あの王子様から気に入られているという自覚があるも、そこに男女的な意識が無い事は十分に感じているのだ。
異性だというのに、あんなにも見た目が良いというのに……自分の中でも相手からも、こんなにも恋愛的な意識を感じないとは逆に凄いのではとアルベラは最近思い始めていた。
そしてなぜだろうと考え、脳裏に浮かんだ真っ赤な髪に彼女はぶんぶんと頭を振る。
(出てくるな、今は出てくるな、)
「……?」
八郎が向ける不思議そうな目に、アルベラはごまかすように小さく咳をした。
「そ、それで。八郎はなんでそう思うわけ? ヒロインなのに一番王道な王子様ルートはもう無いって」
「ほう、アルベラ氏……」
自分の身の回りの事だというのに全く気付けていない彼女の問いに、八郎はにんまりと笑んだ。
「クックック……知りたいでござるか……?」
「気になるには気になるわね」
「クックック……どーしよーかなぁー、でござる、クックック……」
「あ、そ。じゃあいい。自分で気づける日を待つことにする」
「なんと?!」
あっさりと諦められ、八郎は寂し気な視線をアルベラへ送る。だがアルベラはアルベラで彼にお願いするのは意地でも嫌らしい。
結局八郎は自身が思う王子様ルートがないであろう理由を説明する事は出来なかった。もとい、アルベラに教えてくれとお願いさせることができなかった。
「ねえ、ところでアート様の事は今も変わらなそう?」
アルベラは、以前八郎のうっかりで聞いてしまった、原作でのイベントについて尋ねた。
彼女が聞いたソレは、ゲームのヒロインがどのルートに行こうとも絶対に起る避けられないイベントの一つだ。
ラツィラスやジーン、キリエ等、既に原作と現状が変わってしまっている人物や、本人の口から事情を知った人物については「原作との相違」という事で八郎から教えてもらっている。しかし、それ以外の詳しい設定を彼女は未だに聞いていない。
それは八郎と出会った時から変わらず。これからヒーローたちに起るであろう出来事は、自分のクエストと関係なさそうな限りは首を突っ込まないようにという彼女なりの線引きだった。
ヒーローを救うのはヒロインの仕事だ。
そして自分の仕事はそんなヒロインへの嫌がらせ。
余計な事を知っておせっかいを焼くのも、意識的に避け過ぎたりもしたくない。
何も知らずでいた方が動きやすいだろう。
原作の登場人物の事情を事前に知りすぎない事。これは自分をよく知るアルベラの、自分なりの対策なのだ。
八郎はアルベラの問いに首を振った。
「今はなんとも言えないでござるよ。アート殿が亡くなるのは事故でござる。その時の場所も状況も。原作では描写が無かった故」
「そう……」
残念そうに、アルベラは窓の外へ視線を投げかけた。
八郎はユリがこれから関わるであろう三人のヒーローの問題とその行く末を思い返す。
ヒーローたちのエンディングは、ヒロインの聖女としてのパラメーターと信愛度が大きく影響する。
大して友好を深めていなければそもそもの問題は解決しないし、聖女としてのパラメーターが基準を越しそこそこの交友があれば恋愛に発展しなくとも、ヒーローの抱える問題が解決され感謝される。逆に聖女パラメーターが無く信愛度だけが基準を満たしていると、問題は解決せずとも哀れなヒーローの心の支えのような立場になる。
聖女パラメーターが基準を満たし、ヒロインが聖女となり恋愛関係であれば、そのヒーローの問題は円満解決だ。
(―――エルフの聖域の森が枯れるか、浄化されるか、更にはエルフとの深い絆が生まれ国益につながるか。―――好戦的な隣国からの攻め込みに領地を半壊させられギリギリで勝つか、力量差を見せつけて追い払うか、更には余裕の勝利で隣国自ら従属国になる事を望みに来るか。―――そしてミーヴァ殿……アート殿の残した研究を受け継ぎ、既存の防御壁の魔術を上回る魔術を完成させられるか、させないかが彼のルートの主要のストーリーでござるが……。このイベントが起きるのは一学年時の後期……。これは他のヒーローのルートを目指していても絶対に起きるイベントでござった故……)
「きっと避ける事はできないのだろう」と八郎は思い浮かべた言葉をアルベラに隠すように目を伏せる。
「ねえ」
アルベラは大皿に残った最後のケーキを八郎の皿に乗せた。
「その顔気に入らないんだけど」
「は……はっはっは! すまんでござるな。つい考え事をば。リュージ殿から預けられたプレゼントどこに置いたかなと―――」
「余計な気使わないで。お互い幾つだと思ってるの? ちゃんとある程度の心構えはできてる。どうしたって回避できない時はちゃんと現実を受け止めるわよ」
(受け止めるといっても……)
アルベラと互いの前世について話し合った事のある八郎は、前の彼女がどんな人物だったのか、その像の大まかな輪郭は掴んでいるつもりだった。
それは現世の彼女にも垣間見る彼女の一部だ。
良く言えば生真面目、悪く言えば頑固で柔軟性にかけた性格。
今の彼女はどちらかと言えば柔軟性に富んでも見えるが、たまに見せる常識人的な面にその名残が見える気がした。
常識人であるとはつまり、その価値観が世の多数派に依存したものであるともいえる。多数派に溶け込むのは集団生活で生きていく一つの手であるのは確かだが、自分の生き方、希望や理想があるならそれは時に邪魔な存在であり、八郎も前世の若い頃には随分葛藤したのでアルベラの前世の有方は分からなくもなかった。
真面目で、「普通」の基準が高く、「自分の恥ずかしい姿」を周囲にさらけ出せない臆病さ。
「失敗を恐れる故に慎重になり逡巡し、諦めてしまう事に繋がり、そして彼女の劣等感が積み重なっていった」というのはアルベラ本人が自身を語った際に出た言葉だ。
彼女はこの生で、過去のうだつの上がらなかった部分を清算しようと頑張っている。―――なのに、アートという老人のシナリオ上の決められた死の回避など―――しかも相手は彼女が慕ってる人間だ。
きっと、失敗した時の精神的なダメージはかなり大きい。
八郎はこの数年、興味本位で犯すに至ってしまった自分の過ちを振り返る度、胸を痛めて来た。
今もそうだ。自分の殺した村、町、国、巻き込んでしまった近しい人々。
彼は自分が生まれ育ててくれた村を滅ぼすにあたり、その村から数十キロ離れた場所から、その地から目を背け村人たちの命を奪ったのだ。
あの時の感覚を思い出すと今でも腹が立つ。あの時の自分が目の前に居たなら、間違いなく顔の形も残らない位にぼこぼこにしている。
過程や目的は違えど、もしかしたら彼女もこれと同じような痛みや罪悪感を抱えてしまうのではないだろうか。
根が常識人の彼女がそれに耐えられるのか。
チャレンジ精神で選んだと思われる現世。これから片付けなければいけない問題は山積みであろうに、彼女の役目に関係ない―――しかも人の生死と言う重めの問題に彼女を関わらせて大丈夫だろうか。
八郎は重々しく口を開く。
「アルベラ氏、目の前でアート殿に亡くなられたら……『後少し早ければ』という状況で亡くなられたら……きっととても辛いでござるよ」
「分かってる。けど時期が分かってて何もせずにいて、亡くなった報せだけ受けるなんて嫌よ」
「そうでござるが……」
「貴方、少し私のこと勘違いしてるわよね」
「……? そうでござるか?」
「ええ。私、貴方が思っているよりきっと薄情よ。嫌な事から目を逸らして逃げるのがとても得意たっだんだから。―――例えば……大学生の頃、地元で小さい頃によく遊んだ友人が事故で亡くなったの。夏休みとか毎日遊んでたような子なんだけど。でね、葬儀の日程とか連絡来て……。私の親とか相手の親も絶対来るだろうって思ってたみたい。けど私は行かなかった。行くのが嫌だった。目を逸らして、耳をふさいで……今は半分後悔してるけど、半分は変わらずあれで良かったって思ってるの。結局私は死ぬまで、その子の墓参りにも行かなかった。それに、電車で座ってる時おばあさんが目の前に来ても寝てるふりをして、罪悪感はあるのに席は譲らなかったし、道で蹲ってる人を見つけて心配にはなっても目を逸らして通り過ぎた―――ね? 嫌な事から目を逸らして逃げるの、お手の物でしょ?」
「後半の二つはあるあるでござるな……」と八郎は困惑混じりに突っ込む。
「じゃあ、そんな逃げ上手なアルベラ氏が頑張ろうと思う事自体が……アート殿の死に向き合おうとしていること自体が拙者は心配でござるよ。アルベラ氏、さっき『回避できない時はちゃんと受け止める』って言ったでござるよな。『逃げる』でなく『受け止める』と」
アルベラは思い出し、「……ああ」と表情を苦くする。
「言い方の問題じゃない。揚げ足とりね」
「本当にそうでござるか?」
「本当にそうよ。―――大体、貴方ならどうなの? 相手がアート様でなく例えばエリーだったら。死ぬって時期が分かってて何もしない?」
「拙者は絶対にエリー殿を助けるため全力を尽くすでござるよ!」
「じゃあなんで私はよした方が良いの? おかしいじゃない」
「拙者は神経が図太い故、万が一エリー殿に死なれてもその傷を抱えながらも変わらず生きていけるでござる」
「助けてあげなさいよ、エリー」
「万が一。万が一の話でござるよ」
「はいはい……」と呆れを零し、アルベラは「もうやめましょ」と手を叩いた。
「そういう事だから。私アート様が死なないルート作ってみる。私が心を痛めるのを心配するって言うなら八郎も全力で手伝いなさい。貴方が手伝ってくれれば成功率だってぐんと上がるでしょ?」
「とはいっても、決められた事に対しての責任は負いきれないでござるよ」
「責任なんて追わなくていいでしょ。上手くいったらラッキー、失敗したら残念。それだけよ」
「その心意気、本当でござるな?」
「本当よ。―――もう。これさっきもやったでしょ。いい加減に」
―――ゴーン、ゴーン、ゴーン……
二人のやり取りの横、部屋の時計が指定されていた時間を示し音を鳴らす。
ズシリ、と感じた頭の重みにアルベラは目を据わらせる。
「ガル……」
「時間だ。いつまでじゃれてる」
ガルカはアルベラの頭の上に腕を組み、遠慮なく体重をかけ寄りかかっていた。
「どう見てもじゃれてないでしょ。意見が割れて苦労してたの」
「ほう。なら話の邪魔をしてやった俺に感謝だな」
ガルカは嬉しそうに口端を持ち上げる。
―――バキン!! バタン!!
続いてけたたましい音を立てて玄関の戸が開きエリーが部屋へと上がり込んだ。
「お嬢様ぁぁぁん! もどりまし、まぁ?!」
彼女はアルベラの上にのしかかる魔族の姿に一瞬で青筋を浮かべ、それを払うべくとびかかる。
ガルカは己に向けられた拳をひらりと交わした。
アルベラは後ろで床が抉れるような音がした気がしたが振り返らないでおく。
(下の階に貫通してないかしら……)
冷めたコーヒーに口をつけ、正面を見ると八郎の姿が無かった。
彼はエリーの侵入と共に席を立ち、玄関へと向かっていた。
「エ、エリー殿、また鍵を壊して……あの扉、この間買い替えたばかりでござるのに……」
八郎は小さく震える哀れな声でそう言い扉を確認をする。
ちょうどいいタイミングだったかもしれない。アルベラは強制的に話が終わったことにほっとした。
(八郎、たまに凄い心配性なんだよな。『自分は良いのにお前は駄目だ』って……父性ってやつかしら……)
『タダイマ』
「お帰りなさい、コントン」
陰からのそりと突き出された黒い鼻。アルベラはそれを撫でる。
エリーとガルカがギャーギャーと言いあいながら拳を交えているが、それを聞こえていないかのように無視して、アルベラは「あ、」とひらめきの声を上げた。
「ねえコントン、狩りごっこしない?」
突き出した鼻が大きく揺れ、影の中から「バウ!」と嬉し気な鳴き声が上がる。
『カリゴッコ! スキ! スル!』
「良かった。じゃあ、リュージって覚えてる?」
『リュージ?』
「そう、黒髪にスーツの、エリーより大きい男。ほら、いつもタバコ吸ってる」
コントンは思いだしたと「バウ!」と吠えた。
『リュージ カル?!』
「ええ。捕まえてここに連れてきて。怪我させちゃダメよ? 制限時間は三十分。いいかしら? 三十分を過ぎたら諦めて帰ってきてね」
―――バウ!
コントンは嬉しそうな鳴き声を残し陰から気配を消した。
(あいつ。八郎にプレゼント預けてたんだっけ。直接渡しに来いっつうの。……あ。コントンに先にプレゼントがどこにあるか、匂い辿ってもらえば良かった)
結局この日、リュージはコントンから逃げ延びた。
そしてストーレムの町で行われた魔獣と一人のチンピラとの命がけの追いかけっこは誰にも知られることは無かった。





