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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (後編)
229/411

229、 初の前期休暇 9(悔恨と慰め)



 ジーンは人気(ひとけ)の消えた暗い廊下を走っていた。アルベラを追って階段に上ったはずなのに、自分がいるのは未だ一階。

 誰かの術により迷わされているのだと分かっていた。だが抜け方が分からない。

 焦りを抑えながら辺りを見回し、彼は窓で目を止める。

(外に出てみるか?)

 窓に手をかけ開けてみる。

 夜風を感じた。

 一応は出られるのか?

 試しに窓を飛び越えてみようと身を乗り出した時、人の気配と魔力を感じ顔を上げた。

 屋根の上に二人の人影。風になびき煌めくドレス。

「―――?!」

 飛んでる―――のではない。落ちているのだ。

 魔法を放ち少しでも衝撃を和らげよとする、必死なアルベラの表情が見えた。その目は死を覚悟し、しかし懸命にもがく強い光を宿していた。

 また魔法が展開され、僅かだが空中に引っかかったような挙動を見せ、二人はまた落下を続ける。

 大丈夫だ。十分に間に合う。

 ジーンは窓枠を蹴ると炎で体を押して彼女らの下へ飛び出た。

 地面まで五メートルと接近した二人を先に炎が包み込み、それをジーンがキャッチする。

 炎に包まれた二人は水中に飛び込んで浮き上がるかのように、頭を下にした状態からくるりと体を反転させた。アルベラが仰向けに、その上にラビィが重なる形で安定する。

 二人を受け止め、まとめて抱え込み、ジーンはゆっくりと地面へ足を下し炎を消した。

 両腕で支えた二人の足も地面についたのを確認してから炎を消したつもりだったが、二人の体はふらりと傾き、全体重をジーンへ預けた。

 ジーンが不味いとおもったのもつかの間、三人はどさりとその場に倒れ込んだ。



 ***



 炎が消えた。

 アルベラの正面には満天の星空が広がっていた。

 だがそんなもの、彼女の目には映っていない。

 アルベラは耳の傍でバクバクとなり続ける心音を聞きながら考えていた。

 自分は精一杯もがいた。もがいてもがいて……全力を出した結果があれだった。

 もしあの場で運よくジーンが現れ、助けてもらえなかったなら―――。

 ―――魔法を使って地上へ降りる?

 甘かったのだ。

 考えるだけなら簡単だった。

 言い訳をすると、自分一人ならば問題ない手だと思った。そして自分にもっと慎重さがあれば、二人でも今の自分よりもまだマシな結果を残せていたかもしれない。ちゃんと想像した通り、多少の痛みはあれど自分の力で地面にたどり着けていたかもしれない。

(―――霧が効かないって早く判断して魔力を引っ込めてれば…………往生際悪く落ちるのを躊躇わなければ……落ちてる最中、自分の魔法の展開速度と展開の位置を見誤って無ければ………………)

 死を覚悟する羽目になったのは、それもこれも全部自分の愚かさが招いた結果だ。

 アルベラは唇を噛む。

(情けない……)



(俺が受け止めなくても良かったよな……)

 炎で包んだまま地面に下ろしても良かったのでは、とジーンは背中の鈍い痛みに目を据わらせた。

(ちょっとした汚れ位なら魔術で払えるし、ドレスの心配はいらなかっただろうし……―――にしてもなんであんな場所に)

 彼はぼんやりと考えながら息をつく。視線を落とし、身を強張らせた。

 ラベンダー色の頭が間近にあるのを思い出す。

 下敷きになった自分。その上に仰向けのアルベラ。……そしてその上にうつ伏せに重なるラビィ・ケイソルティ。

「……」

 ジーンはアルベラとラヴィを抑えるように回していた腕をそーっと解き、自分の頭の横におく。まるで降参をしているような、まの抜けたポーズだなと自分で思った。

(……起きてるよな)

 起き上がる様子の無いアルベラをジーンは見下ろす。

 彼女は目を開いていた。

 その瞳に涙が浮かび潤んでいるように見え、どうしたのかとジーンは困惑する。

「……お、い」

「あ、ごめん」

 アルベラは思い出したように身を起こし、気を失ったラヴィを抱え地面へ降りた。

 ―――「お、お嬢様?!」

 屋敷から大きな声が上がり、アルベラとジーンは振り返った。

 窓を開け、使用人が慌てた様子で顔を出している。

「一体何です?! さっきの火は?!」

「気にしないで! 後で私からお父様に報告するから! 他の人にもそう伝えて!」

「は、はい……」

 使用人はアルベラの言葉に頷き窓を閉じる。

 他の窓にも幾つか人影があったが、今のやり取りを聞いて各々の仕事に戻ったようだ。

 アルベラは息をつく。

「大丈夫か?」とジーン。

「ええ、ありがとう」

 そう返す彼女の表情はどこか雲っていた。

「どうした」

 単純に怖かっただけだろうか、とジーンは思った。だが、彼女の表情にあるのが「恐怖」より「落胆」に近いもののようにも感じた。

 アルベラは尋ねられ、ジーンを見る。彼女はもの言いたげな、どこかあやふやな表情を浮かべ芝生の上に座り込んだ。

 「おい、ドレス……」とジーンがいいかけ、「気にしないで」とアルベラはドレスの裾にラヴィの頭を乗せる。それらの動作は殆ど無意識で行われていた。

 アルベラの頭にあるのは先ほどの火力。助けてくれた彼の魔法の展開の早さと安定した威力だった。

 突然出てきてああも簡単に。しかも包んだ服や人を一切焼かずに。

 彼が軽々とやってのけたその半分も自分には出来ないのかとただただ悔しかった。

 脳裏に焼き付いた炎は、いつかの雪崩の時の事も思い出させる。あの時は事が大きすぎて、自分ではどうにもできないスケールで、他人頼みだろうが何だろうが助かって良かったと心底思えた。

 だが今回はあの件とは違う。できると思っていたことができず、危うく死にかけたのだ。

 アルベラはそんな自分にひどく幻滅していた。とても情けなく感じた。

 彼女は力ない笑みを浮かべる。

 その姿が普段の彼女より弱弱しく見えジーンはもう一度訪ねる。遠慮気味に、気遣いが表れた普段よりも柔らかい声で。

「どうした?」

 アルベラは視線を落とす。どう答えようかと考え目を細めた。

 ―――あんなに必死になったのに、全力を出したのに……なのにできなかった。……いや。一番問題なのは「多分大丈夫」で、落ちる選択をした事かもしれない。どうするべきだったのか。ほかに何が出来そうか。それも考えずに一辺倒に着地する事に賭けてしまった。

(はは。馬鹿みたい。自分の失態で……。一人だったら軽く悔し泣きしてたかも。なんて無様なの……)

 彼女は顔を上げ、隣人の気遣う表情に苦笑する。

「気にしないで。少しいじけてるだけ……。―――私、魔法にぶつかりながら落ちれば大丈夫だろうって思ってたの。落ちても平気だって……多分何とかなるって……。けど、実際ラヴィ抱えて落ちてみたら凄い早いし、魔法が追い付かないし、びびって感覚鈍るしで……全然、うまくできなかった。それなりに普段から魔法の練習してきてたはずなんだけど、いざという時使えなんじゃ全然意味が無いじゃないって……。―――貴方が来てくれなかったら私もラヴィも今頃ぺしゃんこだったわ。ありがとう」

 そう言って彼女の視線は疲れ切ったようにまた庭の芝生へと落とされた。

「そうか……」

 アルベラはいつものように言ったつもりだったが、ジーンが聞くその声にはいつもと同じ覇気がなかった。

 彼女が自分の失敗に落胆している事がよく分かり、ジーンは考えるように夜空を見上げた。

「……アルベラ」

「なに」

「お前は諦めてもおかしくない状況で諦めなかった。やれるだけの事をやった。だから俺も間に合った。気にするほどの事じゃない。……それに、あの状況でちゃんと体は動いて魔法も意図して展開してたんだ。普段の努力が無駄になってるはずがない」

 ジーンは先ほどの落下の最中の彼女の眼光を思い出す。あれには、死を前にしても目を逸らさない強い意志があった。日々訓練を重ねる兵士や騎士達にも十分通づるような心の強さを感じた。

「―――魔力や魔法の精度が足らなかったのは……仕方ない事だ。誰だって未熟な時期はある」

「そうね……」

 頷くも、生まれてしまった悔しさは暫く忘れられそうにないなとアルベラは思った。いつからこんなに負けず嫌いになってしまったのか、と彼女は息を吐く。

(……いや。寧ろこの感じはずっと覚えてた方が良いのか。前世だったら『あーあ……やっぱ駄目だったか』で不貞腐れて忘れようとしてたもんな。またああならないために、ちゃんと悔しさも失敗も受け入れて向き合っていかないと……)

 アルベラは膝を寄せて抱える。

 そろそろシャキッとしないと。居合わせてしまったジーンも気まずい事だろう、とアルベラは目だけで隣を軽く見た。

 表情は薄いが、自分を気遣っているかのような赤い瞳が静かに自分に向けられていた。アルベラは目があいそうになるのを感じ反射的にさっと視線をそらしてしまう。

(あ……つい……)

 顔を上げ辛くなり、アルベラは内心しまったと思う。

 膝に顎をのせ視線を落とし続けている彼女を、ジーンはまだ落ち込んでいると取り言葉を探していた。

「―――気にするなよ。こういうのって、経験を重ねて少しずつできるようになるもんだろ。……できなかった事ばかり見ずに、良かったことにも目を向けろ。責める事よりどうするべきだったか、ほかに何ができたかを考えろ。今回できなかった事は次に備えて練習すればいい……。授業で見てたお前の魔力や動き的にも、いつも通り練習重ねてれば今日出来なかった事くらいは気づいた頃にできるようになってるさ」

 ジーンは王都に来てからの訓練を―――共に訓練する仲間達を思い返していた。

 平民に生まれ、実力を買われてスカウトされ見習いになったというのに、予想通りの成長が見られずに不適合と見なされ団を去らなくてはいけない者達の苦難の顔を見てきた。

 自分だって思ったよりもできなかった時の落胆は散々味わってきた。

 魔法が上手く制御できず、いつになったら人並みに使えるようになるのだろと気が遠くなるような時期もあった。

 そういう気持ちが生む焦りや、理想に追いつけずに胸が苦しくなる感覚は彼も良く知っていた。

 だから愚直にも、励ましなり慰めなりの言葉をかけずにはいられなかった。誰だって分かってるような当たり前な事でも言わずにはいられなかった。少なくとも、今まで努力を重ねてきた人間が「自分の努力が無駄だった」などと思う事は防ぎたかった。

(真面目だ)

 宥めながらも説得するような彼の言葉に、アルベラは場違いと思いながらも頭の片隅で突っ込んでいた。

 アルベラが呆けたような顔で自分を見ていた事に気付き、ジーンは恥ずかしそうに顔を逸らす。

「―――悪いな。こんな事しか言えなくて」

 そう言うと、彼女が揶揄うように小さく笑う気配を感じた。

「……いいえ。本当にその通りだし」

(それに……自分は未熟、弱い、人に縋らなきゃ身を守れない、って決めつけすぎててあの二人と一匹に頼り過ぎてたかも。今まではエリーやガルカやコントンがなんとかしてくれたから……本当に危ない場面を自分一人で何とかしないといけない事なんてなかった……。反省しなきゃ)

「大丈夫。……ええと、有難う。あなたの言った通り気にしすぎたり自分を責め過ぎたりしないから。―――今の実力は仕方ないし、コツコツ地道に努力してくわ……」

 「それがとっても難しいわけだけど……」とアルベラは独り言のように付け足した。

 彼女はようやく自分達の上に星があった事に気付きその景色を楽しむように空を仰ぐ。

「にしても、無傷なのは幸運だったわ。この運に感謝ね」

「運も実力だ」

「そうね」

 クスリと笑み、彼女の強張っていた表情が緩む。

 気の抜けた無防備な横顔―――。

 ジーンはどぎまぎする気持ちを隠すように視線を逸らし、見飽きる事のない星空を共に仰いだ。



 気が楽になったアルベラは、ラヴィの様態を確認するふりをしながら頬を突いたり脇をくすぐって見たりと要らないちょっかいを入れていた。

(全く反応がないな)

 ラヴィの方も、見た所では外傷はなく眠っているだけのようだ。

(たまに苦しそうに唸ってるけどどんな夢みてるのかしら。そういえば私の霧の効果ってどうなってるの? もしかしてなかなか起きないのってそのせい? ……後で解毒しといてあげよう)

 そろそろ中へ行こうと、ラヴィを抱えようとするジーン。

 アルベラは「庭とジーン」と言うシチュエーションに、ふといつかの日を思い出した。

「コツコツといえば、」

「……?」

 アルベラは視線を誘導するように背にしていた屋敷を振り返る。

「お陰で、ちゃんと縄は登れるようになったわよ」

「……。親泣かせな努力だな」

「二人だって人の事言えないじゃない」

 ラツィラスと城を抜け出していた事を言われたのだとジーンは思い至り、彼は口元を苦くする。

「そうだな……」

「とりあえず今回()ありがとう。本当……助かった」

 アルベラは何も(縄の)ない屋敷の壁を見上げ、遠くを眺めるように礼を言う。

 やけに改められて聞こえた礼に、ジーンは困ったように「どういたしまして」とかえした。それは彼が照れ隠しの時に発する、どこかむすっとして聞こえる声だった。

 ジーンの返答を微笑ましく思い、同時に懐かしさや安心感も沸き上がり、アルベラはこそりと苦笑した。



 ***



 アルベラがラヴィをおぶったジーンと庭を去ろうとした時。

「お嬢様ー!」

 庭先から駆けてくるエリーの姿があった。

 彼女はアルベラの部屋へ手紙を置きに行ってからと言うもの、二階をずっと彷徨い続けていたのだ。

 ようやく何者かの術から解放されたと思ったら窓の外に燃え盛る炎―――。

「外を見たらジーン様が居ましたので、大丈夫かと思い窓からは飛び降りずに来た次第です。事情も勿論聞かせてもらいますが……」

 エリーはにこりと微笑み、体のところどころに土や草を付けた三人の姿を眺める。

「とりあえず、皆さんは身だしなみを整えましょうか。ラヴィちゃんは空いてるお部屋で休んでもらうとして」



 ***



 公爵邸の応接室。

 ガルカは何かを感じて立ち上がった。

 同室でガルカと言葉を交わしていたアート・フォルゴートも彼と同じものを感じ顔を上げる。

 結界が敗れたような、今まで自分達の周囲を覆っていた何かが消えて体が軽くなる感覚がした。

 自分たちが魔法か魔術かに覆われていた事など気付きもしなったアート卿は目を瞬く。

「はて……今のは中々の……。魔術ではなさそうですな」

 魔術が解ける時と言うのは、彼の感覚的に「順々にほどけていく」ようなイメージなのだ。だが今解けた何かは、薄い膜が一斉に溶けて大気に吸収されていくような感覚。

 おそらく魔法だろうとアート卿は予想した。それも異種族が扱う類の魔法。

 ガルカは窓を見てそちらに近づく。

 良く知る気配が庭にあり、彼の目はそちらに引き付けられた。

 見えたのは地面に腰かける二人と横たわる一人。

 彼は窓に手を当て、不快感に眉を寄せた。

「どうかしましたかな?」

「話はもういいか?」

「ふぉっふぉっふぉ……。お付き合いさせて悪かったですな。どうぞ、会場へお戻りください。話を聞いていただき感謝いたします」

 アート卿が片手で示すと、彼が扉に施していた魔術が消える。

 ガルカは扉を押して部屋を出た。室内に残ったあの老人が、馬鹿丁寧に自分へ深く頭を下げているのが視界の端に映った。

『ガルカ!!』

(コントンか)

「どうした?」

 ガルカは突然自分の影に飛び込んできた彼へ尋ねる。

『ヤラレタ! コダマ! ナマイキ!!』

 グルル……、とコントンが低く唸る。

 アート卿と魔族が二人きりで話し合うべく準備された部屋の外、配置された騎士が得体のしれない魔獣の声と唸りにびくりと身を震わす。恐怖を抱くもそれを堪え仕事に務める彼。いつもなら軽くからかっていたかもしれないが、今のガルカはそちらへ何の興味も沸かず、緊張する騎士の前を素通りした。

「なんで俺の方に来た」

『アルベラ、赤トイタ。クサイ。カミコロシタイ』

「今は頭に来てるから八つ当たりをするかもしれん、という事か」

 ―――バウ! とコントンが吠えて頷く。

 「いっその事嚙み殺してくれて良かったんだがな」とガルカは本心からそう呟く。

 影の中、コントンは首を傾げきょとんとした鳴き声を上げた。



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