224、 初の前期休暇 5(誇れないリーダー)
ナールはゴヤに首を鷲掴みにされうんざりした表情を浮かべていた。その手はまるで首輪だ。
隣に並んでアンナも、ゴヤの片手でがっちりと細首が掴まれていた。こちらはニコニコと余裕の笑顔である。
どちらも先ほど、メンバー全員から「絶対に口を開くな」と言いつけられていた。言いつけを破ればゴヤがその首を全力で握り込み、気絶させてパーティー会場からは強制退出というわけだ。
というのも現在、問題発言をする二人を一番後ろに追いやり、アンナの代理としてカスピが公爵と公爵夫人に挨拶をしていたからだ。
会場への移動前。
アンナと騎士達のやり取りに不安を持ったビオかこそりとゴヤに持ち掛けた。
『ねえゴヤ。公爵夫妻への挨拶、貴方が先頭に立ってするとかどう? 一番年長者だし』
『勘弁してくれ。なら俺があいつを押さえて目を突けらんねぇ用にしとくからお前が前に立て』
『いやよ! 男爵か準伯までならできたかもしれないけど、公爵は無理! 私には荷が重い!』
『ふーん。じゃあナールはそれ以前の問題だし、スナクスにでも頼むか? あいつの挨拶、アンナほどじゃねーだろうけど貴族にするには大分フランクになっちまうと思うぞ』
『スナクスかぁ。台詞を読ませるだけなら十分なんでしょけど、予想外のやり取りになった時が不安ね……。アドリブで平民口調出ちゃうわよ。……ていうかアンナだけじゃ駄目ね、ナールも押さえておかないと』
『そうだな。じゃあ二人は俺に任せろ』
『何よ。前に出ない気満々じゃない。年長者の癖に!』
『わりぃな。年ばっか食っちまって貴族との礼儀作法なんざ赤子同然なんだよ』
ゴヤは面倒くさそうに頭を掻く。
折角使用人たちの手によりセットされた髪が乱れそうになり、ビオが『髪崩れないよう気を付けてよね』と注意した。
言われた通り髪型に注意し、ゴヤは固められた髪の隙間に指を差し込むようにして頭を掻く。何となく向けた視線の先、彼はある光景に目を止めた。
『挨拶の代理、適役見つかったぞ』
彼はぼそりと良い、『ほれ見ろ』とカスピを指さした。
彼女は今アルベラと会話をしていたところだ。
その口調も姿も、いつも通りではあるが完璧である。普段から目上の者には礼儀正しいカスピだ。ドレスを纏った今、その姿も振る舞いも、十分どこぞのご令嬢に見える物だった。
ビオとゴヤは目を合わせて頷いた。
事情を話したカスピは快く了承し、こうしてこのパーティーの一員でも、旅に参加するわけでもないカスピが前に立って挨拶する事となったのだ。
ゴヤ、ナール、アンナが黙って見守る先、カスピは無事公爵と公爵夫人への挨拶を終えようとしていた。
そこには合流したエリーの姿もある。エリーは冒険者たちと同じ側に立ち、護衛を任されるものの一人として公爵夫妻と向き合っていた。
「……では、娘をどうかよおしくお願いいたします」
「よろしく頼んだよ」
「最善を尽くしてお嬢様を守らせて頂きます」
「お二方も、どうかよろしく頼む」
ラーゼンは冒険者たちの隣に並ぶ騎士二人に顔を向けた。
騎士達は敬礼し、恭しく「尽力いたします」と返す。
アルベラは父と母にはさまれ、綻びそうになる口元を一生懸命堪えていた。
彼女は自分の両親の顔をちらり、ちらりと交互に見上げる。
父母は顔を見合わせると軽く目元を和らげた。他の来場客との挨拶もある。もう行こうというやり取りだろう。
そのちょっとしたやり取りに、アルベラは体の内がわがこそばゆくなる。
―――ラーゼン様が公爵となって迎えに来た時のレミリアス様は、とても嬉しそうに笑ってらしたそうです。ブルガリー様は自分が放った言葉である以上、約束通りレミリアス様をお嫁に出しました。ですが、半年は魂が半分抜け出たかのようにぼんやりとされていたそうですよ。
(だめ……あの話を聞いた後だとこの二人が熱愛カップルにしか見えない……)
「アルベラ」
父に名を呼ばれ、アルベラは「はい!」と背筋を伸ばす。
「そちらの方々と積もる話もあるだろうが、初めの間は私達と来客陣の挨拶を頼むよ。君の学園のお友達を紹介してほしいし、私達も君に紹介しておきたい方々がいるからね」
「はい」
「では皆さん、楽しんでいってくださいませ」
レミリアスがゆるりとドレスを摘まんで広げる。
アルベラもそれに倣い、冒険者達と公爵との挨拶は無事に終わった。
彼らが去った後、カスピはニコリと微笑みビオを振り返る。彼女が肩の高さに片手を上げると、ビオはその手をタンと叩いた。
「カスピ、ありがとう!」
ハイタッチを交わした手を握りしめ、ビオは「この貸しは旅から帰ったら返すからね、絶対返すから」と目を潤ませる。
(何かのフラグみたいね)
カスピは苦笑する。
彼女は自分の片手を握りしめるビオの両手に、空いていたもう片手を優しく乗せた。
「お願いだから、生きて帰ってきて来てよね」
「もちろん!」
***
ディオール夫妻とアルベラは会場の入り口で着々と来場客との挨拶を終えていく。
会場にアルベラと挨拶を済ませた友人たちの姿もある。その中にはアルベラが面白半分で送った招待客も混ざっていた。ニコーラのストーカーだったスタッフィングや、中等部でジーンを目の敵にしてグレッダとその取り巻き達だ。
今年は今まで我が家で顔を合わせた事のなかった貴族の参加が多く、これらは父や母が招待状を送った者達だ。そんな彼等の来場も向か入れる中でアルベラが特に驚いたのはユリの訪問だった。
アルベラは彼女にも、今年はミーヴァへも招待状を送っていなかった。ユリへ招待状を送ることは無い、と決めた手前、彼女と仲のいいミーヴァや他の特待生たちを招待するのは気が引けたからだ。
ではだれが彼女への招待状を準備したのか。それは父ラーゼンだった。彼は学園の特待生全員へ招待状を送っていた。特待生全員とは、つまり在学する一年から三年すべての特待生だ。
アート卿とミーヴァと共にユリが挨拶しに来た時、アルベラは驚いて表情が固まってしまった。
幸いにも彼らの後に訪問客が続いて居てたため、アート卿が「お話はまた後でか、後日にでもゆっくりと」と言って二人を連れてすぐに去ってくれたので彼女らと長く話す必要が無く済んだ。
パーティーが始まり一時間以上が経過した頃―――
「お疲れ様。客足も随分減ったな。私たちももうゆっくりしよう」
ラーゼンは息でも詰まっていたのか、襟に指をひっかけて息をつく。
「友人たちも君を待っているだろう。行っておいで」
「アルベラ。気になる事があったら直ぐに連絡を」
「はい」
アルベラはドレスを摘まみ父と母へ足を向けた。
知った顔と知らない顔が混在する会場を歩く中、アルベラは水色の髪のご令嬢を視界に見つける。
クラリス・エイプリルだ。彼女のまとめ上げられた髪は、クリスタルのように輝いて目を引いた。
彼女の両隣りには両親の姿もある。彼女はどうやら髪色は父親譲り、顔とストレートな髪質は母親譲りらしい。目が細く切れ長の父に対し、母は目が大きく垂れ目で愛らしい顔つきをしている。クラリスの容姿は九割母親、一割方父親と言ったところだ。
エイプリル家に招待状を送ったのはレミリアスだった。
―――『これからはあちらと顔を合わせる事が多くなる事でしょう。少しずつでいいので、あちらとの丁度いい距離感を見つけるのですよ』
アルベラは彼等が去った後に浮かべた母の笑顔を思い出す。
まだ犯人が分かっていない馬車への奇襲の件。エイプリル家もその犯人候補の一つと見ているアルベラにとって、彼女は気が抜けない存在だった。馬車の件だけではない。たまに感じる彼女からの視線。自分が王族の誰かと接している時こそ、それらは他の時よりも分かりやすく感じ取れた。
(たった三ヶ月じゃ大した確信は持てなかったな。王族の血を狙ってるってのは何となく感じ取れるんだけど、それなら他の高位貴族だって抱いて当然の事だし。彼女以外の婚約者候補本人だったり、その実家だったりだってきな臭い話があるとこはあるし……。ま、皆一緒に疑ってかかっておけば問題ないか)
グラスを手にする彼女の腕で、毒物感知の腕輪がしゃらりと揺れた。
会場は音楽とダンスと歓談、又は誰かの噂話や陰口で温まっていた。
友人達の元へ向かう前に、アルベラは冒険者たちの元へやってきていた。
彼らの元につくと、アルベラは人目を盗み一仕事終えたと手にしていたグラスを豪快に飲み干した。
そんな彼女の姿に「お疲れさん」と冒険者達から労いの声が上がる。
「皆さんは無事楽しめて? 面倒な貴族に絡まれたりはしてないかしら?」
「ああ。今の所全くだ」とゴヤ。
「たまにカスピやビオがどっかの坊ちゃんにダンスを誘われてたけど、ビオは踊れないから全部断ってたな」とスナクス。
「ビオさんはという事は、カスピさんは……」とアルベラが疑問符を浮かべると、スナクスは親指で会場を示す。
そこにはどこかのご令息とダンスをするカスピの姿があった。
「あら。何でもできちゃうのね」
アルベラのその言葉に、ビオから悲し気なつぶやきが漏れる。
「これがうちのパーティーと彼女のパーティーとの品格の差です……」
「品格……?」とアルベラは首を傾げる。そのドレスをツンツンと誰かが引いた。ミミロウだろうか、と思ったアルベラだったがその犯人はアンナだった。
椅子に腰かけ一方の手すりに体を預けて寛ぐアンナがアルベラを見上げる。
首から肩、肩から腰、そして足先へと繋がる彼女の美しい曲線に、周囲の男性陣が目を奪われていた。
「どこのご令嬢だ?」
「ディオール家の信頼する腕利きの冒険者らしいぞ」
等の声を潜めたやり取りが、その場にいるアルベラの耳に届いていた。
それらの声は当然本人の耳にも届いていおり、今もまた、丁度聞こえた「美しい人だな」というため息交じりの言葉に、アンナは合図を送るようにチラリとアルベラを見る。その顔には悪戯な笑みと共に「まいっちゃうねぇ」と書かれている。
「ディオール家が……? じゃあ殺しも請け負う輩なんじゃ……」などと不穏な言葉も混ざっていたが、それを意識に留め不快に思うアルベラとアンナではない。そういった言葉へは、本人達よりも共にいたビオとスナクスの方が反応し、若干表情を引きつらせていた。
アンナはつんつん、つんつん、と白い腕を伸ばしアルベラのドレスを引っ張り続ける。
「なーなー」
「何? 姐さん」
「嬢ちゃんの仲が良い王子様ってのはまだ来ないのかい?」
一定の距離を保ち「いつ話しかけようか」と二の足を踏む貴族男性達を視界の端に、アルベラは目を据わらせる。
「お姉様……私が殿下と仲が良いだなんてどちらで聞いたの?」
「噂だよ噂。ディオールのご令嬢と王子様は仲良しってね。騎士様連れて三人でたまにデートしてるってね」
「噂って貴族の? 大体、三人のそれってデートっていうの?」
「そこらの風の噂さ。……『デート』がご不満なら『侍らせてる』って言った方がいいかい?」
(そこらの風……貴族では無いってことで良いのか?)
「どっちもご不満ね」
アルベラは息をつく。
貴族間でならそんな話も聞く。王都周辺に暮らす貴族であれば、ラツィラスの顔もアルベラの顔も社交の場で見て知っていてもおかしくないからだ。
そんな彼らが街で三人を見て、何らかの解釈の上噂するのは当然だろう。
だが、平民は別だ。
ラツィラスの顔はともかくアルベラの顔までは広く知られていない。
ラツィラスだって、しられていたとしてもそれは詳しい顔立ちでなく、目や髪の特徴や年齢位だ。
それに赤い目には装色が使えないが、アルベラは瞳も髪も色は変え放題。この豊かなウェーブ髪だってストレートに返る術はある。
王子様に誘われ街を散策した際に、何度か髪色を偽った事もある。
偽らなくとも、アルベラの場合はフードを被れば十分だ。緑の瞳など珍しくもないのだから。
ラツィラスやジーンだって、ストーレムの町ではフードを被るなどして多少は身分を隠す努力はしていた。
そこら辺の雑貨店に入ったとして、食堂に入ったとして、その店の店主が三人を見て王子様と護衛の騎士と公爵家のお嬢様だと判断できるとは思えない。
ならば何処の噂か。
「姐さんの『ご家族』間での噂かしら? 私の顔知ってるとしたら彼等でしょうし。………………まさかあの人たち……王族の情報にまで手を出してるの……?」
アンナは「ふふん」と笑む。
「嬢ちゃんを判断出来るのはともかく、何で一緒にいるのが王子様か分かったかって? そんなんある程度見張ってりゃ分かるだろ。王子様だってフードを外す瞬間はあるし、護衛の赤赤も良い目印だ。第五王子は赤髪赤目の従者を連れてるって、平民の金持ち連中だってそれくらいの情報は持ち合わせてるからな」
(そうか。王子様の護衛であるジーンの特徴も、貴族以外にも馴染み始めてるのか……)
「……ってちょっと待って。見張ってるって何? まさか私が街に出てる時『ご家族の方』私の事見張って」
「まーまー、細かい事は気にすんなって! ちょっとしたご近所づきあいさ。地域の子を守るのは地域の大人の役目だろ」
「そんな真っ当な言葉を誤魔化しに使わないで」
アルベラとアンナがちょっとしたじゃれ合いをしていると、食べ物を取りに行っていたスナクスが戻ってきた。
彼は少し離れた場所から、アンナが口にした「王子様」という単語を拾い上げて尋ねる。
「嬢ちゃん。今日ってまさか王族もくんのか?」
「ええ。一応これでも公爵家なので」
「まじか。すげえな」とぼやく彼の後ろ、先ほどからビオが不安げに頭を抱えていた。
(公爵様との挨拶が済んだと思ったら王族まで……アンナ処刑されちゃわないかしら……。いやいや、流石にそこまで怖いもの知らずじゃないわよね……………………どうしよう、お腹痛くなってきた)
ビオの服を引っ張りミミロウが水を差し出す。
彼女の心痛の姿を背に、スナクスは「王子様ねぇ……」と食事を口に運び記憶に引っかかる何かに首を傾げる。
「王子様、王子様……ああ、そうか。嬢ちゃん婚約者なんだろ? 学園卒業したらすぐ結婚すんのか?」
アルベラは苦笑した。
「違うわ。候補よ、候補。正式には『婚約者候補』って言います」
「候補? じゃあ他にもいるって事か?」
「ええ。今はまだ候補者が沢山いますよ。これから絞っていって、能力的にでも存在的にでも……何かしら国の為に妃としてふさわしい人を決めるんです」
「ふーん。じゃあ、単純に愛し合ってるからこの人にします、は出来ないわけか」
「できなくはないけど、建前としては第一妃は国に一番ふさわしい女性がなる物っていうのがあるみたいですよ。……この事って貴族以外の人達にも常識として通ってる事じゃないんですか?」
「ん? そうなのか。俺は知らなかったな」
スナクスは食べ物を飲み込んだタイミングで答え、また口に運ぶ。
「冒険者同士の知識ってのは偏りがあるからな。そういう話は俺らみたいな年寄り共の方が通ってる」とゴヤが二人の会話に口を挟む。
「あら、ゴヤさんはご存じってこと?」
「ああ。第一妃は有能なご令嬢からが選ばれるってな。有能ってのが謎だが……。なんだ? 試験なり果し合いなりでもすんのかい? 魔力の高さで決めるなら判断は楽そうだが、そうなると今の第一妃様はあてはまらねぇだろ」
今の第一妃。重篤で城で寝込んでいるというスチュートやルーディンの母だ。
「ええ。あの方は頭脳明晰っていうのが売りだったらしいから。形式的な腕試し見たいのはあるみたいだけど、その結果だけがすべてじゃないみたいです」
「ほーん。となるとやっぱ分からねぇな」
「正直なところ、私もよく分からないんですよね。けど、単純な家柄も評価の基準に入るらしいので、今の所私はその枠ですね。来年と再来年になったら候補として残ってるご令嬢が数人ずつ一ヶ月だけ宮に入って生活したりもして、何かを見たり測ったりもするみたいです」
学生の者は必然的に長期休暇がその期間に当てられるらしい。
そしてアルベラとユリはその期間に共に城の敷地内で暮らすことになり、その頃にはアルベラの「お仕事」も大詰めとなるのだ。
「へぇ。大変だな」と他人事にスナクスが頷く。
アンナは話を聞き、「フーン」とグラスを回して持ち上げた。
その中に一人の人物を収めて覗き、くすりと笑む。
グラスの中の彼の周りで、炭酸の泡がぷつりぷつりと生まれは水面へと立ち上っていた。
「本物の王子様もいいけど、あっちの色男は嬢ちゃんの王子様じゃないのかい?」
アンナがグラスで示したのは黄緑髪のご令息、キリエだ。
彼はミーヴァやユリと共に居り、先ほどから数人のご令嬢方に囲まれ対応に追われていた。
「さっきから分かり易くて可愛いじゃないか。あの子だろ、嬢ちゃんの幼馴染ってのは」
隣から小声で、「はっ? 幼馴染?!」とスナクスが声を上げる。彼は訝し気に目を細め、しげしげとキリエを観察する。
「悪い奴ではなさそうだな……。くそ。顔も割といいじゃねーか」
「青春だねぇ。嬢ちゃんの立場じゃ選びたい放題か。住む世界が違うからやっかみも浮かばなねえ」
ゴヤがぼやいて酒を扇いだ。度数の高いアルコールに喉を鳴らし、彼は近くの使用人に合図を送り酒のお代わりを貰う。
アルベラの視線に気づいたのか、それとも丁度、先ほどから気になってアルベラの方をたまに伺っていたそのタイミングだったのか。アルベラと目が合ったキリエは微笑んで片手を上げた。
アルベラはそれに上品に手を振り返す。
「そうね。彼はいい人よ」
好きかどうか。そういう問いは置いておいて、アルベラはただそれだけを返す。
アンナはグラスを傾け、ハチミツ色のアルコールをするりと口の中に含んだ。
アルベラは黄緑髪の幼馴染から視線を逸らすと、人目から隠すように小さなため息を零す。緑の瞳に沈むのは、アンナだから見つけられる小さな罪悪感だ。
「誠実なもんだね」
くくっと笑うと、彼女は適当に目の合ったご令息へとろけるような笑顔を向けた。
令息は黒髪の美人のその瞳に胸を打ち抜かれ、花に誘われる虫の如くふらりと足を踏み出す。
***
―――「ルーディン殿下、ラツィラス殿下、デニングランダのサールード卿が到着されました」
来訪者を告げる入り口からの声に会場がざわめいた。
アルベラは口に含んでいた飲み物を吹きそうになり、無理やり飲み込んで咳き込む。
「おいおい、まとめてのご登場か」
ウォーフが呆れた声を上げた。
彼はアルベラへ祝いの言葉を言いに来た流れで、アンナとビオをナンパしていた最中だ。
アンナが「この可愛い坊ちゃんを誑かしてやろう」と反旗を翻そうとしていた所でもあったため、ウォーフには知らぬ間の命拾いとなっていた。
(まって……)
アルベラは視線だけで会場を見回す。
(ついさっきお父様とお母様会場から出ていかなかった? あの三人がまとめてここに来るのは荷が重い……)
「あれ。公爵と公爵夫人の姿がないみたいだね」
会場に立ち入り、辺りを大雑把に見渡してルーディンが呟く。
彼の隣で、「アルベラ様はあちらに」とガーロンが本日の主役を示した。
「ルーディン、僕らは頃合いを見て挨拶に行くからお先にどうぞ。全員で押しかけたら負担になるだろうし」
ルーディンの後に続いていたラツィラスが提案する。
その隣、ルーが肩をすくめて賛成した。
「だな。俺もお前らの序でになるのはごめんだし、頃合いを見て顔を出すことにするよ」
ルーディンは苦笑し、「分かった。お言葉に甘えて先に行ってくるよ」とガーロンを連れ会場の奥へと歩いていった。
彼が去るな否や、ラツィラスの少し離れた場所からルーの快活な声が聞こえてきた。
「おやおや、ネイルミィ嬢。お久しぶりです。相変わらず麗しい」
まるで魚が水を得たように、女性を前にした彼の体から喜びの空気があふれ出している。
先ほどまで隣にいたというのに、なんて素早いのだろう。
(切り替え早いなぁ)
ラツィラスはクスリと笑みを零す。
自分も今のうちに済ませられる挨拶でもしておこうか。
ラツィラスはスタッフから差し出された盆からグラスを受け取り会場の中へ歩き出す。
その斜め後ろ。ジーンもグラスを取り主の背に続いた。





