217、 皆の誕生日 21(夜中の訪問者)
毒を盛った。
その一言にアルベラは自分が今日、一口も毒らしきものを口にしていない事を思い返す。
「ダコツ」と言われたアイスベリー擬きの混入物以降、アルベラは自身が口にする物は毒物感知のブレスレットを使用し小まめに確認をしていた。そしてそれらに反応したものはなかった。
だから目の前のお姫様が示す毒と言えば、思い浮かぶのはただ一つ。
(まさか私と交換したグラス……ユリが飲んだ毒って……)
アルベラは寝る前に、ユリが毒を受け、その上魔獣に襲われたという報告をガルカから受けていた。
『俺のおかげであのガキは無事だ。いいな。俺のおかげだ。深く感謝しろ』
やたらと自分の功績を押してくる彼を不審に思ったが、エリーに確かめてもらったところ、ユリが保健室に運び込まれたという事に間違いは無いようだった。エリー曰、保健室の使用者とその使用の時間帯等が書かれたリストを見れば確認は簡単との事だ。
そこに八郎が介入している事など知る由もないアルベラは、ガルカの言葉を信じ素直に礼を言ったのだった。
ユリの事を考えながら、アルベラは「お聞きしますが」と口を開く。
「パーティーの間、とある生徒が魔獣に襲われたそうなんです」
「まぁ。そうでしたの。それはおかわいそうに」
お姫様は嫋やかに頬に片手を当てる。
「アラドラグ様は……」
アルベラは彼女のファミリーネームを言って口を閉じた。お姫様に、自分の唇に向け人差し指を立てられたのだ。その指は唇に触れはしなかったがかなり近くにあった。
「シンイェ。シンイェとお呼びください。アルベラ様」
先ほど浮かべた困った顔をゆるりと動かし、シンイェは微笑む。
「シンイェ様……は、そちらの件は貴女様は何も関わっては」
「ええ。ありませんわ。私があの会でした悪戯は貴女への服毒のみ。他に何か起きていたとしても、それらは私の知る事ではありません」
(悪戯って……)
そんな可愛げのある行為で鼻だろうに、とアルベラは半眼する。
他に、少し前の馬車の件も思い浮かんだが、お姫様の様子からアレは違うだろうとアルベラは頭を下げ謝罪した。
「そうですか。失礼いたしました。―――それで、なぜ私に毒を?」
「ちょっとしたご挨拶と言いますか……腕試しのようなものでして。私の父が拗ねておりますの。その当てつけを任されてしまった次第です」
(は? 父? 拗ねる? 当てつけ?)
アルベラは頭の中の疑問をそのまま口にしないよう気を付け、言葉を選んで尋ねる。
「父、というと国王様でお間違いありませんでしょうか?」
「はい。その通りです」
「国王様が、いじけて毒とは……?」
「お父様は、ディオール公爵様にお子さんが生まれ、顔を見せるまで十年待てと言われていたそうです」
「は、はぁ」
「それが十一年、十二年、十三年と経っても公爵様はご挨拶にいらっしゃらず。気づけばそのご令嬢は十六歳も間近だというではありませんか。父は十年待ったというのに、更に六年ほったらかしにされ……。送った建国記念日の祝賀会の招待状もことごとく断られ、深く傷ついており……………あ、公爵様自身は何度かいらしてくださいましたね。ですがアルベラ様の話となるとはぐらかしていたそうです。危険から守るための準備期間……と父は伺っていたのですが、とはいえもう十分だろうと。十六年かけて育て上げた娘とやらは、さぞかし素晴らしい危機回避能力を培われたのだろうなと……お父様は私に『ちょっと試してこい』と御命令になられたのです。………………まさに当てつけという奴でね」
「うふふ」と微笑むシンイェに、アルベラも「そうでしたか」と微笑み返す。
(お父様……他国の王様に何てことを……)
アルベラは心の中で父へ向け怒りの炎を燃やした。
アルベラへ毒を盛った事を、シンイェはまるで他人事のように話し終えた。
その口ぶりは全て国王である我が父がいけないと、責任を丸投げにしているようにアルベラは感じていた。
「本当に……ご無礼を心から謝罪いたします。我が父が申し訳ございませんでした」
「い、いえ……こちらこそ」
(もう『我が父が』とか言っちゃってるし)
お姫様がまるっきり毒の件については他人ごとである事を認め、アルベラは苦笑を漏らす。
「ですが、あの毒を受けてぴんぴんしていらっしゃるとは……想像以上ですわ」
(そんな酷いブツ盛りやがったのか……)
「今夜こうやって人目を忍んでまで参りましたのは、アルベラ様のご健康の確認のためだったんです。あの後、何かあってはと思ったのですが、心配自体失礼なお話だったかもしれませんわね」
「……という事は、解毒剤を持っていらっしゃったのでしょうか?」
「ええ」とお姫様は袖の中から小さな巾着を取り出しテーブルに置いた。
そしてもう一つ、その横に色違いの巾着を置く。
「こちらがその解毒剤です。そして、こちらがアルベラ様に盛った毒でございますわ」
アルベラはピクリと反応する。
「こちら、もしかして頂いても?」
「ええ。毒の方は私個人からのお詫びの品だと思ってくださいませ」
予想外のプレゼント。毒と言うシンプルで使いやすい武器の入手にアルベラはこそりとテンションを上げた。
巾着を取って今すぐ中を覗いてみたかったが、アルベラはそれを耐えて「お嬢様」の皮をキープする。
「ありがとうございます」
「お好きなように使っていただいて構いませんが、一つお願いが……」
「はい?」
「どうか、第三王子様にはお手を出さないで頂けると嬉しいです」
シンイェの柔らかな面差し。その瞳に突然、鋭利な刃物に似た光が差した。
彼女の眼光に、アルベラは首に剣先を当てられて脅されているかのような感覚を覚える。
「……シンイェ様の御婚約者さまですか」
アルベラは彼女の空気の変化に驚く。驚きはしたが、もっと怖い人達を知っているために感覚がマヒしているのか、あまり動じずに応じることが出来た。
何となく目の前の彼女が、ただのお姫様ではなさそうだというのは感じた。だが「お母さまや姉さま方に比べたらまだまだ鋭さに欠ける」とアルベラの心には余裕があった。
彼女の変わらずの自然体に、シンイェはパチリと目を瞬く。
袖を口に当てくすりと笑った彼女の瞳からは、先ほどの脅すような光は消えていた。
「……はい。殿下に結婚前に先立たれてしまっては困りますから。あんな素敵な方に嫁入りできると張り切ってますのに。折角の花嫁修業も、無駄になってしまっては悲しいですわ」
「まあ、」
「本当にそれだけでして?」と言う言葉を飲み、アルベラも口元に手を当てクスリと笑う。
「流石に王族の方に手を掛けるだなんていたしませんよ」
「あら。私は父から、公爵様は王族を手にかける事も厭わない方だときいていたのですが」
「それはそれは……」
(何とも言えない)
アルベラは言葉に詰まる。
その様子にシンイェは「まぁ」と零し鈴の転がるような声で笑った。
二人の会話は一時間足らずで終わった。
お姫様は、スチュートから勝手な外出を禁止されているようで、今回はこっそりと部屋を抜け出してきたそうだ。
城からここまで全くの一人で来たのか、彼女の御付きらしき人間はアルベラの見るところ一切いなかった。
丁寧な礼を述べ、シンイェは来た時同様にフードを深くかぶり部屋を出る。
アルベラは彼女が去った後、扉の外を覗き見たが、その時には彼女の姿はすでになかった。
(忍びの者かな)
ぱたん、と扉を閉じ、彼女はポットやコップ類を片付ける。
忘れないうちに貰った巾着の毒の方に目印をつけ、それを引き出しにしまった。
アルベラはうつ伏せにベッドに倒れ込み、枕に顔を埋め「いい加減何も考えずゆっくりしたぁーいー……!」と不満の声を上げた。
***
後日、終業式の朝。
いつもと変わらずの顔でエリーが主人の朝の身支度を手伝いに訪れる。
「おはようございます、お嬢様」
笑顔のエリーに、アルベラは朝の挨拶を放って手を出した。
「ハンカチ返しなさい」
「あら、何の事か……」
「証人がいるのよ。あの奴隷。あと可愛いわんこのね」
ソファで朝のコーヒーを嗜んでいたガルカが「奴隷とは失礼なお嬢様だ」と呟く。
影からはコントンが、『ヌスミ ミタ。アト スル アルベラノ血ノニオイ』と答える。
「ほら」
じとりとアルベラはエリーを睨み上げる。
「そう言われましても、私は何も知りませんし」
エリーはアルベラの登校時間まで白を切り通した。
アルベラもその場を諦めて終業式へと向かった。
装飾を施されたドーム型の屋根。
外見だけならどう見ても宮殿でしかない建物がこの学園の体育館だ。
中は外装通りだだっ広い宮殿のダンスホールのような作りとなっているが、作り的にはカーテンの着いた舞台があったり、運動用のライトが取り付けられていたりとアルベラの前世に知る体育館と同じだ。
ちなみに普段アルベラが使用する貸出用のトレーニングルームは、この宮殿のような体育館に沢山作られた内の一室だ。
終業式はこの体育館で行われる。
全校生徒が集まり、会は何事もなく粛々と終わった。
前期の内に芸術や武術、スポーツの方面で功績を上げた生徒がいたらしく、上級生の彼等が表彰され理事長の挨拶でその日は解散だった。
会が終わった後に一応各クラスで、改めて休みについての説明や注意喚起がなされた。
それを終え、ようやく前期の終了、長期休暇の始まりである。
学園は考査終わりよりも更に賑やかで明るい空気となった。
アルベラは部屋へ戻ると、各部屋へ配られた通信簿を拾い上げる。
風を感じて顔を上げると、ガルカがどや顔で窓に腰を下ろしていた。
「どうだ。破ってやったぞ」
「はいはい。おめでとう」
アルベラは軽く流して通信簿を開いた。
成績は上々……だろうか。
(学年で二十九位か。悪くは無いんだろうけど……あれ……? 原作のアルベラって一年時からずっと上位十位以内とか八郎言ってなかったっけ? ていうか特待生って皆二十位以内じゃないと不味いんだよな。すぐに退学とかではなく補講と再考査みたいな流れだったと思うけど、今回誰もそれはなさそうだし……………………私、あの子達より九位もしたって事……?)
「―――……」
アルベラはパタンと通信簿を閉じた。
「オヤスミ タノシミダナー」
「随分動揺してるな」
彼女の心拍数に耳を揺らしたガルカが突っ込みのような一言を放つ。
アルベラは荷物の奥深くに通信簿をしまい、成績については今は意識から消し去ることにした。
***
部屋に戻ったラツィラスは、ギャッジから盟約の魔術について幾つか候補が上がったと報せを受けた。
「多分ですが、その中でも『クイーンロズマの誓約』が一番あり得るかと」
「もうそこまで……流石僕の専属」
くすくすと笑い、ラツィラスは小さな箱と、白いハンカチの切れ端をギャッジへ渡す。
箱の中の綿と、半分に切られ折りたたまれたハンカチ。両方に赤い液体が染み込んでいるのを確認し、ギャッジは「これはこれは……」と心底驚いたような呟きを漏らした。
「結構早く解けそうかな?」とラツィラスは尋ねる。
「ええ。これがあるとないのでは大分。……お二方、とても気が回られていらっしゃる」
「だね」
ラツィラスは昨晩、あの美人の使用人が主に秘密でハンカチを持ってきた事を思い出す。
ギャッジや他の使用人のいない絶妙のタイミングで部屋を訪れた彼女は、アルベラには秘密にするようにと念を押して去っていった。
なぜエリーがラツィラスにこのハンカチを託したかと言うと、それは偶然ウォーフが「あの箱」をジーンに渡す場を見たからだ。
アルベラが部屋に戻り、シャワールームへ入り、エリーはドレスからハンカチを抜き取った。
もう一人のあのグラスを飲んだ少年はどうするのだろうと様子を覗き見に行った先での出来事だった。
そして彼女は、偶然目にしたその光景にピンときた。
ウォーフもアルベラも、自分には事情をきかれたくないようだった。
それはウォーフのあの時の突然の体調不良や顔色から、多分何かの術か呪いだろうと推測することが出来た。
自分に説明できない、したくない二人。その片方が託した相手、王子様のお付きの彼。
エリーは、この王子様にハンカチを渡せば、二人の話さない事情を聞けるのではと思ったのだ。
そして、この王子様なら自分の仕えるお嬢様の為に何かするだろうともエリーは確信していた。
それほどに、エリーから見てラツィラスはアルベラを友として信用、信頼しているように見えたからだ。それはその王子様の騎士様についても同様に。
エリーの睨んだ通り、ラツィラスはグラスについて彼の知る事を話してくれた。
代わりに彼はエリーから見たパーティーの様子や出来事、最後の催しについての話を聞いた。
そうやって昨晩は二人の間で、有益な情報交換が行われたのだった。
(後はスチュートの血か……)
ラツィラスは「ギャッジ」と執事の名を呼んだ。
ギャッジはいつもの如く「はい。お任せを」と詳しくは聞くことなく了解する。そんな彼にすべてを託し、ラツィラスは「頼んだよ」と微笑む。
その主の浮かべた微笑みに陰りがあるのを、ギャッジは見落とさなかった。
彼は唇で緩やかな弧を描くと、「大丈夫ですよ」と温かみのある低い声で告げる。
「皆さんしっかりしておられます。ベルルッティ様は痛みを恐れるお人柄ではないようですし、痛みを受けたとしても、それをしつこく根に持つ方ではないでしょう。アルベラ様は、痛みから逃れるよう事をお上手に躱す器用さのある方です。きっと明日のお茶会、いつも通り楽しめますよ」
赤い瞳がキョトンとした様子で自分を見上げるので、ギャッジはニコリと笑んで頭を下げた。
―――本人たちの了承を得たとはいえ……。明日の茶会、自分のせいで二人を苦しませてしまう事もあるかもしれない。
そんな不安を見透かされたのだと理解し、ラツィラスは苦笑する。
「君は本当に優秀だ……ちょっと過ぎる位かな」
「身に余るお言葉です」
ラツィラスはクスクスと笑う。
同室では三人の使用人達がこれから行われる茶会の準備を終えようとしていた。