214、 皆の誕生日 18(仕込みとエスコート)
「なんだ嬢。みみっちいことしてんな」
アルベラが自分へ視線を向けたのを見て、ウォーフはニッと笑って自分の口の中へ指を突っ込んだ。
奥歯の辺りをまさぐり、彼は何かを取り出すとそれらを掌に載せる。
真っ赤に染まった綿だ。
指先サイズの物が四つ。
見ただけではそれがどれほどの量を染み込ませているのかは分からなかった。
(なるほど。通りですんなり飲んだわけ……。それに引き換え私は何の準備もなく……ああ。くそ……。けどルーの反応的にも執事の人の言葉的にも命に害はないみたいだったし……)
アルベラは自分の準備の足らなさを悔いる。
「ああいう時は口の中に仕組んでおくのが長生きの秘訣なんだよ。卿から教わってねーのか?」
「教わってなかったわ。今勉強になりましてよ。ありがとう」
アルベラが眺める前、ウォーフはポケットから取り出した薄型の小さな箱に綿をしまう
(お爺様そういうのも教えてくれたのか……。小さい頃もっと仲良くできたなら………………いや。あれは無理でしょ。相性的に)
「それでウォーフ様」
「『ウォーフ』」
ニッと笑み、彼はアルベラを見下ろす。
「同じ盃を飲んだ仲だ。様はいらねぇ」
アルベラは暫し間を空け言葉をつづけた。
「……そう。『ウォーフ』。で、貴方はあれを飲んだの? それとも全部この綿の中?」
この小さな綿四つにあのグラスの液体全ては、アルベラ前世の常識的にはあり得なかった。だがこの世界はこの世界だ。コップ一杯の水を吸っても指先サイズの「綿っぽいもの」が無いとも限らない、とそう尋ねてみた。
「半分だな」
ウォーフは隠すことなく問いに応じる。
「飲まない手もあったが、あの執事も危険はないって言ってたし。教師陣もいる大勢の前だった。パテックが参加してなかったのは残念だったが……。まあ命に関わることはしねーだろと思って半分飲んだ。だからしっかり味わらせてもらったぜ、め―――」
ウォーフは何かを言いかけ、ぐらりとよろめく。
彼は膝をつき、驚いた顔に笑みを浮かべた。瞳が定まらず小さく揺れ、その額には汗が噴き出している。
『この誓いについては俺達だけの秘密だ。誰にも言うなよ』
スチュートの言葉を思い出し、「……なるほどなぁ」と彼は呟いた。
「ウォーフ……」
アルベラは不安げに呼びかける。
「何でもない」と言ってウォーフは立ち上がり、アルベラの隣にいるエリーへ目を向ける。
「エリーさんよ。ちょっと席外してくれるか。それか会話は聞くな。口も読むな。いいな」
「分かりました」
エリーは二人から距離を取り、聴覚に何か施したのか指で円を描いて準備できたことを告げる。
彼女の合図にウォーフは「よし」と頷き、アルベラへと肘を持ち上げた。
「嬢、部屋まで送る。とりあえず俺に触れろ」
「はいはい。密談の魔術ね」
アルベラはウォーフの腕に片手を乗せた。ウォーフがアルベラをエスコートする形で歩き出す。
どこか顔色の悪いウォーフと「会話をきくな」と指示されたエリーを見て、アルベラも先ほどウォーフが思い出した第三王子様の言葉を思い出していた。
「はっ! なるほどな。しっかり躾け目的じゃねーか!」
魔術具を作動させたウォーフの第一声がそれだ。
アルベラは息をつく。
「さっきのあれ、赤い液体を飲んだ時の反応と同じ奴かしら?」
彼女は愛想笑いを浮かべるのを止めていた。意味もなくニコニコしているのが馬鹿らしくなるくらい疲れたのだ。
「ああ。『盟約』と『熱』って言葉を口にしようとした。そしたら全く同じ炭の苦だ。あの王子さんとの盟約の件、人に言ったり聞かれたりしたら痛い思いするみたいだな」
炭の苦、とは「火に焼かれるような苦しみ」というこの国の言葉だ。
前世で似たような言葉があったな、どんな言葉だったかと思うアルベラの横、ウォーフは続ける。
「あと、『王族に逆らうことなかれ』『王族の望みに応え、その言葉に従うと約束してくれるか?』だったか……。王族の言葉に逆らうたびにこれか? 面倒だな」
「あの綿、あなたはどうするの? 痛い思いしたとしても、あの執事の言葉を信じるなら死ぬことは無いって事でしょ? 苦痛覚悟で誰かに渡すのかしら?」
「だよなぁ……。ま、死なないなら痛み位なんてこともねぇが……無いに越したことはねえ。特に俺からは何も書かずこれだけ送ってみるか。それで何も無けりゃ儲けもんだしな」
(親父もあれを受けとりゃ、俺が口にしたものってのは一目で分かるだろうし。調べりゃ俺の唾液も検出される)
「……さて、綿を送っただけであの盃の効果は表れるものかねぇ」
「それって今晩の内に送られて?」
「あ? ああ。部屋戻ったらな」
「そう。じゃあ明日、貴方が生きて終業式に出てくるようなら、私もお母様にハンカチ渡そうかしら」
「嬢……あんたな……」とウォーフは呆れを溢す。
「ていうか公爵じゃなく奥方に渡すのか?」
「ワンクッション必要なの。お父様に直接こんなの送ったら大騒ぎで城に怒鳴り込みに行きそうだもの」
「カカッ! 公爵の溺愛ぶりは聞いてた通りか。十になるまでできる限り娘を人目に出さないようにしてたってのも本当か? 卿が『世間知らずに拍車がかかる』って猛反対してたな」
「そうね。敵が多いから色々準備したかったんですって。私もあまり屋敷の外に興味なかったし。……そんな話は良いから。ねえ、明日だけど貴方、第五王子様にお茶会に誘われていたりとかしない?」
「茶会か」
ウォーフはくつりと笑う。
「ああ。なるほど、嬢も誘われてたか。……となると、お互い出るとしたら王子さんの言葉には全肯定でいないといけないな」
(ウォーフも誘われてたか。他の婚約者候補集めてって線もあるのかと思ってたけど、この分だと違いそうね)
「そうね。必要以上に従順でいてみる? 彼、違和感を感じて適当に色々上手いこと察して解毒剤か解術の方法でも持ってきてくれないかしら」
「察してか……。嬢、結構第五王子さんは信頼してる口か?」
「ただの希望を言っただけよ」
「ふーん」とウォーフはすまし顔のお嬢様を観察する。
お嬢様の顔を見ても「美人だな」という感想が浮かぶ位で、何も得られず彼は視線を前に戻した。顎に手を当て、「『解毒』ねぇ……」と呟く。
「……もしあの魔術を解く方法があるとして、嬢はこれをすぐ解くか?」
「……」
アルベラは廊下の先に目を向けたまま、視線を少し上げて考える。
そんな方法があれば、遅かれ早かれ解くには違いないだろう。問題はいつ解くかだ。
さっさと解いた場合、第三王子様にあった時は自分にかけられた魔術がまだ効いているふりをするか。それとも、あっさりと命令に背くような事をし、自分が何ともない姿を見せつけてやるか。
遅かったとして、それはいつだろう……。アルベラは考え、口を開く。
「方法があるなら……邪魔になった時に解く。それまでは放置する。幸い明後日から休みだし、その間ラツィラス殿下と関わらなきゃいけない用もないし。あっても言葉に逆らわなきゃいいし」
アルベラは自分の誕生日が休みに入って二日目にあることを忘れてそう答える。
「波風立てず、だな。まあ俺もそうする」
ウォーフも彼女の誕生日の招待は受けていたが、その事は今は頭から抜け落ちていた。
二人は本館の廊下を端まで歩き外へ出る。
外には正装のまま、ベンチに腰掛け話し込んでいる生徒たちの姿がまばらにあった。
自分達以外の人の気配があったあたりから、アルベラの顔には条件反射で微笑みが張り付けられていた。
彼女のそんな様子に、このお嬢さまの人物像がだいぶ見えて来たウォーフは「逞しいじゃねーか」と内心笑った。
(どんな溺愛の仕方したらこんな警戒心強く育つんだか。やっぱ卿の孫だよな……。こうして話し合えるだけ頼もしくていいが………………こういうタイプは迂闊に手を出すより時間をかけて信用を得てからが勝負だな。一学年の内は余計な事はしない方が吉か……?)
ウォーフは今まで落としてきた女性を思い浮かべ、狩りの算段を立てる。
アルベラはニヤつきながら何事かを考えているウォーフを見上げる。
(うわ。気に食わない顔……)
女の勘、とでもいのだろうか。微笑みをはりつけているアルベラだったが、ウォーフを見る目には蔑みの色があった。
出来るだけ人目の少ない経路を選んで、二人は寮館へと着いていた。
殆どの生徒が楽な格好に着替え終え廊下を行き来していた。飲み足りなかった者達が自室で二次会を開いているようで、廊下に摘みや飲み物を持って歩く使用人の姿もあった。
生活の区域であるにもかかわらず、エスコートを続けるウォーフと、彼の腕に手を乗せて楽し気に微笑んでいるアルベラの姿に、生徒たちはチラチラと興味の目を向ける。
アルベラもウォーフも、人目など気にせず例の話を続けていた。
「にしてもおかしな話だな。『王族に従え』か……。兄弟間でなんかあった時に余計な口出されないための予防か? むやみに王族に話したくなくなるってのはあるが……。あの王子さん、第五の王子さんのこと嫌ってるんなら、それを省く意味でも『俺に従え』にすれば楽だっただろうに」
それはアルベラも考えていた事だった。
「人前だったし、『俺』っていうより『王族』って言った方が耳触りが良かったから、とか」
とアルベラは零すが、何となく違う気がした。
人前だろうと彼は気にしない。そんな言葉をつい最近ラツィラスから聞いたからだ。
「んー。あの王子さんがそんな事気にするたまかねぇ……」
ウォーフもあまりピンと来ていない様子だった。
アルベラの脳裏に、ふと今までのラツィラスとのやり取りと、寵愛の話や兄弟関係の話が過った。
功績組と関わる気のない第三王子様。
王族に従えとアルベラやウォーフに命令したところで、この二人が普段関わりがあるとしたら第三の彼より第五の彼だ。
(―――……いやがらせ)
何となく、アルベラの頭にそんな言葉が浮かぶ。
そのままお互い考えながら歩き、大して交わす言葉もなくなったのでアルベラはウォーフの腕から手を放した。
「ここまででいいわ」
「そうか? すぐそこだし、ここまで来たら部屋まで送って差し上げるが?」
「そう」
紳士の優しさを受けるのもマナーの一つだ。
アルベラはそのままウォーフに部屋まで送ってもらい、二人はそれで解散した。
アルベラがウォーフの腕から手を離した段階で、エリーも傍へと戻ってきていた。彼女は部屋に戻るとすぐに楽な服を取り出しアルベラへ差し出す。
部屋に戻ったらさっさとドレスを脱ごうと考えていたアルベラは、エリーの行動に「よく分かってらっしゃる」と、気持ち悪さ半分で感心していた。
***
扉の細い隙間、すっと一枚の封筒が差し込まれる。
白い手袋をはめた手がそれを拾い上げ、紺色の瞳が一通りよく見まわす。
安全を確認すると、ギャッジは主の元にそれを持っていった。
ラツィラスは「ありがとう」と彼から封筒を受け取り、ギャッジは頭を下げて壁際へと下がった。
(差出人なしか)
心あたりのある人物を思い浮かべラツィラスは封を切る。
赤い瞳が短い文字列を追い、とある一点で動きを止めた。
「スチュート」とラツィラスはごく小さな声で呟く。
―――ぞわり、と部屋の中の空気が重くなった。
ギャッジは表情も変えず、その空気の源である主を見つめる。
先ほどまで穏やかだったラツィラスの瞳は光が灯り、怒りを湛えて真っ赤に燃えがっていた。