206、 皆の誕生日 10(吸血石とアイスベリー)
「ふん。まあ挨拶も聞いてやったわけだし、お前等とはいったんここでお開きだ」
(ん? は? こんな一方的なやり取りのどこでどう媚び諂えって……?)
アルベラはニコニコと微笑んだまま、取りつく島もなくこの場を切り上げようとするスチュートを見上げる。
「……そうだ。もうひとつあったな」
彼は興味なくアルベラとウォーフから視線を逸らすと、隣りに腰かける婚約者へ向け口を開いた。
「シンイェ。一応挨拶してやれ」
隣から「はい」と鈴を転がすような可愛らしい声が返る。
「お初にお目にかかります。ウォーフ・ベルルッティ様、アルベラ・ディオール様。東北の隣国、ガウルトの第三王女シンイェ・メイリー・アラドラグです。よろしくお願いいたします」
アルベラとウォーフは「よろしくお願いいたします」と首を垂れる。
「私も後で自由に回らせて頂きますので、その時にまた。ぜひ仲良くして頂けたら嬉しいです」
くすりと微笑む可憐なお姫様に、アルベラは「ああ……もったいない……」と心の中呟いた。
この王子様にこのお姫様は勿体ない。一体どんな経緯でこの人が婚約者に選ばれたのか、と気になるところだった。
ウォーフはご機嫌に彼女に微笑み返している。
幼い印象もあるが、何処か凛とした空気も漂わせる彼女は年上好きの彼のお眼鏡に叶ったようだ。
(ウォーフ……恐れ知らずか)
アルベラは第三王子様の姿を見る。
口端をつい上げているスチュートが、気に入らなそうに眼光を光らせていた。
「挨拶は済んだ。元中伯、元準伯、さっさと下がれ」
怒りを確かに感じる、腹の底から出したような声。
アルベラは「この野郎……」とウォーフに怒りの矛先を向ける。
「貴重なお時間を頂きありがとうございました」と、アルベラが笑みを保ったまま告げ、二人は深々と頭を下げた。
「……あ、そうだ。最後にまた呼ぶからそれまでは帰るなよ。ロウ」
「はい。……ベルルッティ様、ディオール様、少々よろしいでしょうか」
立ち上がった二人を、スチュートの執事が呼び止め端へ寄せる。ギャッジより幾らか年下に見える、四十代前後の男性だ。
「こちらを握ってくださいませ。手の中が少々チクチクするのですが、我慢して頂けたら幸いです」
トレーの上に敷かれた真っ白な布。そこには二つ、つるりとした楕円の石が置かれていた。
透明感のある黒。その中に赤い煙のようなものが漂っていた。
どう見てもただの鉱石ではない。魔術具的な何かだ。
「うわぁ……」と、思いつつも、それを表には出さず、アルベラは快諾する。
ウォーフも同じだ。何を考えているかは知れないが、石を見て迷いもなく握りこむ。
「……」
アルベラは驚いて身を引きそうになったが、体に力を込めるだけで堪えた。
(……?! い……いたっ! いたた、いた、いたい……!)
思っていた以上にチクチクする。
手の中を沢山の針で刺されたような感覚だ。
それも皮膚の表面を小突かれたという程度ではない。注射針で刺され採血された時と同じくらいの痛みが手の中にいくつも起こった。
痛みは三十秒ほどで止み、執事から「お疲れさまでした」と声がかけられる。
「石をこちらへ」
差し出されたトレーの上、アルベラとウォーフは元あったように石を置き直した。
黒かったそれは、今は不透明の赤だ。
(血取られたとしか思えない……)
「お二方、体調等問題は無さそうでしょうか? ふらついたり気持ち悪いようでしたらあちらで座って休んで頂きたいのですが」
「いいえ。私は何とも」
「俺も大丈夫だ」
「そうですか。では、どうぞパーティーの方を楽しんでらしてください」
柔和に微笑み、第三王子の執事は二人を見送った。
(あれが何だったかは説明なしか……)
壇から離れ、アルベラはウォーフを見上げる。
「ウォーフ様、ちょっとお付き合い願えますかしら」
「おお、喜んで」
分かっているだろうに、ウォーフはまるでデートに誘われた紳士が浮かべるような笑みを浮かべる。
彼は慣れ切った動きでアルベラの腰に手を回すと、エスコートするように彼女の向かう方へとついていった。
人気のない場所を探し、ウォーフとアルベラは本館正面の広場に出ていた。
パーティーホールからは小さな中庭にも出られる。だが、そちらよりもこちらの方が人が少ないだろうと予想し、会場を出てエントランスを抜け、この広場に出てきたというわけだ。
アルベラの予想通り、先ほどちらりと見た庭に比べこちらの方が人影は少ない。
気を付けないと夜闇に溶けた人の気配を見落とし兼ねない、と自分で出来る限りの防音の魔術を張ってみた。
一応ウォーフにも質がいかがなものか確認し、「大声で叫んだりしなきゃ問題ないだろう」との事で本題へと移った。
「何だ、嬢。普通に痛がってたんだな。流石……その意地張り具合は卿譲りって感じだな」
彼は拳で膝を叩きながらクックッと笑う。
「あら。それに付いてはお父様だって十分意地っ張りよ? きっと両親のどちらからも貰い継いだ物ね。―――で、そういうあなたはあの石についてご存じだったとはね。採血だなんて……感じが悪い。嫌な使い道しか想像できない」
ウォーフからあの石がどんなものか教えられたアルベラは、自分の手のひらをぐーぱーさせ眺める。血を吸われたらしいのだが、そこには一切の傷も残って無かった。
「採られたもんは仕方ねぇだろ。どうするつもりか見守ろうぜ。俺はあの王子様がどう出るか気になってるんで、嬢には余計なことして欲しくねぇな」
「私が何かすると言って? 私だって様子を見るつもりよ。安心なさって」
「なんだそうだったか。わりぃな。あの美人と美男が居ないから裏でこそこそさせてんじゃないかと勘繰ってた」
(エリーとガルカか)
アルベラは「好きに回らせてるだけですわよ」と返す。
(にしても……一方的な挨拶。予想外……。あんなにこちらの発言が制限されるなんて。はぁ……。考えてもいなかった自分が情けない……)
アルベラはため息をついて項垂れる。
ああなってはもう相手のペースに乗りながら見ているしかないではないか。
「第三王子様……『あいつ』『あいつ』って。そんなに私、ラツィラス殿下と似てらして?」
アルベラは項垂れたまま、返事は期待せず呟いた。
顔が、と言われればラツィラスのあの美しい造形だ。勿論素直に喜べる。
だがあの言い方、それに実際の所、誰からどう見てもラツィラスとアルベラの顔の作りは似てなどいない。それはアルベラにだって知れた事。
黙っていれば純粋無垢な赤い瞳の王子様と、少々意地悪そう、冷たそうともとれるアルベラの目鼻立ちだ。分かりやすい動物で例えるならウサギと狐。互いの顔ではなく、雰囲気か態度、又は笑い方等を示していたことは確かだろう。
(瞳も髪も全然違うし、共通点を上げるなら色白ってとこくらいか。あと顔のパーツの数ね……)
ウォーフは笑みを浮かべながらアルベラの疑問に答えてやる。
「まあ分からなくはない。空気だとか顔を作るタイミング、雰囲気の纏い方なんかが似てんだろうよ。あと、自分を見る目とかでもそういうのあるよな。そこについては第三王子さんがどう感じたかは知れねぇが」
「私の尊敬の眼差しは完璧だったはず……。空気? タイミング? 纏い方? そんなの勝手なフィーリングじゃない。知らないうちにあんな可愛げのない王子様と被せられて嫌われるなんて不服だわ」
「おうおう、荒れるなぁ嬢」
「ウォーフ様、貴方も。彼の婚約者様に見とれた事で私も巻き込まれるような事があったなら……その時は遠慮なく売らせて頂きますからね」
「カカッ。嬢は心配性だな。大丈夫だよ、あん位じゃなんもおきねーって。第三もあの婚約者様を飾り程度にしか思ってねぇしな。俺らの位が低かったり平民だったならともかく、手出したりしなけりゃ処刑とかはねぇって」
(処刑……)
あの噂、そりゃあ他の公爵家も知らないはずないか、とアルベラの思考がふと冷静になる。
「けどなぁ」
ウォーフは楽しそうに口の端を持ち上げる。
「人様のモノって燃えるよなぁ……。そう思わねぇか、嬢?」
アルベラの目がすっと細められた。
「あなた、婚約者様に何もするんじゃないわよ。絶対」
「そういう周りの制止も火に油なんだよなぁ……。シンイェ……あのグレーの髪、中々色っぽかった……いつまでいるんだろうな……」
星を見上げながら姿でも思い出しているのか。頬を緩ませるウォーフへ「呼び捨てにしない」とアルベラから叱責が飛んだ。
***
(最後にまた呼びだされる、か。その頃のにはあの石の目的分かるかな……)
アルベラは会場に戻り、「いかがですか?」とスタッフから示された盆を見て目に付いたグラスを手に取る。
そのグラスにはまだ口をつけず、とりあえず空いている席を探して壁際を歩く。
ウォーフは会場に戻ってすぐ、約束していた相手がいたようでダンスの声かけへと向かっていった。
『じゃあ譲、また後でな。血を抜かれたんだ。少しの間飲み物飲んで安静にしてることをお勧めする。あ、俺が踊り誘いに行くまでに体調は十分に整えておけよ』
あの「大きな少年」の別れ際の笑顔を思い出し、アルベラは目を据わらせた。
(なんつう清々しい)
彼らを見ていると、本当に女性との付き合いを「嗜み」として割り切っているのを感じる。
二人の女好きを思い浮かべながら、アルベラは何となくそんな事を考えていた。
(女好きと言えばカザリットもなんだけど、何でか彼はそっち方面ではいつも傷ついてるんだよなぁ……。エリーにガチになるあたりも報われてないし。……いや。エリーが相手として悪いとは言わないけど、エリーが社交辞令的なのは明かだよね……………………あれ? 明かじゃないのか? もしかしてエリーもそれなりに皆に手を抜いてない系? …………あ、手抜いてない気がしてきた。あいつ、いつも本気で男を前にしてる気がする。だとしたらそういう相手に迂闊にガチになる方が悪いのか? ………………いやいや……。けどあいつはアイツでリュージにという本命がいる訳だし、それで周りを本気で誑し込んでいるのだとしたらそれなりにエリーが悪いよな。…………でも、周りを垂らし込めるだけの美を努力で手に入れたなら、エリーがその美貌を使って周りを翻弄するのはそれなりのご褒美と言うか、特権でもあるような……………………―――あれ、何について考えてたんだっけ……ん?)
少し先にオレンジ髪のヒロイン様の姿があった。
可愛らしいデザインのドレスを纏っているが、彼女の顔立ちや髪と瞳の色に中々似あっていた。
明るいオレンジ基調に白や黄色があしらわれ、はつらつとした印象を与える。
ふと、ユリが今スタッフから受け取った飲み物に目が行く。
アルベラはチラリと自分の持っているグラスを見た。
アルベラが先ほど受け取ったのはアイスベリー入りのサブだ。
数カ月前に騎士団の野外訓練のおり知った実。液体に混ぜると実が氷のように溶けていく。飲み物に混ぜると、アイスベリーが溶けるとともに味が少しずつ変わっていって美味しいのだと聞いて、いつか飲んでみたいと思っていた。
そしたらなんと、どんな偶然かこちらで配られているではないか。
アルベラは迷うことなくこのグラスを選んだ―――、というわけだ。
アイスベリーは微炭酸のサブに浮かび、小さな泡を下から受けながら少しずつ小さくなっていた。
実の溶けた部分が飲みものと混ざり合う際、成分が反応し合っているのか紫とも青ともとれる色味が滲み、サブの色と混ざり合っていた。
美味しい……かはまだ分からないが、目でも楽しめる飲み物である。
―――そしてユリのアレ。
アイスベリーにも似ているが、透明な粒はグラスの底へ沈んでいた。
会場内で他にもアイスベリーの入ったグラスは見かけていたが、それらと何かが違う。
「……?」
アルベラは何の気無しに軽く魔法を使ってみた。
十メートルほどの現在の距離から、歩いて近づいていきながら。他の成分を混ぜてしまわないよう注意しつつ、霧をこちらへと引き寄せる。
アルベラは時計でも見るように甲を上にして手首を持ち上げた。
視認できないほどの湿気がそのブレスレットを覆ったのを感じる。
「……」
同時に彼女の目がそっと細められた。
ブレスレットがほのかに熱を帯びたのだ。反応を示したのは二つの石。熱が無ければ気が付けないであろう程の僅かな色味の変化。
(グレーが橙に。暗い黄色の色味が明るく……)
何の、どう言った成分だ?
アルベラは「後で調べるとして」と足を速めた。
(ていうかガルカは何してるの? 念のためにユリを見ててっていったのに……)
ユリの周囲に目をやれば、四~五人のご令嬢に囲まれ楽しそうに笑ってる奴隷の姿があった。
(あの野郎……。もういい。この距離なら私が行っても同じ)
「コントン」
歩きながらアルべらは小声で呼びかける。
『ナニ?』
「あの飲み物持ってきた奴追える? オレンジ髪の、多分あなた達が言う『臭い人間』が持ってるグラスを持ってきた奴」
『ウン カンタン』
「じゃあお願い」
バウっ、と足元から犬の鳴き声が上がる。
「え? 今犬いなかった? 鳴き声が……」と近くの生徒達がきょろきょろと辺りを見回した。
アルベラは素知らぬ顔で足早にその場を過ぎ去る。
視線の先でユリがあのグラスを口につけようとしていた。
あの実は食べていい物なのか。
それともアイスベリーとは、単に飲み物の種類によって沈む物なのか。
(確かめなきゃ……)
アルベラは腕を伸ばした。
「ごきげんよう」
「―――?!」
突然後ろから手首を掴まれ、ユリはびくりと肩を揺らした。
自分の手を掴む人物を振り返り、彼女は大きな目を真ん丸と開く。
「アル ベラ? ……あ、ええと」
状況を理解するようにぱちりと瞬き、ユリは慌ててグラスをテーブルに置いた。ドレスを持ち上げ、位の高いお嬢様へと頭を下げた。
傍にいた数人の特待生達も、気が付いたようにユリと共に慌てて頭を下げる。
「ご、ごきげんよう。本日は大変お日柄も良く……」
「ええ、いい天気だったわね。ところでユリ」
「え……? は、はい!」
「飲み物、交換してくださらない?」
「飲み物?」
ユリはテーブルに置いた自身のグラスと、アルベラが手にしたグラスを交互に見る。





