204、 皆の誕生日 8(授業納めの日 2/2)
陽の沈んだこの時間帯。
「そういえば先週よりも暖かくなってる気がする」と彼女がふらりと立ち寄ったテラスにて。
軽く外の気温を確かめるつもりで立った屋外の隅。
手すりに手を置き、アルベラは雪のなくなった庭園を眺めた。
入学当初、ここから見た風景は真っ白だったというのに、今は薄暗い中でも草木の緑や、既に開花の時期を迎えている花々の黄色や白と言った数ヶ月前には無かった色が良く見えた。
あれは椿的な木だろうか。あれは梅だろうか。あの上に向いて咲く、花弁の少ない白い花はなんと言ったか……。まぁ、あちらでの名前を思い出したところで、こちらで同じ名とは限らないのだけど。と考えながら視線を動かす。
少し前まですっぽりと雪に覆われていた聖堂のエメラルド色の屋根が目に入り、アルベラは反射的に顔を渋らせた。
そんな彼女の耳に、くすくすと聞き馴れた笑い声が聞こえる。
「聖堂を見てそんな顔するの、君くらいじゃないかな」
あの第五王子様の声だ。
ここに来るまでにそんな姿は全くなかったのに。とアルベラは辺りを見回す。
「お疲れ様。これから夕食かい?」
パッと視線を向けた自身の横に位置する席。その金髪は当然とそこにあった。
「やあ」と彼は言って、ひらひらと手を振る。
周りの生徒達も彼の存在に気付いていなかったようで、ラツィラスの隣のテーブルを使用していた生徒は驚いた顔をしていた。
カップを持ち上げ「いかが?」とでも言うように首を傾げる彼に誘われるまま、アルベラはその席の傍へ寄った。
「殿下……、認識阻害ですか」
「そ。中等部からお世話になってるからね。これくらいはお手の物だよ」
彼は指揮棒をふるうように宙に印を描くと、その中心をノックでもするかのようにコンっと手の甲で小突いた。
印は陣より描くのが簡単とはいえ、何もない宙に描いて発動させるのは上級の業だ。地面や壁、紙などの「物質」に描くのに比べ、空中に描くという動作にかえただけで(術にもよるが)その難易度は倍以上に跳ね上がる。
アルベラは到底まだ自分にはできそうにない芸当に目を据わらせた。彼女の胸に沸いたのは羨みと「ケッ」と拗ねるような感情だ。
素直に称賛、とならないのは相手の問題か彼女の性格か。
一時的に解かれた魔術が、またその席を覆って席周りの人物を目立たなくさせる。
周囲から席を見えなくするわけではないので、もう気づいてしまった者達の目には当然とラツィラスとアルベラの姿は見えていた。
しかし、認識阻害の魔術が展開されるとその存在感は一気に薄くなる。
隣りの席に座る生徒の感覚から表現するのであれば、金髪の王子様の姿は見えているというのに、脳は「そこに人が居る」程度にしか処理してくれず、テーブルの周りの状況や近くの別の席等、他の情報を優先して解説して来ようとするのだ。
ラツィラスは自分の張った魔術の出来に満足げに微笑み、アルベラへ椅子を勧めた。
「丁度一人で暇してたんだけど付き合ってくれない? それともこの後用事でも?」
アルベラは暫し緊張した面持ちで王子様の顔を眺め、その正面の、自分の手前にある空いた椅子を見つめる。
「……。いいえ。お言葉に甘えて失礼いたします。ちなみに夕食は先ほど済ませた所です」
椅子を引き、彼女はラツィラスの正面に腰かける。
「そっか。僕も」
二人きりになるのはいつぶりだろう。
少なくとも学園に上がってからは無かったなと、ぼんやりと考える。
「はい。どーぞ」
「あら。ありがとうございます。王子様にお茶を注いでいただけるとは、他のご令嬢方が羨むような贅沢なおもてなしですこと」
カップは元から一つ多めにあったのだろうか?
ポットに入っていたお茶を注いだラツィラスが、アルベラへ差し出す。
彼は「本当に思ってるのかなぁ」と笑うと、「そんな言葉づかい止めて普通に話しなよ。僕の魔術じゃ信用に欠けるかい?」と首を傾げた。
「あら。これだって私の『普通』です事よ」
アルベラは悠々とそう返しカップを口に運ぶ。
(おいしい……)
それは食堂で飲むいつもの紅茶よりかぐわしかった。きっとあの執事様が淹れたのだろう、とアルベラはもう一口紅茶を味わう。
(ここの食堂だって、腕のいい料理人や使用人の集まりだろうに)
紅茶の香りを堪能し彼女は顔を上げた。
「今日の夕食はお一人ですか」
「うん。ジーンはまだ訓練みたい。試験も終わって心置きなく体を動かせるのが嬉しいみたいだよ」
「そうですか」
アルベラは緩く笑む。
前よりも表情の変化が柔らかくなった彼女を見て、ラツィラスも嬉しそうに目を細めた。
「前期、あっという間だったね」
「はい。なかなか楽しかったです」
「ふふ。僕も、今のところは安心して楽しめてるかな」
「それは良かったです。雪山では意外なほどのポンコツぶりを発揮しておられましたが、あれも含めての『楽しめた』でしょうか」
「言ってくれるね」
「中々にいい迷惑でしたので」
「ふふふ。悪かったとは思ってるよ。おかげで命拾いしたしね。感謝してる」
「どうぞ、お好きなだけ恩を感じてくださいませ」
「うん。感謝感謝」
かさ高なアルベラの態度にラツィラスの笑みが崩れることは無い。
アルベラも慣れたように、もうその彼の軽い乗りにひとつひとつ呆れる等のアクションを起こすことはしなかった。
そこから話は、あの不幸の元凶であった木の実が何だったのか、どう処理したのかをラツィラスはアルベラへ伝え、残った実が無事ホークの元に渡った事も話した。
―――そして先の会話、「明日だね」の件である。
明日の第三王子様の誕生会。
その後のラツィラスとのお茶会。
そして翌日の前期終わりの集会と前期休暇。
さっさと休み来い、と考えているアルベラの耳に、「二人のご武運を祈るよ」とラツィラスの静かな声が聞こえた。
柵の外を眺めていたアルベラは視線を正面へ向ける。
彼も軽い笑みを浮かべたまま庭を見ていた。
ちらりとアルベラを見て目が合うと、彼は頬杖に顎を乗せかえ、透明な赤い瞳を真っすぐにアルベラへ向けた。
「スチュートは、人目があろうとなかろうと気にせず動くからね。君ならうまく立ち回ってくれる……って、信じていいかな」
(第三王子、どんだけ粗暴よ)
アルベラは小さく息をついた。
「できる事なら、ですね。王族相手に争いごとは御免ですもの。殿下も、彼が自身の誕生日会で勲等公爵家へ何か仕掛けるとお考えですか」
「『僕も』かい?」
「ええ。そんな話、この間ルーもしてました」
「そっか。ルーか」
ラツィラスはくすくすと笑う。
赤い瞳の上に長いまつげがかぶさった。彼は目を細め、アルベラへ眩しさのある笑みを向けた。
「……なにか」
「彼は良い奴だよね」
「はあ……。はい」
「他には何か言ってたかい?」
「さあ」
アルベラは頭を動かす前に肩をすくませる。
「色々話したので、殿下がどれについて聞きたいのか。具体的に質問して頂ければ、お応えできるかもしれません」
「本当、用心深いんだから」
ラツィラスは軽い笑いを挟み、「まあ、ルーの話は今はいいか」と視線を落とした。
「そうだね。彼もスチュートの性格をよく知ってる。何かを危惧する気持ちは分かるよ」
「ですが、この三か月何事もなく。学園の方は普通に過ごされてたんじゃないですか?」
「と、思うでしょ?」
「は?」
ラツィラスはにっと笑い、指を三本立てて見せた。
「三人」
「……?」
「スチュートがこの三か月、この学園から追い出した生徒の数。あと、騎士が二人かな」
「……。けど……そんな話聞いたこと」
「王族だからね」と、彼は穏やかに返した。
王族だから、学園をやめさせるのも周囲へのその口留めも簡単。
この「王族だから」という言葉は、何事も納得させてしまう魔法の言葉だなとアルベラは思った。
「多分、この話を広がらないようにしたのは彼の意思じゃないね。そういうの気にするタイプじゃないから。僕のギャッジ同様、彼にも世話焼きがいるからそっちかな。……あちらも主の面目が潰れないよう大変だ」
「そう……なんですか」
「追い出すだけで済んでるのは、多少なりとも彼の手加減を感じてはいるけどね。何しろ彼は、平民には遠慮がない」
「つまり、やめさせられた子の中には特待生もいたと」
「そ。まあ彼は、その後学園の計らいでこっそりと他の学校に転入させられたんだけどね。パテック理事長も頑張ってるよ。ばれたら反感をかうだろうし、レイツェル公爵からも目を付けられかねない」
レイツェル公爵とは三家の王族公爵家のうちの一つだ。
「レイツェル」は人名でなく領地名で、西に栄える大都市一帯の地名だ。この国では王族の公爵家のみ、領地名で呼ばれている。皆ファミリーネームは「ウォルド」なのでそのためだ。
ラツィラスが口にしたウォルド家の一つについてはともかく、アルベラは「そうか」と軽く目を伏せた。
「第三王子のそれは、まだまだぬるい方なんですね」
(処刑好きって、ガルカとエリーから聞いたもんなぁ)
追い出された特待生と言うのは、そうならなかっただけ幸運だったという事だろうか。
(ユリ……)
彼女がスチュートに目を付けられ、学園を追い出されたり処刑されたりという不安がアルベラの胸を過る。
「彼と何かあった時の、ごく簡単な解決策をおしえようか?」
「そんなのあるんですか?」
「うん。僕は意味ないけど、まあ……多分、他の人たちなら大体はこれで」
なんだ? と自分をじっと見据えて考えるアルベラに、ラツィラスは「簡単だよ」と人差し指を立てた。それを言葉と共にリズミカルに軽く振る。
「彼を『さも立派な王子様』と思って信じてやまない……かのようにへりくだって持ち上げればいい」
「簡単でしょ?」とラツィラスは微笑んだ。
「……」
言葉なく自分を見つめるだけのお嬢様に、ラツィラスんは「ん?」と首を傾げた。
「チョロすぎでは……」
本当にそんなんで? と疑うような彼女に、ラツィラスは「物は試しだよ」と笑った。
***
(ものは試し、か)
翌日、アルベラは早めに準備を済ませ、部屋でくつろぎながらその時間を待っていた。
この日は皆正装の準備のため、出歩いている者は少なかった。パタパタと忙しそうに廊下を行き来するのは、この日のために準備された使用人たちだ。
(いいじゃない、第三王子。今日は試し。とことん遜ってやる。……よし。そろそろ)
鏡の前でドレスや髪のチェックをし、床を踏んで靴の履き心地の方も確かめる。
いま彼女が着ているのは、スカート部分が大きく膨らんだ「いかにも貴族女性」なドレスだ。
舞踏会では定番の型であり、古風ともいえるドレス。よく言えば伝統的な貴族衣装である。
ドレスの形やデザインこそ中世や近世のヨーロッパのそれだが、ドレスに使用されている素材は全く古風ではない。
名称こそ微妙に違えど、ファスナーやマジックテープ、安全ピン、服飾用の小さな金具等が存在する世界だ。
この世界特有の動物の皮からできた「留め皮」と呼ばれる、マジックテープと同じように扱え、それでいてマジックテープよりもスマートな印象の素材もある。伸縮性のある布地やゴムも当たり前に存在し生活に馴染んでいる。
だから、それらを使用し作られたドレスの着付けは、アルベラにとって着物より簡単な印象だ。
布を止めるために針を刺したままにしたり、スカートを膨らませるための「腰当」や「骨組み下着」が重い素材の時代もあったようだがそれも遥か昔の話。
好ましい物は残され、不便な物は色んな人の手により日々改良されているのである。
(まあ、運動着や寝間着……実用性の塊の庶民服と比べたら重くて動きずらいに変わりないけど)
アルベラは前世で言う「クリノリン」を使用したドレスの傘をふわりとゆらす。
光沢のある紫がかった白の合間、紺と僅かの水色が縦に覗く。白地部分に散りばめられたパールのような白い宝石は上品に輝いた。
ちなみに女性同士で日中に行われるお茶会であれば、パニエやバッスル的な、腰回りを軽く膨らませる程度のドレスや、シュミーズドレスのように、ゆったりしつつボリュームの無いドレスの方が好まれている。
アルベラも、今着ている型の物よりもそちらの方が好きだったりするのだが……これから行く会は「それら」よりも「こちら」なのだ。
(マナー的にはありなんだけど……国の王子様に遜るなら、伝統を重んじたこの型が無難だよな)
アルベラはこつこつと踵を鳴らし扉へと向かう。
「さて」
彼女はくるりと室内を振り返り、自分同様身支度の済んでいる使用人二人を眺める。
「行きましょう」
エリー渾身の化粧を施された彼女の笑みは、普段のそれよりもより一層艶やかに彩られていた。