201、 皆の誕生日 6(彼の見たもの) ◆
(避けようかどうしようか悩んだ話題を自分から踏み抜きやがった……)
アルベラは自分の肩がずんと重くなるのを感じた。
見るからに空気を重くした彼女に、ジーンは世間話のようなトーンで「悪い」と告げる。
「あんま重く思わないでくれ。ただの話の流れだったんだ。……話して良いか?」
まるで本当になんとも思ってなさそうな彼の言葉と表情。
(私が許可する側か……)
アルベラは訝し気な視線をジーンへ向け、「分かった」と息をついた。
「貴方が良いなら聞かせていただくわ。……後で無神経だなんだって文句は無しにしてね」
「ああ。俺から話といて言わねーよ」
そこでふとジーンがくつりと笑みをこぼす。
「けど度を過ぎてれば流石に怒るか」
「ちょっと」
アルベラがじとりとジーンを睨みつけ、ジーンは軽い笑みを残したまま視線を落とす。
見つめるのは愚の挿絵だ。
「人に知られて困る話じゃないんだ。本当、軽い気持ちで聞いてくれ」
「俺が城に来たの、親無くしてってのは知ってるだろ。俺の親、愚にやられたんだよ。正しくはその飼い主の魔族に母親が唆されて愚にされた。親父は……愚になった母さんと出会って、それで殺されたんだ。多分、愚の言葉に引っ張られて」
ジーンが「母さん」という言葉を口にするのを聞いて、アルベラは何となく馴染みのない感覚だと思った。
彼はたまにザリアス長の事を「親父」と呼んでいたので、彼から出る「親父」と言う言葉には馴染みがあった。
ザリアス長は未婚だ。
今の家にジーンの母に当たる人物はおらず、長く雇っている家政婦は居るが、彼女はあくまでも雇われた「家政婦さん」でしかないようだ。
だからアルベラは、ジーんから自身の「母」を示す言葉を聞いたことが無かった。
「お父様の方は『多分』なのね。後からご遺体が見つかったのかしら?」
(『話の流れ』って話し出したのはそっちだからね……)
アルベラは内心で言い訳しながら、気になった事を尋ねる。
ジーンは一度「ああ」と頷くも、「……あ、いや」と否定の言葉を挟み、ちらりとアルベラを見た。
「結構そのまま話すけどいいか?」
「痛々しい話になる前振り?」
「まあそんな所だ。軽くな」
「ええ、なら大丈夫よ。お話だけなら拷問の流れ一通り聞かされる位の耐性はあるからお気にせず」
にこりとアルベラは笑うが、その笑みにはツーファミリーの拷問狂コーニオへの恨みが込められていた。
(たまに事務所で、お茶とお菓子を頂いてる横でやり方を喋々と話し出す人が居るのでね。それはそれは丁寧に)
お嬢さまの顔に、ジーンも「お前、そういえばごろつきの拷問友達が居たもんな。悪趣味な」と納得していた。
その「悪趣味な」は拷問狂に対してか、自分に対してか気になったが、ジーンが続きを話しだしたのでアルベラは今は突っ込まないでおく。
「その痛々しいって部分だけど。愚の一部になった母さんが、親父の首を持ってたんだ。親父の肩から下は無くて、確かだけど、他の手足が親父の体の一部を握ってた気もする」
ジーンが見たのは、悲し気に歪んだ母の顔と、その近くにあった母の腕が父親の頭部を大切そうに抱く姿だった。
「母さんは数日前から行方不明で、それを父親が空いた時間に探しに行ってたんだ。その日も、夕食後に少し村の周りを見に行くって言って一人で見回りに行ってた。母さんは居なくなるさらに数日前から様子がおかしかった。……表立ってはいつも通りだったんたけど、たまに少し……いつもより暗い目をしてた。多分、あの時にはもう魔族に誑かされてたんだろうな」
「願いを、魔族に託したのね……」
「ああ」
『ジーン。もう大丈夫よ。貴方は何も心配しないで。きっともう、誰もあなたの事を悪く言わなくなる』
『お母さん……?』
『大丈夫。もう誰もあなたを傷つけない。友達だってできる。こんな村だって、そのうち出てってやりましょう。ザリアスお義兄様のいる、王都に行くのもいいわね。ジーンも、お義兄様に会ってみたいって言ってたものね』
『うん……。けど、騎士様ならもう会えたし……』
『ああ……あの人達ね……。あの人たちは……よくないわよね。はやくどこかに……邪魔されるなんてごめんだもの……そうよ、せめて私の願いが叶うまでは……』
ぶつぶつと自分の聞こえぬ声で呪文のような呟きを零す母。
それから数日後、母は姿をくらましたのだ。
山菜をとって来るとふらりと山へ行き、それから戻ってくることは無かった。
ジーンはあの日、父の亡骸と共に、母の手が握りしめていた物をはっきりと覚えていた。
愚の姿形などは記憶から吹っ飛ばすような光景。
差し出された手のひらに転がった、二つの黄金色。
「それで、お母様が愚になって……その願いは叶って?」
ガルカから話を聞き、彼女は知っていた。だから確認したかった。彼の母の場合は「どちらだったのだろう」と。
(愚になる条件。本当に願いをかなえる必要はないって……。簡単に叶えられる願いなら本当にかなえる事もある。けど、魔族は魔族。神様や聖人じゃない。人の為に苦労して、その願いをかなえてやる義理は無い。……現実では到底叶わないような、面倒だと感じるような願いなら……本人にたった一時、叶ったと思い込ませればいいんだって……。彼等が狙っているのは、人の心が満たされた瞬間だから……)
顔を上げたジーンは、アルベラの固い視線に「知ってるんだな」と思った。
彼女はいつもの微笑みを浮かべもせず、憐みを浮かべもせず、今はただ事実を知る事を優先しているようだった。
そんな彼女の様子に、ジーンは遠慮なく自分の見たものや過去に専念する。
思い出し、伝えるための形に整える。そうする事で、自分もあの出来事も第三者的に落ち着いて捉えられる。過去として受け入れ清算出来る。
「叶わなかった。……魔族に叶えられる願いじゃないからな」
***
『だいじょうぶ?』
その少女は綺麗な金色に、僅かに青の筋が走った瞳をしていた。
近所の家の子だ。
自分よりも更に幼いその子は、まだ自分の赤い瞳の意味を知らないのだ。
『うん』と短く返し、自分は早くその場を立ち去ろうと思った。
『コレあげる。おいしいの』
差し出されたのは木の実だ。
おやつにと持ち歩いていた物なのか、どこかから採ってきた物なのかは知れないが、傷だらけの自分を哀れと思ったのか、彼女はそれを差し出してきた。
『ミテン!』
近くで畑仕事をしていた彼女の母は、彼女が赤髪赤目の少年と話しているのを見て大きな声を上げた。
『いらっしゃい! お母さんのお手伝いをしてほしいの!』
『はーい!』
まだまだ歩幅の小さい彼女は、何度も足を動かし、跳ねるように駆けて母の元へ行った。自分の身長程の母の脚に、絡みつくように抱き着く少女。彼女の頭に手を乗せ、彼女の母は何事かを少女に囁く。
少女は不思議そうに母を見上げ、首を傾げていた。
いつかの晩。
どこか遠くから叫び声が聞こえた気がして目を覚ました。
目を覚ませば、満月で明かるかったはずの窓の外が真っ暗になり、幾つもの低い呻き声のようなものが近くから聞こえている事に気付いた。
目を凝らしようやく、沢山の人の顔が外から窓を覆うように覗き込んでいるのだと理解した。
『ジーン、ジーン……モウ ダイジョウブ……シアワセ、コレデ、シアワセ ネ……』
「大丈夫大丈夫」と呟きながらも、苦悶の表情を浮かべて涙を流す母の顔。その青い瞳は、最後に見た日から更に暗く曇っていた。
沢山の顔は皆、母と同じ表情を浮かべていた。その中には母よりも少し前に行方が分からなくなっていた村人達の顔も幾つかあった気がする。
『ダイジョウブ、モウ、ダイジョウブ……』
その人の塊はぞわぞわと体の表面を波立たせながら向きを変えた。
沢山の顔から、沢山の手や足が垂れ下がる面へとそれは向きを変え、窓の外には父の頭部が現れた。
ジーンは大きく目を見開く。
その父を抱く腕は母の腕に似ていた。
似ている……違う。同じなのだ。その物だった。
見慣れた形。色、大きさ。何よりも小指に嵌めた細い指輪が、母と父お揃いの結婚指輪である事が、それが母の物であるという裏付けとなってしまった。
『……』
「なんで……」と声にならず、彼の唇は小さく動かされた。目にはじわりと涙が滲み出る。
―――なんで。
彼はまた小さく唇を動かした。
そんな彼の前へ、窓の外、父を強く抱きながら母の片手が差し出される。
その手のひらには、父と似た金色の瞳が二つ転がっていた。金の中に、僅かに走る青い光彩。
作り物などではない。本物の人の眼球だ。
神経周りを血に染めた金色の瞳。母の瞳の青を、ほんの少し薄く明るくした色味を混ぜた新鮮な眼球。
見覚えのある一人の少女の顔がジーンの脳裏に過った。
もう自分の言葉は母に届くことは無いだろう。
もう彼女は居ない。
目の前にあるのは母の亡骸でしかない。
そう分かってはいたが、伝えずにはいられなかった。
声に出さずにはいられなかった。
呆然と、父の亡骸と母の腕とその掌を、大きく見開いた目に映してジーンは呟いた。
『おかあさん……おれ……そんなの欲しくなかったのに……』
自分はただ、早く大きくなって強くなって、父や母に心配されないようになろうとそう思っていた。
だから、母の手がそれを差し出してきたのを見た時、どうしてもやるせない気持ちになった。
母にそんな物を持ってこさせてしまった自分が。
そんなものを母に望ませてしまった自分が。
悲しい、悔しい、なんで、なんでなんでなんでなんで―――
ジーンは窓から目を離せないまま涙を流した。
窓の外からは、沢山の呻き声と母が自分の名を呼ぶ声が聞こえていた。
***
「母親が望んだのは俺の目の事だったんだ。瞳の色を本当の父親と同じに……殆どザリアスと同じ色だったんだけど、それにして欲しいとでも願ったんだ。見て分かるだろ」
ジーンは顔を上げる。
アルベラへ向けられた赤い瞳を机の上のランプが煌々と照らし出す。光彩に混ざった金の粒がキラリと輝いた。
「何も変わらなかった。願いは叶わなかったんだ」
赤の視線は下げられ、また物思いに耽る。
「母親は、俺以上にこの目の事を気にしていたらしい。……俺が生まれてから、村の中で両親の扱いが悪くなったらしくて。親父は表立って周りからの当たりが強くなることは無かったんだけど、母親の方は違ってたんだ。周りの人間関係が大きく動いてたみたいで。それで心を病んで、その隙に魔族がつけ入った。不思議だよな。……強くて明るい人だったんだ……俺の前では。ザリアス、自分の弟夫婦が被害にあったって知って、状況とか色々知りたくてあの村に様子を見に行ったことがあったんだと。愚について調べる中で村の様子とか、俺の母親の人間関係とかも軽く見えたらしくて。だから、事が収まって、俺がここでの生活にも慣れてきた頃教えてくれたんだ。母親が感じてたんだろう悩みだとか、両親が当時、周りからどういう目を向けられていたかとか。……母さんがあの頃、色々悩んでいたんだって知った時は正直驚いた。俺には、そんなの全然気づけなかった……」
本に向けられたジーンの目が細められる。
きっと幼い頃の事を思い出しているのだろうと、アルベラは思った。
静寂が訪れる。
彼は一度ゆっくりと瞬きをすると、顔を上げ「悪い」と告げた。
「母親の事は、愚から少し逸れた」
「いいえ。……それほどって事でしょ? 人が隠した心の隙を見つけ出す『魔族の嗅覚』って奴? とか、愚の声に引きつけられた人間がどうなるのか、とか。お父様が飲まれてなかったのは、まだお母様が愚になったばかりで、その意識とか思いとかが僅かにでも残ってたからってことかしら?」
「かもな」
愚には一つ、大きな口があるそうだ。
本来ならその口で他の生き物を食い荒らし、その魔力や魂を飲み込み、自分の物にするのだという。愚には魂を飲み込む力があるとされており、それは愚の寿命を延ばし、魔力の受け皿も大きくするそうだ。だから愚は、人や魔獣を多く呑み込めば飲み込む程強力になるとされている。魔力が多くなれば、それより弱い魔法などは簡単に打ち消せるようになり、倒しづらくなる。
他の生き物を食すことで、その魔力を自分の物に出来るという点では魔族と同じだ。
そしてこれは同族嫌悪にも似たものなのか、愚は魔族を食さず、魔族も愚は食さない。
魔族が愚を殺す事はあっても、愚は魔族を殺さない。
そこには一応、作る側と作られる側と言う主従関係があるようだ。
「……そう」
正直どんな顔をしたらいいのか分からない。
アルベラは間を埋めるように小さく頷いた。
(……同情、はするけど。表立ってされたいタイプじゃないだろうなぁ)
多分、と付け加え、アルベラは表情無く愚の挿絵を見つめる。
(愚の話になった。自分も愚に合った。被害にあった経験がある。だから事例の一つとして話した。何の感情もなく……?)
果たして、彼はそこまで機械的な人間だろうか。そう思い、違うなとアルベラは思う。
そこには当然、外から見て分からないだけで、人間的な心情があったはずだ。
「……」
アルベラはじっとジーンを見つめる。
ジーンも、その視線に気づきアルベラを見つめ返した。
「何だ」
「……今は、もう自分の中で消化しきった話、でいいのよね」
「ああ。トラウマとか心の傷とかにはなってねーよ。もう十年経ってるんだ。とっくに感情の収集はついてる。……けど、こういうのって聞く側に変に気を使わせるだろ。だからあんまり、気軽に人には話せないよな」
けろっとした様子、とでもいうのだろうか。
本当に今はもう何とも無い事を示す、何度目かのジーンの言葉。それと態度。
それらが嘘ではない事はアルベラも十分理解した。
(けど……トラウマや傷ね……。引きずってないとはいえ、その時の気持ちとか感情とか忘れてる筈ないよな。そういう辛い時の状況も感情も『ひっくるめて全部大事に覚えておこう』とか思うのが人情でしょうし。……まあ……本人が言うなら)
アルベラは冗談交じりの、冷ややかな笑みを浮かべる。
「……そう。人に気を使わせるのが悪いと思う話をしたという事で……つまりジーン様は、私を気遣いが無いと思いなわけね」
「ああ」
「『ああ』……?」とアルベラが目を据わらせると、ジーンはくつくつと笑った。
「……冗談だ」
「でしょうね。私程空気が読めて理性的で大人なお嬢様が、真摯に話を聞いてあげたんだもの。そうね、これを一つ借りにしましょう」
アルベラはふふんと笑み、ジーンはよく分からなそうに「は?」と零す。
「……あ、違うわね。これの貸しを返したって事で。今の話は本当に軽い世間話として受け止めてあげる」
アルベラはポケットから腕輪を取り出し、指先で軽く揺らした。
「その腕輪を貸しと思ってたならそれでいい。ていうか……使っては無いんだな」
「持ち歩いてるんだな」と言いかけ、ジーンは言葉を変えた。
「ええ。普段は外套で間に合うもの。室内じゃ必要ないしね。使えば劣化が早まるし、意味もなく寿命を縮めるのは勿体ないでしょう」
「……。まあそうだな」
アルベラは腕輪をポケットにしまい直す。
彼女は少し考えるように腕を組むと、「さて」と言って椅子を立った。
「話しの区切りもいいし、探したい本があるから行くわね」
「そうか」と彼の口が動いたが、ランプがついたままでアルベラには声が聞こえなかった。
彼女の「ん?」という顔にジーンは思い出したようにランプをきり、「そうか」と言い直す。ランプが消えてからのその声は、確かにアルベラへと届いた。
アルベラはつい笑みを溢す。そして思い出したように「あ、」と口を開いた。
「一つ言っておきたんだけどいいかしら?」
「なんだ」
「私、生まれてこの方平和だし、家族も健在だし……いざとなっても貴殿方に話せる苦労話みたいのは無いから期待しないで下さいませ。貴方方と違って温室に閉じこもって育ったものでして」
「……? そうか」
(別にそんなの期待してないけどな)
前世に比べれば、アルベラにとってこの生はかなり色濃く、それなりに頑張っていると自覚することもある。
だがそれでも「彼等」のような試練は無かった。
十歳までは殆ど屋敷の中で悠々自適に暮らしてきたのだ。家は金持ち。生活のほとんどは使用人任せ。欲しいものがあればすぐに手に入る。恵まれている事この上ない。恵まれすぎていて、これを失う事があればと怖くなるくらいだ。
(前世なんて特に……人に話す価値もないくらい薄っぺらのカスカスだったし……)
あの生でなんのドラマも起こせなかった自分を思うと自嘲しか浮かばない。アルベラは歪みかけた口元を隠すように片手をあてる。
「……あ。唯一思い当たる小さい頃の苦と言えば、剣を仕込みたがるお爺様が暑苦しいし顔が怖いしで酷く苦手だったくらいかしら」
野外訓練で、自身の連れて来た騎士や兵そっちのけで孫の様子を見ていたブルガリー伯爵の姿を思い出し、ジーンは小さく吹き出した。
その暑苦しさは伯爵なりの愛情表現だったのではないだろうか。
哀れな話だと思いながらもくつくつと笑いがこぼれる。
「確かに、それくらいなら大した苦じゃないな」
「あなたなら苦じゃないでしょうけど、剣に興味ない人間からしたらいい迷惑よ。しかもあの体格であの顔よ。箱入り娘の私にはあの圧は耐えがたかったの」
彼女が十の頃まで屋敷から大して出たことがなかったという話は、この付き合いの中でジーンも本人から聞いた事はあった。
公爵の親バカ具合も知っているので、世にいう「温室育ち」に分類される事は否定しない。
だがそういう中でだって、生きてる限りは大なり小なりの苦労も不幸も勝手に起きるのだから、それで十分ではないかと思った。
アルベラの立場的に、公爵家という家に生まれた代償はジーンもいくつか知っていた。
薬を盛られたり命を狙われたり。家柄は関係ないが、彼女自身の生まれ持った体質だって十分ハンデだろう。
「祈り」という魔力の得る方法の一つが使えない。
神の力が濃い場所では体調を崩す。
信仰心の強い者が自分の体質がそうだったと知ったなら、絶望し自分の生を嘆いてもおかしくない。
(まあ、それが自分にとって普通になってるなら問題ないのか。体質の方はいい面もあるみたいだし)
ジーンは自分の目について回る「差別」と、体力や魔力面での「恩恵」という短所と長所を思い出す。外側から見えないだけでこれと同じような物かと納得した。
「恵まれて苦がないって言うなら、お前はその生活をくれたご両親を大事にしろよ」
「……ええ、それは……そうね。心に刻むわ」
ちょっとした後ろめたさを感じたのは、アルベラが両親に秘密で屋敷を抜け出したり、ゴロツキと仲良くしたり、妙な薬を八郎に作ってもらったりしていたからだ。後ろ二つは今も継続中で。
ちなみに五年前からお願いしている魔力や筋力増強の薬は、安全面的にもう少し時間がかかるらしい。今は新しい素材との組み合わせを試行中だと八郎は言っている。
以前と同じ素材ではどう頑張っても依存性が出てしまうようで、八郎は必要以上に警戒し、その試供品の一切をアルベラには見せようとはしなかった。
彼女の場合、実物を手にしなくても、隙を見れば魔法でその成分を霧に乗せてしまう事が出来るからだ。
特に問題なのは、力が扱いきれておらず、その濃度が思うがままに制御しきれていない事らしい。
範囲は前よりも広く、自在に指定できるようになったのだが、霧が携えた効果の強弱と言うのはどう調節したらいいのか、アルベラはまだ感覚がつかめていないのだ。
更に、その効果はアルベラ自身には現れないので、彼女が力を使った際は必然的に周りの人間が実験体となってしまう。
薬の恐ろしさを知っている八郎は、自分の薬の被害者がでるのはごめんだと深く注意しているようだ。
(私だって危険だって注意された物に考えなしで魔法は使わないって……それくらいの節度は持ってるっての。用心深いんだから)
アルベラは思い出して僅かに顔をしかめる。
そんな自分へ、ジーンが不思議そうな目を向けている事に気が付き、アルベラは気を取り直す。
「じゃあ、失礼したわね。また授業で。お互い考査頑張りましょ」
「……。ああ、またな」
アルベラはひらりと手を振り、上の階へと続く階段へと向かっていった。
(苦か……。私、そういえばこのクエスト自体は大変と思う事はあっても嫌じゃないんだよな……。まだまだこれからだし……それなりに達成感あるし)
階段をのぼりながら、アルベラは賢者様に与えられた自身の役割についてふとそう思った。
(どこか罪滅ぼしじみた姿勢と、自分に対して『もっと痛い目見ろ。そして耐えろ』みたいな被虐だか加虐だか分からない気持ちがあるのは少し考え処だけど……。うん。そうだな。もっと前向きに楽しむべきだ。二度目の生。失敗したら死ぬかもしれないんだし。いつ死んでも悔いのないように生きないと。……簡単に死ぬつもりないけど。うんうん。ユリへの嫌がらせ……真面目に、楽しく、前向きに。また情けなく怖気づくなよ私)
***
元通り、一人となったテーブル。
ジーンは頬杖を突き空いた正面の席を眺める。
―――もう少し話していたかった。
そう……。あんな自分の過去語りでなく、話すネタなら他にもあった。
スカートンの誕生会の事や、休みに行くという彼女の長旅について、愚に関すること以外の自分たちの休暇についてだって……。
(けど本探してるって言ってたし、突き合わせるのは悪いよな………………………………は……?)
「―――……」
ジーンは自分の思考に気付き目を据わらせた。
胸に感じたむず痒さを隠すように組んだ腕へと頭を伏せる。
目を閉じると、瞼の裏に思い出すつもりのなかった金色の輪っかが蘇った。
彼女が取り出したあの日のブレスレット。
日用品なのだから使用していても持ち歩いていても不思議ではないというのに。思い出せば気恥ずかしさや嬉しさで頭がほてっていく。
(勿体ない、か……)
口元が無意識に緩み、それを途中で抑えたせいで唇が歪んでいた。
自分は今、一体どんな顔をしているだろう。
別に……どうしたいとかはないのだ。
ただ共にいて気が楽だから。楽しいから。……だからただ、友人としてもっと知りたいと思ってしまう……。―――そう。『友人』として。
頭の中でそう自分に言い聞かせジーンは息をついた。
(……情けない言い逃れ)
額を机に押し付ける。挟まれた髪が「ざり……」と小さな音を上げた。
目を瞑り頭の中を意識的に空にすると、彼は数十秒そのままでいた。
辺りの音を聞き、瞼の裏の暗闇を感じ、ただじっと雑念が消えるのを待つ。
やがて、赤い頭がのそりと持ち上がる。その表情は既に普段通りの物だ。
(今日はもう部屋に戻るか)
ジーンは気を入れ直すように体を伸ばす。
少ない荷物をまとめ、彼は席を立った。