196、 皆の誕生日 1(研究所での誕生日)
ジェフマ三の月の一週目。
学生たちの間にはそわそわした空気が流れ始めていた。
今月は遂に定期考査なのだ。
身構え方の塩梅が分からず肩に妙な力が入ってしまう感覚を誤魔化しながら、ユリは平日を目いっぱい勉強につぎ込んだ。
授業で言われた範囲を何度も復習し、中等学部から上がって来た友人達にアドバイスを貰い……駆け抜けるような速さで月の一週目を終えていた彼女は、今ミーヴァの二回目の誕生日会に招かれていた。
『来週、後の休息日って俺の誕生日会開いてもらうじゃん』
図書館で、ユリとトシオとミーヴァが三人で勉強していた時の話しだ。
『でさ、その次の日。都内の研究所で、研究所の人達も誕生日会を開いてくれるんだ』
自分のための会の話に、ミーヴァは少々気恥ずかし気に頬を掻く。
『つっても、ケーキと食事を注文して、皆で食べるだけなんだけど……』
『皆でケーキとご飯を食べるのが普通の誕生日じゃない』
とユリはくすくす笑った。
『ああ。そうだった。……じゃなくて、貴族とかみたいに馬鹿に派手なオプションが無いこざっぱりした奴ってのを言いたかったんだけど……』
『う、うん』
それで何の話だろう、とトシオが頷いた。
『でさ。研究所の人達、ユリは元気かって……。久しぶりだし、皆あいたがってて……。その。ユリが良ければ、二日連続で悪いんだけど、次の日の夕食も一緒にどうかなって……』
『良いの? 私は喜んで。研究所の人達にご挨拶しに行かなきゃと思ってたし』
『…………あ、キリエもいるからな! あとトシオ』
『僕?』と名を呼ばれた本人は目を丸くした。
『ああ。お前、前に爺様の研究所見てみたいって言ってただろ?』
『うん。言ったけど……。良いの? そんな日に行って』
『ああ。ただ見に行くだけより飯も食えてお得だろ?』
ミーヴァをじっと眺め、トシオは小さく吹き出す。
『確かに。じゃあお言葉に甘えて』
そんなやり取りがあり、ユリだけでなくキリエとトシオは、ミーヴァの祖父が王都の端に構えた魔術研究所へ招かれていた。
小さい頃にも数回、ミーヴァに連れられ遊びに来た事のあるユリは、懐かしい面々に顔を綻ばせていた。
「あらあら、ユリちゃん? お久しぶりねぇ、大きくなって。こんなにべっぴんさんにっちゃって」
女性の研究員がユリと親し気に挨拶を交わす。
「髪の色が随分明るくなったんだねぇ。お父さんと同じ色なんじゃないかい? お父さんはお元気?」
ユリの父と面識のある初老の研究員が何の気なしに尋ねた。
「……父は、三年前に事故で亡くなりました」
「おや……それは済まない事を……。残念だ……彼はいい商人だったのに……」
「じゃあユリちゃんはどうしてたんだい? 学園に来るまで、頼れるところはあったのかね?」
近くにいた他の研究員が尋ねる。
ユリは祝いの席で暗い話題になってしまった事を申し訳なく思い、明るく振る舞った。
「ええ。父方の祖父母と暮らしてました。二人共とても元気で。父のお姉さんや妹さん家族も近くに暮らしていたので、とても賑やかでしたよ」
「そうかいそうかい。ユリちゃんが楽しく暮らせてたならそれでいいよ。……けど、そうだったか……。若いもんがこんなおいぼれより先にと思うと……神様も意地悪な物だよ……」
遠い目をする初老の男性は、ほうっと息をつき、感傷に浸って口を閉ざした。
ユリも亡き父を思い出し、悲しみが胸を覆うのを感じた。
「ほらほら、ユリちゃん。すまないね、嫌な事思い出させて。今日は美味しいものをたんと食べておゆき」
「そうさ。何ならそこらの目ぼしいアイテムがあればもっておゆき。あ、そっちの部屋のは気を付けなね。民家なら軽く吹っ飛ばせちまうもんもあるから」
「まったく誰だい。あんな物騒な物」
「ケイディーネの爺様さね。あん人星が好きだから。雲の上にテントを滞空させたいって言ってそのための陣だって言ってたよ」
「はぁ? それで爆発かい? テント事吹っ飛んで自分が星になっちまったら笑いもんじゃなか」
「あれは媒体と陣があってないんだて。媒体が恩恵を受けすぎちまってて陣の効果が強化されすぎちまってる」
「いやいや。陣もしつこすぎるんだよ。あれじゃあ風の精霊が興奮しすぎちまって。もっと線を整理する必要がある」
「けど何で火系列の陣も印もないのに爆発するかね」
「風の子らのお祭り騒ぎにつられて来ちまってんのさ。火だけじゃない。ありゃあ他の精霊たちも極わずかずつ引っ張られちまってるね。それが一部の空間に密集して、陣の効果で一点にぎゅーっとな」
「ああ。それで中に居る火の奴が『ボン!』か」
「じゃあ外側より内側の陣が問題かな。あの爺さん、精霊を集めて躍らすんは得意だが計算部分は爪が甘くなる」
研究員たちが仲間の製作物にあれこれ意見を交わし始めた。
ユリはそれを呆然と聞いていたが、後ろに気配を感じて振りかえる。
ミーヴァが興味深そうに研究員たちの話を聞いていた。
彼は振り向いたユリに時間差で気が付き、申し訳なさそうに頭に手を当てた。
「ご、ごめん。ミイラ取りがミイラになったというか……」
気まずそうになっていたユリと研究員たちとの空気に、ミーヴァは助け舟を出しに来たのだ。
だが、そこから研究員たちが、誰かが製作しているのであろう魔術具について話し込み始めたので、そちらへつい意識が吸い込まれてしまった。
バツが悪そうなミーヴァの表情にクスリと笑い、ユリは彼の持ってきてくれたケーキの皿を受け取る。
テーブルの上にオードブルが並べられた部屋と、扉もなく隣接した一室。
自由に出入りしていいと言われた部屋にて、キリエとトシオはそこに並ぶ本棚を眺めていた。
「さ、流石……。この国きっての魔術研究所……」
トシオは目をキラキラと輝かせる。
「ここは個人の持ち合わせの本棚らしくて、蔵書数はそんなに無いらしいんだけど……結構だよね」
キリエは軽く資料庫のようになっている室内に苦笑する。
きっと、本棚が足らなくなっては買い足し、また足らなくなっては買い足し、としていったのだろう。
金属製の骨組みの棚が、飾り気もなく等間隔で並んでいた。部屋の入り口付近には、もともとこの部屋に置かれていたのであろうテーブルや椅子が追いやられ、軽く積み重ねられるように置かれていた。
トシオは動物の皮で閉じられた一冊を手に取り、その表紙を開いてすぐに挟まっていたメモを見て目を丸くする。
「凄い……です。ここの一角なんてマニアックな奴ばっかですね。これなんて千六百年前の本だって。この時代、戦争のせいで残ってる本は少ないのに……流石に婆ちゃん家にもなかったな……」
彼の祖母の家には、会ったこともない曾々祖母の集めた本が積み重ねられるように保管されていた。
トシオは小さなころからその部屋を整える中で、本を読み、魔術を学んできたのだ。
その経緯もあり、同じ魔術好きだがミーヴァとトシオでは好む魔術のジャンルが異なる。
ミーヴァは彼の祖父同様、新しい魔術の開発に重きを置いて思考を鍛えてきた。
トシオはと言えば、古い魔術、伝承の中にあるような魔術に知識が広く、今に残されていない類の魔術の際現に憧れている。
実用性重視のミーヴァと比べ、トシオは実用性より夢重視なのだ。
その違いが、またお互い良い刺激となるらしい。
キリエが同席してみている限り、二人の間には当然意見の食い違いもあるようだった。だがそこは無理に理解し合う必要はないと思っているようで、ミーヴァもトシオも上手くやっているようだ。
「あ、これ……前にココトトさんが言ってたやつ。本当に揃えといてくれたんだ」
キリエは五冊のシリーズ物の本を見つけ嬉しそうに声を上げた。
トシオは数冊の本を抱え、キリエの見ていた棚を覗き込む。
「へえ。『動植物に習う魔術』……ムスクレ・バーディー……ああ。冒険魔術研究家の人ですね。キリエ様はやっぱり動物関係なんですね」
「うん。けどこの人のはどっちかというと体作り系かな。えーとね……ほら、これとか」
「『ゴリオンの腕力に学ぶ腕の一時的な発達魔術』……」
そこに書いてある内容をさっと読み、トシオの瞳が興味と魔力に光を灯す。
「キリエ様、腕借りていいですか?」
「え……? うん、わかった」
キリエは苦笑し、羽織っていた上着を脱ぎシャツの腕をまくった。
トシオは素早く指先に魔力を集中し、キリエの二の腕に陣とも呼べるような複雑めな印を描く。
「『指先、手首、肘、二の腕、肩、首の後ろと反対側の肩、胸と脇腹までを繋ぎ』……」
「おーい。キリエ、トシオ。爺様がお前らの顔見たいって………………はぁ……お前等こんなとこに来てまで……」
自身の祖父が用事を済ませ合流した事を報せに、ミーヴァが二人の居る研究部屋へと顔を覗かす。
そこには片腕の筋肉だけが不自然に発達し、ムキムキとなったキリエの姿があった。
それを前にトシオが興奮した様子で目を輝かせている。
「流石ですねキリエ様!! めちゃくちゃ安定してます!! 僕の今の腕じゃそんなにうまく展開できませんでしたよ!!」
「いや、体が耐えられてもこの印じゃ俺は正しく書くことが出来なかったな。流石だね、トシオ君。……へぇ。結構軽いや。周囲への補強が的確に打たれてる。変に周りの筋痛めたりとかも全然なさそう……あ、ミーヴァ! どう?! かっこいいかな?」
キリエが片腕を体の前にムキっと構える。
「最高ですよ! かっこいいに決まってるじゃないですか! 伝承の隻腕の英雄みたいです!!」
とトシオは絶賛するが、ミーヴァには不評だった。
「気色悪いっての!」
「何々? キリエ様とトシオ君何かしてるの?」
後ろから気になったユリが近づいてくる。
「だめだユリ! 目が汚れる!」
ミーヴァが慌てて後ろを振り向くと、そこには興味津々と言った様子のユリが目を輝かせていた。
「わぁ……! 凄いですね! それ、前にキリエ様が言っていた例の魔法ですか?!」
「あれとは別。魔術だよ。トシオ君が展開したんだ」
「へぇ、流石トシオ君! これって見た目だけなんですか? それとも実際に力も増えてるんですか?」
「筋力もちゃんと上がってるよ。あ、そうだ。乗ってみる?」
「ええ?! それってパフォーマンスとかで見る奴みたいに?! ムキムキの人が美女を両腕に座らせるアレみたいに?!」
「そうそう、アレみたいに!」
「わぁ! 乗ってみたいです! 良いですか? 重くないですかね?」
「大丈夫だよ。多分コレ二人は行ける」
「二人……キ、キリエ様、よろしければ僕も……」
きゃっきゃと楽しそうな三人の様子にミーヴァは一人置いてけぼりで額に手を当てた。
(……ユリの好奇心侮ってた…………)
研究所で行ったミーヴァの誕生日会は日を跨ぐ前に幕を閉じた。
恒例の者達も多いため、毎年二十一時前には引き上げているのだ。若い研究員たちはまだまだこれからで、この後眠くなるまで研究室にこもって研究に明け暮れるようだ。
彼らは広げた御馳走の跡片付けをしつつ、寮へ帰る学生達を見送る。
「皆気を付けて。あとほら、これ。手土産。学園の考査今月末なんだってね。頑張って」
「ありがとうございます! ……ええと、これは?」
ユリは差し出されたペンを眺め首を傾げる。
そのペンは一般的な物よりやけに太かった。指三本分の太さはある。
トシオとキリエも受け取り太く短い見慣れないペンをしげしげと眺めた。
「あ、ここ……」
グリップ部分に細い溝を見つけたトシオがその部分を捻って開いてみる。くるくると数回回すと、ペンは二つに分かれてその中が露わになった。
数個の筒が、インクの筒を取り囲んでそうになっている。
その筒の裏にも表にも、びっしりと細かく、魔力を通す掘り込みがされていた。
「ええと…………これは………………」
トシオの手元を眺め、ユリが先ほどと同じ言葉を呟く。
渡してきた研究員の周りにいた数人も「一体何を渡したんだ」と首を傾げていた。
手土産を渡した彼はあっけらかんとした笑みを浮かべる。
「カンニング用の魔術具だ。ペーパーテストは満点間違いなしだよ。……あ、私が開発したのは中の陣でね、周りは職人に頼んで作ってもらって。それを組み立てたのも別の技術者なんだけど是非使い心地の感想を聞かせて欲しいって」
―――ぱんっ
―――ぱんっ
―――ぱんっ
彼の周囲の仲間たちが、彼の頭を反射的に叩いていた。
「ごめんね君達。それ没収」
一人のきりっとした女性がそう言い、ミーヴァが苦笑して三人からペンを返してもらう。
「最近ずっと顔見ないと思ってたらこんなものを作って……」と、後ろで大人たちが呆れたようにやり取りしている。
すんなりとそれを手放すトシオとキリエだったが、ユリが葛藤するようにペンを眺め、ごくりと唾を飲んっだ。
「ユ、ユリ…………」
「あ、ああ。ごめんなさい。大丈夫。ちゃんと毎日みんなと勉強してるし! ただ、この道具がどんなふうに動くのか気になって」
「そうか。じゃあ考査が終わったら改めて聞きに来ような」
「う、うん……そうね。ははは」
三人を見送り、ミーヴァは研究所の中へと戻る。
今日は家に泊まって、寮へは明日帰るのだ。
研究所の中ではカンニング道具を学生たちに渡した研究員が周りからチクチクと叱責を受けていた。
「あの子達に渡すことは無いだろう」「その情熱を他に向けろ」だのと、ミーヴァの耳に届く。
残っていた三人の老齢の研究員たちがそれを眺めほほ笑んでいた。
彼らはミーヴァと目が合い悪戯っぽく笑った。
「随分昔、私はああいう類の道具で痛い目を見てね……」
「そうそう。この人『それがばれて退学させられた』ってここに来た頃ずっとぐちぐち言っててね」
「もう昔のことだ。良い思い出だよ」
「何言ってるんですか。今だってたまに『教師と言うのは頭の固い生き物だ』って根に持ってるような事言ってる癖に」
くすくすと笑い、一人が目元の皺を深くし遠い昔に思いを馳せるように目を細めた。
「私達も、若い頃は興味が赴くままに努力を費やしたものだ……」
幾ら髪や皮膚が衰えようとも、その瞳が映し出す世界は常に新鮮であることをミーヴァは知っている。ここに集まる者達は皆、そこらの子供達に負けないくらい自らの夢に素直で、柔軟な思考に溢れているのだ。
「貴方方は今だってそうじゃないですか」
ミーヴァが呆れ交じりに苦笑すると、老齢の研究者たちは嬉しそうに声を上げて笑った。
「確かに」
「思い返してみれば今も昔もとんと変わらん」
「こればかしは老いにも譲ってやれんかったな」
しわがれた笑い声を聞きながら、ミーヴァは彼らのように生きたいものだと心の底から思った。
***
家に帰り、ひと月近く開けていた自分の部屋の埃を払い、就寝の準備をする。
風呂から上がってリビングに行くと、ロッキングチェアに腰かけていた祖父が「おや、じゃあ私も入ろうかね」と立ち上がった。
「爺様」
「何だい」
ミーヴァは不安げに瞳を逸らし、小さく唇を動かす。
「随分いい年だけど、体調は変わりない?」
アート・フォルゴートは目を丸くし、ふぉっふぉと笑った。
「どうした、急に。見た通り変わりない。ひ孫の顔だって見れそうなくらいだよ」
「……だよな。俺にもそう見える」
「だろうだろう。ほれ、温かい風呂も健康の秘訣だ。寛いでくるかね。ミーヴァよ、頭はちゃんと乾かしてから寝るんだよ」
「分かってるよ」
ポンポンと孫の頭に手を乗せると、彼は明かりを灯した廊下を風呂へと向かい歩いていった。
ベッドに仰向けになり、ミーヴァは手にしたメッセージカードをサイドテーブルに放る。
「変な事書きやがって……」
サイドテーブルに放られたのは昨日の誕生日会で貰ったプレゼントに同封されていた物だ。
送り主の名はアルベラ・ディオール。
誕生日を祝うカードとは別で入れられていたシンプルで薄いその紙にはこう書かれていた。
『お爺様の御容態はお変わりない? アート様はしっかりしていらっしゃるから大丈夫だとは思うけど、持病とか流行り病とかには十分気を付けてあげて。お爺様に無理をさせたらただじゃおかないんだから』
お前に言われなくたって、とミーヴァは不貞腐れたような表情を浮かべる。
(大体、爺様に無理をさせるのはいつもお前等貴族側だろうが……)
ふん、と鼻を鳴らし、ミーヴァはテーブルの上の高価な銀のバッチを見た。
魔術媒体用の品だ。
(確か、心音と体温で相手の健康状態を知ることが出来る魔術があったよな。声と息遣いで量るのもあたっけ。……それに手を加えて遠方からでも分かる様に出来たら便利かも)
野鳥の低い鳴き声が耳に心地い。
夜の音に耳を傾けながらミーヴァはゆっくり目を閉じる。
(考査が終わったら、試しに一つ作ってみよう……)
暫くして静かな寝息が立ち始める。
部屋の主の就寝を察し、淡く灯っていたベッドわきのライトの明かりが静かに消えた。
ライトが消えた事で、祖父の元にも孫の就寝が伝えられる。
暖炉の上に掛けてある、淡く輝いていたタペストリーの紋章が一つ消えた。
アートはタペストリーを見て目を細めると、穏やかな声で「おやすみ」と呟いた。





