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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (前編)
191/411

191、冒険者と顔合わせ 2(イチル・ニコーラのイメージ)



 店に入り、きれいに並べられたインク瓶の数々を眺めているうちに、ニコーラの胸はすっかり落ち着いていた。

 珈琲や紅茶の香りを楽しむかのように店内の香りを味わい、ニコーラはほっと息をついた。

 ミーヴァの誕生日プレゼントと探すため、と考えつつも、こちらもあのアクセサリー魔術具店同様、殆ど自分の趣味だった。

 勿論ミーヴァが好きそうというのも事実ではあるが……。

 インクにはいろんな種類がある。植物性染料、天然顔料、人工顔料、動物性顔料、動物性染料、魔獣性顔料、魔獣性染料……等など。

 使用するための専用のペンがあったりもし、その効果も様々だ。

 即席用に紙に魔術の印や陣を描いて持ち歩く事は多い。そういったものに特別なインクを使用する事で、魔術の効果を強化することができる。

 又は道具類に効果を付与するために印や陣を描いたりもするが、それも同じだ。特別なインクを使用することで効果の強化や持続性を上げることができる。

 だから、著名な魔術研究家の孫であり、本人もまたその見習いであるミーヴァへのプレゼントなら、インクは当然と候補に上がるアイテムである。

(昨日の時点では誰も言ってなかったし、大丈夫だよね。まずはちょっと見るだけ……)

 友人たちとプレゼントの品が被らないか心配しつつ、ニコーラはとりあえず店内を一回りすることにした。



 二コーラが眺める先に、「色が変わる!」と虹色に光るインクで書かれているポップや、「甘い香り」「酸っぱい香り」「涙が出る香り」「とっても臭い」などと書かれたポップ等が並んでいる。

 ここはお遊びのような効果のあるインクのコーナーだ。

 少し先には、書いた媒体に耐火や耐水の効果を与える等、少し嬉しい効果のある「機能インク」と呼ばれる品の並ぶコーナーがある。

 二階に行けば「専門インク」と呼ばれる、錬金術師や呪術師、加工師、鍛冶師などが仕事の上で使うような品が揃えられている。

 二階に並ぶ品はガラス戸の中に品が並んでいるため、店員に声をかけなければ触れることはできないが見るのは自由だ。

 彼女は階段を上がり、一階よりも視界の開けた店内を見渡す。

 二階は上がってすぐに、腰の高さのガラス張りの棚が並んでいるのだ。まるで高級時計やアクセサリー店のような内装だ。

 この階の棚には全てガラス戸が付いている。

 単純に高価なので防犯のためでもあるが、危険な品が多く、むやみに怪我人を出さないためでもある。

 ここには、素手で触れると火傷したり、凍ってしまったり、匂いだけで痺れてしまったりするような物が並んでいるのだ。

(火傷注意。火の精霊が過剰に集まり興奮。固い甲羅を持つ魔獣の体にも半永久的に印や陣を刻みます………………劇薬注意。高硬度鉱石用インク。手軽に印・陣の彫込みが可能。風、水、電気の印・陣に相性良し。火との相性は悪………………罠の制作がお手軽。害獣の駆除に一役……)

 並ぶ品を見ながら、ニコーラは幸せな気分に浸る。

(いいなぁ。一度でいいから高級なインクで印や陣を描いてみたい。一回でどれだけの田畑を耕かせるかな。……あ、これとか、お父さんのお土産にしたら喜びそう。……十二万……た、高ぁ……)



 「ありがとうございました」と店を出るニコーラの背に店員の声が投げかけられる。

 胸をほっこりさせ、ニコーラは手にした紙袋を見下ろした。

 彼女は嬉しそうに紙袋を抱きしめる。

(ああ。ついお遊びみたいな品を買ってしまった……)

 そこにはしっかり友人へのプレゼントの品も納められている。

(まあ、目的は達成できたしいいよね。二人とも、まだあそこかな)

 先ほどのアクセサリー店の中、遠目だがヒフマスの低い頭が確認できた。

 ニコーラは安心したように息をつき、二人の友人が待つ店へ戻ろうと足を速めた。

 歩いている最中、横からトン、と腕に小さな衝撃があった。大した力じゃなかったが、気が抜けてた事もあり紙袋を落してしまう。

 ニコーラは慌てて「すみません」と頭を下げて紙袋を拾い上げようとした。その腕が大きな手に掴まれ、紙袋を拾い上げることを阻まれてしまう。

 彼女は弾かれたように顔を上げ、その人物を見上げる。

「嬢ちゃんどういうつもりだぁ?」

「前も見ずにあぶねぇだろ。なあ?」

 逆光になり陰って見える二人の人物に、ニコーラの瞳が不安げに揺れた。

 ―――怖い

「ちょっと道の端寄りな。話がある」

 片方の男がそう言い、道の端へと彼女を引っ張っていく。

 ニコーラは一見彼らの言葉に従ったかのように歩き出すと、自分の腕を掴む男の手が緩んだのを見計らい、彼の手元に小さな稲妻を放った。

 「ってぇ!」と男が声を上げると同時、ニコーラは彼の手を払いのけ、真っ白になった頭で駆けだしていた。



(わ、私、何であの時お店に入らなかったんだろう……!)

 考えなしに走り出していたニコーラは、幾つかの路地を適当に走り抜け、気付けば薄暗い通りに出ていた。

 表の通りには並べられないような品を扱う店や、日中だというのに酒や香水の匂いが鼻につく店などが視界の端で通り過ぎていく。

 後ろからドタバタと、あの二人が追いかけてきているのを感じ「なんであの人たち追ってくるの?!」と彼女のは目に涙を浮かべた。

「だ、誰か! 助けて!」

 声を上げるが、後ろの男たちも負けじと声を上げる。

「こらぁ! 待てや盗人!!」

「返せや!! こらぁ!!」

 客引きであろう女性がくすくすと笑っているのが聞こえた。

 黒い草を沢山釣り下げた怪しげな露店の老婆が、ニコーラが通りすぎる際「盗みは駄目だよ、嬢ちゃん」と言っているのが聞こえた。

(私何も取ってない!)

 心の中で抗議の声をあげ、今は走る事に集中する。

 元の通りに戻ろうと角を曲がれば、そこには低い木製の塀があった。魔法で補助してその塀を飛び越え、後ろを見ればあの男たちも軽々と塀を越えて追ってきていた。

(なんでこんな)

 おかしい、と思いながら更に角を曲がり走る。

 突然、視界の端から腕が伸びて来た。

 「いや!」と小さく叫び、ニコーラは咄嗟に身をかわす。

 誰かの潜んでいた路地をそのまま走り抜けると、その人物が舌打ちをしたのが聞こえた。そして多分、その人物が言ったのだろう「追え!」という声が後ろから聞こえた。

 あの腕に捕まっていたらどうなっていたのだろうか……。

 ニコーラの胸に、更なる不安が込み上げる。

(もう……、やだ……やだ! 何でこんな目に!!)

 ―――ぼうっ……

 後ろから火球が飛んできて、ニコーラの横を通過する。

「こらぁ!! 止まれやガキ!!! 次は当てるぞ!!」

(やっぱりおかしい。なんでこんなにしつこく)

 何の得もなくこんな子供一人に固執するはずがない。

 彼らは先ほどの声の主に雇われて自分を追っているのだ、とニコーラは確信した。

(早く元の通りに、それか人の多い場所に―――)

 また適当に曲がった角の先、突然頭から布が被せられ「キャア!!」とニコーラは声を上げる。

 布の外から、誰かが自分を両手で抱きしめるように押さえつけていた。

「は、離して! お願―――」

「黙って。大丈夫」

 布の外から聞こえたのは女性の声だ。そして鼻をかすめる、心を落ち着かせるような柔らかい香り。

 ニコーラは藁にもすがる思いでその言葉に従い両手を口に当てた。

 暴れるのを止めてすぐに、ニコーラの足の裏から地面が離れた。

 自分にかぶさった布の外や、布からはみ出した肌に風を感じ、かと思えば、すぐに体の下に地面がもどってきて、自分を抱きしめる人物共々その場に座り込んでいた。

 自分を抱きしめていた誰かが小さく息をつくのを感じた。

 その場に数人いるのか、「おお。まじかよ」という笑い半分の男の声が聞こえた。

 「んで、この子大丈夫か?」と低い男の声が言って、その人物がニコーラの上から布を外す。

 「あ、姉さんらには俺から連絡入れるな」「あいよ」という会話を、二コーラは意識の端に捉える。

「貴女、大丈夫?」

「……は、い」

 何が起きていたのか分からない。

 呆然としたまま俯いたニコーラの視界。彼女は自分の垂れ下がる髪の外に、日の光が満ちている事に気付いた。

 そこにはさっきまでいた路地の薄暗さはない。


 ―――助かった。……助かったんだ。


 そう思った途端ニコーラの目から涙があふれた。

 彼女は傍にいた誰かの体に縋りつき、「うう、うう……」と声を漏らす。縋りつかれた人物は「……え」と小さく驚いた声を上げたが、体を震わせ涙を流すニコーラに同情したのか、頭に手を乗せ、離しかけていた腕をその場にとどめ、トントンと背中を撫でる。

 ニコーラはそれに甘えて落ち着くまで涙を流した。

 どうなるかと思ったのだ。

 売り飛ばされてしまうかもしれない。

 殺されてしまうかもしれないと、怖くて怖くて仕方なかった。

「……ほ、とに。ありがとうござ……ます……。ほんとうに………怖くて……帰られなくなるんじゃって思って……ご、ごめんなさい、こんな……でも、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうござい、ます……」

 その人物は黙って、どこかぎこちない動作で背中を撫でてくれる。

 ニコーラはその人物の優しさに感謝し、涙が収まるまでその胸を借りた。



 呼吸も落ち着いた頃、ニコーラは赤くなった鼻を隠すように手を当てる。

 命の恩人に改めてお礼を、と顔を上げた彼女は言葉を失った。

「ディ、ディオール、様……」

 そのご令嬢は(あくまでもニコーラから見てだが)迷惑そうとも困ったようともとれる微笑みを浮かべた。

「ご、ごきげんよう。イチル・ニコーラ」

 二コーラは自分の体の中から、血の引いていく音が聞こえたような気がした。



 ***



 言葉を失って固まっているニコーラを前に、アルベラはどうしたものかと考える。

 そして、高みの見物を決め込んでいるガルカが持つ袋の事を思い出し、先ずはそれをニコーラへ返す事にした。

 紙袋を受け取ったニコーラは「これ」と驚いたように呟き、開いて中身を確認した。

 それは確かに彼女が購入したインクの品々だった。

 アルベラは気まずそうに視線を逸らし、ぼそぼそと言い訳するように告げる。

「まあ……それを落としたあたりから見てたわけだけど……。別に見放したとかではないの。ちょっと動くまでに時間かかって、見失って……それで直ぐに手を貸せなかっただけで……」

 見失ったのは事実だが、手を出すか迷っていたのもまた事実だ。

(この子、それなりに魔法も魔術も使えて、運動神経もいいわけで……すんなり逃げ切ると思うじゃない)

 もしかしたらあのままニコーラが逃げ切り、男たちは諦めるかもしれないと思ったのだ。

 だが―――



『あのガキ、商人に目でもつけられてるんじゃないのか』

『え?』

『あれは捕まるまで時間の問題だな』 

 ガルカに様子を見に行かせたのだが、帰ってくるなり、彼は他人事のように薄い笑みを浮かべてそう言った。

 助けてあげれば良かっただろうに、とアルベラが呆れて抗議すれば「なぜ?」と当然と返された。

『貴様も本当に助けたいか? あれとは大して親しくないだろう?』

 一瞬、彼の言葉に同意したのも確かだ。

 だがそれよりも「何もしない」事はあり得なかった。

『煩い! こんなことで≪後悔≫をするのはごめんなの! 追って!』

 その動機が「善意」で無いのは確かだ。

 だが単純な「哀れみ」はあった。

 そして「出来ないからしない」わけでもない。これは今のアルベラが「出来る」と確信出来る事象だ。

(出来るのにしないなんて、『私』以下じゃない)

 この時の動機を示すなら、「後悔」というトラウマへの「自己防衛」や「意地」、またはそれらから生まれた「衝動」だった。



「あ、それは私からミーヴァへの品。あなた達今度誕生日会開くんでしょ? それ渡しといて」

 見覚えのない品を紙袋の中に見つけ、困惑していたニコーラにアルベラは言葉を付け足した。

「は、はい……」

 そういえばそんなに移動した感じはなかったのに、随分と辺りが明るい。とニコーラが周りを見回せば、ここはどこかの屋上のようだった。

 屋上の縁の外。今さっき走っていた陰った道を見つけて、ここがその道に面したビルの上なのだと察した。

 ちなみにニコーラが空を飛んだと思ったのは、アルベラと共にコントンの上に乗っていたのだ。

 アルベラが下になり、その上にニコーラが乗り。コントンが開いた口の上、座ったような体制で二人は運ばれたのである。その過程の図だけ見れば、二人が一匹の大きな犬に食べられる瞬間にしか見えないだろう。

 そして、ニコーラにかぶされたのはアルベラが着ていた外套だった。アルベラ自身は持ち歩いていた保温の腕輪をしていたので、寒さに関しては何も問題は無い。

 アルベラはコントンの姿を見せないようニコーラに自分の外套を被せ、コントンはアルベラの合図で傍の古びた低いビルを垂直に駆けあがった。

 その平坦な屋上に二人を下してアルベラの影に潜り込んだ。という流れだ。

 ニコーラはアルベラの言葉よりも、自分が先ほど彼女の肩に縋って大泣きしたのだという事を思い出し、呆然としていた。

 公爵ご令嬢の肩を見れば、それが夢ではなかったと証明するように、服のその部分に自分の涙の跡がしっかりと残っていた。

 その事実が、じわじわと彼女の胸を締め付ける。

 ニコーラの視線に気付いたアルベラは自分の肩に目をやった。

「びしょびしょね」

 冗談のつもりで「やってくれわね」と言うような意地悪な笑みを浮かべてみる。

「……んなさい……すみませんでした」

 消え入るようなニコーラの謝罪が聞こえ、アルベラはようやく彼女の表情の変化に気がついた。

 平民の彼女は大袈裟なくらいに顔を青くしていたのだ。光のない瞳など、もはや絶望を映しているようではないか。

 『少し脅かして揶揄ってやろう』と思ったのだが、そういうタイミングでも、それがやっていい相手でもなかったと気付いて、アルベラは罰が悪そうに三つ編みにした自身の髪を撫でた。

 「いいわよ、これくらい……」と彼女はぽそりと返す。



 ニコーラはとぼとぼと、目の前の人物の背について噴水の広場へ向かっていた。

 目の前の人物とは勿論アルベラだ。

 ニコーラの後ろには、お嬢様に指名されて大きな男が一人護衛としてついてきていた。

 噴水の前につき、アルベラは足を止める。

「ここでいい?」

 ニコーラを見下ろせば、彼女は沈んだ表情でこくりと頷いた。

(この子、いつもはもっと笑ってるよな)

 アルベラの知る彼女の笑顔は何処へやら。彼女は表情暗く、ずっと俯いている。さっきからこの調子なのだ。

「ありがとうございます……」

 彼女は首をもたげ、アルベラを見あげた。

「……」

 何か言いたい事でもあるのかと黙っていたが、ニコーラは中々口を開かない。

 アルベラは気不味くなり小さく身を引く。

「え、ええと。とりあえず座ったら……?」

「……はい」

 ニコーラは言わるがまま、まるで命令されたかのように速やかに噴水の縁に腰かける。

 そんな彼女を見下ろし、「なんだかな」とアルベラは居づらさそうに腕を組んだ。

「……あの。ディオール様は何でそんな恰好を?」

 ニコーラの光のない瞳が、アルベラの服装に向けられる。

 アルベラは深いフードをさらに深くかぶり、口もとだけをのぞかせて見せた。

「こういう格好で来いって言われたの。どう? 誰だか分かる?」

 「いいえ、まったく」と首を振るニコーラの姿が、アルベラからは布越しでもしっかり見えた。「見通しの魔術」が施されており視界は良好なのだ。

「どちらの方がそんな事を?」

「見たでしょう? あの冒険者の人たち。あの女の人」

「あの人、ディオール様の師匠とか言ってましたが本当なんですか?」

「ええ。そんなものよ」

「そんなもの……。なんの師匠なんですか?」

「護身術……かしら」

 「護身術……」とニコーラは口のなかで小さく繰り返す。

 別に、知りたいのはそう言うことでは無いのだ。

 ニコーラはまた黙り混むと、悩みながらといった様子で口を開く。

「……あの方は、どこかのご令嬢か何かなんでしょうか?」

 公爵のご令嬢に、こんな「お嬢様」からかけ離れた格好をさせられる人物だ。きっと何かしらの権力者か、有力者なのだろうとニコーラは思ったのだ。

 その言葉に、共に来ていた大男ーーーアンナの冒険者パーティーの一員、ゴヤが小さく吹き出した。

 「確かに、見た目だけならなくもないか」と彼はぼやく。

「いいえ。生まれは知らないわ。本人も知らないって言ってたし」

「……それってどういう」

 アルベラは辺りを見回しながら答える。誰か特待生っぽい人物が居ないか探しているのだ。

「さあ。そこら辺で生まれて、そこら辺で育ったそうよ」

 その言いようではまるで孤児ではないか。

 ニコーラは困惑する。

 それは本来、貴族が権力を示すために気まぐれに情を向けたり、時に都合よく命を弄んだりと、彼等が当然と軽視している対象のはずである。

「じゃあ。貴族でもない、生まれもよく分からない人を、ディオール様は師匠に? あの方、そんなに凄い人なんですか? 王族からも優遇されるような名を上げたパーティーとか。ウガマの『赤馬』とか、レンジャージの『金色』とか、よく名前を聞きますが」

 赤馬や金色というのは、アルベラも耳にしたことのある冒険者パーティーの名だった。

「パーティーで言えばマイナー、ですよね……?」

 アルベラはゴヤへ尋ねる。

「……まあ、マイナーといやあマイナーだな。うちはパーティーの名前なんてあってないようなもんだ」

「ですって」

「はぁ……」

「凄い人かと言われると……そりゃ私よりは凄いだろうけど……」

 アルベラは少々考えるように口を閉じ、ゆっくりと表情を歪める。



 思い出したのはファミリーに居た時目にした姿だ。

 日中から酒を扇ぎ、仲間に絡んで大暴れしている姿が印象的だった。挙句、仲間の中から若い青年を一人ひっつかみ、「ちょっと奥でアタシの相手しなよ」と舌舐めずりしたのである。

 青年は涙を流し助けを求め、助けようとした者達は「なんだい? あんた達も一緒したいのかい?」と彼女に捕まる始末だった。

 誰もが「終わった」とその場を諦めかけた時、偶然現れたリュージが彼女の意識を物理(ガラスの灰皿)で落として事が収まったのだ。



 あの時、自分も巻き込まれて引きずり困れそうになった事を思い出す。

「あれは世でいう底辺の人間よ。酒浸りの……酷いあばずれね……」

 嫌な記憶に心が荒み、アルベラは吐き捨てるようにそう言い放つ。

「あば、ずれ……」

 ニコーラはその言葉に胸を抑えた。

(あーあぁ……。知ーらね……)

 ゴヤはアルベラの言葉に顔をそむける。

「あの。ディオール様は、なんでそんな人といるんですか。しかも師匠だななんて」

(随分質問してくるな……)

 アルベラは何だろう、と彼女を見下ろした。その姿は、座っていることもあいまってかなり小さくなって見えた。

 ニコーラは委縮した様に肩をすくめる。

「す、すみません……。こんな色々、ずけずけと……」

「気が合うからよ」

「え?」

「楽しいから一緒に居るの。まあ、会えるの何てたまにだけど」

「楽しいから」

「ええ。貴女だってそうでしょ。一緒にいる誰かといるの。その人といて楽しいからでしょ」

「それは、はい。勿論です。……けど、そんな酒浸りであばずれな、どうしようもない人といてディオール様は楽しいんですか? 貴族でも、有名でもない人達と」

「ええ」

 返答は短いがはっきりしていた。

 ニコーラの目は真ん丸に見開かれる。

 「あら、やっと来た」とアルベラの口の端が持ち上がった。

「え?」

「ユリとロイッタよ」

 フードの縁から僅かに緑の瞳が覗く。その瞳が向けられた先へニコーラも目をやると、アルベラの言葉の通り二人の姿があった。

「じゃあ、私はこれで。私がこういう人達といた事、変に言いふらさないで頂けると嬉しいんだけどいいかしら? 特に、師匠的な人が酒浸りだとかあばずれだとか世の底辺だとかの辺り」

 重要なのは後半だ。

 ニコーラはどこかぼうっとしながら、首をゆっくり横に振り「言わない」と示した。

 フードから覗いた口元が緩く弧を描く。

「そう。じゃあお願いね」



 アルベラが立ち去り、ユリとリドがニコーラの元に駆け寄る。

「ニコーラ、どうしたの? 皆は?」

 噴水の縁に腰かけるニコーラを、リドが腰をかがめて覗き込む。

「あ、の。ちょっと、逸れちゃって」

「逸れた? 何かあったの? 目もと、少し腫れてるよ?」

「そう? 迷子になって、それで心細かったから」

 ニコーラは下瞼に触れると恥ずかしそうに微笑んだ。

 彼女の隣にユリが腰かける。

「私達、びっくりして。……ええと。あっちの方でお店見てたらね、『君たちの友達が噴水で待ってる』って誰かに言われて。それで何があったのかと思って来てみたの」

「……そう、だったの」

 トントンと背中を優しく撫でられ、自分はそんなに酷い顔をしていたのだろうか、とニコーラは苦笑した。

 リドもニコーラの隣に腰かけ、安心させるように「よしよし」と少々ふざけながら頭を撫でてくれた。

 ニコーラはそんな二人にふと笑みを溢す。

「ニコーラが迷子だなんて……。さっきの人達が送ってくれたの?」

 尋ねたのはユリだ。

「うん。…………実はね、ちょっと怖い思いをしたんだけど、……もう大丈夫」

 ユリの手に、ニコーラは先ほどの大泣きした時の事を思い出した。今の友人の手と同じだ。あの時の地位が違う彼女の手も、確かに温かかった。 

「多分……だけど。あの人、そんなに悪い人じゃなかった……」

「あの人?」

 ユリは首を傾ぐ。

「うん。送ってくれた人」

「何言ってんの? 送ってくれたんだから当然良い人達じゃん」と、リドも首を傾ぐ。

(いい人……)

 ニコーラは特待生仲間の友人が、この間散々「性格悪い」と喚いていたのを思い浮かべ「……どうなんだろう」と苦笑した。

 けど、本当に厳しければ、理不尽であれば。そもそもあの友人ヒフマスの勝手を許したはずもないのだ。

 彼女は手の中の紙袋に目をやる。

(いい人……?)

 左右の友人から伝わる体温に、彼女は心も体もすっかり和らいでいた。ニコーラは表情を緩ませ、くすぐったそうに微笑む。

 二人の友人から不思議そうな視線が向けられた。

 ニコーラは「温かいね」と誤魔化すように呟く。

「ずるーい。真ん中の特権」

 とリドがニコーラの頬をつついた。



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